〖眞悟の時事通信〗より
『 甦えれ、仁徳天皇の故事 』
平成23年 7月 1日
堺市の中央部の三国ヶ丘に、仁徳天皇陵がある。
この御陵から北に十キロほどの地点(大阪市上本町)に高殿がある。高津の宮(祭神 仁徳天皇)だ。
ここが、仁徳天皇の仁政が伝えられる地である。
ある日、天皇は高津の高殿から民のかまどを眺められた。しかし、かまどからは炊煙が昇っていなかった。民が疲弊して火を焚き炊事して食べる食糧がなかったのだ。そこで、天皇は、三年間、租税を免除した。
三年後、天皇は再び高殿から民のかまどを眺められた。
炊煙が上がっていた。天皇は喜び、我れ豊かになったと言われた。
皇后が不思議に思って天皇に尋ねた。
「今の貴方は、破れた衣を着ておられ、雨や風が入る壊れた家に住んでおられる。それで、どうして豊かになったと喜ばれるのですか」
天皇は、答えられた。「民が豊かになれば、即ち、私も豊かになるのだ」
これが仁徳天皇の仁政の故事だ。
この故事には、二つのことが語られている。
一つは、減税をすれば、民は豊かになる。民が豊かになれば、国が豊かになる、ということ。
これは、現代風に言えば、国民の可処分所得を増やすと、消費が増加し、経済が活性化して、ひいては国が豊かになる、という国民経済の法則が語られている。
もう一つは、民と苦楽を共にするのが天皇だということ。つまり、国民と苦楽を共にするのが為政者の身の処し方でなければならないという政治哲学が語られているのだ。
この故事の経済面に関して、後世に、この仁徳天皇の故事通りの方針を語り、また、実践した人物は、ともに幕末維新に生きた西郷隆盛と山田方谷だ。
西郷隆盛は、次のように語っている。
「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也。
故に、国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。
・・・道の明らかならざる世にして、財用の不足を苦しむ時は、必ず曲知小慧の俗吏を用い巧みに収斂して一時の欠乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げるゆえ、人民は苦悩に堪へ兼ね、収斂を免れんと・・・」(西郷南洲遺訓)
また、備中松山藩(現岡山県高梁市)の山田方谷は、江戸期における藩政改革の最高の成功者であるが、逼迫した藩財政を改革するために、税の徴収をせずに教育の充実と軍備の増強そして殖産興業の方策を以て成功した。
また、この故事の為政者の政治哲学の面に関してであるが、これは、まことにありがたいことである。
御皇室の伝統として今に生きている。
昨年の三月十一日の東日本巨大地震の際、天皇皇后両陛下は、お住まいの皇居の電灯と暖房を切ってご生活を続けられた。これは、被災地の国民と苦難を共にしようとされたのだ。
また、昭和天皇は、終戦後、戦災で疲弊した全国を激励に廻られたが、その時、学校の教室に寝泊まりされた。
さらに、明治天皇は、日露戦争中、皇居の暖房を切られたが、健康を心配して暖房を入れようとする側近を制して、
「兵は今、極寒の満州で闘っているのだ」と言われた。
これらは全て、民と苦難を共にしようとする仁徳天皇以来の伝統の発露だと思う。
以上の通り、仁徳天皇の故事のいずれもが、現在に生きており生きるべきものである。この故事を無視して、日本の国らしさはなく、また、国の豊かさも維持できない。
そこで、何故、今、この仁徳天皇の故事をここに引用したのかであるが、それは、この度の国会における「消費税増税法案」を正しく位置づける為である。
確かに、現在、福祉の充実を思えば、国の税収は不足している。しかし、税を多く徴収して民のかまどから炊煙があがらない状態の中で福祉の充実などあり得ない。
やはり西郷さんの言うように、国民の可処分所得を増やすことが国を豊かにすることであり国力を養成することだという原則を没却してはならない。
国民を豊かにすることが福祉の前提ではないか。
