私見暴論−Japon Renaissance

和魂覚醒の時は至れり。(FC2支所 「荒魂」)

〚私見暴論〛

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 昭和の日に際し、謹んで転載させて頂きます。
 どうぞご訪問ください。


子どもへ伝える大切なもの〗より

昭和の日 「天皇さまが泣いてござった」

 本日は「昭和の日」です。

 この佳き日に日本国民の一員として、「昭和の日」を慶祝できる事に感謝致します。

                                皇紀2671年4月29日

 本日は、昭和天皇のご生誕の日です。
 昭和天皇を偲びつつ、書かせて頂きます。
 (不勉強ながら不敬な表現があるかもしれませんが、ご容赦下さいませ)

 戦後、日本は何故奇跡の復興を可能にしたのか?
 それは昭和天皇の足掛け8年半、約3万3000キロに及ぶ全国への御巡幸により、国民が一つにまとまった事から始まりました。

 昭和天皇とマッカーサーとの感動秘話は有名なので、当ブログでは書かないことにします。

 御巡幸については調寛雅(しらべかんが)氏の「天皇さまが泣いてござった」を参照させて頂きました。

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佐賀県への御巡幸のお話

 佐賀県に因通寺というお寺があります。

 この寺には、戦争罹災児救護教養の、洗心寮が設置されていました。
 洗心寮には、44名の引き揚げ孤児と、戦災孤児がいました。

 この寺の住職:調寛雅(しらべかんが)氏と昭和天皇はあるご縁がありました。

 そのご縁もあって、九州行幸には「行くなら、調の寺に行きたい」との昭和天皇のご意向から、因通寺のご訪問が決定しました。
 
 この地域は、共産主義者がたくさんいる地域で、
 特に敗戦後ですので暴動が起きる可能性がかなりありました。

 因通寺のある町では、陛下の行幸を歓迎する人と反対する人で対立が起きました。

 歓迎するのにも命がけの雰囲気です、反対派から何をされるか分からない。

 お迎えするのは町長や知事などもである。

 ある町長は知事にこう言います。

 「知事さん、あなたも、おわかりだろうけど、このたび一天万乗の大君でいらっしゃる天皇陛下がここに来られるんですよ。

 私も息子を今度の戦争で亡くしましたけれど、おそらく息子は天皇陛下万歳といって死んだにちがいありません。

 その息子のことを思ってみても、天皇陛下がおいでになるとき、父親である私がどうしてじっとしていることが出来ましょう。

 せめて陛下がお出で頂くとき、気持ちよくして下さるよう、みんなでこうして掃除をしているんですよ。

 知事さん、心配しなさられでもいいですよ。至誠天に通ずですよ。」

 5月24日、いよいよ因通寺に昭和天皇の御料車が向かわれます。

 いろんな想いの群集から、「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」の声が自然と上がります。

 それは、地響きのようでした。

 陛下は、群集に帽子を振って応えられます。

 そして陛下は門前から洗心寮に入られます。

 子ども達は、それぞれの部屋でお待ちしていました。

 陛下はそれぞれの部屋を丁寧に足を止められます。

 「どこから」

 「満州から帰りました」

 「北朝鮮から帰りました」

 「ああ、そう」

 「おいくつ」

 「七つです」

 「五つです」

 「立派にね。元気にね」

 一人一人にお声をかけられます。

 ひと部屋、ひと部屋と。

 そして一番最後の部屋の「禅定の間」に進まれます。

 陛下は、その時突然、ある一点を見詰めて佇まれます。

 侍従長以下は「何事があったのか」と足を留めます。

 しばらくして、陛下は一人の女の子へお顔を近づけられます。

 「お父さん。お母さん」と、お尋ねになる。

 女の子は、二つの位牌を胸に抱きしめていたのである。

 女の子が「はい。これは父と母の位牌です」と、返事します。

 「どこで」

 「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。母は、引き揚げの途中で、病気で亡くなりました。」

 「お淋しい」

 「いいえ。淋しいことはありません。私は仏の子どもです。

 仏の子どもは亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土にまいったら、きっともう一度会うことが出来るのです。

 お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私は御仏さまの前に座ります。

 そして、そっとお父さんの名前を呼びます。そっと、お母さんの名前を呼びます。

 するとお父さんも、お母さんも、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるのです。私は淋しいことはありません。私は仏の子どもです。」

と答えました。

 陛下と女の子は、じっと見つめ合います。

 さらに陛下は部屋の中に入られ、右の手に持っていた、帽子を左に持ち替えられ、右手を女の子の頭において、撫でられたのです。

 陛下は「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と申され大粒の涙をハラハラと流されました。

 すると、女の子は「お父さん」と呼ぶのです。

 多くの人たちは、言葉無く佇みます。
 
 新聞記者までが、言葉を無くし一緒に涙を流したのです。

 孤児院から出られるとき、子ども達が陛下の袖を持ち、「またきてね、お父さん」と言います。

 陛下は、流れる涙を隠そうともせず、「うん、うん」とうなずかれ、お別れになられます。

 そして後に、一首の歌が届けられました。

「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」

 調住職はこの昭和天皇陛下のお言葉をみなに響き聞かせようと、この御製を寺の梵鐘に鋳込ませました。今でも因通寺に行くとこの梵鐘の響きが当たり一帯に響き渡るそうです。

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 洗心寮を出られたあと、長い坂の下でたくさんの人々が陛下を出迎えます。

