ニホンオオカミを探す会の井戸端会議

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ニホンオオカミ

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十文字峠の咆哮ー2


21世紀に入って4年目、確か6月の事だったと思います。
朝日新聞の天声人語に私達の活動が取上げられ、末尾にこう記されていました。
『オオカミは「いまの日本が失ったものの象徴」であると同時に、現代社会を「再生」させる生命力を示してもいる』
ニホンオオカミの生存は環境問題のシンボル的位置付けとされ、この記事以後一般の人達のニホンオオカミへの考えも、ほんの少しですが違って来た様に感じています。

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朝日新聞の天声人語欄
 
それ以前は「(北海道を除く)日本列島に於ける食物連鎖の頂点で、絶滅したニホンオオカミ」程度の捉えかたであって、大多数の人達には受け入れる事の出来ない動物でした。
云わば“赤頭巾ちゃんの中の狼”、“可愛い子鹿を食べる狼”から逃れる事が出来ないでいたのです。
興味を持っている人達にしても、他の動物に比べてマニアック的な存在で、犬好き、狼好きな人達のとどのつまり的な動物にしか過ぎませんでした。
さもなければ私と共通な体験をしていたとか、未確認生物の探求者等であったのです。
 
ロータリークラブでの講演の後(本年622日欄参照)、共通の認識を持っている事が判った私と窪川獣医は、山篭り中の岡田氏に差し入れをしたり、捕獲後の動物を傷つけ無いような処置の仕方を教えて貰ったりと、周辺協力者として大変お世話になりました。
具体的に言うと、睡眠薬を吹き矢で動物に注入し、眠らせて里まで運ぼうとしたのですが、勿論今だからこそ云える話で、私たちが薬を使う事も、それ以前に捕獲する事自体違法だったのです。
ある動物学者が、「ニホンオオカミに関しては、写真でもって断定する事は、科学的な考え方ではない。捕獲し飼育状態の中、分類学者が見れる状態になって居なければ覆る事は無い。」
そんな言葉を発していたのが、私たちにそうした行動を起こさせる一つのきっかけで有った事は否めません。

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吹き矢の使い方を示す窪川獣医

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捕獲後この橇を使うつもりだった

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音声収録の為こんな事も
 
十文字峠への登山口毛木平へと車を走らせたのは、獣医達が咆哮を聴いた1年後、1998年6月の日曜日でした。
浦和市を5時に出発し目的地に9時到着すべく順調に車を走らせ、8時前には中津川集落へ入る事が出来たのでしたが、しばらくすると休憩中の私達を追い抜いて行った後続車が、全てUターンして帰って来ました。
聞いてみると、川上村から三国峠越えで大滝村に抜けようとしたトレーラーが、トンネルにつかえてしまって通行止めだと云うのです。
この林道上で数少ないトンネルなので場所の特定はすぐ出来ましたが、すれ違いもままならぬ林道にトレーラー車が走行する等とても信じ難く、何かの間違いではとの思いも手伝って、現場まで行ってみる事にしました。

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トレーラーが通れなかったトンネル

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中津川の河川には無残な乗用車が
 
私が窪川獣医の誘いを受けて十文字峠行きを決めたのは、単に獣医の体験談だけで無く、それなりの根拠を持っての事でした。
三国峠から甲武信岳(2475m)へ向った登山者がニホンオオカミと思われる動物の咆哮を聞いたとの情報を得ていたし、何より特別国家公務員の人達が、日本航空機事故現場の捜索時、その動物と思われる集団に遭遇したと云う確かな情報も得ていたのです。
又、事故当時、現場周辺の山々から動物の咆哮が合唱となり、それに応えた里のイヌ達が呼び返しをした・・・そんな話を聞いたのは後の事ですが、情報提供者は川上犬の研究に長く携わっていて、現在「NPO法人梓山犬血統保存会」を運営している、高橋はるみさんでした。(本年220日欄参照)
そんな幾多の事例が交差する中、捜索重点地域と考えていた私にとって、獣医の誘いは渡りに舟でした。

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高橋はるみさん
 
そして何より体験談は最新の事例で有り、本人から直接聞いた点、その他を加味した時、非常に信憑性が高いと考えていました。
峠を越えた長野県川上村は高原レタスの生産地で、当時から村にとっては基幹産業そのものです。
冬、山に篭る予定の岡田氏は仏師の仕事をなげうって、夏の調査を兼ね川上村でレタス収穫の手伝いをしていたのですが、予想以上に作業が繁忙で山中の探索が進んでおらず、
そんな調査の遅れをカバーするには大変タイミングの良い誘いでも有りました。
 
普通車が交差する事さえ困難な場所が多いこの林道上で、もしかしてUターンする場所を探しながら此処まで来たのかも知れなかったのですが、現場では運転手と助手が必死の思いで車高を低くする作業をしていました。
当事者達が必死で有るほど私達傍観者には其れが滑稽・哀れに映り、遠くから車を走らせて来た人達から、批難の声が挙がる事は全く有りませんでした。
十文字峠への登山をあきらめた私達が秩父市内に戻って間もなく、ラジオで中津川林道が通行止めで有る事を告げていました。
林道に「大型車通行止め」の看板が立てられたのはトレーラー事故後間も無くの事で、20年後の今もその看板は当時のまま風雨に晒されています。

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現在の三国峠埼玉県側

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昨年の崩壊現場は今も

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この先通行止めの中津川林道

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