特に消費税は、国民に可処分所得がなければ、消費は発生せず、税収ゼロの税金なのだ。また税率を幾ら上げても消費が減少すれば、税収が下がる。これが消費税だ。
従って、消費税を上げる方向に踏み出したからには、今まで以上に、国民の可処分所得を上げる方策、かまどから炊煙が上がるようにすることに全力を投入しなければならない。
そこで、特に、消費税率を上げる第一歩となる二年後までの間の二年間に何をしなければならないのか。これがポイントだ。
それは徹底的な仁徳天皇の故事の実践である。
西郷さんや山田方谷流に言うならば、大減税と文を興し武を振るうこと、教育の抜本的改革と軍備の増強と殖産興業だ。つまり、国民の可処分所得の増大と総需要の拡大による国民経済の活性化だ。その減税の中に、是非とも相続税廃止を入れねばならない。
しかしながら、この残された二年間に、政治が、これらの経済活性化を断行せず、漫然と「曲知小慧の俗吏」を用いて二年間を過ごすだけならば、この度の「消費税増税法案」は廃止しなければならない。
何故なら、経済活性化策なき消費税増税は、日本経済を潰し、国民の家庭の炊煙を根絶やしにする惨害をもたらすからである。そうなれば、もはや、福祉の充実もあり得ない。
『 必ず日本の再興を観る(私事) 』
平成23年 6月29日
私事を書くことをお許し頂きたい。
本年に入り、新著「国家の再興」の最終校正をしていた頃より、本を読むことができなくなってきていた。新聞も読めなくなってきていた。パソコンの液晶画面はかろうじて見えるので、新聞を読むかわりに液晶を見ていた。虫眼鏡を使えば新聞、辞書も読めたがめんどくさかった。
つまり、右目は遠視で左目は白内障が進行していたのだ。右目だけの老眼鏡を作ればよいのに面倒くさいから作らなかった。
それでこの度、左目の白内障の手術をして、よく見えるようになり、今、この時事通信画面を開いています。
小学生の頃、家の近所の三木眼科で目を治してもらったことがある。この度の白内障手術は、この小学生の頃に看てもらった院長先生のお孫さんにしてもらった。
時の経過を感じる。これで私は、両眼とも白内障の手術をしたことになる。
右目の白内障の原因は、外傷性。
昔、かなり前の弁護士時代、スペインのバルセロナのランバル通りを、一人酒を飲んで、フラメンコを観た後、歩いていた。そこを突然、三人の路上強盗が襲ってきた。そこで殴り合いになって右目をやられた。三人と1ラウンド(3分)の半分くらいの時間、殴り殴られて渡り合っていたと思う。そこへパトカーがきて強盗三人と私が警察に運ばれた。
私は、警察からすぐにホテルに戻れると思っていたが、警察は泥棒の一人が相当痛めつけられて負傷しているので暫く私を取り調べると言う。それで仕方なく、警察の取り調べ控え室で待っていた。
その控え室で、横に座ったジプシーと思われる売春婦のお姉ちゃんが、心配そうに私の顔を見つめ、自分のハンカチを出して私の顔を拭いてくれた。その親切が心にしみた。
その後、英語もろくろくできない警察官と、同じくできない私が渡り合って、警察が正当防衛で納得し、その晩の内にホテルに帰ることができたが、その時の負傷がもとで右目が白内障になった。
今でも思い出す。あの薄暗いバルセロナの警察の取り調べ控え室で、顔の血を親切に拭いてくれたお姉ちゃん、今頃どうしているだろうか、と。
そこで、この度の左目の白内障であるが、その原因は。
それは、加齢、つまり老化だ。
こんちくしょう!だが仕方がない。
とはいえ、右目のレンズを入れ替えた後に、私は政界に出た。
尖閣諸島と上陸した魚釣島の風景は、この右目で観たのだ。
そうであれば、この度、左目のレンズを入れ替えた後で、この左目は何を観るか。
それは、保守新党の結成と、日本の再興に間違いない。
私は、外傷性と加齢で各々レンズを入れ替えた両眼で、
この目の黒いうちに、
必ず、真の保守政権樹立と日本の再興を観る。
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〖眞悟の時事通信〗より