 陛下は遺族などと一人一人お話になり、進まれます。

 その中に若い青年と思われる数十人が一団となり陛下をお待ちしていました。

 シベリア抑留の時に徹底的に洗脳され、共産主義国家樹立の為に共産党に入党した者達でありました。

 すごい形相でむしろ旗を立てて待ち構えていたのです。

 恐れていた事が起こる気配です。

 周りの者が陛下をお守りしなければと駆けつける前に陛下は、その者達とお話になられます。

 陛下はその者達に深々と頭を下げられます。

 「長い間、遠い外国でいろいろ苦労して深く苦しんで大変であっただろうと思うとき私の胸は痛むだけではなくこのような戦争があったことに対し、深く苦しみを共にするものであります。」

 「皆さんは、外国においていろいろと築き上げたものを全部失ってしまったことであるが、日本という国がある限り、再び戦争のない平和な国として、新しい方向に進むことを、希望しています。皆さんと共に手を携えて、新しい道を築き上げたいと思います。」

 非常に長いお言葉を述べられます。

 陛下の、表情は自愛に溢れるものでした。

 陛下は、彼らの企みをご存知ない。

 陛下の前に、一人の引き揚げ者が、にじり寄ります。

「天皇陛下さま、ありがとうございました。今頂いたお言葉で、私の胸の中は、晴れました。

 引き揚げてきたときは、着の身着のままでした。外地で、相当の財をなし、相当の生活をしておったのに、戦争に負けて帰ってみれば、まるで丸裸。最低の生活に落ち込んだのです。

 ああ、戦争さえなかったら、こんなことにはならなかったと、思ったことも何度かありました。そして、天皇陛下さまを、恨みました。

 しかし、苦しんでいるのは、私だけではなかったのです。

 天皇陛下さまも、苦しんでいらっしゃることが、今、わかりました。

 今日から、決して、世の中を呪いません。人を恨みません。

 天皇陛下さまと一緒に、私も頑張ります。」

と言います。

 その時、むしろ旗を持ってすごい形相の男が不意に地面に手をつき泣き伏しました。

 「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。俺が間違っておった。俺が誤っておった。」

と号泣するのです。

 その男の懐には短剣が忍ばせていたのです。

 泣きじゃくる男に、他の者達も号泣します。

 じっと、皆を見詰めて動こうとされない陛下。

 陛下の、まなざしは深い慈愛に溢れ、お優しい目で見つめられます。

 三谷侍従長が、ようやく陛下のおそばに来て促され、ようやく陛下は歩を進められたのです。

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 陛下が涙を流された時、人々は知りました。

 陛下も苦しまれ、悲しまれ、お一人ですべてお抱え込んでいらっしゃる事を。

 陛下は、危険を顧みず全国を御巡幸され続けます。

 そのお姿に、国民は「一丸となって、共に頑張ろう」と思うのでした。

 戦後のめざましい復興のエネルギーはここから生まれたのです。

 晩年、昭和天皇は病床で「もう、駄目か」と言われます。

 医師たちは、ご自分の命の事かと思いましたが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのである。

 最後の最後まで、国民を御思いになられる陛下でした。

 その昭和天皇の御心は、平成5年に今上陛下によって果たされます。

 今上陛下は、歴代天皇初の沖縄ご訪問をなさいました。

 その時、原稿なしで遺族を前に5分間にわたって、御心のこもったお言葉で語りかけられました。

 そのお言葉に、険しい表情であった遺族も

 「長い間ご苦労様でした、というお言葉をもらったので満足しています。
お言葉には戦没者へのいたわりが感じられました。
陛下のお言葉でまた一生懸命やろうという気持ちが湧いてきました。」

 「なぜか泣けて言葉にならなかった。沖縄のことを愛しているのだろうという気持ちがこみ上げてきた」

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 こうして昭和天皇が昭和21年2月から始められた御巡幸は、45年もの月日を経て一区切りがついたのです。


〘 支那共産党が何を言おうと 〙

 一切信用できないことは、尖閣のみならず沖ノ鳥島に対する態度を見れば明白です。

 この二つの離島の現状を知るならば、支那にどんな意図があるか、如何に「のほほん人」でもそれと察知できない筈はありません。

 それを必死に妨害しているのがサヨクマスゴミであることは今更言うのもバカバカしいのですが、しかし、その一方には、未だに「新聞」「テレビ」は社会の公器であるから中立だなどと信じ込んでいる阿呆がいるのも事実です。

 それは必ずしも爺・婆だけではなく、日本のガン世代である団塊サヨク世代だけでもなく、自分のことを高等教育を受けたインテリだと自認している輩もまたその阿呆である場合が多いのです。

 一点のみ指摘しますと、要するに「中立」とは相対する意見の妥協点を見出すことと勘違いしている阿呆どもです。

 いくら大学を出ていても阿呆が阿呆であることは東大やら早稲田やらの出身サヨクが如何に多いかをみれば一目瞭然である訳で、そういう単に大学を出ただけの自称インテリは、意見の対立としてしか日本の状況を把握できないレベルの智慧しか持ってはいません。

