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頼まれてもいないけど、何か一言、言いたくなった時・・・
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新しい手帳 ♪

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皆様もそうだと思いますが、毎年、新しい手帳を新調します。

しばらくお気に入りのバインダーがあったので詰め替え用の物を使ってましたが、最近は

一冊ものを購入します。飽き性なので毎年同じパターンなのがつまんなくなるのです。

もともと、文房具関係の物は集めるのが好きだし、品定めは楽しいです。

まずは軽くて大きすぎず、バッグの中におさまりのいいもの。

表紙のデザイン、ページのデザインは大事です。

それに私はよく、折々の感想をメモすることが多いのでメモ部分も多めにあって欲しい。

このようにあれこれと吟味して決めるのですが?H1>いつも、いつも、あ〜〜、いつもぉ、

がっかりして棚に戻す事が多いのです!!!

それは六曜のせいです


あの大安とか仏滅とか友引・・・とかが、必ず日付の横に書かれているのです。

私はあれが許せないのです。

誰が決めたのぉ??


とにかくまったく意味をなさない。こんなものがなぜ必要なの?

どんな日も、私の大事な日だし、こんな決めつけられ方しては、迷惑よぉ!!

それに全部の日付の横に印刷されているので書くスペースが削られるし、だいたい、

あんた何?どこから来たの?


ところが、日本社会ではこの六曜で行事や事を決める人が多くて、否、それが常識と化し

ているので人とのお付き合いには一応頭に入れておかなくてはならない。

でもね。おかしくないですか?

結婚式は仏滅はダメ、大安でなければ!!

でも、大安に結婚して離婚するカップルなんて そこら中にいるでしょ。

お葬式は友引はダメ。友人を引くで誰かが死ぬから。そのために葬儀を延期する。

でも、大安の日にも人は死んでるでしょ!!

私の父は仏滅の日には、絶対に飛行機には乗りませんでした。

私が彼の為に買ったティケットが仏滅だったので、わざわざキャンセルして翌日に変更し

た事もあります。

まぁ、気にする人に気にするな、とは言いませんが、仏滅でも車に乗る矛盾は何?


そんなに嫌なら六曜を無視すればいいと思われるかも知れませんが手帳に当たり前のよう

に書かれていると、これが常識になってしまう社会が恐いと思うのです。

いえ、もうすでに常識になってると思います。

日本人はどうしてわざわざ、こんな不自由なものに従うのでしょう。

以前、伊勢神宮の神主さんがTVでおっしゃってました。

戦前は暦は統制されていて、伊勢神宮だけが、暦を発行していたのだそうです。

戦後、だれもが暦を出せるようになって、どこかの印刷会社が他社との競合で「六曜」の

カレンダーを発行したのが始まりだとか。

だから、その歴史は浅く、神様とはなんの関係もありません・・・と。

そして、更に続けられて「でも、今では六曜があった方がいいです。なぜなら、仏滅の

日があるおかげで、私たち神社は結婚式のお休みが取れるし、親族の結婚式に出席する事

ができるのです。私たち神主はみんな、仏滅の日に結婚してます・・(笑)」


私はこれを聞いた時、「わが意を得たり!」胸のすく思いでした。

今では発生の地、中国ですら忘れられている六曜なのに。


と言う訳で、いつも気に入った手帳が買えない伽羅のボヤキでした。

この手帳には大安と仏滅、友引だけが月ページに、ウイークリーページには全く記載され

ていなかったので、これに決めました。

まぁ、海外の手帳には当然記載されていませんが・・・


ねぇ、太陽は毎日、必ず東から登り、西に沈む・・・人の決めた六曜とは関係なく、あな

たや私が生まれる前から、そしていなくなってからも。

生きてるその日を作るのはあなた



と言う事で、皆様はいかがお思いですか?

小田和正三昧 ♪

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ここの所、食事をしながら、仕事をしながら(授業中は別)CDをかけてるのですが、

小田和正三昧です。

ご存知だと思いますが、彼はもう還暦を過ぎています。

あの変わらぬクリスタルな声で愛の歌、恋の歌を歌い続けています。

この年になっても、愛の歌、恋の歌が歌える歌手なんて私は他に知りません。

歌ったにしても、聞いてるこちらの方が気分が引いて、痛々しくなると思うのですが、

彼の場合は、完全に彼の世界に引き込まれ、いつしかみんな彼の恋人気分になっているのです。

It's magic


作詞、作曲、編曲、すべて彼一人です。そして、人々の前であの艶やかな声で歌うのです。

彼の魅力はなんと言っても、高音でどこまでも伸びていくあのクリスタルボイスでしょう。

中性ヨーロッパでフランスを中心に愛の歌を歌ったトルバドゥール。

小田和正は現代の吟遊詩人です!!