『 レンジャー訓練を讃えよう 』
平成23年 6月19日
ここ数日、彼等のことが脳裏から離れない。
彼等とは、今年三月十九日から始まった陸上自衛隊のレンジャー訓練を終え、六月十二日に東京の荒川河川敷から練馬駐屯地に帰還するまで約七キロにわたり、気の許せないマスコミの監視の中を、東京市街地を行軍した銃を担いだ重装備の十七名の若者達のことだ。
彼等の行軍の様子は、テレビのニュースで放映された。
しかしその放映姿勢は、彼等レンジャー訓練を終えた自衛隊の隊員達のことよりも、市街地を行軍する彼等の前に、「自衛隊反対」や「市街地行軍反対」のプラカードを掲げて「いやがらせ」をする彼等の親の世代の中年の男と女の姿を主に放映していた。
それから数日を経た「週刊文春」誌でも、「昨年の震災以後、迅速な復興支援に貢献する自衛隊だが、市民へのアピール、広報活動はまだまだ”訓練”が必要なようだ」と記事を結んでいる。
馬鹿馬鹿しい。ありきたりの常套句で済ませるな。
自衛隊が平素厳しい訓練を積んでいたから昨年の東日本の大災害に貢献できたのではないか。
自衛隊は訓練をしている。
勉強と訓練が必要なのは、左翼とそれを映そうと駆けつけるマスコミの貴様達ではないか。
諸兄姉、はっきり言う。
レンジャー訓練を落後することなく終了して最後に基地まで行進する彼等の前に、プラカードを掲げてテレビカメラの前で嫌がらせをするあの者達を憎み日本から排除しよう。
それが、真の「日本の構造改革」である。
同時に、レンジャー隊員の行軍に反対姿勢を示す者がおれば、「ニュースになる」と思い、いそいそとテレビカメラをもって駆けつけるマスコミに監視の目を向けよう。
何故なら、こういうマスコミの姿勢が、レンジャー訓練を終えて行進する名誉ある若者(実に、名誉ある若者)、に対する嫌がらせという許せない活動を生み出しているからである。
私は、こういうマスコミの風潮と、その風潮が生み出す自衛隊反対のプラカードを激しく憎む。何故なら、それは「若き志」を汚す日本の汚物だからである。
今、梅雨に入る時期、全国各地の聯隊の駐屯地で、三月からの三ヶ月間に及ぶレンジャー訓練が終了しつつある。
そして、今まで営々と、この想像を絶する過酷な訓練を自衛隊が全国の聯隊で実施していたからこそ、昨年三月十一日に勃発した東日本大震災における自衛隊の被災地における救命、救援活動により多くの人命救助と被災地における貢献が達成されたのだ。
各地における昨年のレンジャー訓練は、東日本大震災被災地への大量動員で中断されたであろう。従って、今年は、大震災後初めて日程を完全に消化したレンジャー訓練が実施された。
三ヶ月に及ぶレンジャー訓練は過酷だ。
訓練は、聯隊の所在する各地の山岳森林地帯地帯で行われる。それは人間を餓えと発狂に追い込み体力を限界まで奪う訓練である。
そして、その訓練終了前の数日間こそ、食糧と睡眠を摂取させずに山岳地帯を行軍させて、まさに体力と気力の限界、つまり地獄を見させてから落後しなかった隊員を基地まで行軍させる。
従って、基地に入ってくる隊員は、泥だらけで這うようにして最後の力の振り絞って入ってくる。その彼等を迎える仲間や家族は涙を流しながら拍手で迎えるのだ。仲間や家族でなくとも、基地に帰還してくる隊員の姿を見れば、全員が涙をこらえる。
我が郷里の信太山陸上自衛隊歩兵第三十七聯隊のレンジャー訓練隊の帰還において、帰ってきた隊員である我が子を、二メートルの距離で見ているのに、我が子を識別できなかった母親がいた。隊員の顔相が一変していたのだ。
それほど過酷な訓練がレンジャー訓練だ。
従って、彼等の帰還の栄光は、
オリンピックマラソンで最初にゴールのテープを切る栄光のランナーに匹敵する。
練馬に帰還する隊員に対して、この栄光にふさわしい報道の仕方をマスコミはしたのか。無礼ではなかったか。
この度、彼等練馬駐屯地に帰るレンジャー訓練隊員は、四十二年ぶりに荒川河川敷から練馬駐屯地まで市街地を歩いた。
