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			<title>キャルスター・ホーム Calstar Home</title>
			<description></description>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>キャルスター・ホーム Calstar Home</title>
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		<item>
			<title>ロンポク</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/72/11984472/img_1?1265307476&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/72/11984472/img_2?1265307476&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/72/11984472/img_3?1265307476&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/72/11984472/img_4?1265307476&quot; width=&quot;126&quot;&gt;&lt;br /&gt;
（上から、ロンポク郵便局、太平洋を臨む海岸にて、種会社の農場、「ようこそロンポクへ」の看板）　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　昨日は、Ｔさんとロンポクに行きました。ロンポクは、丁度サンホゼとロスアンゼルスの間にあって、距離的にいうと、サンホゼから250マイル（400繊法▲蹈鵐櫂からロスまでは150マイル（240繊砲らいでしょうか。比較的太平洋に近い町です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　どうして、103歳のオバアチャンをそういうところに連れ出したかと申しますと、この町はＴさんにとっては意味がある町だからです。&lt;br /&gt;
　　　1946年、戦後Ｔさんは、下のＫさんという息子さんと、そのＫさんの教育のためにアメリカ引き揚げて、ご主人の家のあった九州に戻りました。ところが、ご主人のＥさんと上のＪさんという息子さんはアメリカに残ったのです。家族がばらばらになったのです。Ｔさんは、あの物資の少ない日本で暮らしましたが、その頃、ご主人のＥさんは、このロンポクという町の、花の種の農場で働いて、せっせと実に色々な物を、日本に送ってくれたそうです。&lt;br /&gt;
　　　この頃の話をすると、Ｔさんはいつも涙ぐみます。あの物不足の時代に、アメリカから送られてくる物資は、どれほど慰めになったことでしょう。&lt;br /&gt;
　　　Ｔさんはその後、アメリカに戻り家族は一緒になりましたが、このロンポクのことは全然知りませんでした。Ｅさんは、勿論他界しています。この場所のことが分かったのは、上のＪという息子さんが話してくれたからです。実に、私達のホームに来てからのことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　Ｅさんが当時働いていたと思われる、バーピーという種農場は、その後、今から20年くらい前に、ボールという種会社の系列のパン・アメリカン種会社に買われていました。勿論、まだ2月ですから、ハウスの中にも、外の畑にも、何も花は咲いていませんが、そこの人に聞くと、「6月頃に来てごらんよ。それは一面、花が咲き乱れているだろう」と言いました。それは、花の種や、野菜の種のための、花や野菜のことです。&lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
　　　人影が少ない、グリーンハウスの周りを、一回りしました。しかし、Ｔさんは、あの戦後の時代を思い起こすようなそぶりでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　日本に荷物を送った郵便局にも、Ｅさんが、太平洋の向こうで苦労をしているＴさんと息子のＫさんを思ったであろう、海岸にも行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そのところどころで、Ｔさんは、涙ぐみました。カリフォルニアの田舎町を訪問するという、何も変哲もない旅でしたが、Ｔさんにとっては、とても意味ある旅でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　この町を去る時、Ｔさんは、「もう、これで、この町に来ることはないでしょう・・・・」と言いました。恐らくその通りだと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/11984472.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 03:17:56 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>長嶺総領事夫妻に祝福をうける</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/69/8153169/img_0?1255228280&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　　　今日10月10日は、敬老会でした。仏教会の体育館に集った、日系コミュニティーのシニアーは約300人。90歳以上が名前を呼ばれて祝福を受けますが、100歳以上の人は、特別席で特別な祝福を受けます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　100歳以上は、4人の名前がありましたが、その四人の中でも、トメさんは最高齢の103歳。もっともあとの3人は、名前だけで参加していませんでした。そりゃ、100歳を超えて、集まりにでられる人などそう多くはないでしょう。&lt;br /&gt;