 これでは若者にバカにされるのも自業自得なのですが、彼奴等は何が原因なのかが全く判っていません。

 以前からパラダイムの構築について何度か記してきました。

 別の言い方をすれば、それには「洞察」という思考メカニズムも関連しており、断片的で無関係に見える多くの情報から本質的な事実を発想するという能力が必要である訳です。

 無論、「洞察」には高次のそれから低次のものまでありますから、一概に「洞察力欠如」とまでは言いませんが、現在の日本の状況に対して「具体的な危機感」を「その原因を特定」して持てない様ではお話にならないのは当然のことです。

 霞が関の官僚の様に、いくら仕事ができて、頭が良いと思われていても、それが反って害にさえなることもある訳で、これを以て拙は「智慧の無い輩」と定義しています。

 ちなみに「智慧」は「知恵」とは異なる概念で、もともと「知恵」にしても「知識」とは全く異なった概念でしたが、今では知識の量の多寡と混同さえされている状況ですから、「智慧」ともなれば何のことやら判らぬ人も多いでしょう。

 「智慧」論議が主題ではありませんので、これはここまでにしておくこととして、実は所謂「洞察力」はその一部でもあるのです。

 それを欠いた場合、いくら情報があっても統合して止揚出来ませんので、目の前の具体的な認識の範囲でしか結論を出すことができません。

 戦略的な意味での結論ならば兎も角、現実認識に欠陥がある結論では、それは害にしかならない訳です。

 さて、団塊サヨク世代は当然のこととして、その精神的畸形を受け継いだその後の「のほほん人」どもには、沖ノ鳥島と尖閣の問題は「自分には関係のないこと」にしか受け取れないでしょう。

 何故なら、それは「目の前の具体的認識の範疇」を超えている情報であるからです。

 実はこれは「戦後教育の欠陥・害毒」の最も重大な一点で、知識偏重とその昔に言われていたその問題点である訳です。

 いくら知識があってもそれを有用に役立てる事が出来ない。

 「本当の意味での解決」という「結論」を導き出すことが出来ないのです。

 そういう輩については、以前「獅子身中の虫」になるであろうと記しましたが、それが現実化しつつあるのではないかと忸怩たる思いでおります。

 そもそも、わざわざ、自国の問題について、情報を整理し、与えてやらねばならない「大人」とは一体どんな存在であるのか。

 確かに一方では「目覚めたる若人」も増えつつあり、しかし、「国家という歴史的存在の時間軸に沿った本当の変遷」を「体験」に基づいて伝えていける「中高年以上の大人」が極めて少数でしかないことの異常さを、現実のこととして体感出来ていない輩の何と多いことか。

 それらは「過去の否定」を鵜呑みにすることで、「バーチャル」な「善意の平和国家」という幻想を肯定している輩です。

 敢えて記しますが、それは「狂気」と断言してもよい「歪んだ現実認識」です。

 正直な処、経験上、同年代の前後のそれらの「中高年以上の輩」を「狂気」から目覚めさせることの困難はよく知る処であり、うんざりする処でもあるのですが、かといって放りだす訳にもいきません。

 彼奴等の為ではなく、これからの日本人の為であるからです。

 その意味では「尖閣諸島と沖ノ鳥島問題」は、彼奴等にも判るレベルの具体性を持った情報ですから、有用に活用することができるでしょう。

 さて、私ごとながら、怪我の後遺症による行動制限も、温かくなって漸くかなり良くなってきましたので、ネットの他の「アナログ」活動を再開しようと思っております。

 現在準備をしている処ですが、「歪んだ現実認識」に病んでいる輩に対しては、その「歪み」に合わせて情報を与えていく必要があります。

 例を挙げれば、「新聞」が事実に基づいていると思い込んでいるのであれば、支那や朝鮮の新聞の日本語版の抜粋を組み合わせて「歪んだ現実認識」との相違を提示するチラシを配布する、また、産経などでしか記事にされていない事実をコピー・抜粋したチラシを配布する等の手段をとれば良い訳です。

 これは、一人が十枚配布しても、一万人がそれをやれば十万部という大新聞に匹敵する規模の情報提示になります。

 しかも、ニュースソースを明記した抜粋だけの、もしくは紙面をコピーしただけのチラシであれば、どんな法律にも引っかかり様がありません。

 置き忘れというやり方でも十分に注目を引けるやり方でもあります。

 もし、何かをしたいと思われている方がいらっしゃれば、連携等の必要はありません。

 不定期でも何でも、ご自分で五枚でも十枚でもプリントされ、置き易い場所に少しずつ「忘れ物」をして頂くだけで結構です。

 マスゴミがダメなら、無数の記者・発行人による無名の大新聞を発行すれば良いのです。

 在特会等への誹謗中傷攻撃がまた激しくなってきている様ですが、こちらの大新聞へは攻撃しようにもその手段もありません。
 
 無名の大新聞発行の一部を担って頂ける方がいらっしゃれば、何より喜ばしく、僭越ながら心から感謝申し上げたく思う次第です。


 


沖ノ鳥島「支持せず」 中国外務省が反論
(2012.4.29 産経)
 中国外務省の劉為民報道局参事官は29日までに、沖ノ鳥島が日本の大陸棚の基点として国連から認められたことに対し、「国際的に主流の見方は日本の主張を支持していない」と反論する談話を出し、同島が「岩にすぎない」との中国の立場をあらためて主張した。