その映像をテレビニュースで観た印象は、
「あれ、本当にレンジャー訓練終了兵かな」と言うものだった。何故なら、彼等は、ほぼ真っ直ぐに立って歩いていたからである。
彼等は、山岳地帯からヘリで荒川河川敷まで運ばれたと思うが、同様にヘリで運ばれた私が信太山で出迎えた時の帰還兵は、五十キロの背嚢を背負い、さらにある者はロケットランチャー、ある者は迫撃砲らしきものやバズーカ砲を背負い、全員が小銃を担っていた。
従って、首が前屈みになり、手が地面に着くのをこらえながら、ふらふらになって気力を振り絞って歩いてきた。
これが、本来の、レンジャー訓練から隊に帰還する隊員の姿である。
この度、練馬へ帰還した隊員は、小銃以上の火器の携行は上層部の判断で控えさせられ、従って、住民の見守る中を真っ直ぐに立って歩けたのであろう。
しかし、彼等は、必ずしも好意的ではなくむしろ冷笑的な、マスコミと左翼の目の中を、気力を振り絞って威厳を維持し、真っ直ぐ前を見て練馬まで七キロを行軍した。
他の部隊のレンジャー帰還よりも過酷な七キロの行軍であったであろう。そして、基地内で彼等は、レンジャー修了者にふさわしく、仲間と家族から涙と拍手で迎えられたと思う。
練馬駐屯地の若き彼等のレンジャー終了、さらに同時期の全国の自衛官のレンジャー終了を、心から讃えよう。
若き彼等の、人に知られる事なき過酷な訓練が、
如何に東日本の被災地復興に役立ったか、
さらに、将来の国難克服の力となるか、計り知れない。
彼等は陸上自衛官、即ち陸軍、「地上の星」だ。
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『 国売りたもうこと勿れ 』
H24年6月12日
丹羽中国大使の「尖閣列島購入計画は危険だ」という発言には驚愕したが、それを受けて藤村官房長官が個人の意見であるとして問題にしないことにも驚きを禁じえない。これが逆に中国であれば即、本国召還、更迭、極刑にも処せられる筋合いのものであろう。
丹羽大使は日本は「中国の属国になった方が良い」というお考えの持ち主であることを聞いていたので心配していた。今や日本を抜いて世界第2の経済大国になった中国に対するODAを継続すべしという主張にもさもありなんと思い、日本の国益というより中国の国益のために日夜励んでおられるであろうという事は想像していた。
一番国家間に問題があり、難しい大使とされる中国大使に民間の、それも中国と取引の一番多い商社のトップが任命されたことについては大いなる危惧の念を抱いていた。相当な裏工作もあったのかもしれない。何より当時の首相は「沖縄は独立したほうがいい」と言ってはばからない菅総理であったから、まさに意にかなった人事だったのかもしれない。外交官は「商」ではなく「士」でなければならない。
外交官は採用されるとすぐ世界中の大学に分散留学する。その内、中国の大学に留学した人達をチャイナスクールと称するらしい。当然その人達の最終目的は中国大使になることである。しかし、外交官としてかの地に赴任するにはその国のアグレマンが必要とされる。これは、その外交官を自国に受け入れるという許可証である。中国語を専門とする外交官は外務本省と中国を行ったり来たりして昇進していく。2等書記官、1等書記官、公使として赴任するたびに赴任国の了解を必要とする。中国のような独裁国家ではアグレマンを出すも出さないも政府の胸先三寸だから、次に昇進して赴任する為にも、いかに中国に気に入られるかが最大の関心事になる。日本国の利益というより、中国のお気にいるようなことを第一に考える習癖になってしまうのではないか。これは、歴代の外務省中国関係者の振る舞いを見れば明らかである。
商社は何を売っても商売になるが、国だけは売ってはならない。丹羽中国大使は即刻更迭すべきである。それを主張すべき野党自民党の責任は重大であるが、大丈夫かな。マスコミも一部を除いてほとんど報道しない。それほど中国が恐いのか、遠慮しなければならない理由があるのだろうか、このままでは日本全体がすっぽり中国に取り込まれてしまうだろう。