　　　トメさんの生涯が、紹介されました。今年ツールレイクへ行ったこと、ジャアンツのゲームを観に行った事などが、紹介されると、皆さんがどよめきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　この人のエンターテインは、子供の歌と、ジャズ・サックスのコンビでした。しかし私が、司会者に「トメさんに歌わせてやってよ」と特別に頼んだら、あっさりＯＫで、この二つのエンターテインの間に、入れてくれました。トメさんは、得意の「もしもしかめよ」を元気よく歌いあげました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　特別席とは、長嶺サンフランシスコ総領事ご夫妻を同じテーブルでした。長嶺総領事ご夫妻が、それで祝福してくださるという、光栄に預かりました。長嶺総領事が、「パスポートをお持ちですか？」と尋ねられましたが、日本のパスポートは、もうとっくにきれています。まあ、その発給を受ける必要は、現実的にはないでしょう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/8153169.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Oct 2009 11:31:20 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>Baskin Robins 31</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/78/8072678/img_0?1255058830&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　　　バスキン・ロビンズ３１は、日本でもサーティー・ワンのアイスクリーム・パーラーとして知られているようです。我が家の住民のトメさんは、大のアイスクリーム好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　暑い時には、食後のデザートに、アイスクリームをあげることがあります。するとその喜びようが尋常ではないので、「トメさんって、アイスクルーム好きなの？」と尋ねると、ニッコリして、「ハーイ、私はアイスクリームが好きでねえ・・」と仰せになられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そこで、私が「それじゃトメさん、バスキン・ロビンズのアイスクリーム・パーラーに行ったことある？」と尋ねますと、「いいえ、何ですかそれは・・」と御存知ない見たい。それで「今度、連れて行ってあげますよ。アイスクリーム・パーラーですよ」というと、「もったいない（これがトメさン口癖）」と言われました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　それで、今日の午後、連れ出してバスキン・ロビンズに行ってきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.baskinrobbins.com/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.baskinrobbins.com/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　日本ではどうか知りませんが、ここのワン・スクープは、もう私達が食後にトメさんに出すようなチョッピリではなく、かなり大きなスクープです。「先生、こんなに食べられませんよ」と言いましたが、「トメさん、これが一番小さい盛りなのです」と言って、食べていただきました。しかし、やっぱり食べきれずに残しましたので、大急ぎで家に帰ってフリーザーに入れました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　店の若い女の子に、「この人、１０３」と言うと、「Really!」と、びっくり。 I believe this woman is the oldest person you have ever served. と言うと、I&amp;#039;m sure. と言いました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/8072678.html</link>
			<pubDate>Fri, 09 Oct 2009 12:27:10 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>サンフランシスコ、ジャパン・タウン</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/29/7871429/img_0?1254633758&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/29/7871429/img_1?1254633758&quot; width=&quot;300&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/29/7871429/img_2?1254633758&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/29/7871429/img_3?1254633758&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
2009年　8月　5日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日は、ホームのトメさんを、サンフランシスコのジャパン・タウンに連れて行きました。ロスのリトル・トーキョウほどではありませんが、このあたりは、日系一世の時代から日系人の心の町として存ります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　実はトメさんは、戦前ここで公衆浴場というビジネスをしていたのです。いわゆる日本の大衆浴場とは違って、個室のバス・シャワーの部屋があるのがアメリカの当時の公衆浴場だったようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そのビジネスをやっていた時、戦争が始まり、トメさんたちは、ユタ州トパスのキャンプに送られたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　その後、トメさんは色々な事情で、戦後一時日本に戻りました。