前回、タンゴのリズムでも頻発する「チャチャッ、チャ」(または「チャチャッチャ、チャ」)というリズムについての基本形を解説したが、実はこの形は、いろいろ応用編がある。基本は前回解説した通りのリズムなのだが、あれはあくまでもチャキチャキ系の、いわば軽めのタンゴの場合であって、スタッカートの短い音価で演奏するのが前提だった。
しかし、どちらかと言えば、モダンタンゴと言われるタンゴでは、そんなに軽快ではなく、むしろ重厚にこのリズムを使うパターンが多く出てきた。楽団で言えば、アニバル・トロイロ楽団や、カルロス・ディサルリ楽団、オスバルド・プグリエセ楽団などが、その典型的な代表例だろう。
おさらいになるが、前回(その2)で解説した「チャチャッチャ形」のリズムは、譜面的にはこのように書かれる。
ベースラインで言えばGmの典型的なパターンで、Gと、5度上のDを使ったよくある形だ。ただ、この譜面を演奏するには、基本的にスタッカートであることを踏まえて、細かく音符を刻む、ということは前回解説した通り。具体的には、2音目と3音目の間に休符が入る感じになる。そして、アクセントはあくまで、最初のGと、4音目の(2/4表記で言えば2拍目の)Gに来る。これは基本だ。
ここまで押さえたうえで、さらに、このリズム形の応用編に行ってみよう。
タンゴの音楽では、よく「引っかけ」という専門用語が使われる。譜面上の表記は下記のような感じだ。
何やら、前の小節からスラー記号のようなものがついているが、これに対応する音符は見当たらない。おそらく、譜面が読めるクラシック系の演奏家が一番とまどうのは、このスラー表記だと思われる。そして、これが、アルゼンチンタンゴのいうところの「引っかけ」を意味している。
クラシック的に正しい表記で書くなら、おそらく以下のような感じになるはずだ。
いや、こうか。
いや、こんな感じかもしれない。音程的には若干ポルタメントをかけるということである。
つまり、前の小節の4拍目の裏(あたり)から、音を出して次の1拍目にスラーをかけるという弾き方である。ただ、間違ってほしくないのは、このクラシック表記通りに演奏しても正解ではないということ。アルゼンチンタンゴでは、あくまでも小節の1拍目にアクセントが来るので、単純に少しアウフタクトして入ればいいというものではなく、前の小節の音は、あくまでも次小節の1拍目にかける助走でしかないということだ。扱いとしては、いわゆる「装飾音符」に近く、だからこそ、演奏家のセンスにゆだねられる。正拍の少し前から、加速感のある音を伴って1拍目にかけて勢いをつけるための音を出す。これが、言葉で説明する「引っかけ」の極意だ。
バイオリンやベースなどの弦楽器であれば、正拍の少し前から弓を動かしていき、瞬間的なクレッシェンドを行う感じというか。その際に、半音低めの音くらいからのポルタメントをかける、というのが、おそらくクラシック的なわかりやすい奏法となる。正拍の前から、少しポルタメント的に助走かけて入るという感じか。いずれにしても、譜面に表しづらいし、細かく書きすぎると、奏者のクリエイティビティーを制限してしまうため、上記のような、半端なスラー記号のような形で表されることが多いが、まあこれがいわゆる「引っかけ」というものの正体である。実際には、2/4で表される楽譜の、小節の4拍目の裏拍くらいから次の小節の1拍目にかけて、ブリッジ的に展開する一連の流れというように理解してくれればいいと思うのだが、言葉で言うと難しいが、音で聴けば一発で意味がわかる話なので、できれば、生演奏しているミュージシャンに聞いてみるのが一番だと思う。
一応代表的なトロイロ楽団の演奏を下記で見られるので、雰囲気は理解してもらえればと思う。
Anibal Troilo y su Orquesta (Danzarin)
(2分過ぎくらい(あるいは3:40過ぎ)からの間奏に顕著)
ほかにもいろいろ例はあるのだが、比較的人気のあるトロイロ楽団の演奏やプグリエセ楽団の演奏などで、このリズム形態は顕著に用いられており、それゆえに、「タンゴらしさ」を感じやすいリズムでもあるので、タンゴの演奏家はこの形と演奏方法は絶対に覚えておいたほうがいい。それほど重要な奏法である。雰囲気的には、上述の「引っかけ」含め、元のリズムの「チャチャッチャ、チャ」というよりも、最初の音を引っかけた感じで表すと「ズーワチャッチャ、チャ」としたほうがいいリズムだろう。なので、前回のリズム+引っかけという構造ではあるものの、別枠として解説してみた、
ちなみに、この奏法で、「ズーワッチャチャ」とバンドが一体化していくのが、タンゴのオルケスタとしては最高にカッコいいわけなのだが、これをしっかりやるためには、バンドとしての意思統一が欠かせない。理想的なのは、ベースがまず引っかけの「ズー」というところにアタックし始め、そこに楽団全員が乗っかってくるというのが、僕の考える理想だ。ただ、こればかりは、楽団によってやり方が違うので、何が正解ということはない。ただ、僕が、アマチュアながらも、そこそこ多人数のオルケスタをこれまで十数年引っ張ってきた感覚で言えば、ベースが引っ張るのが一番であるということだけは付け加えておこう。