|
平成21年5月5日訪問 井笠鉄道は1911年(明治44年)7月に井笠軽便鉄道として設立され、1913年(大正2年) 11月17日に笹岡〜北川〜井原 間が開業、その後に複数の路線を開業させた鉄道路線である。 1967年(昭和42年)3月31日神辺線・矢掛線を廃止。1971年(昭和46年)3月31日 には本線を廃止、鉄道事業から撤退。現在、社名はそのままでバス会社として存続している。 笹岡駅〜 鉄道という名のバス専業会社です JR笹岡駅構内には、井笠鉄道のホームが残っています。 ホームの先にある駐車場は、線路跡を転用し、井笠鉄道が経営しています。 さらにその先は道路に転用され、住宅街を抜けていきます。 この先、かつてはホーム跡や駅舎も残されていたそうだが、敷地は売却され住宅 になっており、山陽自動車道のIC付近まで痕跡は残されていません。 山陽自動車道笹岡インターを越すと路盤跡が歩行者専用道として転用されています。 小平井駅跡は、ホームの痕跡が残されている。しかも、この民家は現役当時に 切符の販売を委託されていた方の住宅であると聞いています。 道路脇には廃線跡がそのまま残されています。 新山駅跡は駅舎をそのまま利用した鉄道記念館があり、井笠鉄道に関する資料や車両が展示されています。 新山駅跡を過ぎると、線路跡は井原鉄道の用地や、道路の拡幅工事に吸収され痕跡はありません。
矢掛駅があった場所はバスの営業所になっています。 営業所の建物や、ひさしは駅舎を改造して使っているそうです。 |
廃線跡を巡る
[ リスト | 詳細 ]
何故、バイクなのか?
廃線跡は、大抵人里離れた場所や、交通の不便な所にに多い。
つまり、歩いて行くには無理があり、バスでは時間に制約がある。
といってタクシーの利用では費用面の問題がある。
また、乗用車では小回りが利かず、停車場所の問題や乗用車の入れない場所もある。
その点、バイクではこれらの点をクリアーでき、またオフロードバイクなら道を選ばない。
これらの理由により、一部を除いて廃線跡巡りにバイクを重用するわけである。
廃線跡は、大抵人里離れた場所や、交通の不便な所にに多い。
つまり、歩いて行くには無理があり、バスでは時間に制約がある。
といってタクシーの利用では費用面の問題がある。
また、乗用車では小回りが利かず、停車場所の問題や乗用車の入れない場所もある。
その点、バイクではこれらの点をクリアーでき、またオフロードバイクなら道を選ばない。
これらの理由により、一部を除いて廃線跡巡りにバイクを重用するわけである。
|
平成21年5月4日訪問 可部線跡を訪ねて3回目では水内駅跡〜安芸飯室駅跡を巡ります。 水内駅跡は地元自治体により、公園として整備されていますが、ホーム跡がそのまま残されています。 宇佐架道橋と築堤跡、トンネル跡、さらには駅名は不明ですが駅跡も残っています。 宇佐架道橋 築堤跡、トンネル跡 駅名不明の駅跡 安芸飯室駅跡は駅舎、ホーム、信号機、レールまで残っています。
可部線は廃線になってから6年しか経過していないことから、多くの遺構が残っています。 おそらく、今回訪問した駅以外でも残っている場所もあると思われます。 |
|
平成21年5月4日訪問
加計駅跡はホームの一部を残して、撤去されています。 構内外れの車庫には、機関車と気動車が保管されています。 津浪駅跡も撤去されずに残っています。 国道191号線を可部方向へ進むと、太田川の対岸に線路跡が見えます。 第五太田川橋梁跡を過ぎると、まもなく坪野集落に差し掛かります。 坪野集落に入ると、既に廃止になり6年が経過しているのに駅への道しるべが残っています。 現役時代、坪野駅も無人駅で駅舎はなくホームと待合室のみが設置されていたそうだが、撤去されています。 そればかりか、線路跡では道路工事が始まっています。 昭和29年3月に可部線布〜加計 の間が開通した事により国鉄の線路は2万キロを越えた。 坪野駅より田之尻方向(坪野から加計 方向になります)へ数百メートルの所には国鉄2万キロ標が設置されています。 この地点が2万キロに達成した地点であると言われています。 2万キロ標付近の廃線跡は自然に帰りつつあります。 |
|
平成21年5月4日訪問 この路線は、昭和11年(1936年)に横川〜可部 間を営業していた広浜鉄道が国有化され、 可部線として昭和44年に三段峡まで延長された。1968年(昭和43年)に国鉄諮問委員会が 提出した意見書では、可部より先、加計方面は赤字83線に騰げられ廃止勧告を受けていたそうで ある。2000年〜2001年(平成12年〜13年)にかけて、地元より要望を受けたJRでは 試験的に列車の増発を試みたが、効果はほとんど無く2003年(平成15年)11月30日を もって可部〜三段峡は廃止された。廃止当時、可部〜加計では一日8往復、加計〜三段峡では一日 5往復の運転であった。 可部駅跡は撤去されています。 築堤、橋梁、トンネル跡が残っています。 トンネル跡が続きます。 橋梁跡がはっきり現れます。 戸河内駅跡は道の駅として整備されています。 土居駅跡は撤去されずに残っています。 筒賀駅跡です。ホームへ上がる事が出来ます。レールは剥がされています。
|
|
平成21年5月4日訪問 今福線跡を巡るその1よりさらに県道を進むと、宇津井地区に差し掛かる。 そこには最長の橋梁を掛ける予定で作られた橋脚跡が現れます。 反対側の藪の中にも橋脚跡が辛うじて見いだせます。 第3今福トンネル跡向こう側にはアーチ橋がそっくり残されている。 この橋脚は土木学会の指定遺産として残されており、さらに第4今福トンネル の跡が橋梁の向こう側に見えます。 第5今福トンネルの跡やそれに繋がる予定であった橋脚跡も残っている。 このトンネル跡にはJR西日本の看板が掛けられている事から、今でも これらの遺構はJRの所有である事がうかがえます。 また、今回は探しきれなかったが、他にも橋脚跡やトンネル跡が現存している 可能性がある事を付け加えておきます。 宇津井地区に残る橋脚跡 反対の藪の中にも 第3今福トンネル跡 アーチ橋と第4今福トンネルの跡 第5今福トンネルの跡 |





