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今日台風近づく。ずいぶんご無沙汰の雨を期待。・・・ ・・・ ・・・あまいあまい 関東地方は猛烈な雨、我が和歌山県は雨降らず。少し分けて下されば、野菜の水やりもさぼれたのに。
そんな訳で、本日紀の川市打田河川敷若者広場から粉河竜門橋〜対岸を戻る13キロに挑戦。
夕暮れ逼り写真は竜門山を望む1枚。
始めて走る場所、つながりの悪い堤防、行っては戻り行っては戻り、距離は稼げるが気持ちは落ちる。
13キロ1時間30分。
家に戻り白菜、キャベツの試し植えに水を施す。猛暑でもそれなりに大きくなってきた白菜とキャベツ。
これで私もも美味しいビルが飲める。
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マラソン・ジョギング
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メタボ対策の為、散歩は欠かせません。
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8月29日は紀ノ川大橋から3.5キロ上流まで往復7キロ。
毎日暑い日が続きます。昨年ジャズマラソンhttp://www.city.wakayama.wakayama.jp/menu_1/jazz/jazz.htmlに向け練習は今頃順調だった。しかし今年は・・・いかん、気持ちが乗らない。暑い。
紀ノ川大橋。右折ゾーン設置のため、工事中。
北島橋、和歌山競輪場。
南海電鉄紀ノ川鉄橋。
奥に紀ノ川大堰が見える。あそこまで走れば5キロ、往復10キロになるのだが、気持ちが続かない。
折り返し走るが、途中へばってしまった。
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先週日曜日、和歌山水上スキークラブに参加、久ぶりのスキーを楽しんだ。
クラブは紀ノ川河口に位置し、ここから再度紀ノ川探訪最スタートと思い、河口まで往復2キロ軽くランニング。
それにしても異常に暑い。・・・夏だからなー。
ほんとは10キロぐらい走る気持ちでスタートしたものの、根性なし。
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本日は九度山町は慈尊院、 丹生官省符神社へ行き、先日の橋を渡り小田井用水見学、九度山町メインストリートから体育館に戻る7.5キロランニング。
コースはこちら ◆慈尊院は、
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。 高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。 空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。 高野政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の『鳥羽上皇高野御幸記』で、天治元年(1124年)、上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されている。 ◆丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は、
社伝では弘仁7年(816年)に空海によって創建されたという。高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396年)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある。 この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている。また「七社の内、丹生・高野の両神は弘仁年間に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の2社も同時に勧請されたという。気比・厳島の2神は文明年間の勧請と伝えられており、これら4社は天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転した」と記されている。
明治43年(1910年)に九度山、入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀して、現在の丹生官省符神社となった。 堤防から高野山方面を望む。
平核無柿(ひらたねなしがき)が 大きくなってきました。 このあたりは日本でも有数の生産地である。 小田井用水。 疏水の概要
■疏水の所在 和歌山県高野口町・かつらぎ町・紀の川市(旧那賀町・粉河町・打田町)・岩出市地内 小田井用水路 延長 約30km ■所在地域の概要
和歌山県北部に位置し、紀の川右岸の河岸段丘に広がる水田地帯で県内有数の穀倉地帯である。 ■疏水の概要・特徴
宝永4年(1707年〕紀州藩主徳川吉宗の命を受け、当時藩財政窮迫の打開策として、新田開発に伴う用水確保のため、大畑才蔵が開削した。才蔵は竹筒と木で作った簡単な水盛台(測量器具)を考案し、距離60間を一区切りとして測量し、3000〜5000分の1という緩い勾配で水路をつくり、受益地域を最大限広げた。 九度山町 本日も暑い一日で当初学文路駅見学も予定していたがショートカットしました。
今回ウィキペディアの文言を拝借しました。 |
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先週の続きかつらぎ町役場駐車場から紀ノ川堤防10キロランニング。
コースはこちら http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=61aebbc887c1662244b4064978f8d31b かつらぎ町役場をスタートして中飯降・・・いや高野口町に入っている?。
ここで5キロ。
もう少し上流に橋がある。この橋渡り対岸を戻ることに。 このあたりは平種なし柿の生産日本一。
三谷橋まで到着。
対岸に戻り、平和祈念像を撮影。
役場駐車場に到着。
10キロ。 毎年の事だが夏場に体重が増える。 克服するため走っている。なんとか62キロキープ。 走った後のアイスクリームは旨い。 家に着いてビールが旨い。 体重維持に、苦労します。
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