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東京の桜が散り終える頃、わたしの腕時計が、止まった。 就職したときに購入したホイヤーで、デザインは今のものよりかなりイカしている(と思う)。 いつもなら3年は持つはずの電池が、今回は2年足らずでなくなった。 前回電池を交換したのはロンドンだった。 ロンドンの時計店 その数ヵ月後、わたしはロンドンを解任になり、船長として船に戻った。 しかしそれも長く続かず、急に船を降ろされて海外子会社の東京事務所代表となり、しかしそれも1年を経ないで本社の課長になった。 ロンドンで交換した腕時計の電池が切れる2年足らずの間に、わたしの名刺は3回変わり、いつまたどこに社の都合で飛ばされるかわからない。 ただ、なんとなくこうしてこの時期に愛用の時計が止まるのも、何かを示唆しているように思える。 わたしは船乗りで、船に乗っていなくても、陸上勤務でその現場から大きく離れたことはない。 それは、本当はわたしの能力が、社の管理部門に重用されるほどのレベルになかったからだろう。 だがわたしはそれが誇りで、逆に、船乗りのクセに経験も少なく、しかし本社あたりで偉そうに振舞う同僚をどこかで軽蔑していた。 実は、ロンドン勤務の直前、わたしは会社を辞めようと考えていた。 しかし今、ロンドンや実船での船長経験、そして本社での登用を経て、今のわたしのほうが、若かった5年前のわたしより転職には有利なほどだ。(ちなみに今年で40。) その経歴は、自分がもぎ取ったというよりは社の命に従って流されてきただけ、に過ぎない。 わたしは最近、「会社、好きでしょう?」とよくきかれる。 それは、その通りだ。 必要とされる限りどこででも働く、それは入社以来変わらない。 船乗りは言うまでもなく男の生涯を賭けるにたる仕事であり、その船乗り人生をこの会社で、(かなり)曲がりなりにも過ごせたわたしは幸せだと思っている。 この腕時計が、次、止まるまで、わたしはどのような経歴を積んでいくのだろうか。 そのキャリアは、単にサラリーマンとして社に与えられるものに過ぎないものかもしれない。 だが、わたしは現場の船長で、死ぬまで一船乗りとしての自分を信じて仕事をするつもりだ。 そんな現場志向の管理職が、本社で重宝されるだろうか。 それは分からないが、すでにわたしが着任したこのひと月でわたしのチームは変わったといわれる。(どう変わったかは怖くて聞けない) ひとつだけ分かっていることがある・・・船長もそうだが、部下には好かれなくてもいい。 懸案は多く、改革は続ける。 「人生は常に出発」 恩師の言葉をまた、思い出す。
新しい部署で泣きながら仕事をするが、すでにその内容はブログに相応しくないことが明らかであり、これでロンドン時代から続いたわたしの長いブログ記事は終了。 これまで、コメント欄中心にいろんな方に出会えたと思う。 バーチャルな空間かもしれないが、PCの向こうの相手は間違いなく血の通う人であり、多くの思い出を抱えて前向きに生きておられる。 ブログを通じて関わった全てのひとが、幸せに生活していかれれば、と思う。 |
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本当に冬が終わってしまいそうだ。 スギ花粉さえもう時期が終わりかけており、都会も桜が咲きはじめた。 雪は、まもなくとけてなくなる。 残念ながら雪の少ないシーズンで、リーゼンコースを気持ちよく滑走したのもそう多くない。 でも、わたしは確実に滑りに新しい感覚を拾い、少しずつ変わったと思う。 今回で滑り納めと思い、一人で来た。 途中、長く会っていなかった新潟の旧友が来るというので合流、雨の中二人で滑ったりもした。 スキーというのはなんという魅力的なスポーツだろう、今年もあらためてそう思う。 ・・・と総括しようと思ったが、滑り終えたわたしに、また別の友人からメールが届いた。 来週もう一度滑らないか、というのだ。 4月に、もう一回滑ろうかと思う。 写真
■パノラマゲレンデで大回り。 |
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風が吹いてきたが無事に船が荷役を終えた。 日本には資源がなく、しかし一億もの人が高いレベルの生活を送っている。 島国である以上、物資を海を経て運ばなければならない。 その海運も、国際競争にさらされてきた結果、日本人のプロは減っている。 わたしは、その少ない技術者の一人として、ずっと現場を歩んできた。 わたしは自分がその安全を自らの手でになってこれたことがしかし、うれしい。 春からは現場を離れ、社であらたに指導的な立場でことを運ばなければならないが、ここまで悔いはない。 写真
上■川崎も横浜も沖合いからは境界はない。この日はベイブリッジもランドマークタワーも富士と重なって見えた。 中■東京湾沖合いには頻繁に大型船が通行する。これは商船三井社の自動車船。 下■この日の東京湾は、北風が強く寒かった。 |
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日本中を旅して業務をこなす、そのような仕事ともまもなくさよならだ。 あと残す出張はこの川崎と、鹿児島だけとなった。 目的の船に向かう途中、思い出深い2隻の船が、川崎港に入港しているのを見つけた。 ひとつは、製鉄所の原料岸壁に横付けしている ばら積み船で、ロンドン時代に欧州に寄港したその船をわたしは訪問した。 ( このときだったと思う。 ) もう一隻も、ロンドン時代に訪れた船だ。 こちらのほうは、大西洋を渡って米国ヒューストンの沖、メキシコ湾上にヘリコプターで乗船した。 それはその船の処女航で、船名もわたしがつけた。(うそのようだが本当だ。) それは間違いなくこのとき。 あれから何年もたったが、わたしの知らないところでかの女らは無事に航海を重ねていたのだ、と思った。 写真
上■わたしが名付け親のタンカー。某製油所に着桟中。 下■欧州にて訪船したことのある ばら積み船。某製鉄所に着桟中。 |
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目線を気にして、滑りを修正している。 ターン前半からいい感じで板に乗ることができるようになった。 これに加えて今回は、ターン終盤に板を送り出さないで体幹の真下に引き込むように操作、絶対にポジションをはずさないという意思を表すように滑った。 今シーズンは、結局このあともう一回、週末に滑走し、それでたぶん滑りおさめだ。 12月頭から滑り込み、サラリーマンとしては恵まれた環境でシーズンを送った。 本当は、すでに50日は滑っていなくてはならない予定だったが、そうもいかない。大人には事情がある。 まだもう一回滑るので、総括はそのときに。 写真
上■腐った雪を黙々と滑るわたし。 中■快晴の白馬三山。 下■下部ゲレンデは滑走エリアが極端に減り始めている。(3月15日現在) |





