私見暴論−Japon Renaissance

和魂覚醒の時は至れり。(FC2支所 「荒魂」)

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【西村眞悟氏】捧哀悼


眞悟の時事通信〗より

『 捧哀悼 』
平成23年 6月 7日


 三笠宮寛仁親王殿下が、六日、薨去されました。
 謹んで深く哀悼の誠を捧げたてまつります。 臣 眞悟

 私如き者が、いささか不敬ではありますが、ここに殿下との思い出を書かせていただきます。
 気さくに、国民に話しかけられる殿下であられた。
 殿下と二度、お話しさせていただくことができた。

 十年ほど前の園遊会の折、寛仁親王殿下が、佇立して礼をしている私の前を通られた。その時、殿下はこう言われた。
「お、西村さんじゃない、あなた何故、民主党におるの」
 驚いて顔を少し上げると、殿下が、ニコニコされながら私の方に向いておられる。
「は、はい、あのー、」
 しばらくの間があって、
「ははは、西村さんの書いているものは、みんな読んでるよ」
「は、・・・ありがとうございます」

(この時の政治状況)
 細川内閣が、自民・社会両党の連立により崩壊してから、細川内閣の与党であった政党が合体して新進党ができた。
 小沢一郎氏がその新進党を解党したので、私は、真の保守党を目指し、自由党結党に参加した。
 その自由党は少数政党であったが、私は国防部会を主催し、集団的自衛権行使は当然との前提で議論をすすめることができたし、自自連立で与党になってからは防衛政務次官に就任し、当時の日本ではタブーに触れるとびっくりされたが、世界では「なるほどなー」と思われる「核武装議論提起発言」を行った(平成十一年)。
 その後、小沢一郎氏は、自自連立を解消し、集団的自衛権を否定し、突然、民主党との合流を打ち出した。
 これは、「志を持つ者」にとっては裏切りであった。
 私は、激しい葛藤に襲われたが、御殿場の富士の裾野で一夜を明かし、民主党を保守化すればいいのだと思い決して民主党と合流した(平成十四年)。
 殿下の私へのご発言は、自由党の民主党への合流後の園遊会でのことであった。

 その後、一度、東京駅の新幹線のプラットホームで殿下と出くわした。殿下は、その時、大勢の同行の人に囲まれて車両の扉の前におられた。私は、深く会釈した。お話しする時間はなかった。その時、殿下のおられる回りだけが、現在ではない「明治の雰囲気」を湛えているように思えた。

 そして、昨年平成二十三年の冬、東日本大震災の前、人を介して、殿下が西村に会うと言われている旨伝えられた。
 驚き、赤坂御用地のご自宅に伺った。
 その時の殿下は、もはや御肉声ではなく、喉に筒を当てられて、それを振動させて声を出されて語られた。
 殿下は、健常者には想像できないこの不自由さにへこたれる風は微塵もなく、喉に当てた筒を振るわして語り続けられた。
 その内容は、太古からの歴史を背景にした日本と御皇室に対する熱い思いから発せられていた。

 お話の最後の頃に、世間や巷の話しになった。
 その時、「義理の兄貴がねー、」と言われ、麻生元総理から聞かれたおもしろい話をされたのが、私的な絆を大切にされ御家族に対する愛情がにじみ出て印象に残っている。

 喉に当てられた筒を振動させて長時間会話をするしんどさをお察しして、私は、新刊の「中国の恫喝に屈しない国」(WAC)をテーブルにお置きし退出させていただくことになった。
 お疲れのご様子でありながら、殿下は少しもそれを出さず、辞退させていただいているのに、玄関までこられた。
 
 お礼を申し上げ、ご自宅を出て私が乗った車が動き出すとき、殿下は、なお歩を進められて、ご自宅の玄関の扉の前に闘病の身を以てすっくと立たれていた。深く恐縮して殿下を拝した。
 すると、何故かそこが逆光で、殿下の姿が光の中に浮かんでいた。
 私は、威厳ある高貴な影がそこに立たれていることを感じた。

