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〘 恐らく戦略でしょうが... 〙 南北朝鮮民族に対する好悪感情の是非を、まだ「人種差別」などと言っている輩がいることに驚きました。 CH桜の「討論!!」の中の一コマです。 こういう輩は大概がサヨクか、偽善者か、何も考えていない「のほほん人」です。 そもそも「人種」とは「白色・黄色・黒色」の肌色での分別であり、その意味での差別というのは、その根拠に正当性がない以上は社会的に認められるものではありません。 無論、個々人の「違和感」に基づく「不安」の発生はごく自然なことであり、それは子供などではストレートに出たりもしますし、それが個々人の内面のことである限り、全く問題になることではありません。 しかし、今の日本に於ける「朝鮮族」「シナ・漢族」への「嫌悪」の表象はそれとはまったく異なっています。 まず、根拠が「人種」にあるのかどうか。 これは誰でもお判りになることでしょうが、特亜の輩は日本人と同じ「黄色人種」ですから、肌色が根拠になっていることではありません。 では、彼奴等やサヨクが喚く「差別」であるのかどうかですが、参考までに所謂「差別」の定義の一例を見てみると 『 差別(さべつ)とは元来、差をつけて区別することであるが、社会学においては特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為を意味する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。 現代社会では、年齢、性別、性的指向、人種、民族、言語、階級、宗教、障害等が一般的な差別の対象となっている。 語源・定義 1.仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する高下、善悪などを持つ特殊相のこと(しゃべつ)。 2.ある物と別の物の間の差異のこと。または取り扱いにおいて他と差をつけること。 例:ミクロ経済学の「無差別曲線」、商品の「差別化戦略」、体重別階級の「無差別級」、「無差別殺人」 3.正当な理由によらず偏見や先入観に基づいて、あるいは無関係な理由によって特定の人物や集団に対して不利益・不平等な扱いをすることを指す。 戦後民主主義の普及と共に3の意味でより頻繁に使用されるようになった。3の意味での差別は人間の扱いに不当な差をつけることが良くないとする平等思想が含意されている。現代では「差別」と言えば、不当とする認識が一般的だが、何をもって「不当な差別」とするかは、個人的な主観に委ねられてしまう部分が大きい。 』「Wikipedia」 となっており、概ねは定義の3の意で用いられることが多い様です。 ここにも明確に記されてありますが、「正当な理由によらず」、「偏見や先入観に基づいて」、「無関係な理由によって」、かつ「不利益・不平等な扱い」をすることを以て「差別」としています。 社会学的な用いられ方をする限りに於いて、この一例は概ね常識の範疇内にあると考えて良さそうです。 では、現在のそれがこの3に当てはまるのかどうかです。 例えば「在特会」が非難されるべきとするならば、「正当な理由によらず」「偏見や先入観に基づいて」もしくは「無関係な理由によって」「不利益・不平等な扱い」をしていなければなりません。 しかし、彼らは「日本の行政に於いて、在日朝鮮族が、一般的な日本人の受けられるサービス以上のことを、何らの正統な根拠もなしに享受している」ことを、証拠を示して根拠として活動しているのですから、まず「正当な理由によらず」は当てはまりません。 また「偏見や先入観に基づいて」ですが、朝鮮族自身が一部の行政サービスについて「一般的な日本人の受けられるサービス以上のことを、何らの正統な根拠もなしに享受している」ことを自覚しており、むしろ、歴史的な経過の歪曲・捏造を以て、被害者を装ってそれを正当化していることからして、在特会が「偏見や先入観に基づいて」活動している訳ではありません。 