日本に8年住んでから、またアメリカに戻りましたが、このサンフランシスコのジャパン・タウンには戻らなかったようです。そういうことは、知らないものですから、私が「ここへ最後に来たのはいつですか？」と尋ねると、「戦争が終ってからは来たことがない」と言うのです。ということは、強制的にキャンプに送られた1942年ということになります。つまり、なんと67年ぶりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　私は、いくらそこに戻って住まなかったとしても、訪ねて行ったことくらいはあるだろうと思っていました。しかし、事実、67年間戻ったことはないようでした。ですから、そこへ行くと、もう懐かしそうで、泣きそうなくらい喜びました。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　　　実は、この日曜に息子の常一さんが来たので、当時住んでいた場所のことを聞いたのですが、彼によれば、「もう何も昔の面影はない」ということでした。まあ、それでも何か、懐かしいものでも見られれば・・と思って行ったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　車をパークして、ポスト通りを車椅子を押して歩き出すと、丁度、そこそこに年配の人が歩いていましたので、尋ねて見ました。その人は、「1952年からここにいる」とあたかも、「ジャパン・タウンのことは何でも知ってるぞ」という感じで答えましたが、私が「この人は103歳なのです。戦前のことを知っている人に会いたいのです」というと、ギャフンという感じでした。しかし、「それなら桑港金物店をを訪ねてみな。あそこは古くからいる人だから」と教えてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そしてその「桑港金物店」の前に立つと、「このお店は昔もあった。けれどもすっかり変わっているわねえ」とトメさんが言いました。丁度その時、中にいた、さっきの人より年配の人が、店の外へ出てきましたので、私が「失礼ですが、この桑港金物店の方ですか」と尋ねると、そうだと言います。「お名前をうかがっていいですか？」と尋ねると、「ウオザキ」と言われたので、私が耳の遠いトメさんの耳元で、「ウオザキさんだって」というと、いっぺんに経過した年月が戻ってしまったように、「ウオザキさん、ウオザキさんの息子さん？私、フロ屋をやっていたトメです」と叫びました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そのウオザキさんも、「エエッ、トメさん？トメさんって、常一君のお母さん？」と、もう驚き顔です。「ハイ、常一の母のトメです」、私が「103歳です」というと、「信じられない」という顔をしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　「私は、常一君とは同級生で一緒に学校に通いました」と言いました。私が、「常一さんは、パロアルトで健在です」というと、（何しろＪ君もこのウオザキさんも、84歳ですから。）ウオザキさんは、「あの戦争で、キャンプに入れられて、それっきり、殆どバラバラになってしまって、このあたりの人がどうなったのか、殆ど知らないのです」と言いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　しばし、本当に、本当・・・・・に、懐かしそうに話をしていました。ウオザキさんは、「あの当時のお店で残っているのは、うちと魚喜さんと、勉強堂さんだけになりました」と言われました。それで次にその魚喜に行きました。魚喜というのは、当時の八百屋さんで、このあたりの日系人の主婦達がいつも利用していたのでしょう。魚喜では、もうだれも戦前のことがわかる人は見つかりませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　トメさんによれば、ポスト通りをはさんで、この魚喜の正面に安芸ホテルというホテルがあって、その半地下みたいなところに、「港湯」という、トメさんがやっていた公衆浴場があったのだそうです。当時の安いホテルは、部屋にシャワーがなく、トメさんがやっていた公衆浴場を使っていたのだそうです。勿論、ホテルに泊まらない人も、お金だけ出せば、シャワーが使えたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　そのトメさんたちの公衆浴場があった場所は、すっかり昔の面影はなく、現在はカブキ・ホテルがあり、そのカブキ・ホテルの駐車場に変わっていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　ほんの一時間くらいの滞在でしたが、トメさんにとっては、67年ぶりのサンフランシスコ・ジャパン・タウンでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　帰りの車の中で、「ウオザキさんの息子さんも、あんなに年をとってしまって・・」と言うので、おかしくて、おかしくて。それはそうでしょう、トメさんが、最後に現在84歳のウオザキさんを見たのは、彼が17歳の時だった筈ですから。しかし、「先生、今日は本当にありがとうございました。もう何も思い残すことはない」とも、言われました。本当に、お連れして良かったと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上から、　桑港金物店のウオザキさんと　（「桑港」と書いて、サンフランシスコと読む。）&lt;br /&gt;
　　　　　勉強堂前にて（今日はお休みだった。）&lt;br /&gt;
　　　　　ブキャナン通り。（ここは現在は遊歩道で、車は通れない。）&lt;br /&gt;
　　　　　カブキ・ホテルの前の駐車場にて。　（最早、昔の面影はない。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7871429.html</link>
			<pubDate>Sun, 04 Oct 2009 14:22:38 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>妻の管理者証明書の更新</title>