It's a miracle!!


来年の彼の全国ツアーが待ち遠しいなぁ。

病室に案内され、そこで手術着に着替えた。手術は午後4時45分からとなった。

間もなく、看護士があらわれ、彼に伴われて手術室まで歩いて行った。

手術室の前で姉が心配そうに私を見送っている。

部屋の中を見ると、数名の看護士たちがいた。

入り口で、
「お名前と生年月日を言って下さい」

「キャラ、○年○月○日です」

「今日は何の手術をされますか?」

「胆石の手術です」

と言う確認の元、手術室に入った。

(余談ですが、この話を昨年、胆石の手術をした友人に話すと、この手術前の確認に大変

感心していました。自分はそんな確認もなく、看護士に『先生に、お願いしますと言って

ください』と言われ、『お願いします』と強要された事に憤慨していました。

そんな、医者への挨拶より本人確認の方が大事でしょと)


手術台に上ると、麻酔医が「点滴と一緒に麻酔を入れます。すこし、『腕の血管がしびれ

てきたなぁ』と思う間もなく痛みがなくなります。そこから、もう麻酔は効いて意識がな

くなります」

私はまさに、その通り、血管の痺れが無くなった瞬間から、病室で「キャラさん、キャラ

さん!!」と医者に声を掛けられて意識が戻るまで、全く何にも覚えていません。


医者の後に、姉が私の顔を覗き込み、「大成功よ!!内視鏡でできたからね!!」と言う

のをボンヤリと聞いた。


私は自分の病室にベッドのまま運ばれ、口には酸素のマスク、腕には点滴、尿の為の管、

足には血栓予防のマッサージ機器がはめられ身動きできない状態であった。

ふっと気配で目が覚めた。

「今、何時ですか?」


「深夜の12時ですよ。朝の7時にすべての機器をはずしますので、それまで、我慢してくださいね」

看護士を呼ぶブザーを握らされていた。何かあったら、呼んでくださいねと言う。


私は又、眠った。

目覚めると喉がカラカラ、唇はパリパリ。

ブザーを押して看護士を呼ぶ。

お水ですか?

うなずく。

酸素マスクをはずして、お水を含ませてくれる。とっても気持ちがいい。まだ、飲んでは

いけない。器の中に水を吐く。

これを明け方までに3〜4回、やったと思う。

待ちわびた朝の7時になって、「さぁ、全部はずしましょうね。点滴だけは今日の夕方ま

でありますが、それも、今日で終りです」

お水も飲む事が許された。


血栓予防のマッサージのお陰で足が軽い。

朝ごはんはないが、昼ごはんからはもう食べる事が許されている。


姉が早々に来てくれた。

「すごく心配したのよ。2時間と思っていた手術が4時間30分もかかったんだから・・・」

ちょっとビックリした。

「何時に終わったの?」

「9時半よ」

内視鏡で無理な状況の場合、開腹手術に切り替える可能性もあるということを事前に聞か

されていたので、姉はそれが心配でならなかったようだ。


「終わって、先生がビデオを見せながら、手術の説明をしてくれたけど、もう、あれが神

の手と思ったわ。見事な手術だったよ。ほとんど出血もなかったし、あれだけ大きな石が

3つもあったのよ。それをきれいに胆嚢に包みながら慎重に取り出してくれたのよ!!

涙が出たわ!!」

「ふ〜〜ん」

「先生ね。『あぁ、疲れたぁ』って。『内視鏡手術は患者は楽だけど、医者は大変なんで

す』って笑ってらしたよ」

確かに私は、術後にどこかが痛いなんて、全く無かったし、おへその所も、他の3つの傷

も捜さないとどこか分らない位だ。

だから、体内から胆嚢を取り出したのだけど、私の身体に傷はまったくと言っていいほど

ない。

今更ながら、内視鏡手術の凄さを思う。


私がひどく苦しんだのは、前の病院で一週間寝かされたまま、栄養剤の点滴を受けていた

せいで起こったお尻と腰の筋肉痛である。

これには、本当に苦しんだ。トイレに歩いていくのも苦痛、座るのも苦痛。

看護士に「痛いところはありませんか?」と聞かれるたびに、「腰とお尻が痛いです」と

手術とは関係のない痛いみばかり訴えていた。


さて、その私の胆石であるが、二つの器(写真のフィルム入れくらいの大きさ)に入れら

れていた。(一つには入りきれず)