では「無関係な理由によって」であるかと言えば、かって在日朝鮮族の内部から「正当な理由がない行政サービスの享受は止めるべきだ」という意思が示されたことはないのですから、これは「個人」であっても「無関係ではない」ということです。 そして、「不利益・不平等な扱い」をするということであれば、それは「行為」を念頭に置いている訳ですから、「思想信条・表現の自由」が保障されている以上、もし行き過ぎによる被害が生じたなら「日本の国法」によって決着すべき範疇に入ることでしかありません。 しかしながら、かって「誹謗中傷」なり、その他の理由であっても、彼奴等が「訴訟」を起こしたという例はないのです。 何故でしょうか。 「訴訟」を起こせば「法廷に於いて日本での彼奴等の実態が公にされてしまう」からです。 むしろ、「訴訟」なり「問題」を起こしてくれた方がありがたいことは、市有グラウンドを長期間無断使用していた京都の朝鮮学校が、在特会とのトラブルが元となって閉校に追い込まれたことでも明らかです。 つまり、あれほど「訴訟」が好きな癖にそれが無いという事実そのものが、「在特会」の活動の正統性を示しているということなのです。 個人的には、何らかの理由による好き嫌いは、どんな人間にもあってしかるべきことであり、日本に対する反日と寄生を当然のこととしている者達に対して、「私は日本人としてそういう輩が大嫌いであり、そういう奴らに日本にはいて欲しくない」と表現することは、「人権」を前提とするならば至極当然のことと思っています。 例えば「暴力団事務所」に対して、地域住民が「何らかのトラブルが予想される」が故に「退去要求」をすることは、現在その暴力団がトラブルを起こしていなくても「住民の権利」として認められている訳で、それが「朝鮮族」であっても、日本国民に対して「何らかのトラブル、または不利益を齎す」と予想されるならば、日本国民は「権利」として「退去要求」が出来る筈です。 その様な「要求」が出された場合、「暴力団」は「地域に迷惑はかけない」と一応は公表・抗弁する訳ですが、「朝鮮族」は「自分達は被害者なのだから何をしても良いのだ」と嘯いているのです。 そんな輩どもに「好意的」に対応せねばならない義務は、どの日本人にもありません。 むしろ、これまでそれが表立って表象されなかったが故に、日本は今の状況を迎えてしまったのではないかと思うのです。 以前の自民党政権の時代を振り返ってみれば、南北朝鮮・在日特亜の情報が極端に少なかったことを思い出します。 それは「国民の視線と認識」から「南北朝鮮族」という厄介な民族のことを隠すための手段であり、その裏で返ってこない多額の税金を朝鮮半島の為に浪費していたことを考えれば、「自民党」もまた売国の一面を有していた訳で、この点を拙は忘れることはできません。 その結果が、この滅茶苦茶な状況を生み出してしまった訳ですから、日本人が、南北朝鮮・在日特亜の実態と正体を知って「怒る」ことを誰が責められるというのでしょうか。 日本人に限らず、友好的・非友好的な関係に於いて、他民族への好悪感情が発生するのは、またその様な感情を有するのは、どんな民族であっても「個人の自由」です。 私達を嫌いだと言っている輩どもであれば、こちらも嫌いだと言うことに何の不都合があるでしょう。 繰り返しになりますが、もし、その表現に於いて、一方的な意味合いで何らかの誤りがあるならば、それは「法」に於いて決着がつけられるだけのことであって、個人の「思想・信条、表現の自由」は、今の処、「公の福祉を害さない限り」、日本人には平等に保障されています。 であれば、どこの何者であろうとも、マスゴミと一般人の様な「一方的な関係」に於いての「レイシスト」などという「誹謗中傷」こそが「差別」に相当するのであり、「思想信条、表現の自由」への侵害になるのではないでしょうか。 こう言うと「である以上は、反論の自由もある筈だ」と言う輩が出てきます。 大概の場合はサヨクです。 しかし、それは「対等に表現できる場に於いて」の話であって、そうでない場合、常識的には「訴訟」という公の手段を以て決着されてきた筈ですし、そもそもそういうことをやってきたのはサヨクども自身であった筈です。 