 それから東日本の巨大地震があり、殿下の御動静も伝えられていたが、お体のことが気になりながらも、うち過ぎ、
 昨日六日の薨去の報に接したのだった。

 三笠宮寛仁親王殿下の、
 祖国と御皇室への思いを親しくお聞きした臣眞悟、
 祖国と御皇室の為に、与えられ残された命であります。
 全力を尽くします。



『 国家の危機としての統合力の喪失 』
平成23年 6月 6日


 我が国が大東亜戦争に敗北した原因は、あれほどの大戦争に突入しながら、陸海軍の統合運用体制を欠落させていたからである。つまり、軍の最高司令官とそれを補佐する統合幕僚本部が我が国に無かった。
 我が国は、最高司令官がいないまま、陸軍と海軍がばらばらに戦い、陸海空軍を見事に統合運用してきた敵に各個撃破されて軍事的敗北をした。従って、この軍事的敗北の原因は、統合運用体制の欠落である。

 本稿は、この観点から現在の政治現象を斬りたい。
 まず、歴史の教訓を確認する。
 我が国は、明治三十六年十二月の「戦時大本営条例」の改訂によって、戦時においても陸海軍の統帥は対等である旨決定された。それまでは、平時は陸海軍の統帥は対等で各々独立して演習を実施しているが、戦時になれば、海軍の統帥は陸軍の統帥の下に位置づけられる。つまり、戦時には海軍は陸軍参謀総長の指揮下に入ることになっていた。
 しかし日露開戦(明治三十七年二月)が迫る明治三十六年暮れ、海軍大臣山本権兵衛は、戦時においても陸海軍の統帥の対等を主張し、緊急の課題である陸海軍の対露共同作戦の立案すら拒んだ。
 この日露戦を人質に取った海軍大臣の要求に対し、陸軍の児玉源太郎は、陸海軍の内紛によって闘わずしてロシアに敗北することを回避する為に、海軍大臣の要求を呑み、「戦時大本営条例」を改訂して、戦時においても陸海軍の統帥を対等とした。そして、日露戦争に突入していった。
 この日露戦争においては、山県有朋や伊藤博文という維新第一世代はまだ健在で、児玉や山本が実務を握って総力を結集して闘うことができた。また、戦闘目的も陸海軍各々単純で明確だった。即ち、陸軍は朝鮮半島と満州からロシア軍を駆逐することであり、海軍はロシアの旅順艦隊とバルチック艦隊を撃破することに尽きた。従って、陸海軍の統帥が各々独立していること(ばらばらであること)の弊害は露呈しなかった。

 しかし、この陸海軍の統帥が戦時も対等である弊害は、日露戦争の四十年後に露呈して、我が国家を崩壊させたのだ。
 つまり、当時の我が国を軍国主義国家と子どもに教えるのが戦後教育であるが、これは間違いである。軍国主義とは軍の最高指揮官が国政の最高権力を握り、国家の総力を結集して戦争を遂行することができる国家のことであるが、当時の我が国は、内閣総理大臣は、陸軍や海軍が今何をしているのか知ることができず、陸海軍もばらばらに戦っていて、到底国家の総力を結集できる体制には無かったのだ。
 当時、軍国主義国家の定義に最も適合した国家は、国家の総力を結集して我が国に向かってきたF・ルーズベルト大統領の率いるアメリカだった。
 
 F・ルーズベルトは、アメリカ合衆国憲法に基づき、国政の最高権力者にして軍の最高指揮官(COMMANDAR IN CHIEF)として「総力戦」を指揮したのである。
 片や、我が総理大臣である東条英機氏は、どういう立場だったのか。まず、海軍のことは全く知り得なかった。
 そもそも、昭和十六年十一月二十六日、東条首相は、アメリカがハルノートを我が国に突きつけてきたことは知ったが、同じ日に、山本五十六が連合艦隊をハワイに向けて「出撃」させていることを知らなかったし、その後も、ミッドウェーで空母四隻が壊滅していることも、南太平洋やサイパンやレイテ沖や台湾沖で海軍が勝っているのか負けているのかも知り得なかった。陸軍にしても、参謀総長を兼務してからは知りうる立場にいたであろうが、総理大臣としては何も知らなかった。
 では、彼はその間、総理大臣として何ができたのであろうか。美談かどうかはともかく、彼は戦時中の早朝、馬に乗って民家のゴミ箱を見てまわっていた。また憲兵を動かして要注意人物を監視させていた。戦争中の総理大臣が、こういう「ちまちましたこと」しかできない国が、軍国主義であるはずがないではないか。