			<description>2009年　8月　24日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　カリフォルニア州では、私達のようなケアー施設をやるものは、その施設がライセンスを取る以外に、その管理者は管理者資格を持っている必要があります。一人の資格ある管理者がいればいいのですが、私達は夫婦揃って持っています。これが二年に一回、更新をせねばなりません。そのために40時間の講習を受けなければなりませんが、最近は40時間のうち、20時間はオンラインで講習を受けてもOKです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　私は前にやったのですが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7824781.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7824781.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　今度は家内の番でした。家内はアメリカで学校へ行ったわけではありませんから、英語を読むのが苦手です。オンラインの場合は、結局、読まねばなりませんから、講習に出るより大変です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　しかし結果からいうなら、20時間のオンラインを、無事にパスしたのです。最初は、私が横についていて教えてやろうかと思いましたが、（そうすることは可能です。）一科目をのぞいては、全部自分でやりました。毎晩、遅くまでコンピューターの前に座って、懸命に読み、賢明に試験を受け、一つ再試験をしただけで、（お恥ずかしいのですが、私は二つ再試験をした。）パスしました。私は彼女の英語力に、いささか驚きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　その一科目というのは、「効果的なマネージメント」という科目で、コンピューターのことでした。現在では、カウンティーからでも、州からでも、主だったことはインターネットで、連絡したり、オンラインで書き込んだりしますから、管理者はコンピューターが、ある程度出来ることは必須なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　家内は、メールを書いたり、受け取ったり、簡単なことは出来ますが、まだこの方面の知識は、ちょっと足りません。それで私がこれは教えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　私は、アメリカで家内が、何か専門職の資格を持って生きる、という自覚と自信を持たせたいと思いました。「あなたが持っているから、私はいいわ」と前はよく言いましたが、今はもう言いません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　私達が、将来　「第二キャルスター・ホーム」を作ったら、すぐにその資格は必要になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　よかった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7870622.html</link>
			<pubDate>Sun, 04 Oct 2009 14:01:28 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>サンフランシスコ・ジャイアンツのゲーム</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/52/7824952/img_0?1254542373&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/574462/52/7824952/img_2?1254542373&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
2009年　7月　9日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　我が家のトメさんは103歳でも、大の野球好き。それで恒例のサンフランシスコ・ジャイアンツのゲームを観に行きました。相手はフロリダ・マーリンズ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　昨年も行きましたが、今年はルークが父の日のプレゼントとしてチケットを買ってくれたので、行ったのです。昨年も、願いましたが、何とか、トメさんをテレビに出させることです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　今年はバッチリ!　　ジャイアンツの場合、表裏の交替時間に、スダンドの風景をバッチリ写して、スコアー・ボードの大スクリーンに写すのです。私が、カメラのところまで、トメさんを連れていて、強引に撮らせたので、3回の表裏の交替時間に、バッチリ、その大スクリーンにトメさんが写ったのです。写っているのが私は見えますから、驚きです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　I&amp;#039;m 103 Giants Fan.（Giants の部分はマーク） と書いたプラカードを持っていましたので、観客からはヤンヤの大喝采でした。その観客の反応が私にも、実に気持ちよく聞けました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　恐らく彼女が、この日の　oldest　の　Ｆａｎ　だったでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　トメさんは、サンフランシスコに住んでいた方ですが、「わたしゃ、テレビで観るくらいで、こんな本当のゲームを観に来られるなんて、夢みたいで・・・先生には悪いわねえ・・」と何度も言いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　ただ、ゲームそのものは、マーリンズが４回から、小刻みに一点ずつあげ、7回まで出、４ｘ０でマーリンズがリード。