 劉参事官は、国連の大陸棚限界委員会が結果を公表していないとして、「日本側の見解が何を根拠にしているのか分からない」とした上で「中国の立場は一貫している」と強調、沖ノ鳥島は排他的経済水域(EEZ)や大陸棚設定の基点にはならないとの見方を示した。(共同)

沖ノ鳥島は「島」 大陸棚拡大認定 国連委が勧告
(2012.4.28 産経)
 200カイリを超えて海底資源の権益を主張できる大陸棚の拡大について、政府は27日、国連の大陸棚限界委員会が日本の国土面積の約8割に相当する計31万平方キロの拡大を認める勧告を採択したと発表した。日本が同委員会の勧告を受けるのは初めて。

 政府は、日本近海の海底にメタンハイドレートやレアメタルなどの海底資源の存在が確認されたことから、平成20年11月に7海域(計約74万平方キロ)で大陸棚の延伸を申請していた。

 延伸が認められたのは、沖ノ鳥島を起点とした「四国海盆海域」のほか「小笠原海台海域」「南硫黄島海域」「沖大東海嶺南方海域」の4海域。南鳥島や八丈島周辺の海域は陸続きになっていないと判断され、認められなかった。

 沖ノ鳥島をめぐっては、中国と韓国が「岩であり大陸棚は設定できない」と反発している。同委員会は、同島の北側に続く「四国海盆海域」の延伸を認めたことで、事実上、同島を「島」と認めた形だが、一方で同島の南に広がる「九州パラオ海嶺南部海域」の勧告は先送りとした。

 政府は認められなかった海域を再申請するか、勧告を受け入れるか判断する。

 ■大陸棚 沿岸から200カイリ(約370キロ)の排他的経済水域(EEZ)内の海底を指すが、国連海洋法条約で、海底の地殻が陸地と同じ地質であることが証明できれば350カイリ(約650キロ)まで延伸が認められる。この海域では海底資源の開発を行うことができる。


眞悟の時事通信〗より

『 「憲法記念日」の意義 』
平成23年 5月 1日


 五月になるとやってくるのが「憲法記念日」である。
 それ故、その特異な意義について書いておく。
 
 そもそも「記念日」とは、かつてその日にあった歴史的な出来事を「祝う」祝福の日であり、それによって国民、民族の歴史的記憶を継続させる意義がある。
 しかしながら、五月三日の「憲法記念日」は、昭和二十二年五月三日の、日本国憲法施行という歴史的な出来事を「祝う」のではなく「こんちくしょうー」と悔しがり、日本国民、民族の歴史的屈辱の記憶を継続させることに意義があるのである。
 この日によって我々は、敗戦とそれに伴う軍事占領という屈辱の歴史の記憶を継続させることができる。

 昔、薩摩では慶長五年(西暦一六〇〇年)の関ヶ原の敗戦の日、九月十五日に、若い武士達が
「チェストー、関ヶ原」(ちくしょうー、関ヶ原)というかけ声をかけて木剣を振り回し、敗戦の屈辱を忘れず、士魂を練った。この魂が幕末維新の原動力となったという。
 薩摩藩では、鹿児島と名は変わっても、この風習を、昭和になっても続けていたという。いや平成にもまだ続いているかも知れない。
 つまり、「憲法記念日」とは、この「チェストー、大東亜戦争」、「チェストー、マッカーサー」、「チェストー、アメ公」、「チェストー、露助」、の日なのである。
 
 私は、ここに五月三日の「憲法記念日」の意義を認める。
 従って、我々が敗戦によって科せられた
「日本の永久弱体化の桎梏」を解き放ち、
真の「国家の再興」を果たしたときに、
この屈辱の「憲法記念日」は廃止されるべきものである。
 
 しかるに、昨今、昭和二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効日を記念して「主権回復記念日」という祝日を制定しようと願う人々がいる。
 そこで言っておく。
 論者は、四月二十八日に「主権回復記念日」を制定して五月三日の「憲法記念日」をそのまま残すつもりなのか、と。
 両者の同時並立は、不可である。
 「主観回復記念日」というならば、主権を奪った象徴としての日本国憲法の無効を確認し、「憲法記念日」を廃止することを同時に掲げるべきである。
 いや、実質の伴わない「主権回復記念日」など、どうでもよい。何よりも、日本国憲法無効確認とその記念日の廃止、そして国軍の創設こそが、「主権回復」の実質ではないか。

 来る五月三日、この「意義」ある「憲法記念日」を迎えるに当たり、玄関に主権の象徴としての「日の丸」を堂々と掲げよう。
 その日を祝うのではなく、占領期の屈辱への半旗として。
 そして、薩摩のように、チェストーとかけ声をかけて日本刀を振り回そう。(別にお勧めしているのではない。薩摩がそうやっていたなーと回想しよう)

 次に、今までの繰り返しにもなるが、「日本国憲法」という文書について少し触れておきたい。
 とはいえ、いま「文書」と書いたが、正確には「怪文書」と言うべきであろう。誰が書いたか分からないようにした文書だからである。
 しかし、「日本国憲法」と表題を付けた以上は、日本国民が書いた文書とされていることが当然だとするならば、この「日本国憲法」は、明らかに「怪文書」を通り越して「偽造文書」である。

(1)、「日本国憲法」は、偽造文書である。
(2)、「日本国憲法」は、東京裁判の起訴状を補強する文書である。
 以上のうち、(1)は、連合国自身の「検閲事項」が先行自白している。(2)は、日本国憲法と東京裁判の日付けで分かる。

