私たちが「悟り」という言葉をきくとき、それはただ美しく神聖なものであり、平和さ、そして 明るさに満ちたものであるという印象だけを持ちます。 しかしそれは悟りというのもののほんの一側面でしかありません。 悟った人には誰でも、苦しい痛みはつきものです。 太陽が昇り、沈むのと同じように、悟りの状態とそうでない状態が生じます。誰であれ、 試練に直面すれば恐れを感じます。たとえ悟った人であっても、その試練を受け入れるのが辛いことに 変わりはなく、悟りが、病や悲しみ、怒りを遠ざけるわけではありません。 覚者もまた、利己心、悲しみ、怒りを覚えます。 しかし、彼らの悲しみや怒りは「私」自身に向けられるものではありません。 覚者が偉大なのは、悟りを開いたからではなく、たとえ人間の持つさまざまな痛みを引き受けなければ ならないとしても、その悟りを世界に伝えようと駆り立てる大きな愛があるからです。 覚者はいつも心に悲しみを抱いています。 悟りとは、苦痛に満ちた心です。 人類を愛する人は悲しみを感じずにはいられません。 なぜなら、他人のすべての痛みを自分のことのように激しく感じるからです。 苦痛や葛藤がさることを願うのはやめましょう。 心の痛みを恐れることはやめましょう。 大きな悟りが起こるときこそ、大きな選択をするときであり、 大きな選択をするときこそ、大きな痛みと葛藤を引き受けるときです。 そのような苦痛こそが、憐れみの心であり、明るく輝く大きな愛そのものなのです。 Dahn World NEWS LETTER 『 HEALING SOCIETY』 より
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「悟り」を感じたことがない。それを一度でも感じたい人が多いでしょう。私もその一人である。聞くところによれば、瞑想や修行をしなくても、普通の人は簡単に悟りを開くことが出来るらしい。それができないのは、どうしても捨てられないものがあるからだ。普通の人で、すべてを捨てられるときがあるとしたら、それは自殺する直前の時間しかないだろう。そこに一瞬、悟るかもしれない。しかし、もう遅い、悟っても、その一瞬の間しかない。死をやめたらまたすべてが戻ってくるとわかってるから。
2008/1/28(月) 午後 10:47 [ 案山子 ]
冬の案山子さん、コメントありがとうございます。
悟りというと難しそうですが,自殺まで考えなくても自分が意識してすべてを捨てれば新しい自分になれると思います。お金を捨てなくてもお金にしがみついている自分の意識を捨てて、命を捨てなくても生きることに執着している自分の意識を捨てれば、それはすなわち古い自分が死んで新しく生まれ変わることですから。
誰でも悟ることができると解いた『悟りの哲学』という本を紹介しています。ぜひご覧になってください。http://blogs.yahoo.co.jp/candyaoyama/folder/571848.html?m=l
http://blogs.yahoo.co.jp/candyaoyama/5251572.html
2008/1/28(月) 午後 11:54
お勧め、どうもありがとうございます。機会があれば、読んでみます。
2008/1/29(火) 午後 1:06 [ 案山子 ]