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このブログでは、今まで神社、仏閣は扱っていませんでした。しかし、東日本大震災以降どうもそわそわしたり色々考えたり、気がかりになっている事が多く有ります。
その一つを確かめに行きました。私は、神社仏閣にあまり詳しい訳では、無く色々なHPやブログを見て回ると神社など扱ってるHPやブログは皆さん本格的に古代文書を研究したり引用したり凄いのが有り気が引けてました。
今回の香取神宮に関しては、創建があまりに古くまだ良く解明してない事も多数ありこのトライデントのブログはそういう意味では、素人であり間違ってる事があれば
御指摘、御教授、ご了承下さい。
あの香取神宮には、アレが有ったはずどうしても確かめなければ!!
私の家では、私がまだ小さい頃から親に連れられ、また学生時代、社会人になって友人や家族と参拝してる神宮が有ります。香取神宮です。
祭神は経津主大神 (伊波比主命)。 神職首座は大宮司、大禰宜といい経津主の兄(子とも伝えられる)の天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが、後世大中臣氏(藤原氏)が養子に入り相互に重職を世襲した。
正月三が日には50万人以上が参拝する。
関東地方を中心として全国に分社の香取神社がある。神宮の位置する山はその形状から亀甲山と呼ばれている。 香取の神は『日本書紀』神代紀一書において葦原中国の平定に先立って天の悪神(天津甕星)を誅する神「斎主神」(『古語拾遺』には経津主神)とされている。
創建は、紀元前643年と伝えられている。『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされている。創建年が古すぎるとの異論もある。
本殿から鹿島神宮本殿は約13キロメートル、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖神社本殿は約8キロメートル、ほぼ正確な東にある(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。
香取神宮WIKI
香取神宮HP
もちろん今年の初詣もここに行ったのですが(この香取神宮と鹿島神宮)私は、初詣はここに来たり成田山に行ったりしてたのですがここ数年は、神宮コースです。何か日本の危機でも感じて古代からの神様にでもすがろうとしてるのでしょうか?
創建は、とても古く神武天皇18年、紀元前643年又明治維新までは、神宮と言う名称は、伊勢神宮と香取神宮、鹿島神宮の3社しか無かったそうです。
それでは、
駐車場から参道入り口です。何かすいてるいつも観光バスが何台か10月?神無月?そういう影響?今日の目的はアレを確かめる又近いうちにも来るだろう
赤鳥居の前まで来たやはりここから先は何か違うものを感じる。神秘的な何かに守られてる様な、それと何か快感な感じが込み上げて来る。
いつもは、真っ直ぐ拝殿、本殿方向に行くが今日は、違う。ここを曲がって行く足元はかなり悪いし急な階段もある、雨の日や足元が濡れてる日は注意、まだ灯篭が何本か倒れてる業者が修理してた
登って行くと護国神社の摂社が有る手を合わせその左側を進む
そうです私が気にしてたのは、要石やはりその摂社の前に有るそしてその摂社には、1円玉が多く置かれていた
私が気係りしてた正体は、この石です。昔香取様と鹿島様がこの地底に居る大なまずを暴れない様にこの石で抑えてあるそうです。鹿島様にも同じ様な石が有ります。
普通の石に見えますが昔、水戸光圀公が調査を指示し、最初の2日は日没まで掘削しても朝になると元に戻り昼夜3日掘削しても底が現れなかったそうです。
この要石に変化が無くて良かった!!暴れたのは、東北沖と茨城沖の大なまずだったみたいです。
もちろん拝殿、本殿に向かいます美しい門
先帝天皇陛下の御植樹もあります昭和48年9月11日とあります。
もちろん今上天皇陛下のもあります。平成4年11月9日とあります。
神宮というのは、皇室の直轄だそうです。
そして大震災では、トライデントをお護りして下さりありがとう御座いました。これからもトライデントと日本の国をお護り下さいと願いました。
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日本の神
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