そして9回に、マーリンズの何とかという選手に、３ランホームランを打たれて、万事休す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　それでも、ジャイアンツがシャットアウト負けは避けてくれないかと、9回の裏、試合終了まで観ましたが、ダメ。　７ｘ０で負けました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　ウィークデーの昼間12時45分から始まったゲームでしたが、3万5千の観客は、この球場だとかなりいっぱいに見えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　ＡＴ　＆Ｔパークという球場は、本当に素敵です。眺めがいいですし、この季節ですが、海から涼しいそよ風が吹いて、本当に気持ちのいい野球観戦でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　トメさんは、自分がテレビに出たことを今でも知りません。それでＤＶＤを買って、みせてあげようと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7824952.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Oct 2009 12:59:33 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>セミナー</title>
			<description>2009年　5月　7日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今週は火曜、水曜と二日間、シニアー・ホーム管理者のためのセミナーに出ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　20時間は、オンラインでOKということで、あと20時間は、ライブで取らねばならないのです。しかし、二日間で20時間相当、ということですから、朝8時から、夕方6時半までという強行スケジュールでした。それでも、忙しいものにとっては、一日8時間で5日通うより、よほどいいはずでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　問題は、そのセミナーに出て、私には絶対オンラインで取らねばならない科目があって、それを取っていないことに気づかされたことです。ディメンシャ・ケアーに関する科目です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　うかつでした。私達のシニアー・ホームは、ディメンシャの人たちを受け入れる許可を受けていません。ディメンシャの人たちが入れないのなら、そういう科目は取らなくてもいいのだろうと思っていまし。しかし、今ではこの問題は深刻で、カリフォルニアではすべての管理者が、8時間を受講することが、更新のために必須となっていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　慌てました。もう私の更新は、来週です。今週は、土曜に知り合いの宣教師のお葬式がありますし、来週の土曜にも、先日召されたセンさんのお葬式があって、その準備で忙しいのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　しかし、この管理者資格の更新はマストです。仕方なく、一日10時間もセミナーで絞られてきてきてから、夜、オンラインで、まずDimentia fundamental というコースを始めました。5時間相当のコースです。夜8時から始めて、夜1時までかかりました。眠くなりますし、もう最後の方はかなりいい加減な読み方・・・そして、試験は、背面とびで、辛うじてクリヤーでした。しかし、何点であれ、パスはパス。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　そして二日目のセミナーは、眠いこと眠いこと。ただ、ライブのセミナーのいいところは、出席していればほぼOKということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　そして、家に帰って二つ目の、オンライン・コースを読み始めました。アルツハイマーに関する科目でした。これは3時間相当です。また、夜8時から始めましたが、2時間位読んで、もうどうにも眠くてちょっと仮眠。　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　夜中の12時半に起きてきて、最後を読みきり、ファイナル試験。これも、背面跳びで、クリヤー・パス。結局、オン・ラインでは20時間でいいところを、私の場合、31時間も取ったことになりました。「これくらい集中して読んでいれば、ディメンシャにならないかな」などと、夜更けのオフィスで、一人ニヤニヤしながら、ともかく「ヤレヤレ終った、終った」ということで、これを書いています。このところ、気を遣うことが多く、ブログの更新も出来ませんでした。もう休みます。夜中の3時過ぎです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7824781.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Oct 2009 12:54:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>センさんの召天</title>
			<description>2009年　5月　4日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金曜日に、病院から、ホスピス・ケアを始めたばかりの私達のシニアー・ホームに戻ったセンさんは、土曜に洗礼を受け、聖餐にあずかり、日曜の朝、つまり今朝、私達がキリストの復活を記念して、礼拝をしている間に、天に召されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　昨晩は、最初の晩よりおとなしかったのですが、これは看護士さんの話では、体力が落ちたということです。しかし、洗礼を受けてすっかり安心して、平安になったのかも知れません。息子さんも、朝9時半頃来て下さったので、最期は一人子の息子さんに看取られて、平安のうちに召されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　今日だけは、礼拝中も私の携帯をオンにしておきました。