■雪と海の、ロマンス ■

大西洋航路の船長航海記を経て、現在は東京を拠点に港と船をめぐる毎日です。

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止まった時計

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東京の桜が散り終える頃、わたしの腕時計が、止まった。
就職したときに購入したホイヤーで、デザインは今のものよりかなりイカしている(と思う)。
いつもなら3年は持つはずの電池が、今回は2年足らずでなくなった。

前回電池を交換したのはロンドンだった。
ロンドンの時計店
その数ヵ月後、わたしはロンドンを解任になり、船長として船に戻った。
しかしそれも長く続かず、急に船を降ろされて海外子会社の東京事務所代表となり、しかしそれも1年を経ないで本社の課長になった。

ロンドンで交換した腕時計の電池が切れる2年足らずの間に、わたしの名刺は3回変わり、いつまたどこに社の都合で飛ばされるかわからない。
ただ、なんとなくこうしてこの時期に愛用の時計が止まるのも、何かを示唆しているように思える。

わたしは船乗りで、船に乗っていなくても、陸上勤務でその現場から大きく離れたことはない。
それは、本当はわたしの能力が、社の管理部門に重用されるほどのレベルになかったからだろう。
だがわたしはそれが誇りで、逆に、船乗りのクセに経験も少なく、しかし本社あたりで偉そうに振舞う同僚をどこかで軽蔑していた。

実は、ロンドン勤務の直前、わたしは会社を辞めようと考えていた。
しかし今、ロンドンや実船での船長経験、そして本社での登用を経て、今のわたしのほうが、若かった5年前のわたしより転職には有利なほどだ。(ちなみに今年で40。)
その経歴は、自分がもぎ取ったというよりは社の命に従って流されてきただけ、に過ぎない。

わたしは最近、「会社、好きでしょう?」とよくきかれる。
それは、その通りだ。
必要とされる限りどこででも働く、それは入社以来変わらない。
船乗りは言うまでもなく男の生涯を賭けるにたる仕事であり、その船乗り人生をこの会社で、(かなり)曲がりなりにも過ごせたわたしは幸せだと思っている。

この腕時計が、次、止まるまで、わたしはどのような経歴を積んでいくのだろうか。
そのキャリアは、単にサラリーマンとして社に与えられるものに過ぎないものかもしれない。
だが、わたしは現場の船長で、死ぬまで一船乗りとしての自分を信じて仕事をするつもりだ。

そんな現場志向の管理職が、本社で重宝されるだろうか。
それは分からないが、すでにわたしが着任したこのひと月でわたしのチームは変わったといわれる。(どう変わったかは怖くて聞けない)
ひとつだけ分かっていることがある・・・船長もそうだが、部下には好かれなくてもいい。
懸案は多く、改革は続ける。

「人生は常に出発」 恩師の言葉をまた、思い出す。
新しい部署で泣きながら仕事をするが、すでにその内容はブログに相応しくないことが明らかであり、これでロンドン時代から続いたわたしの長いブログ記事は終了。
これまで、コメント欄中心にいろんな方に出会えたと思う。
バーチャルな空間かもしれないが、PCの向こうの相手は間違いなく血の通う人であり、多くの思い出を抱えて前向きに生きておられる。
ブログを通じて関わった全てのひとが、幸せに生活していかれれば、と思う。

日本船長協会

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日本船長協会は、外航船の船長の集まりである。
もちろんわたしもメンバーとなっており、今回初めてその会合に出席した。

集会の面々、他社に知った顔がある。
航海訓練所で世話になった士官が、それなりに偉くなっているのも見て取れる。


さて、その中で、2つの議題に対してわたしは挙手、意見した。

ひとつは航海学会という研究学会についてで、船長協会会長がその中で講演をすることになり、何かネタはないか、というのでわたしなりに意見を述べた。

まず、航海学会がなければ研究できない学問は今日ほとんどなくなっている。
造船、電子通信、機械など他の工学系の学会に提出すれば済む論文を、それら他の学会では明らかに採用されない低いレベルの成果しか見て取れない。
(わたしも一応航海学会の一員である)
要するに、存在価値が疑われるのだ。
で、何のために存在しているのかというと、商船系の研究機関の人間が、論文発表件数を稼ぐのがほぼ主目的となっている、という回答だった。


