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シェフのフライロッドの世界
フライロッドに魅せられた偏狭的コレクター男の戯言

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Sewell N. Dunton & Sonのつくるロッドは “Angler’s Choice”というブランド名で売られます。
ロッドケースに貼られているシールがそうです。それに加えてMontague社のトレードマークであった
中国産の竹“Tonkin”をそのまま引き継ぎます。そう“Tonkin Cane”とはもとは商標だったのです。
トンキンが名詞化しているのを見るとMontague社やSewell N. Dunton & Son社がいかに数多くの
バンブーロッドを世に送り出していたのかがわかりますね。

少しMontague社の話しをしておきますと(正式にはMontague City Rod Company)、同社は米国
マサチューセッツ州の西北部にある小さな田舎町、Montague Cityで1885年に誕生しました。
創始者のBartlett氏は1857年からロッド作りをしており、実はレナードよりはるかに古くから
バンブーロッドを手がけていました。

Montague社はその後Bartlett氏の兄弟のロッドメーカーを買収し、次にThomas H. Cubb Rod Company,
ニューヨークにあるMalleson Rod Company of Brooklynと拡大していきます。同社ほど長く、大量に、
しかも多様な商品ラインナップでバンブーロッドを提供してきた会社は他にありません。Heddon社も
Granger社も大量に生産しましたが、Montagueは4つの工場を稼動させており、他社より生産量が
多かったようです。

さて、Montagueを引き継いだSewell N. Dunton & Sonのロッドも商品ラインが多く、しかもいろいろな
会社から取得したブランクが混じっていましたから、これがDuntonロッドの特徴だといえるものが多く
ありません。もともとミドルからローエンド(一般大衆向け)あつらえたロッドを作っていたので、
品質に対する評判はハイエンドユーザーから今ひとつとの指摘もありました。Sewell E. Dunton氏は
このことを気にしたようで、少し質の高いロッドを後から作ったといわれています。

それが写真で紹介していますDunton Premiumです。Premiumという名前をつけたぐらいですから、
前の商品ラインよりは遥かに「品質」が良い(つまり前のものはこれ以下)と自らが言って
しまったのです。

実際Duntonの短めのロッド、6ft代のものはアメリカでも評価は高いほうです。色やデザインも
他のロッド群とは明らかに異なります。またアクションは超ファストアクション。非常にパリッと
していて、#5あたりを矢のように飛ばすロッドです。SageのRPL辺りを思い起こさせます。

良くバンブーロッドの宣伝でグラファイトから持ち替えても違和感なく・・・とありますが、
歴史はまさに逆で、この手のぱりぱりロッドは昔から結構あって、それがグラスで表現され、
次にグラファイトへと移っていったわけです。バンブーでこの手のアクションを長い番手で作ると
重くなります。だから各社は競って軽くて丈夫な、しかも加工いやすい新素材へと向かって行った
わけです。

・・しかしアメリカのバンブーロッドの世界は非常に層が厚いことを知らされます。日本ではPayne、
Leonard、Youngなどと超ハイエンドなロッドを中心にアメリカのバンブーロッドの姿が捉えられて
いますが、自動車でいうところのフォードT型のような(ちょっと古すぎるかな?)普及タイプの
バンブーロッドの裾野が極めて広い、そんな時代が長かったことを記憶にとどめておくべきでしょう。
1800年代後半ぐらいからバンブー文化を支える源流があって、今やセカンドやサードジェネレーション
へと受け継がれています。

日本のバンブーフライロッドはまだファースト・ジェネレーションです。系譜がほとんどありません。
ミリングマシンが受け継がれ、テーパーが公知のものとなり、技術が継承されるアメリカのように
日本のバンブーロッドもなっていくのでしょうか。

江戸時代に始まった和竿は、本などをみると系譜がはっきりしており、第何代XXという形で伝統が
きっちり受け継がれています。フライロッドと和竿の融合を目指す方向性も出ていますが、せっかく
根付いた日本のバンブーフライロッドがますます発展していくことを願って止みません。

なお、最後の2枚の写真はAngle’s Choiceのシールが貼られていた廉価版のダントンです。

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Sewell Dunton (スーウエル・ダントン)

彼はいわゆるほかのロッドメーカーとは異なるメーカーですが、バンブーロッドの世界においては
長い間メジャープレーヤであったため、彼のロッドを目にしている人はおおいいはずです。

ダントン氏は1918年にハーバード大学を卒業し、ボストン地方裁判所の破産管財人の職につくまでは
金融の世界に身をおいていました。

1929年にMontague Rod & Reel Companyの管財人になった彼は、マサチューセッツ州西部に移り住み
ます。Montague社は更正し、ダントン氏はそのまま財務担当として雇われました。

1955年にTrue Temper社がMontague社を買収することになったとき、儲かりそうもないと判断された
バンブーロッドのオペレーションは停止することとなりました。そこでダンドン氏がバンブーロッド
事業を買い上げ、Sewell N. Dunton & Son Companyという名前で新しくショップを開きます。

最近日本でも盛んな企業再生、マネジメント・バイアウト、そしてスピン・オフなど新聞でよく見かけるような言葉がダントン氏にも当てはまりますが、何のことはなく、これは伝統であるバンブーロッド・
ビジネスを継続していこうと言うひとつの姿勢の表れと考えるべきでしょうか?

以上の話しでも推測がつくとおり、ダントン氏はビルダーではなく、ビジネスマン、ないしは経営者
だったわけです。ではSewell N. Dunton & Sonの主な職人は誰だったかというと、息子さんの
Swell N. Dunton Jr.ほかThomas & Thomas 時代まで残ったGeorge Katsar氏等です。
息子さんは破綻する以前からMontagueで働いていたこともあり、親父さんが乗り込んできて会社を
再建し、息子さんの職場確保のためにバンブーロッド部門を買収したとも解釈できます。

このダントン父はすごかった。1950年代はグラスロッドの勃興期で、どのメーカーもバンブーロッド
のオペレーションを捨ててグラスロッドの設備投資へ傾斜していました。そこで、父は各社から
バンブーやブランクを買い漁ります。Montague社のはもちろんのこと、Horroks−Ibbotsonや
Union Hardwareからも、そしてトラック5台分をSouth Bend社から。

ご存知のとおり、Sewell N. Dunton & Sonはその後ダントン氏の引退に伴いThomas&Thomas
(Tom DorseyとTom Maxwell)に売却されます。Montagueがあり、Duntonがあって、はじめて
Thomas & Thomasが存在し得たのです。そしてMaxwell Leonardもしかりです。

写真のロッドは Dunton Premium 6.5ft #5

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