尖閣買収計画を推進する石原都知事、そしてもう11億円を越えた寄付を行っている日本国の姿無き愛国者達の気概だけが日本を救うことになる。
さて、いよいよ通常国会も会期末を控え緊迫してきた。与党民主党も野党自民党の内部も1枚岩ではない。選挙恐怖症の民主党議員がどう動くのか。言葉だけは勇ましい野田総理に解散総選挙を断行するだけの胆力と党内求心力があるのか、なければ野田れ死にだ。見ものである。
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〖眞悟の時事通信〗より
『 一度、無効と言えば・・・狸に化かされた戦後 』
平成23年 6月15日
昨日十四日は、朝から弔旗を門に掲げた。
謹んで寛仁親王殿下のご冥福を祈り申し上げます。
十三日夕刻の東京都議会本会議における石原慎太郎東京都知事の、日本国憲法即ち「占領憲法」に関する答弁は、その制定過程を述べた上で、改正とかではなくて、「廃棄すべきもの」、「はやく別れるべきもの」というものであった。
まことに意義があった。
要するに、改正とは有効性を前提にしているが、改正ではなく廃棄すべきとは、無効を前提にしている。
この公の場における「(無効だから)廃棄すべきもの」という占領憲法に対する石原知事発言は、一度為されれば、様相が一変する類の画期的なものである。
この「無効」だを一回言われれば、それ以降、従来の戦後の憲法論議はできなくなる。つまり、砂上の楼閣か蜃気楼を相手に議論するような状態になる。
学生時代、京都山科の天智天皇の御陵近くは、夜は真っ暗だった。その近くの赤い提灯が付いた「めしや」に入ると、地元の人が女将にしゃべっている。
「あいつなー、狸に騙されよったんや」
聞き耳を立てていると、近所の男が幾ら待っても家に帰ってこないので、皆で探しに行った。
すると、その男が、小川の中でリヤカーを引いて川上に向かってえっちらおっちらと歩いている。
「お前、何してるンや」というと、その男、川の中にいることも分からず、人に頼まれてリヤカーで荷物を運んでいるンやと返事した。
「アホか、お前、川の中にいるんやぞ」というと、
その男、回りを見回して、初めて自分が川の中でリヤカーを引いる姿に気付いて驚いた。
その男も近所の人も、狸に騙されたとしか考えられなかった。
昭和四十年代の初め、山科の街道から少し外れたところは、こういう話しがよくあったようだ。
さて、石原知事の、「無効」答弁を聞いて、その効果を考えているとき、学生時代に聞いたこの狸に化かされた男の話を思い出したのだ。この男は、戦後日本だ。
戦後日本(男)は、憲法(狸)に言われた通り、えっちらおっちら歩いていた。
しかし、実にアホなところを何故か真剣に歩いていた。つまり、川の中でリヤカーを引いて川上に向かって歩いていた。
そこで探しに行った近所の人が、「お前、何しとるんや」という。男は「憲法に言われたからここを歩いているンや」と答える。しかし、「お前、川の中におるんやぞ」と言われてやっと己の姿が分かり吃驚する。そして、狸に化かされていたと気付く。
この度の石原知事の「憲法無効発言」は、
「憲法とは狸やないか」、「お前、狸に化かされてるんや」
と、憲法に言われたとおり歩いてきた戦後日本に言ったということだ。
従って、化かされてたと分かった以上、従来の憲法論議は、狸に化かされていた時の議論だったのであるから、全て馬鹿馬鹿しく、もはや繰り返すことができなくなる。
そして、国民が日本国憲法は狸だったと分かった以上、もはや日本は、戦後日本ではなく、狸に化かされることはない。
当然、石原慎太郎さんや平沼赳夫さんの総理となる内閣は、狸の呪縛から解放された、真の国益を踏まえ、その実現のために、軍隊を保持し国権に基づき運用する政治を実践するものとなる。
この度の石原答弁は、このような画期的な流れを造ったものである。