 連合軍は、我が国を軍事占領してから我が国の言論を検閲によって徹底的に封圧した。その「検閲指針」の最重要項目は、次の冒頭の二つである。
 1、極東国際軍事裁判への批判
 1、連合国最高司令官司令部が日本国憲法を起草したことに対する批判
 つまり、連合国にとっては、東京裁判と日本国憲法施行は占領政策の最重要課題であり、東京裁判の起訴状と日本国憲法は、ともに連合軍最高司令官司令部が書いたのである。即ち、東京裁判の起訴状と日本国憲法は、時を同じくして同一主体が書いたのだ。従って、起訴状と憲法はその内容も、見事に一致している。当たり前だ。

 次に、両者の日付けであるが、
 東京裁判に関して
 昭和二十一年四月二十九日、起訴(昭和天皇誕生日)
    同  五月三日、審理開始
 同 二十三年十二月二十三日、七人同時処刑(皇太子誕生日)
 日本国憲法に関して
 昭和二十一年十一月三日、公布(明治天皇誕生日)
 同 二十二年五月三日、施行(東京裁判審理開始一周年)

 ここに日付けを書いたのは、連合国最高司令官のマッカーサーという男が実にいやらしい性格で、日付けにこだわって日本国民の「祝日」を忌まわしい記憶に置き換えようとしたことを理解するためである。
 その極めつきが、フィリピンのバターン半島コレヒドール島から彼が敗残の将として八万弱の部下を見捨ててオーストラリアに逃げ出さねばならなくなった時の、敵の軍司令官である本間雅晴中将に対する復讐である。
 マッカーサーは、昭和二十年九月に勝者として日本に飛来するが、乗ってきた飛行機の名はバターン号、つまり彼が逃げ出したバターン半島にちなんだ名だ(アホか、こいつ)。
 そして、さっそくフィリピン戦線で投降した山下奉文大将と本間雅晴中将の裁判を開始する。
 山下奉文将軍に対しては、昭和二十一年二月二十三日に早速、囚人服のままという屈辱を与えて絞首刑を執行して殺害する。
 次に、本間雅晴中将に対してであるが、
 昭和二十年十二月十九日、裁判開始
 同 二十一年二月十一日、死刑判決(紀元節)
   同   四月三日午前零時五十三分、銃殺
 
 この本間を銃殺した昭和二十一年四月三日午前零時五十三分こそ、四年前に本間中将がマッカーサー等が退却して立て籠もるバターン半島に対する総攻撃を命じた昭和十七年四月三日午前零時五十三分にぴったりと符合させた日時である。
 
 マッカーサーとはこういう男だ。これで私が、日付けを書き連ねた意図をご理解いただけると思う。
 マッカーサーの頭の中では、「五月三日」はどういう日か。ご想像いただきたい。
 日本人にとっては、「チェストー、五月三日」だ。

 次に、内容について少し触れる。
 先日の四月二十八日、たちあがれ日本の平沼赳夫代表が、日本国憲法前文を「これを読めば涙がでますよ」として前文の「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して我らの安全と生存を決意した」という第三節を紹介された。
 実に、涙がでる。
 さらに付け加えるならば、「こんちくしょうー」と刀を抜いて斬りつけたくなる。
 
 前文第一節は、「日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し・・・」と書いている。
 この第一文と平沼代表の指摘された第三文を総合すれば、
「日本国民は・・・主権者であるが、無能でその資格がないので、日本国民の政府は国民に戦争の惨禍を与える。従って、日本国民は自分の政府を信頼することなく、平和を愛する諸国民を信頼して安全と生存を保障してもらうべきだ」という意味にまごうことなくなるではないか。
 涙がでるのを通り越して、怒髪天を突くではないか!

 さらに、この第一節と第三節の間に潜り込まされた第二節は次の如くである。
「そもそも国政は・・・その権威は国民に由来しその権力は国民の代表者がこれを行使しその福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理でありこの憲法はかかる原理にもとづく・・・我らはこの原理に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」
 これはつまり、日本は敗戦によって人類普遍の原理に基づく要になったのであるから、人類普遍の原理に反していた戦前の憲法、法令及び詔勅は排除された、ということである。

 以上の通りの憲法前文を総合すれば、これは、連合国側から書かれた東京裁判の起訴状に対する、日本側から書かれた見事な補強文書と位置づけられるのである。

 よって、来るべき五月三日は、早朝より、
占領期の屈辱への半旗として玄関に日の丸を掲げよう。
 私はこの日、札幌において講演することになっている。
そこで、札幌の「赤の広場」(大通り公園)を歩き、
「日本国憲法無効を確認する憲法記念日」を祝う。
 そして、☆マークのサッポロビールを飲む。
 このビールは維新の後、薩摩藩士が創設したビールだから。


  まず最初に、平成21年11月の開設以来、ご来訪頂いた回数が2万回を超えましたこと、深く御礼申し上げます。
 
 何分、一介の馬の骨が、文字通り、私見と暴論を記してきました訳で、変わらずご来訪頂いた方々には感謝の言葉もありません。
 
 今後も可能な限り、馬の骨身を削ってでも継続していく所存ですので、引き続き宜しくお願い申し上げます。
                               SYOUWA_JP 拝
 