大きいと聞いてはいたが、実物を見て私は、目が飛び出し、口があんぐりというほど驚いた。

一つは、ウズラの卵より一回り大きい。そして、ウズラの卵より一回り小さいくらいのが二つ。

こんな大きな石を三つも私は十年以上もかけて持っていた訳だ。

驚愕である。


手術の翌日、C先生が回診に来た。

「いやぁ、僕の技術を試さんとばかりに、発作後一週間も熟成してくれていたからねぇ」

と言って笑う。

その笑顔に自信があふれていた。


手術から5日後の7月17日(火)をC先生は退院日に指定したが、こちらの事情で一日延ばしてもらった。

明日、退院という前日の深夜、床に落ちたタオルを拾おうとした瞬間、お臍の糸がプチッ

といって切れたような気がした。

その時はそのまま寝たが、朝になると今まで一度も痛んだ事のないお臍の傷が痛む。

看護士に報告して、その日の退院を延期した。

都合が悪い事に主治医のC先生が学会で二日間留守である。

代わりの先生が診察してくれたが、退院に関しては主治医を待つ事になり、私はC先生が

もどってくる金曜日までただひたすら帰りを待つ羽目になった。


婦長が「恋人を待つような気分で、二日間待つ事にしましょ!!」と言って笑いかける。

一日も早く帰りたかったので、この二日間が長かった。

やっと、金曜日(20日)になり、朝、C先生が病室に顔を出してくれた。

「帰っても良かったのに!!」と言う。


私は事情を話した。

先生はCTを取る指示をだして出て行った。

夕方、説明があった。

姉は聞かされていたらしいが、石が大きくて、お臍の傷を通常より大きく開けたことと、

私の人より多い脂肪層のせいで、傷口から脂肪が溶け出す可能性があることを。

その現象が起こっていた。

はぁ、がっくり。

当分、お臍の傷の消毒に通わなくてはならなくなった。

退院は翌日の土曜日(21日)にした。


一週間後、私の胆嚢の病理結果が出た。

C先生に聞いてはいたが、もう一度文章でそれを見ると愕然とした。

私の胆嚢は一部壊死が始まっていて、また一部は繊維化して、石のように固くなっていた。

改めてC先生の顔を見る。よくぞ、開腹手術することなく、あんな大きな石を含んだ胆嚢を

取り出してくれたものだと思った。


内視鏡手術は医者が高度に熟練していないと、開腹手術より危険度が高い。

昔は胆石があると分っていても、それが痛まない限りは医者は手術をしなかったそうだ。

開腹手術は患者に大きな負担を強いるからだ。

でも、今は熟練した医者のもとであれば、むしろ痛まないうちに、自分で一週間くらい仕

事を休んで、計画的に内視鏡手術をするようになってきているそうだ。


現に待合室で、胆嚢摘出手術をした人が、「私は胆石の痛みも知らないうちに取りまし

た」なんて話していた。

私の友人が私を見舞うたびに、その病院のパンフレットを持ち帰るのがおかしかった。

備えあれば憂いなし。


私は今回学んだ事がたくさんあったが、確かに自分の住む地域の病院の情報は大事であ

る。私がもし、ここをもっと早く知っていれば、初めにあんなに色んな病院をウロウロし

なくてすんだのだ。私の胆嚢もあそこまで悪化する事も無かった。



PS、キャラが今回、学んだもうひとつの事

「人生はひとりの方が大いに楽しみ、自分らしく生きることができる」と思っていました

が、それは間違っていました。自分が弱い立場になって、初めて知りました。

今回は姉や友人たちに、たいへんお世話になりました。そんな中で、キャラはやは

り、人生にはパートナーが必要なんだということを素直に思いました。

助け助けられる相手です。今更ながら「人」という字の成り立ちを素直に思いました。

ちょっと、気付くのが遅すぎましたが、これからは、そんな目線も忘れずに生きていこう

と思いました。

どなたか、ボランティアでキャラのパートナーになってくださる方がいらっしゃいました

ら、どうぞ、お知らせくださいませ。(笑)

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7月3日(火)の夜になって、胃が痛み始めました。ちょっと、心当たりありで、