もうひとつは、昨今騒がれているソマリア沖海賊出没海域への自衛隊派遣についてだ。

確かに、海上輸送ルートの安全が日本の国益にかなうのは誰でも理解するだろう。
だが、一方で海運会社は、国への税金を低く抑えるために日本籍船を激減させ、また日本人船員を大幅に減少させ、過去にないほどの儲けを享受して来た。
そんな海運会社の船の安全を、国費を投じて自衛隊に行わせること、国民が諸手をあげ賛成してくれるだろうか。
日本籍船として国への義務を果たしている船のみ護衛、という意見にも、一理あることに注意しなければならない。


いずれも、今回の席で答えが出る類のものではない。
わたしたち外航船員にも考えることがある、ということだ。


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上■日本船長協会HP。
中■日本航海学会HP。存在価値不明。
下■日本海事広報協会HP。何を広報しているのかわたしには分からない。

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ブログは倉敷出張の記事だが、現在わたしは大分にいる。

大分にある南日本造船で、岸壁から本船に渡すハシゴ(舷梯)が折損し、死傷者が多数出た。
造船は、言うまでもなくわたしの仕事に関連する重要な産業であり、これまでも数多くその業務にかかわってきた。
そんな立場でコメントしたい。

わたしが事故の報を耳にして、最初に感じたのは2つ。

 ・そんな程度の低い事故が起こるものだろうか。古い設備の劣化が原因か。
 ・あるいは、時々造船所の現場では、「省略」が行われる。それが原因かもしれない。

過去の例を紐解くと、世の中では、類似の事故が時々は発生しているようだ。

わたしたちは日ごろ、エレベータやエスカレータが急に停止したり落下するという危険を感じることなく利用している。
急にハンドルがきかなくなる、などの可能性も無いがごとく自動車を運転する。
それは、自動車もエスカレータもエレベータも、不安視する必要のないほど信頼できる設備だからで、それらを避けて生活するほうが滑稽ですらある。

だが船や造船所は違う。
素人相手の商売のように、丁寧に物事を運んでいては、仕事にならない、そんな現場判断な部分が存在する。
そして大概、現場の経験者の目測でほとんどの準備は事足りるものでもある。

しかしながら、現場対応が行き過ぎると、素人目に見てもおかしな今回のような事件が発生する。
今回は、そんな「省略」が主因となるようだ。すなわち人災で、担当者の責任が厳しく問われることになるだろう。


もう少し技術者らしいことを2点ほど付け加えたい。

1、舷梯のフック取り付け構造について
舷梯本体と、それを本船にかけるフック部品の接続が、ボルト4本(左右2本ずつ)で行われている。
この場合、よほど全てのボルト穴が美しく一致していない限り、左右一本ずつ、計2本のみに荷重がかかる。
そしてそれでは強度維持は難しいので、フック部分と舷梯本体は、接続部自体が連結器のように、重ね合わせただけで合体できるような構造であるべきだった。
ボルトはその合体機構を維持するための補助的なピンであれば良かったが、実際にはボルトだけがすべての荷重を受けていた。

2、舷梯の使用方法について
わたしたちが港でタラップを使うときにはたいてい、同時に渡ることのできる人数というものが存在している。
それは単に重さだけでなく、振動やその振動によってタラップが共振し、思わぬ大きな応力が発生する可能性があるからである。
共振は本当に怖い。
また、特に今回のような折損でなくても、大勢の中の一人がバランスを崩すことによる横転の危険すらある。
わたしの経験に照らすと、とてもあの舷梯に同時に20人以上も乗ることができないと思う。
造船所の技師たちは、なんとも思わず乗ったのだろうか。


似たような事故は不思議と続くが、そんなことがないようにと思う。


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上■オレンジ色のクレーンは南日本造船所のもの。
下■地元の新聞の記事。

ひとりで

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ブログは徳山を終えたところだが、今わたしは仙台から年末の移動中だ。
地方から都心への新幹線はさすがに空いている。

