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『南京大虐殺紀念館 1283点もの資料を贈った僧侶に突撃①』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17316932?via=thumb_watch 『南京大虐殺紀念館 1283点もの資料を贈った僧侶に突撃②』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17322200?via=thumb_watch 『南京大虐殺紀念館 1283点もの資料を贈った僧侶に突撃③』 http://www.nicovideo.jp/watch/1332388550 『南京大虐殺紀念館 1283点もの資料を贈った僧侶に突撃④』 http://www.nicovideo.jp/watch/1332390274 かなり前になりますが、この邪坊主の妄動はサーチナか何かで報道されていた様に思います。 いまや、真宗大谷派 ( 所謂、お東です ) が、浄土真宗本願寺派 ( 所謂、お西です ) とともに、異安心坊主・サヨクダイバダッタの巣窟と化してしまったことは知る人ぞ知る事実です。 真宗大谷派がサヨク乗っ取りのターゲットになったのは偶然ではなく、全国に門徒を抱える巨大教団であることの他に、皇室と縁続きであることにも関係がある様です。 解同などが暗躍し、世間知らずの坊主どもへの洗脳が進んだ結果、現在の真宗は古い門徒衆の思いとはかけ離れたサヨク養成教団になってしまいました。 さて、親鸞聖人の門流にある者であれば、聖人が「信心開発」「念仏」を第一義とされ、それ以外のことは、例えそれが所謂「善行」であっても「雑行」でしかないのであって「浄土往生」の因にはならぬ、とされたことは、絶対に揺るがぬ宗門の根本として承知しています。 かつ、「歎異抄」の中には「凡夫の身に於いては人を救うことなど出来ないが故に、念仏して急ぎ仏となり、思うが如く救い遂げるのだ」と聖人が申された一節もあります。 曲がりなりにも、コロモを着ている身なら、これらのことは当然知っているでしょう。 従って、真宗門徒に「信心」を説くべき坊主の身であれば、まずは自らが「信心獲得」した身になることが宗祖につき従う門流坊主の第一義である筈なのです。 それが、いつの間に「人を救う弥陀」になったのか知りませんが、「凡夫」を以て「本願誇り」にしているこの坊主は「人を誹り、陥れる行為」を平然と行った訳です。 「もたいなや、祖師は紙子の四十年」などとは考えたこともない奴と断言してよい輩です。 公務員が「親方日の丸」ならば、この様な坊主は「親鸞日の丸」の葬式公務員でしかありません。 因みに「本願誇り」とは、「善人なお以て往生す。いわんや悪人をや。」という一節が知られていますが、「弥陀の本願が在るが故に何をしても往生できる」とばかりに悪行を行うことに呵責を感じなくなってしまった異安心者のことを言います。 「日教組」や「自治労」を彷彿とさせる輩です。 この坊主は「自分は正しいことをした」と妄信しているでしょうし、それが自己満足の偽善であると諭しても聞く耳持たないでしょうから、敢えて、今回は真宗坊主の本義から入りましたが、そもそもこの坊主のやったことの「偽善」の第一は、「確定的な証拠であるかどうかを、まず国内で検証すべき処を、恐らくはそうではないが故に確認もせずに支那共産党に直接渡した」ことです。 つまり、「真実を明らかにしようとしたのではなく、己の"エゴ"であるサヨク妄信・日本人悪人観を満足させるためにやった」ということなのです。 もし、純粋に「真実」を明らかにしようとしたのであれば、それはやはりまず「証拠」とかいう「業務日誌」の内容の事実・真偽の如何を確認している筈です。 支那共産党にしてみれば、真偽の明らかならざるものであろうとも、捏造プロパガンダに利用できればそれで良い。 要は「日本人が証拠を出してきた」と言えればそれで良い訳で、ここが、この偽善坊主の「青臭く甘ったれたカルト妄想狂いの世間知らず」たる正体を露呈している処です。 最初から「日本が悪い」と思い込んでいる為に、重要な筈の証拠の真偽も確認しなかったということであれば、歴史が専門と言いつつも、歴史資料の一次資料・二次資料等の確認のセオリーも知らない本物のバカですし、もしそうでないとすれば、「真偽は明らかではなくても、日本人が証拠を自ら提出してきた」というプロパガンダに協力しようとした訳です。 ということは、確信犯なのですから、「明確な亡国反日行為」だということになります。 そうではないというなら、まずはその証拠なるものを「客観的な史実検証」の対象として、論文でも何でも書いて、全ての日本人の前に提出し、様々な批判の全てにきちんと答えてみよ、と言わざるを得ません。 支那に「妄想の証拠を渡して以来、彼奴はその様なことをしていない」ということが、彼奴の「不純」を如実に表しています。 そして、第二には、宗祖親鸞聖人の説かれた「至心信楽」を、坊主の身でありならがら軽視し、「穢土・娑婆世界の雑事」を第一としていることです。 何も知らない単なる一門徒ならともかく、門流の坊主が宗祖の教えに背き、軽視してどうするのか。 まぁ、「教行信証・化身の土の巻」に於いて、「末法の世では僧侶は単にコロモをまとっているだけの者でしかなくなる」ということについて、宗祖が「それでも福田である」と記されているにしても、蓮如上人が一向一揆の徒に向けて「王法に従え」と言われたことを、このバカ者のみならず、真宗のサヨク坊主どもは忘れている様です。 「王法」の如何なるかについては、また改めることとして、ここで大切なことは「人としてあるべき様」を、縁に従い、真っ当することであって、俗人であれ坊主であれ、それは「道」であるということです。 証拠の内容の真偽も確認しない、ということは、彼奴の「人間性」に「誠」が欠けているということであり、そんな輩に「道」などあろう筈もありません。 邪な意図を以て宗祖の国たる日本への誹謗に協力し、自分のエゴの満足を図ろうとする。 それが、卑しくも親鸞聖人門流の僧侶のやることでしょうか。 坊主ならば、「穢土・娑婆世界」の「邪ごと」に加担する前に、まず「凡夫」たる己の「黒満々地」を振り返る責務が在る筈ですし、宗門もまた、こんな輩を正すこともできなくなっている「門流全体の異安心」を見つめ直さねば、宗祖は無論、全国の門徒衆に顔向けできないことになるでしょう。 拙は、サヨクダイバダッタを自分の葬式に呼ぶつもりはありません。 『自虐史観『平和展』 開催の東別院で南京大虐殺はなかったと叫ぶ!①』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17328075?via=thumb_watch 『自虐史観『平和展』 開催の東別院で南京大虐殺はなかったと叫ぶ!②』 http://www.nicovideo.jp/watch/1332420613 |

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