十三日の土屋たかゆき都議の十数分の質問に対するささやかな知事の答弁だったと思ってはならない。
狸に化かされた男を一挙に正気に戻す力がある。
土地が海面より低いオランダの巨大な堤防も、子どもの指が入るだけの一つの小さな蟻の穴が開けば崩壊するのである。
『 占領憲法無効確認の具体的かつ実践的意義 』
平成23年 6月13日
本日早朝、堺市のJR上野芝駅前で「朝立ち」をしていた。
その時、犬を連れた初老のあばちゃんが近づいてきて私に言った。以下その時の会話。
「西村さん、がんばってや、日本どうなるねん、そう思たら生きててもしゃあないように思えてくるんや。
死んだろかと思うんや。」
「そんなこと言わんと、日本を信じてや、おばちゃん。
日本は、本来はすばらしい国なんやから。」
「わても、日本はええ国やと思てるんやけど、今、政治無茶苦茶やんか。
そや、あの島、中国に盗られてたまるかと思てるねん。
何処で石原さんに献金したらええんやろか、教えて。」
「そらええこっちゃ。おばちゃん、郵便局かみずほ銀行に行って東京都の口座に献金してきてや」
「おおきに、そうするわ。
西村さんと握手したいけど、さっき犬の糞さわったからやめとくは。おおきに。」
以上の、犬を連れたおばちゃんとの会話を通じて、国民の間に、尖閣諸島防衛への関心が広く大きく高まってきていることを実感した。
おばちゃんが「無茶苦茶やんか」と言った我が国の政治は、「税と福祉の一体改革」という、またも国民を騙す言葉に群がって与野党内向きの「協議」を繰り返している。
まさに、いま為すべき「国の大事」が分からない姿、つまり、無茶苦茶である。
今朝の上野芝駅前のおばちゃんの問題意識と、
石原慎太郎東京都知事の問題意識と西村の問題意識は、
同じである。
石原さんは、数日前に国会で、尖閣防衛に関して、
「国が為さねばならないのに、しないから東京都がやらざるを得ないんだよ。国は、君たちは、何もやっていないではないか。だから、東京都がやるんだ。」
と、怒っていた。
今朝のおばちゃんも、国は何もやらない、滅茶苦茶だ、だから私は東京都に献金しに行く、と言っている。
両者は見事に一致しているではないか。
そこで、昨日も書いた、本日の東京都議会本会議における土屋都議会議員の質問に対する石原都知事の「占領憲法無効」の答弁に付いて、さらにその具体的な実践的意義を書いておきたい。
まず、次の前提事実を確認しておく。
中共は、本年に入って頻繁に、尖閣周辺に中共政府の「公船」を盛んに繰り出してきているが、その理由と動機を
「尖閣に対する日本の実効支配を打破する為だ」
と公然と説明した。
これは、石原慎太郎東京都知事が言ったとおりの意味である。即ち、
「強盗が、銃器をちらつかせて、お前の家に押し入るぞ」
と言っているのだ。
しかし、この強盗に対して、野田内閣は何もしないで、一年以上も、消費税の穴に首を突っ込んでいるだけだ。
つまり、「一見賢こでその実アホ」(野田君のこと)という政治の世界で一番たちの悪い者が、今内閣にいるという訳だ。
この事実(政治無茶苦茶)を前提にして、石原知事が、尖閣購入を表明した。そして、国民の共感の献金が日々集まっている。
さらに、この事実(政治無茶苦茶)を前提にして、石原知事が、本日、「占領憲法無効」の答弁をする。
つまり、政府が何もしないから彼がするのだ。
無効なものを無効だというのは誰にでもできること、万人にできることだからである。しかし、いやしくも、国家の「憲法」に関しての無効確認であるからには、本来のその任務は第一義的には政府にある。
そこで、次に、「占領憲法無効宣言」がもつ、東京都が尖閣を購入するという実践的意義以上の具体的かつ実践的な意義を述べる。
それは、尖閣防衛、祖国防衛の
「即時、無条件かつ無制限の軍事行動発令」の為である。
考えてみられよ。
中共は、重火器を背景にして「お前の家に強盗に入る」と言って「公船」を繰り出してきている。
この時、「占領憲法」を有効な「憲法」としていて、
尖閣を守れるのか守れないのか!?