今年もいろいろあった。
わたしは今年はじめ、シンガポールからスエズ運河を抜け、欧州へものを運ぶ船の船上で指揮をとっていた。
それがいまは日本中を駆け回る仕事をしている。
組織の人間なのでどこでそのようになるかわからないが、与えられた部署で結果を出すだけだ。

最近、西海岸で生活している旧友からメッセージを受け取った。
この景気後退でレイオフに見舞われ、年末年始の帰国もままならない、と。

しかしそんな生き方は魅力的でもある。
わたしは船乗りの習性で常に最悪の事態を想定し堅実に生きており、その人物は可能性に賭け、山も谷もある人生を送る。

詮無い問答になるのを避け、ここで今年、ブログでお世話になった方々にお礼を申し上げ、新年また元日からの仕事に備えたいと思う。




暗闇の彼方に光る一点を いま駅の灯と信じつついく





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■東北新幹線で移動中の先ほどのわたし。

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日本の商船学校卒業生が外国航路の航海士の資格を取るために、航海訓練所での帆船実習が義務付けられている。
これが2008年からは不要となり、帆船以外の通常の練習船での実習のみに切り替わるのだと言う。(遠洋航海部分のみ廃止とする記事もあり)

実は、帆船不要論は、ずいぶん以前から存在し、議論も長くなされてきている。

商船の航海士、船長になるのに、帆船教育が必要か。
結論だけを言うと必ずしも必要ではない。
帆船訓練を経ていない立派な船乗りは日本人にもおり、世界的には帆船訓練、しているほうが珍しいくらいである。
帆船でなければ得られない技術はあるが、それが現代の商船に必要なものでもない。


ここまでが事実で、以下、個人的見解を述べる。


ではなぜ、これまで一見不要な帆船訓練が続けられてきたのか。

それは、いろいろな説明がされているが、簡単に言うと、日本の船乗りはそれだけリスクある訓練を経ることで、高いレベルを維持すべき、と考えられていたからである。
現代の商船におけるテクニカルスキル(技術)に直結しなくとも、ヒューマン(対人)スキル、コンセプチュアル(解決)スキルの向上を目的とする。
日本と言う国には、他国より高い海の安全性が必要であり、であるならば、それをどのように実現するか。
多少費用がかかっても、帆船実習で結果として日本の商船士官のレベルを高次元で維持し、日本商船隊の高い安全性の評価につなげようとしていた。


ではなぜ、その大切な訓練がなくなるのか。

これもいろんな見方がなされているが、決定的なのは、帆船実習を支持すべき船会社が「不要」と判断したからである。
その原因をつきつめると、帆船訓練を経ても、必ずしも目的とするレベルに達していない修了生が多数存在していたことが指摘できる。
どんな教育システム、機関でも、そこから輩出される人間が求められるものを満たしていなければ、これは絶対に評価されない。

現在の帆船実習の欠点を具体的に挙げると、

・造水器で水は使い放題、発電機で電気は使い放題、快適な訓練生活。
・原始的な測位計算訓練なのに高機能計算機の使用。
・高所恐怖症の人間は低いヤードで作業。
・スケジュールに遅れたら外洋でも帆をたたんで機走。
・数多くのテストが実施されるが、最後はみな合格。

と、本来目的とするレベルに達していない人間でも修了可能な、易しい形骸化した訓練になっている。

これが、厳しい「本来の帆船実習」であればどうであっただろうか。
おそらく、船会社への就職内定者であろうが、一定数の脱落者が出ること必至で、船会社に迷惑をかけることになるかもしれない。
だが、そのような批判を受けても、毅然と正しい訓練を実施すればいいだけである。

正しい帆船実習であれば、適格者判断のひとつのフィルタの役目を果たすこととなり、船会社のニーズを満たすことにつながる。
そして、航海訓練所、日本人船乗りの名声にもつながり、他国のから尊敬もされよう。

そんな、厳しくて当たり前の帆船実習をしてこなかったから評価されなくなり、もっとお金のかからない効率的な訓練でいいじゃないか、と言う意見に傾いた。

以上、わたしはそう理解している。


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