 
〘 モノが言える政府が必要 〙

 IHOでの日本海表記騒動ですが、変更がなされなかったということだけを見ている訳にはいかない様です。

 先般、青山氏も指摘しておられた様に「朝鮮族のワイロ攻勢」が一定の効果を挙げたのは明らかであるからです。

 付記の記事内容を見れば、その不自然さは一目瞭然です。

 名称変更への賛否の採決が先送りされた一方で、日本が提起した「日本海単独表記提案」は否決されているのです。

 そして、事実上という但し書きつきで、日本海単独表記の立場を支持したのが米国のみであったということは何を意味しているのか、よく考える必要があるのではと思うのです。

 もし、現状の「日本海」表記に何らかの問題があるのであれば、それは南朝鮮などという泡沫の言い分に関わらず、具体的な点を以て検討される必要があるでしょう。

 しかし、現状に何の問題もないことは南朝鮮を除いた全ての国家が理解していることです。

 無論、国境が存在している海洋の名称については、米国の立場の様に「当事者二国間で協議する」ことを求めるのが、公の機関の見解としては妥当の様に見えます。

 しかし、そもそもの成り立ちからして「Japan Sea」は欧米諸国が命名したものであり、しかもそれが歴史的に長い期間、通称として用いられてきたのですから、何の問題もない以上、少なくとも欧米諸国は南朝鮮ずれの「妄想火病」は鎧袖一触してしかるべき筈です。

 ところが、そうはならなかった。

 そして、日本案は否決されてしまった。

 IHO諸国としては、袖の下を貰ってはいるものの、日本海表記の変更を承認するには余りにもその必要性の根拠が希薄であって、承認票を投じればその根拠を明らかにせねばならなくなる恐れもあるが故に「先送り」とし、代わりに日本案を否決した、というのが真相ではないでしょうか。

 米国の思惑は明白です。

 日本に恩を売るに、この支持には一銭もかかりません。

 また、下手に南朝鮮を調子づかせて、その一方で日本国内に「反米機運」が巻き起こっても困ります。

 いくら偉そうにしていても、南朝鮮はもう米国なしでは存続が困難になっている張りぼての国家まがいでしかありませんから、米国に強硬に出られても何も言えないことも百も承知している訳です。

 さて、思い出したのは朝鮮族のキム某というスケーターです。

 あのオリンピックのみではない「偏向採点」によって日本の浅田選手は大変な迷惑を被りましたが、その後、朝鮮族スケーターはどうなったかご存知でしょうか。

 オリンピック金メダリストスケーターは、その後は例外なく、プロのスケート界にスカウトされ、アイスショーで活躍しているのですが、キム某に限っては唯の一件のオファーもなく、その母親が娘の稼いだ金を投資して失敗した煽りを受けて、今は自主公演等をやっているという落ちぶれ方であるそうです。

 オファーがなかったのはキム某だけなのです。

 つまりこれは、キムの後ろで南朝鮮がかなり汚いやり方で裏金を使っていたことが、スケート業界内では周知の事実であったことの表れである訳です。

 裏金・ワイロ・利益供与といった類のことがこれまで皆無であったなどということはまずあり得ないにもかかわらず、キム某だけが総スカンを食らっているのは、南朝鮮のやり様が余程汚らしかったせいなのでしょう。

 日本人は金銭供与・買収・利益供与といった裏側にはあまり目を向けない性癖がある様ですが、世界規模でみてみればそんな公明正大な感覚など希薄であって当たり前です。

 問題は、日本海表記騒動の一方にならざるを得ない我が国の官僚と政治家です。

 外務省といえば売国サヨクの巣窟と言って過言ではありません。

 そして、政権たるや言うまでもありません。

 このまま、汚らしさなど感じる感性もない朝鮮族が金を使い続ければ、スケート業界とは異なる国際舞台で何が起きるか判ったものではないということです。

 まぁ、南朝鮮経済が破綻に向かってまっしぐらであることは、南朝鮮の金融を乗っ取っている欧州金融勢力が引き揚げ始めていることや、安住が朝鮮国債購入を検討し始めた等のことでも明白ですから、金の切れ目が縁の切れ目で、数年後の南朝鮮は、また誰にも相手にされなくなっている可能性もあるのですが、日本の売国政権が米国の意向によって南朝鮮の延命に協力すれば必ずしもそうはならないかもしれません。

 別の言い方をすれば、南朝鮮の煩わしさを解消する為には、米国に対して、南朝鮮にはもう金は出さないと宣言できる政府が必要であるということです。

 そもそも、今のウザい南朝鮮を作り上げたのは、その価値もない国家もどきになんのかんのと金を与えてきた日本の自民党政府でもある訳で、その米国の意向に盲従してきた結果が自業自得になっているということでもあるのです。

 支那に対しても、米国は兎も角としても同じことがあって、その結果として強大な軍事赤色独裁国家が出来上がってしまった。

 このまま、政府が言うべきことを言わず、為すべきことを為さないでいれば、事はスケート業界の様にはならず、自業自得・自縄自縛のまま、日本は弄ばれ続けるでしょう。

 日本海呼称問題の裏側には、南朝鮮によるメタンハイドレード等の海底資源争奪の目論みも隠されています。

 日本には、米国ポチでも、媚支那支那畜でも、朝鮮奴隷でもない政権、戦後初めての日本国民の為の政府が必要なのです。
 

  