政治家なら結論を出さねばならない。
この結論から目を背けている今の与野党の議員は、皆、無責任を通り越して既に「利敵行為者」(軍法会議では死刑に値する者達)である。
結論。
「占領憲法」では、国土を守れない。
いや、逆だ。
GHQ(連合軍総司令部)は、日本を国土防衛不能の国にするための「占領憲法」を起草して我が国に押しつけたのだ。
その占領憲法曰く、
日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した(前文)、そして、
戦争を放棄して陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない(九条)。
(畜生、マッカーサー、馬鹿も休み休み言え)
強盗を「平和を愛する諸国民」だと思い込まされれば、軍隊どころか警察もいらない。
従って、本日の石原知事の「占領憲法無効確認」の具体的かつ実践的意義は、お分かりだろう。
この無効の馬鹿馬鹿しい我が国に対するGHQの仕組んだ手枷足枷をかなぐり捨てて、
現在も有効な大日本帝国憲法が有する世界に普遍的な独立国家がもつ国土防衛の原則に則り、強盗が来れば、
直ちに、軍隊である自衛隊を以て、国権の発動としての防衛行動に突入する為である。
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『 東京都議会に注目せよ 』
平成23年 6月12日
十三日の東京都議会本会議場が回天の場となる。
そこに登場する二人の人物。
石原慎太郎東京都知事と土屋たかゆき東京都議会議員。
彼等二人によって、文字通り画期的な質疑が行われる。
何故、画期的か。
それは、帝都東京の、公の場で、
初めて「戦後体制からの脱却」が宣言されるからである。
即ち、
土屋議員、問う。
「昭和二十二年五月三日施行された日本国憲法と称する文書は、
我が国憲法として有効か無効か」
石原都知事、答う。
「無効である」
この「日本国憲法無効確認」こそ、
言葉の真の意味の我が国家の「維新」である。
何故なら、これによって我が国の存続(サバイバル)が確保され誇りある国家の再興が始まるからである。
以下、この「無効を確認する答弁」の意義を述べる。
まず、「戦後体制」とは何か。
それは、我が国の連合国への敗北(昭和二十年九月二日、降伏文書調印)とそれに続く連合国軍隊による我が国占領により形成された。従って、「戦後体制」とは、
「敗戦国体制」でありかつ「被占領国体制」である。
次に、この連合国の我が国占領統治の基本方針とは何か。
それは、日本国民の心に、勝者である連合国は「善」であり敗者である日本は「悪」であるという観念を叩き込んだ上で、日本を二度と再び連合国の脅威にならない弱小国に押し留めることである。
この連合国の日本占領統治基本方針こそは、日本の脅威を永久に除去しようとするアメリカと、日本を共産化するために天皇を否定して日本を解体しようとする反日謀略を繰り返してきたソビエト・スターリンに指導されたコミンテルン(国際共産主義運動)の方針が見事に合体したものである。
従って、「戦後体制」とは、
アメリカとコミンテルンの共同謀議によって仕組まれた日本解体と日本消滅へ向かう体制である。
そして、この日本解体と消滅へのレールとして占領軍が作り上げたものが、昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」なのだ。
それ故、我が国は、この「日本国憲法」を我が国の「憲法」としている限り、国家解体と消滅への道から脱却することはできない。
即ち、「戦後体制」とは「日本国憲法体制」のことであり、
「日本国憲法体制」とは日本解体と消滅へと仕組まれた体制である。
よって、この「日本国憲法」を無効と確認することこそ、
我が国を消滅の淵から脱却させて存続を確保し、
さらに栄光の国家再興への道を拓く、
「救国の第一歩」である。
十三日、東京都議会本会議場という公の場において、
石原東京都知事が、「日本国憲法は無効である」と答弁する。
これが「救国の第一歩」である。
しかも、この「第一歩」は、踏み出してみれば、極めて自然な一歩であると、万人が得心するのである。
第一に、連合国最高司令官(マッカーサー)が我が国を軍事占領中に、部下の若手将校等に命じて一週間で起草させ、そして東京裁判審議開始一周年記念日に施行させた文書が、日本国の「憲法」であるはずがないではないか。
外国人が日本占領中に書いた文書が、日本国の憲法でありうるはずがない。
ただ、この一点!