そして息子さんに「何かあったら知らせて下さい」と伝えておきました。すると、その礼拝のさなかに、携帯に「母が息を引き取りました」と息子さんから連絡が入りました。それで私が、ちょっと礼拝を中断してホスピス・エージェンシーに連絡しました。そしてホスピス・ナースの到着を、家内と久美さんが待ちました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　私は早速それを教会にアナウンスし、遺族のために祈ってもらい、その日の礼拝の説教までして、家に戻りました。ホスピス・ナースはすでに来ており、検診し死亡宣告をしていました。普通、病院でも、どんなホスピスでも、人がなくなればなるべく早く、葬儀社に遺体を引き取りに来てもらうように手配するのが一般的です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　しかし、キャルスター・ホームのホスピス・ケアの違いは、そんなに簡単に遺体を葬儀社に渡さないところにあります。というのは私が牧師ですから、「それでは今晩、ここで召天記念礼拝をしましょう」と言うわけで、教会の有志の皆さんにも集っていただいて、勿論、Sさんの息子さん夫婦、丁度テキサスから、親戚の方がおいでになって、その方達にも加わっていただいて、「召天記念礼拝」を持ちました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　昨日、洗礼を受け、最初で最後の聖餐式にあずかり、この一年間、本当に楽しいお交わりをした、センさんと、最後のお別れをしました。今週木曜日にクリメーションされて、メモリアル・サービスは、5月16日、午後2時から、キャルスター神召教会であります。&lt;br /&gt;
　　　　2970 Moorpark Ave. San Jose, CA 95128 Phone 408-296-2480&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このホスピス・ケアを通して、私は本当にいい仕事を始めたものだと思いました。最近観た、「おくりびと」という映画も、随分参考になりました。あんな風に、着物を着替えさすことはしませんでしたが、すっかりやせ細ったセンさんに、センさんの一番好きだった、金色の洋服に、金色のスカート、金色のソックスをはかせてあげました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　看護士の久美さんには、すっかり助けをいただきました。千昌夫さんの、「北国の春」を歌うと、大喜びした、センさんの笑顔が、もう見られないのは、ちょっとさびしいですが、あれほど、「早く天国に行きたい」と切望していたセンさんですから、もうすっかり天でくつろいでいることでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「病院や、カンバレッセント・ホスピタルでは死にたくない、自分の家で死にたい」と言う人は案外多いようです。やはり先日召された、日本アッセンブリーズ・オブゴッド教団にとっては、懐かしいポール・ショック師も、「自宅で、家族に看取られて死にたい」という希望で、その願い通り、先週自宅で召されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　回復の見込みがないのに、手術をしたり、様々な管を差し込んだり、そういう処置の可能性もありますが、特にお年寄りには、これはやりすぎだろうと思います。ことにセンさんの場合、病院では期待できないであろう霊的ケアーを、私達のホームに戻られたので受けられたことは、幸いだったと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　人生の締めくくりに関わる仕事をさせてもらっている責任を、もう一度感じました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7820484.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Oct 2009 11:00:06 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ホスピス・ケアー</title>
			<description>2009年　4月　28日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　じつは、もうすぐ100歳のセンさんが入院中です。まあ、このお歳になれば、何が起こっても不思議ではありませんが、最近食事ができなくなり、脱水症状になりそうでしたので、入院して今、点滴しています。これでおしまいかと思いましたが、やはり点滴すれば維持することは出来ます。しかし、センさんは、元来病院が嫌いで、「家へ戻りたい」と言われるようで、息子さんも病院ではなく家庭での最期を願っておられますから、近々退院の見通しです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　「母の言う『家へ戻りたい』は、先生の家なのです。それでできれば、先生（私達のホームのこと）のところで、最期を迎えさせていただきたいのですが・・・」と、息子さんに言われましが、私達のホームは、ホスピス・ケアーの許可をとっていませんでした。私は牧師でもありますし、これで一年、このセンさんを世話してきましが、すっかり私のことを気に入ってくださり、センさんは、もう家族のような感じなのです。昨日病院へ行ったときも、看護士さんが、食事を口のところへ持って行っても、全く受け付けないのに、私がスプーンを近づけると、ちゃんとお食べになるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　息子さんのお嫁さんは、「まあ、石原先生、神さまみたい」と、驚いておられました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　しかし、私達の所に戻ってきても、もうそう長くはないと思うのは常識です。それで、早速、私は、必要な書類に目を通し、（ちょっとした学習があります）州にホスピス・ケアーの許可申請を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　これで、よほどのことがない限り、許可が出ますから、Sさんは、おそらくは我が家で最期を迎えることが出来ます。