日本海表記問題「日本に打撃、米国の日本支持には失望」=韓国
(H24.4.28 サーチナ)
  第18回国際水路機関(IHO)総会において、国際標準海図集の改訂をめぐり、従来の日本海単独表記の海図集が維持されることになった。韓国大統領府の担当者は27日、東海併記の議論の過程で、日本は最大の打撃を受けたと発表した。韓国メディアが相次いで報じた。

  韓国メディアは、大統領府の担当者が「IHO総会の結果は、日本に最大の打撃となった。日本が東海を日本海と単独表記するために採決を申し入れたが、どの国もこれを支持しなかった」と述べたと伝えた。

  大統領府の担当者は、日本が日本海を単独表記したいとする試み自体、議題採択段階から採用されなかったという点で、国際社会がこの問題をどのように認識しているかが明らかになったと主張。国際社会で東海併記の世論が形成されたと解釈することもできるとの見方を示した。

  一方で、今回の総会で米国が事実上、日本の「日本海」単独表記の立場を支持したことが知られ、論難が予想されると伝えられている。

  ある消息筋は「米国は日韓が合意しないことを懸念し『決定がない場合は、従来通りの表記である1953年版の維持を支持する』との立場を見せた。米国は少なくとも中立の立場であるべきだったのではとの意見もあった」と紹介。また「韓米同盟を結びながら、米国が韓国を支持せず、日本側に同調する立場を出したという点に失望を感じる」との声もあったという。

「東海」併記は、結論出ず先送り「戦いの舞台は電子版へ」=韓国
(H24.4.27 サーチナ)
  第18回国際水路機関(IHO)総会は26日、「海洋と海の境界」冊子の第4版における日本海と東海の併記問題について、結論を下すことができず、5年後の2017年の総会へ持ち越すこととなった。韓国メディアが相次いで報じた。

  韓国メディアは、国際水路機関の総会は3日目を迎え、表記の改正について議論が続いたが、日韓の立場の違いを確認しただけで、次の総会に議論が持ち越されたと伝えた。

  韓国と日本が対立を見せた東海(日本名:日本海)表記問題は、今回も結論を見なかったが、日本海の単独表記を維持しようと日本側が出した提案は、表決で阻止されたと状況を説明。また、東海の名前を国際標準に取り戻すという問題は、長期的な宿題として残る可能性が大きくなったとの見方を示した。

  一方、IHO総会に出席した韓国代表団は26日、「電子海図が急速に発展しており、現行の印刷物はこれ以上意味がないという認識が加盟国の間で広がっている」と述べた。「東海」と記述した韓国製の電子海図は、船舶運行や海洋調査などの海洋業務で日本製と激しく市場争いをしており、実質的な東海表記戦争は印刷版ではなく、電子版で繰り広げられると伝えた。

「日本海」の単独表記案、賛成は日本の1票のみで否決=韓国
(H24.4.26 サーチナ)
  モナコで23日に開幕した第18回国際水路機関(IHO)総会で、日本は25日、 「海洋と海の境界」冊子の第4版において、日本海を単独表記する案を議論案件として上程しようとしたが、加盟国の反対または棄権によって否決された。26日にも継続して議論が行われる見通し。韓国メディアが相次いでこれを報じた。

  韓国メディアは、現行の「日本海」単独表記にこだわった日本の提案はいったん否決されたが、それでも韓国の案が通る保証もない状況と伝えた。

  日本側は1953年の第3版に基づいて、合意された内容のみを修正して第4版を出そうと提案。論争が続いている東海部分は、第3版の日本海単独表記のままでとの主張だった。しかし、採決では日本だけが賛成票を投じ、残りの77カ国は、反対あるいは棄権した。結局、日本が出した案は上程さえされないまま廃棄された。

  議論がこう着した場合、「大洋と海の境界」第4版発行決定は、次の総会に持ち越されるものとみられる。IHO総会は、2007年にも東海併記をめぐる議論などを理由に先送りしたことがある。

  一方、IHOは、現地時間の26日午前、東海の表記に関する議論を再開する。日韓間のし烈な外交戦の中で4日目を迎える総会は、今日にも最終的に決定する見通し。


〘 次第に明らかになる石原氏の目標 〙
 
 ここ二・三日の報道をざっと集めてみましたが、今回の行動の意味が改めてクローズアップされているのではないかと思います。

 まず、サヨク報道統制のマスゴミも否応なく取り上げざるを得ない話題であるが故に、国民的規模での関心が喚起されつつあるということです。

 シナ共産党や日本のサヨクどもの反応など当初から判り切ったことですので、ここで取り上げる程の価値もなく、まぁ、予想通りの右往左往という処でしょうか。
(ただし、台湾の反応は"支那に対抗しておかねばならない"という点を含めて考えておく必要がありますが)

 そんなゲスなことよりも、注目すべきは「否応なく」何らかの反応を示さざるを得ない、もしくは示したくなる状況が、立った一度の発言で大きく広がったことではないかと思います。

 これはまさに石原氏も満足しておられる結果でしょう。

 今の日本の閉塞感は、各界に巣食うサヨクどもが陰湿に、または派手に、彼奴等の下らぬ思惑やら愚にもつかぬ妄想、愚行を押し付けてきていることへの「うんざり感」に根差しています。