ただこの一点が指摘されれば、如何なる詭弁を弄しても、
もはや、「日本国憲法」を有効な「憲法」と強弁しえないのである。
次に、その内容であるが、「日本国憲法」の「前文」は、日本国民が作る政府は、国民に「戦争の惨禍を与える」が故に、日本国民は自らの政府ではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」その安全と生存を保障してもらえと述べている。
つまり、日本は戦争を起こす国で、日本以外の諸国は、平和を愛する諸国民の国だから、日本国民はその諸国民によって平和を維持してもらえと「日本国憲法」は冒頭に述べている。
一体、日本国民に対するこのような侮辱的文書を、義務教育の場で全ての児童生徒に、「憲法」として教えている国に未来があろうか。
この「日本国憲法」と称する文書は、内容から見ても、子どもの目に触れさせてはならない怪文書といえる。
従って、十三日に、石原慎太郎東京都知事が、公に、「日本国憲法は無効である」と発言してからは、我が国を覆ってきた「日本国憲法の呪縛」、つまり、「占領軍の意図」は、朝日の前の春の雪のように自然に気がつけば融けてなくなっているのだ。
よって、十三日は、我が国に旭日の光がさす初めの日である。
以後、全国の自治体に「無効表明」が広がり、同時に全国津々浦々にいる国民が、各々の場で、「無効だった」と気付き、「無効だ」と表明すればそれでよい。無効とはそういうものだ。
沖縄県石垣市議会では、近いうちに中山石垣市長が、私と共に尖閣諸島魚釣島に上陸視察した仲間均議員の質問に答えて、「無効」を表明する予定と聞いている。
ところで、
我が国の歴史の中で、この事態に匹敵する画期的事例が思い浮かぶので、それを指摘しておく。
江戸期が終わり明治の御代になっても、我が国の士農工商の民の慣習法、身の処し方の基本とされたのが、貞永元年(西暦一二三二年)に制定された関東御成敗式目である。
この御成敗式目制定以前は、我が国には、公家という貴族社会を対象にした律令という規範があったが、武士以下の庶民はそれを知らなかった。
そこで、鎌倉幕府第三代の執権、北条泰時は次のように言い、関東御成敗式目を制定する。
「京には律令というものがあるらしいが、私らはそれを知らない。従ってそれで裁かれると、山に入って猟師が獣を捕るために仕掛けた穴に落ちるようなものだ。だから、私らはそんなものは無視して、頼朝殿以来の慣例によって私らが分かる式目を制定する」
この北条泰時の決断は、輸入されて公家の世界だけで通用している規範ではなく、日本社会の独自のあり方に根ざすものを重視する態度から生まれており、それ故、関東御成敗式目は明治期まで庶民に学ばれた。
この北条泰時のさらりと言った決断の論理を現在に甦らせれば、次のようになる。
「占領軍は『日本国憲法』というものを残していったらしいが、そういうもので国が運用されれば国が滅びるし、そもそもそんなものは『憲法』としては無効で我々には関係がない。しかもそれは誇りある国民として極めて恥ずべき内容で子ども達に教えられない。だから我々は明治以来の規範と伝統と慣例を以て我らの規範とする」
この度の、東京都知事の「日本国憲法無効答弁」は、
約八百年前の北条泰時の、律令無視と関東御成敗式目制定の措置に匹敵する。
この時の北条泰時の役職は、「武蔵守」である。
現在の石原慎太郎氏の役職は、「東京都知事」であるが、東京都は昔の武蔵国であるから、北条泰時と石原慎太郎は、
共に「武藏守」だと言える。
そして、両者とも、武藏守でありながら、国家の基本法と称する既にある規範の架空性を見抜いてそれを捨て去る。
八百年の時空を超えた、奇しき符合であると言わざるをえない。
石原知事の憲法観を全国的なうねりに!
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