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缶コーヒーってたくさんタレント出すのが好きなの?
キリンFIRE NEO
ケーシー高峰 健在。
Team NEO
舞台は、どこまでもつづくロングデスクを中心に据えた、ドリームオフィス。デスクを追いかけて画面がスクロールしていくと、そこでバリバリ仕事をこなしているのは、岡田准一さん、バナナマンさん、ナイツさん、SHELLYさんからなる、Team neoのメンバーです。この6人が「FIRE neo」を片手に、ひとつのデスクを囲んで、色々な役柄のビジネスマンとして登場。他にも、アッとおどろく、あんな人やこんな人も、意外な役で出演しています。仕事を前向きにするデスクトップコーヒー、「FIRE neo」のある、スマートで楽しいデスクワークを描いたCMです。<メーカーサイトより>
https://www.facebook.com/kirinfire.jp
ケーシー高峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (ケーシー たかみね、1934年2月25日 - )はコメディアン、俳優。本名、門脇 貞男(かどわき さだお)。山形県最上町出身。ケーシー型白衣姿で、黒板又はホワイトボードを用いる医事漫談の創始者にして、第一人者。
代々医者の家系に育ち、母は近年まで現役の産婦人科医、父は商社マン、兄弟を始め一族も殆ど医師。山形県立新庄北高等学校卒業後、家業を継ぐべく日本大学医学部に進学させられたが、教授と相容れなかった(本人曰く、風貌を理由にいじめを受けた)事と、モダン・ジャズに耽溺して学業が疎かになった事から、藝術学部に転部。同級生には宍戸錠らが居る。
在学中より坊られい(ドメニコ・モドゥーニョのヒット曲 Nel blu, dipinto di blu[1]と、ぼられた、の二重の意)と名乗って、クラブのMCとして業界では知られた存在になった。
そこで本格的に芸人を志し、漫才師リーガル天才に弟子入り。コロムビア・トップ門下で、共にスケベ芸を看板にする(後の)青空はるおと、下ネタ専門の越境漫才コンビ『大空はるか・かなた』を組み、そこそこ売れたものの、東京漫才界の対立騒動に巻き込まれ、長続きせず解散。
と同時に、自身が医師志望であった過去を生かし、医師が主人公の人気テレビドラマ『ベン・ケーシー』のパロディで、エロ漫談家ケーシー高峰に転身した。高峰の屋号は憧れの人・高峰秀子[2]から頂いた。
セニョリータ、グラッチェなど怪しげなラテン系単語と、C調かつ軽妙洒脱な下ネタを駆使し、セミレギュラーに抜擢された『大正テレビ寄席』等を通じて、お茶の間の爆発的人気を博した。1968年には東京12チャンネル(現テレビ東京)系『おいろけ寄席』の司会に登用され、また多くのピンク映画でヤブ医者役(必ず性病科か産婦人科)を演ずるなど、コメディリリーフとして引っ張りだこになる。
また渋い脇役のこなせる性格俳優としても、映画、舞台を問わず活躍。『夢千代日記』(1981年 - )でのシリアスな演技が高く評価された他、『木更津キャッツアイ』(2002年)ではオカマのヤクザという極めて難しい役柄を演じてみせた。
1970年代末以降、ノーマルな役柄の仕事が増えるにつれ、その鬱憤を晴らすが如く高座には更に磨きがかかり、従来の都会的なスタンダップ・コメディ路線(バタ臭く、カッコつける)から、丸出しの山形弁で恫喝まがいの客いじりをする泥臭い芸風に進化して[3]、爆笑王の地位を不動のものにする。立川談志は、「ドクターは凄ぇ。ドクターに勝てるスタンダップ・コメディアンは、俺かビートたけしくらいだ」と、その芸のセンスを評価している[4]。
1990年頃、落語芸術協会に入会(のち脱退)。2005年には白板症(舌癌)に罹患したが、完治させ復帰。療養中にも関わらず予定されていた独演会を敢行した際は、黒板を前に一言も喋らず舞台を務め上げ、身振り手振りと筆談だけで観客を魅了した[5]。
観光使節(サンシャイン大使)に任命されている福島県いわき市の自宅では、在宅時に手製の旗を掲げている。ダンディズム極まる私服のファッションセンスでも著名。
2009年末現在、日本テレビ系『笑点』の演芸コーナー出演回数が、ナポレオンズに次ぐ、歴代2位の記録を持っている。
NHKラジオ第1『ザ・ケーシーSHOW』で、その長年の芸歴から多彩なゲストを呼び、縦横無尽なトークを展開している。番組構成力の評価も高い。
『笑いがいちばん』(NHK総合、2010年4月25日放送分)高座後の杉崎美香、林家正蔵、ぴろきらとの芸談では、自動車運転免許を取得した経験がないにも関わらず大のカーマニアで、国産車、外車問わず何台も乗り継いで来たこと、趣味と実益(ネタ収集)を兼ねて医学書を母と長兄から取り寄せていたが、共に亡くなったため現在は図書館で読んでいる事などを語った。
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