 要するに「希望」が持てなくなっている訳です。

 それは彼奴等にしてみれば「罠」であり、「洗脳」でありつつ、同時に「破壊オルグ」でもある訳ですが、何の展望も生じない幼稚で卑しい中身は、真っ当な日本人には一目瞭然のことであり、それに加えて多くの面で日本の衰退を更に加速させていっている政治の現状が「不満」を拡大させています。

 無論、のほほんとその虚構に流されている日本人もいるにはいます。

 しかし、それらの「のほほん人」にしても、単なる目先の「生活第一」の欲望が満足されない不満はあるのであって、「現状維持派の中途半端保守」にしても危機感は持たざるを得なくなっています。

 石原氏は「東京マラソン」や「オリンピック招致」等にうかがえる様に、その政治姿勢の一つには「元気が出てくる」ことをする、という面があるのですが、今回の発言にしてもその面目躍如たる処でしょうか。

 ただし、今回のことが余程に考え、練られてからの行動であることは、場所と機会が「国際的な話題に発展するであろう」米国であったことからも推察できるのであり、単に「元気」やら「信条」だけで踏み切られたことでないことは言うまでもありません。

 まず、このことが「国民的議論」の端緒になっていることですが、サヨクどもの反応が「手続き論」や「ハードル論」に終始していることは、彼奴等にしてもあからさまな「売国姿勢」を示し難い問題であるからでしょう。

 尖閣諸島を巡る一連のシナとの経緯はほぼ国民全体が知っており、その故の「反シナ感情」が広がっている現状においては、シナに与する報道や発言でもしようものなら、折角騙し続けてきた国民全体から総スカンを食うのは明らかだからです。

 別の言い方をすれば、今回の発言は「多くの日本人が、立場を超えて一致できる問題点」であるということであって、如何に売国政党と雖も、少なくとも公の場に於いて石原氏の方向を否定できないことは、慌てふためいた「国の買い取り」発言でも明らかです。

 「物議を醸す」とはある意味過激な言い方ですが、これに依って日本人は「公」に対する己の姿勢を見つめ直さざるを得なくなりました。

 そして、衆目の一致する処、「尖閣諸島は日本の領土である」ことが再度強調され、確認されていくことで、政治上、非常に困難である「立場を超えた連帯」というものが醸し出されていくでしょう。

 つまり、それは、最も平易な処からの「国民大同の出発点」と言えることでもある訳です。

 さて、石原氏に以前からこの発言の予定があったことは橋下氏等も「聞いていた」と述べていることから推察できますが、ということは、「石原新党」の話題が流されていた時には、当然既に氏の脳裏にあったということです。

 氏と尖閣諸島の関わりは「灯台設置」の頃からのことですから、ある意味ライフワークの一つでもあって、しかし、何故このタイミングなのか、と考えてみれば、やはり「石原新党」との関連はあるのではないかと考えざるを得ません。

 氏の発言の中に「今の連中では第三局など云々」というのがありましたが、察するにこれは「政党を立ち上げる以上は国政に影響を及ぼせる政党でなくては意味が無い」ということです。

 で、現在の日本人のレベルを振り返ってみれば、「新党」がどんな政党であらねばならないか、という点が明らかになってきます。

 まず、「多くの日本人が支持する保守政党」である必要があります。

 つまり、まずは「判り易く」「広く同意を得られて」かつ「希望と元気を持てる」政策の目玉が必要になるということです。

 そして、同時に、それはサヨクの主流を占め、各界に忍び込んでいる「団塊サヨク」どもも誹謗中傷し難い政策でなければなりません。

 その意味では「尖閣防衛」は適策であり、経済界のほほん人どもも「海底を含めた海洋資源」という観点からすれば石原氏を支援するに異論が出よう筈もありません。

 また、氏が「海洋資源云々」「経済界の支援を得た政治塾の開催云々」と発言されたことで、既に氏の構想に共感している経済界の協力者がいることも示されました。

 そして、発言の場が米国であったことからすれば、そこで氏が何らかの関係者・協力者と会談されたのではないか、と推察もされます。

 推察も交えていますが、これらは、日本の政治状況を踏まえた「新党設立」に向けての環境整備の一環としか思えません。

 「たち日」はメンバーに恵まれず、動きもダイナミックさに欠ける処があって、残念ながら平沼氏や中山恭子氏、西村氏だけでは如何ともし難い面がありました。

 しかし、石原氏の、現実を踏まえ、したたかで、かつダイナミックな行動と発想は、ここまでの経緯だけでも大変なものがあります。

 日本の首都ではありつつも、単なる一地方自治体の首長の言動を、支那も南朝鮮も注目せざるを得ないのです。

 こんな人物が今の日本の国政の場にいるでしょうか。

 実は第二・第三の爆弾が出てくるのではと期待していたのですが、石原氏が帰国された時点で、氏の戦略はこの発言を軸にしたものであると一応結論しました。

 上記のことは今の時点でのことでしかありません。

 しかし、困難さばかりが感じられる今の日本の政治状況に於いて、未来への希望が夢では無くなるかも知れないとも思えてくるのです。

 石原総理の元に、平沼経済産業大臣、西田財務大臣、稲田法務大臣、中山恭子拉致担当大臣、中山成彬文部大臣、西村防衛大臣等々、その他の憂国の諸氏が集まれば、日本は必ずや本道に復興出来るであろうと思えてなりません。
 
 

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