息子さん、ご夫婦も、とても喜んでおられました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7820227.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Oct 2009 10:53:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>フィールド・トゥリップ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/575297/41/7704541/img_0?1254281090&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-96-09/calstarhome/folder/575297/41/7704541/img_1?1254281090&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
2009年　4月　21日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　今年103歳になるトメさんと、100歳になるセンさんを、フィールド・トリップに連れ出すことは、どうだろうかと思ったのですが、どちらかというと体力が少し気にかかるセンさんの息子さんに、「どうでしょうか?」と尋ねたら、「母は車に乗るのは好きですから大丈夫でしょう」といわれたので、今日はフィールド・トリップに行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　勿論、家内も行きました。サンフランシスコは、トメさんが若い頃過ごしたところです。ゴールデン・ゲート・パークに来た時、「ほらトメさん、ここ昔来たことあるでしょう？」というと、「エッ、ここどこですか？」と言う感じ。それで、「トメさん、あなたが住んでたジャパンタウンは、ここからすぐじゃないですか」と言うと、「そうですか、わたしゃ、井の中の蛙で、大海を知らないんです。ジャパンタウンから出たことがなかったですから」と言われました。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　　ゴールデン・ゲート・ブリッジに行った時は、天気が非常によくて、温かく、周りの人たちに103歳と100歳と紹介したものですから、すっかり人だかりになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　そこからさらに高速道路101号線を、北へ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　このあたりになると、滞米84年のトメさんも、どこを走っているのかわかりません。「ここはオークランドですか」と、対岸は、みなオークランドとしか思いつかなかったようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　サンタローザの、パラダイスリッジ・ワイナリーが、最終目的地。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.prwinery.com/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.prwinery.com/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　このワイナリーは、薩摩のサムライ・長沢鼎（ながさわかなえ）が、開いたワニアリーです。これはこの地方では、かなり知られた話です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　詳細については、以下のサイトなどをお読みください。地下の展示室に、それらの資料があるミュージアムになっていて、それを見るつもりでしたが、トメさんの車椅子を持ってくればよかったのに、ウォーカーだけだったので、もう移動が大変で、その見学はやめました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.discovernikkei.org/wiki/index.php/Kanaye_Nagasawa&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.discovernikkei.org/wiki/index.php/Kanaye_Nagasawa&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　ワナイリーですが、かなり観光施設と言う感じでもあります。結婚式なども行えます。入ってみたら、ワイン・テースティング・ルームがありました。「テーストしますか？」と声をかけられた時、驚いたことにセンさんが、「ハイ」というのです。それでつられて、トメさんも、ほんの少しですが、ワインをテーストしました。テーストだけの人は、５ドルだと言いましたが、私はそんなつもりはありませんでしたし、この婦人たちもお金を持ってきてはおりませんでした。私は、「この方は103歳、この方は100歳」と紹介すると、みんなビックリ、また人が集ってきました。カウンターにいた、5ドルと言った婦人は、「タダでいい。うちのワイナリーに来た、最高年齢ワイン・テースターだ。本当に名誉なことだ。プレスに使うから、写真を撮らせてくれないか」というので、彼らは写真を撮りました。それで私も撮ったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　そして、そこからは、まっすぐサンホゼまで戻りましたでした。おそらく、この婦人たちは、こういうドライブはしたことがなかったでしょうし、ケッコウ楽しんでいたと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/calstarhome/7704541.html</link>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 12:24:50 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		</channel>
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