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やっと体力が戻ってきました。それとも週末が嬉しいんでしょうか(笑)


さて、授業中に先生の話が脱線したとき、彼の作品について考えます。


手紙と電話


手紙は村上春樹の作品の中で重要な役割を担っています。「風の歌を聴け」では、DJが、<僕>宛のリクエストを読み、「羊をめぐる冒険」では鼠が僕に2回も手紙を書き、「ノルウェイの森」では僕と直子が手紙のやりとりを行い、「ねじまき鳥クロニクル」では笠原メイから僕(岡田亨)への手紙はわざわざ独立した章で取り上げられる重要度ぶり(僕はこの章を楽しみに頑張って読み進めていました。)、さらには間宮中尉からの手紙もあります。


このことを考えたときに僕の頭に浮かんだのは、自身自ら、村上春樹に影響を受けたと語ったとされる、アニメーション監督、小説家である、新海誠についてでした。


本格的に読書を始めた年、またはこのブログを始めた年である2008年。その2008年ベストで1位をとったのは、奇しくも彼が書いた唯一の小説でした。それだけにこの作品に魅せられてしまったということでしょう。


「秒速5センチメートル」と題の付けられたこの作品は、アニメ映画、小説共に3話の形式をとっていまして、1話(主人公貴樹が小中学生のとき)、2話(同高校生)、3話(同社会人)と作品が描かれます。その1話では、東京から栃木に転校した友人(彼女)とのコミュニケーションツールとして手紙が、2、3話では(携帯)電話が用いられます。さらに3話では物語に深さを持たせるアイテムとして手紙が登場します。


僕は、ロング・グッドバイ(?)を読んだことがないので、村上春樹自身が誰に影響を受けたということは分からないのですが、これは新海誠が村上春樹からの影響をうけたということを如実に表していると思います。


さらに言えば、村上春樹の作品において、手紙(思い)が相手に伝わっているかいないかわからないとき、伝わっていないとするときが多いように思います。(「ねじまき鳥クロニクル」では言及されていましたよね?)


「秒速5センチメートル」もそうなのです。とてもとても大切なことが伝わらない。それが第1話では手紙で、第2、3話では携帯で表現されます。


あなたのことは今でも好きです。
でも私たちはきっと1000回もメールをやりとりして、
たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした。


時代背景とか村上春樹だからということを全く無視して、もし、僕や鼠が携帯をもっていたらとか、ワタナベ君や緑や直子が携帯を持っていて手紙よりもずっと早く連絡をとれたらとか、そういうより現代的なこと(?)を想像することがあります。


でも、なぜか僕は村上春樹の小説の主人公が携帯を持って、さらに使いこなしてる姿というのがどうにも想像できないのです。


ワタナベ君の姿を想像できないと言うのなら、誰でもお分かりになるとは思います。でもそれが他の誰でもしっくりこないのです。


村上春樹の新作の予約が開始されました。題名は、1Q84。1984年、なぜこの年かは今の時点では知る由もありませんが、一つ思うことがあるとすれば、それはこの年にはまだ携帯電話は一般的ではないだろうということです。(Wikipedia日本では1985年に民営化したNTTが1987年に最初のハンディタイプ携帯電話機を世に出した。とのこと)


現代を舞台にして小説を書くこと、それは初期の村上春樹がその時代を描いていたということからも100%ないことだとは言えないはずです。むしろ自然かも知れません。「ダンス・ダンス・ダンス」で描かれた、親と子の関係などは現代に通じる部分が多々あります。


でも、彼がコミュニケーションツールとしての手紙にこだわるのであれば、1990年代には入りにくい。もしくは彼の感じる「時代」、80年代を小説が書けるくらいに客観的に(という言葉はあまり的確でもないように思いますが)見れるようになったのか。本質的なところ、考え方の核になるところは若いうちに作られると思います。それがこの時代だったのでしょうか。


続きます。


参考記事

記事を書くのが随分と久しぶりになってしまいました。この忙しさは何とかしてもらいたいぐらいです。



風とは何なのか?

そんなことはひとまず置いておいて今回記事を書くのは村上春樹の「風の歌を聴け」についてです。


この作品は不思議な作品です。始まり方、本編の前にあのような文章が書かれている小説は読んだことがありませんでしたし、短い小説の断片が合わさって小説としての形を成していること、なによりその世界観が斬新でした。


しかし私にとって一番不思議だったのが、「風の歌を聴け」というその題名であり、今なお多くの読者が「風」について考えているという事実であり、一人一人にとってその答えが違うということです。


風の意味

「風」についてしばらく思いを馳せていると、風という言葉の根本的な意味というものがどうにも曖昧にというかぼやけてしまってきました。


そこでYahoo!の辞書で「風」とひいてみました。そうすると、「1、空気のほぼ水平方向の運動。」と私たちが一番使うであろう「風」が一番上に出てきました。しかしその下には「2、その身に感じられる人々のようす。」と出てきます。またWikipediaで検索してみると、現象としての風の他に、「文化における風空気全体の動きということで、全体的な雰囲気の方向のような意味で風が使われる例が多い。」とのことです。


最近言われるKYに代表されるような、雰囲気=空気にイコールして風としているようで、日本語は難しいです。


ちなみにこんなものも見つけました。本当に日本語は難しいです。

「風の歌」


さて、私が勝手に参考にさせてもらっている、八方美人男さんそしてNONAJUNさんのお二人は「風」を「死」を表しているものと読んでいるようです。


しかし私が考えていたものとは少し違いました。けれど両方とも説得力があったので、私自身があっさりと考えを変えそうになります。そこにコメントしていただいたkiyoi08さんの考え方が私の考えと似ているものでしたので、あえて私は違う意見を言うことにします。


私は「風」は反抗やそれに伴う成長をした過去、あっという間にまさに風の如く過ぎた過去を表している言葉だと思います。


まず、この小説が「僕」が過去のことを書いているという形をとっていると言うことです。また辞書で調べた「その身に感じられる人々のようす。」という言葉を使うと、「風の歌を聴け」→「自分が感じた皆の様子を聴け」にできます。


また、「僕」は鼠の小説の優れた点に、人が死なないことを挙げています。なぜなら放っておいても人は死ぬからだそうです。そう考えている人が小説を書いているのですから、作品の顔に「死」を表す言葉を入れるだろうかということです。


都合のいいところばかりを引っ張ってくるとこういう読みも可能なわけです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 下人は、大きな嚔をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。
 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。・・・・・・・・・・・・・
                       (『羅生門』 芥川龍之介著)   

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