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風が吹いてきたが無事に船が荷役を終えた。 日本には資源がなく、しかし一億もの人が高いレベルの生活を送っている。 島国である以上、物資を海を経て運ばなければならない。 その海運も、国際競争にさらされてきた結果、日本人のプロは減っている。 わたしは、その少ない技術者の一人として、ずっと現場を歩んできた。 わたしは自分がその安全を自らの手でになってこれたことがしかし、うれしい。 春からは現場を離れ、社であらたに指導的な立場でことを運ばなければならないが、ここまで悔いはない。 写真
上■川崎も横浜も沖合いからは境界はない。この日はベイブリッジもランドマークタワーも富士と重なって見えた。 中■東京湾沖合いには頻繁に大型船が通行する。これは商船三井社の自動車船。 下■この日の東京湾は、北風が強く寒かった。 |
出張の日々
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日本中を旅して業務をこなす、そのような仕事ともまもなくさよならだ。 あと残す出張はこの川崎と、鹿児島だけとなった。 目的の船に向かう途中、思い出深い2隻の船が、川崎港に入港しているのを見つけた。 ひとつは、製鉄所の原料岸壁に横付けしている ばら積み船で、ロンドン時代に欧州に寄港したその船をわたしは訪問した。 ( このときだったと思う。 ) もう一隻も、ロンドン時代に訪れた船だ。 こちらのほうは、大西洋を渡って米国ヒューストンの沖、メキシコ湾上にヘリコプターで乗船した。 それはその船の処女航で、船名もわたしがつけた。(うそのようだが本当だ。) それは間違いなくこのとき。 あれから何年もたったが、わたしの知らないところでかの女らは無事に航海を重ねていたのだ、と思った。 写真
上■わたしが名付け親のタンカー。某製油所に着桟中。 下■欧州にて訪船したことのある ばら積み船。某製鉄所に着桟中。 |
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名古屋や四日市、伊勢湾周辺には大勢の同窓生が働いている。 かれらとコンタクトを取り、船に乗る前日の夜、一緒に飲んだ。 自分は船長だ(誇)、課長だ(恥)といろいろ肩書きがついてきたが、同期の桜もそれぞれ、当たり前のように責任を負って仕事をしており、頼もしい。 船会社やそれに関連する水際の業界で、だんだんとわたしたちの世代が多く台頭してきている。 業界では、わたしたちの上の世代が極めて少なく、下の世代が急に増え始めた。 そんなボトルネック終盤のわたしたちは、実力の伴わない昇進に遭っており、これまでと違った下積みを経ている。 時代も変化している。 技術と運用、先人の教えに忠実に従う部分と、前例にとらわれない部分、それぞれにセンスが必要だ。 (要するに船乗りはセンスである。) 写真
■翌朝、目的の船を訪れる。現場を巡る監督業務もまもなく終わる。 |
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久しぶりに日本人の乗船する船を訪れた。 一等航海士は厳しく若手を訓練している。 最近の若手というと、わたしの年代よりも15ほど年下ということになるが、15年前のわたしより優秀な人が多い気がする。 ただ、優秀な人というのは独りで事をしようとする傾向があり、そのことが取り返しのつかない経歴の傷となる。 大切なのはチームワークだ。 その辺だけ、気をつけてほしいと思っている。(お前が言うな、といわれそうだが。) わたしは春から現場を離れることになるが、その現場では後進が続々と育っている。 それが感じられてうれしかった。 写真
■日本人女性航海士も教育訓練を受けている。 |
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技術者として、現場を多く手がけている。 この仕事は道具が船だが相手は自然であり、また人である。 人について言うと、世の中には本当にいろんな性格の人間がいるものだと実感する。 かなり偏った性格の船乗りもいるが、よく考えれば船に乗り続けていられること自体、かなり変な人間の証拠だ。 わが身を振り返っても、とても平均的で控えめな人間とは思えない。 今回も船長と、ある懸案で意見を戦わせた。 最後は、結果で判断しようということで話を終えたが、その辺は人が相手だから、というより自然相手だから判断が分かれたところでもあった。 写真
上■船はいつものとおり荷役を続ける。 下■船長と、新人の一等航海士(左)。 |