 このことを書き始めると慨嘆すべきことが次から次と浮かんでくるのでここで止めて、ただこの状況下で、我が国の最優秀のエリートを集めていた陸海軍の統帥部の官僚組織はどうなっていたのか点検したい。
 はっきり言って、各々の狭い領域に閉じこもって現場の状況を無視した作戦を立案し続けた。
 戦艦大和の沖縄への出撃を例に挙げる。
 アメリカ軍が沖縄島に兵員五十万人を超える大艦隊を差し向けたのは昭和二十年三月で、陸上兵力十六万八千人を嘉手納に上陸させてきたのは四月一日である。
 戦艦大和の出撃目的は、この沖縄に押し寄せた敵艦船群に大和を突入させて大打撃を与えることであった。では何故、敵が上陸を始めた四月一日に出撃させず、敵が無事に上陸し終わって戦艦大和攻撃に全略を挙げることができる四月七日に大和を出撃させたのか。
 当時の日本で最優秀と言われる海軍軍令部の面々は、戦艦大和の出撃によって、如何にして最大の戦果を挙げるのか、如何にして沖縄の地上で敵を迎撃している陸軍の第三十二軍と協働するのかも、全く考えていなかったのだ。
 そして、最も不利な時期に大和を出撃させている。
 これでは、何の為に戦争をしているのか理解していない者が作戦を立案していたと言っても過言ではない。

 以上で歴史を述べるのを止め、これから現在の政治現象を述べる。
 まず、東条英機の時代と同じように、政治の統合力が失われている。
 総理大臣の野田君は、この一年、何をしてきたのか。
 「消費税増税への道」に没頭してきた。
 この姿は、既に書いたがダチョウそのものだ。
 ダチョウは、小さな頭を穴に入れれば、大きな尻を出していても安全だと思い込むらしい。
 同様に、野田という総理大臣は、我が国を取り巻く内外の厳しい状況の中で、消費税という穴蔵に小さな頭を突っ込んできただけだ。
 そして、この消費税という穴の中にいる連中はというと、かつての現実に合致しない作戦を立案した海軍軍令部の連中と同じ優秀な官僚で、ただ消費税を上げることだけが国家目標であるかのように錯覚してバカな総理を使って熱中している。

 現在の野田という総理大臣がとっている政治姿勢、即ち、何かに変質的にこだわっているところを見せて評価を得ようとする傾向は、小泉首相の「郵政民営化は構造改革」だという間違った絶叫が効を奏した頃から始まっている。
 そして、これは、鳩山の荒唐無稽な「二酸化炭素削減目標」さらに菅のこの夏に破綻する「脱原発」から今の野田君の「消費税増税」に流れてきている。
 小泉総理の目は偏執的だった。野田君の目は空洞だ。空洞とは空っぽということだ。

 総理大臣は、まず内政において、如何にして経済をデフレから立ち直らせるかを示し、これを実現した上での消費税増税という手順を示さねばならない。
 同時に外交・国防に関して、如何にして我が国家の独立自尊の体制を構築し維持するかを示さなければならない。これを示さない、消費税も福祉も、幾ら一体的改革を議論しても砂上の議論であり無意味である。即ち、独立自尊体制なき国家こそ砂上なのだ。

 要するに、国家を崩壊させた統合運用不能という国家体制の欠落は、昭和に入ってから顕著になり、ついに昭和二十年八月を迎えたのであるが、再び、平成の現在の野田内閣にいたって顕著となり国力の崩壊を招きかねない事態となっている。
 この病状は、総理になってはならない人物(鳩山、菅、野田)が総理を続けているという民主党という徒党の病的体質と個人の資質によりもたらされていることは確かであるが、東条英機が背負っていた同じ国家体制の欠落によっても生み出されている。

 東条英機は、総理大臣であっても最高指揮官(COMMANDER IN CHIEF)ではなかった。同様に、戦後の特にその申し子である憲法九条に忠実な民主党の総理は、国家を護る最高指揮官の自覚もない。
 これが、昭和と平成の現在の同じ国家的危機を生み出す制度的な欠落の正体である。


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