それが、これまでサイレント・マジョリティばかりであった日本人が、その必要性と自覚に目覚めて「言語による表象」を始めた途端に「誹謗中傷」し始める訳ですから、サヨクという連中の「ご都合主義」は甚だしいものがあります。 彼奴等の、都合が悪くなった時の常套手段が「誹謗中傷」であることは、これまでの戦後の経過の中で明らかになっているのですが、前回の選挙の経験を経ても「のほほん人」にはそれが判っていない。 そして、「レイシスト」などという「誹謗中傷」の言葉の誤魔化しに乗せられてしまっている。 考えてみて頂きたいのです。 在日特亜だけではなく、その大元の民族の生息地に於いても、もう既に幾つもの事実が示されています。 最新の情報から一例を挙げれば、付記の記事の様に、例え、どんな荒唐無稽・身勝手な理由を振りかざしているにせよ、今現在のこの時点の国際常識に反して、過去の国際協定を一方的に無視するという態度は、それが全ての国に対するものではなくて日本に限った行動である以上、それは「差別意識」ではないでしょうか。 少なくとも、相手国を「一つの独立国・民族」として認知するならば、常識的には「対等」の外国との問題を解決する場合に於いては、一定のルールに基づいた「やり方」「順序」というものがある筈です。 つまり、既に「日本差別」は行われているのです。 以前から記していますように、これには現実的な経済利権問題と共に国際共産主義者どもの関与も色濃く漂っていますし、「ポスト・コロニアリズム」というサヨク偽装差別理論も存在しています。 それに気付かない日本人はまだまだ「悪人洗脳」から抜け出ていない様です。 保守を自認している西村氏、水島氏でさえも、その立場を考慮したとしても、この点に於いては同じです。 悪辣な「レイシスト」発言を見過ごすということは、「人権侵害救済法案 ( 日本人人権弾圧法案 ) 」を肯定することにも繋がりかねません。 「在特会」云々は兎も角としても、「差別」「レイシスト」という言葉が用いられた時点で、それは即時に否定され、葬り去られねばならなかったのです。 |

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はじめまして。
在特会、チャンネル桜はよく拝聴しますが、在特会の桜井氏はともかく、他のメンバーの講義の仕方というのが少し気になります。
西村氏などは、関西の方なので怒り心頭で話すと言葉がかなりヤクザよりと感じるのは私だけではないはず。
在日に対する日本の待遇はあまりにも優遇されているのは、歴史の認識が戦後教育でネジ曲がっているからだと思います。
日本は戦争をした、侵略した、朝鮮民族を強制連行した。
こういう教育をしてきたんです。
在日も同じように教育をされてきたんです。
なぜ在日なのかという説明は1世だった先祖は説明しないんです。
大半は自分の意志で日本に来たということを言わないんです。
密入国者などとは言えないでしょうけどww
2012/5/29(火) 午前 1:48 [ じたん ]
じたんさん
初めまして。
教育に就いては日教組の他、文科省にも安保闘争敗残学生が潜り込んで日本否定・亡国教育を推し進めてきた訳で、朝鮮族のことはその一環ですね。
まぁ、朝鮮族の「戦時徴用」対象者は敗戦時には240名強しかいませんでしたし、戦時徴用にしても、合邦で日本人になったが故に、本土の日本人と同じ義務を負っただけのことです。
しかも、彼奴等にそれが適用されたのは、本土の日本人よりもずっと後になってからのことでした。
因みに、全てが教育のせいか、と言えばそうではありません。
他でも記していますが、多くの反日勢力の共通点を探っていけば、サヨクに辿りつきます。
今の反日勢力との戦いは、シナ・朝鮮族もさることながら、それらサヨクとの戦いでもある訳です。
その中でも留意すべきは「言葉の欺瞞」に引っかからないことでしょう。
現在進行中の「地方自治市民条例」等にしても、のほほん人には「市民」の持つ意味が、自分達がそうだと思っている意味と異っていることなど想像もしていない訳です。
それと同じであるのが「差別」という言葉です。
言葉に鈍感なことは足元をすくわれる元になります
2012/5/29(火) 午後 10:54 [ syouwa_jp ]