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●滝の表情●
一指 李承憲
日常の中に、無数の出会いがある出会って、別れ、また別れることによって また新たな出会いをする 人と人との出会いでも、人と自然の出合いでも 私たちの心はいつもぶつかっていた 吹いてくる風は涼しいが 時には肌をえぐるような暴風にもなる 感情のない風ですら、私たちに近づいては 無数の感情を起こすのに 感情を持った人と人が出会っては無心になれない 人と人との間のぶつかりが 喜びになって、悲しみになって、苦痛になる 真の人生の指標がないとき、煩悩と妄想は絶えず起きる 幻想を抱いていたら、いつかその幻想は破れる 期待があると、いつかその期待は失望として近づいてくる 無心になってじっと自分を眺めるとき 静かになった水面に自分の顔を映すように 真の自分の姿を見ることができる 幻想も、どのような感情も
それは海面にさざめく白波だ 波に留まらないで また海そのものになろうとしないで 君、海の主人となって 風の主人になって 人生の主人になりなさい 無心になったとき、それが可能になる |
ヒューマン・テクノロジー
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こんばんは はじめまして。ぺこ2です。最近 瞑想をしています。無心になかなかなれなくて・・・無心になりたいものです。
2007/6/6(水) 午後 8:54
ペコ2さん、ようこそいらっしゃいました。確かに無心になるのって難しいですよね。私の場合、瞑想中に雑念が湧かないようにというのはほとんど無理なので、雑念が浮かんでいる自分の状態をそのまま眺めるようにしています。ダンヨガでは無我の状態を体感できるトレーニングもあるんですよ。
2007/6/7(木) 午前 1:54
こんにちは。無心に関するくだりはまるで武道の極意です。「明鏡止水」や「水月移写」など・・・。武道の場合は対峙する相手の心を水面に写る月に例えるのですが、自分自身の心もこのように考えればよいのですね。
2007/6/8(金) 午前 10:33
soraさん、お久しぶりです。「明鏡止水」という言葉は聞いたことがあります。相手の心も自分の心も無心になって眺めろということなのでしょうか。
2007/6/17(日) 午後 0:10
水面の波や波紋を雑念に例えてそれらが収まり水面が鏡のように静まりきった時に月の本来の姿をそのまま映し出すという例えです。ですからcandyさんのおっしゃる通り無心になって心を眺める事で自身の状態も相手の状態も正しくあるがままに捉える事が出来るという境地です。私が言っても観念的な話にしかなりませんが達人はこの境地で実際に相手の心を読んでしまう、己と相手との心の境が無くなるようですね。
2007/6/18(月) 午後 5:36
soraさん、そのご説明でよくわかりました! ダンヨガの先生たちは、なぜか私より私の体や心の苦しいところをわかっているのですが、それは相手と一つになるトレーニングを積んでいるからみたいです。人間の意識の力にはすごいものがありますね。
2007/6/19(火) 午前 1:27