最近の暴飲暴食がたたったかな?・・・と思いました。市販の胃薬を飲みましたが、

いつもなら、スグに収まる胃痛が一晩中、収まらずその翌日になっても、痛みが引きませ
ん。

7月5日(木)、めったに、病気をしたことがないので、もう、何年も行った事のない近

所の胃腸科クリニックに行きました。

「先生、胃が痛いんですが・・・」

「ふん・・・」と言いながら、医者は私のお腹を、押さえながら、

「じゃぁ、胃薬出しとくから食後に飲みなさい。痛いときは、とんぷくも出しとくので、

それを飲みなさい」

それを、もらって帰宅し、食後に飲みますが、痛みは引かないし、とんぷくも効きません。

心配した姉がその晩、泊まりに来てくれ、一晩中痛がる私の背中を撫ででくれました。

深夜の3時にもう限界、これは、おかしいと思い、救急病院を調べて、タクシーで向かい

ました。
看護士に起されて、眠い目をこすりながら、慌てて着た白衣が乱れたまま若い医者が診察

室に現れた。

私は一応今までのいきさつを話し、胃腸科クリニックにもらった薬を見せた。

医者はその薬を、見ながら「うん、いい薬を出してるよぉ」と言う。

「先生、とにかく、今はこの痛みを止めて欲しいんですが・・・」

「う〜ん、でも、その痛みがどこから来てるか分らないし、止めることはできないね」

「え?じゃ、どうすれば?(じゃぁ、何処から来てるか調べてよ)」

「そうね、朝、9時になって、又、そのクリニックに行ってください」と言ったまま、

自分のアドバイスは終わったと言う顔をしている。

結局、この医者は自分では何も調べる事もせず、そのまま、私を追い返した。

いったい、何のために救急病院に駆け込んだのやら!!

この救急専門病院には今でも腹が立つ!!



7月6日(金)の朝9時、待ちかねて私は又、胃腸科クリニックに行った。

「先生、痛みが引かないんですが」

渡した薬をまだ、飲み終わってないしな〜、なんて、顔をしている。

「胃カメラで、調べるか!」

そうして欲しかったけれど「でも、先生、今朝、薬を飲むために、おうどんを少し食べました」

「あ、そら、胃カメラは飲めんな」

「先生、もう少し、薬を飲んだほうがいいのでしょうか?」

「うん、そうね。それで、様子を見て」と言う。

昼過ぎになっても、痛みは治まらない。

姉が胃腸科クリニックに電話をする。少々怒りがこもっている。

「先生、痛みがまったく収まりません。おかしいんじゃないでしょうか?」

すると、他の病院を紹介するのでそちらに行ってくれという返事。

紹介された病院に行く。

街の中堅規模の病院である。

いきさつを院長に話す。

私のお腹をエコーで見ると、「あ、こりゃ、胆石や!岩石くらい大きいなぁ」

「胆石??」私は全く自分が胆石を持ってるなんてこの時まで少しも知らなかった。

「即、入院、手術やな!!最近は胆石は内視鏡手術もできるが、あんたは太ってるから開腹手術やな!!」

みなさん、確かにキャラは太っていますが、この時の院長の言い方が、私の直感で、

『この人は内視鏡手術ができないんじゃないかな』と思いました。

とは言え、今は痛みの原因は分ったので、痛み止めの注射をしてもらいました。

さぁ、それからは、血は何本も採られるは、レントゲン、CT、なにやらドラムの中に1時

間も入れられて息をはいたり、吸ったりと、色んな検査をされました。


以後、絶食!!24時間点滴!!

許されたのはお茶と水だけ。

病室のカーテンの中で天井を見ながら、昼も夜も一日中、左手に点滴の注射針が刺さって

る状態である。トイレに行くにも、スタンドを押しながら行く。


2〜3日が過ぎる頃、私はこの院長に自分の身体を託す決意が揺らぎ始めてきた。

他の患者への話し方や態度からも、私は益々懐疑的になっていった。

その思いは姉も同じで、二人で相談し、懇意にしている医者に相談した。

彼の返事はスグにそこを出なさい!!という事だった。

そして、信頼のできる病院を紹介してくれると言う。

結局、私は一週間そこの病院で絶食、点滴だけで、何の積極的な処置はなされなかった。

院長の処方は、胆嚢が今、炎症を起してるから、それが、落ち着いてから、

手術をするということで、手術の予定は翌週の水曜日(18日)ということであった。

それまでに更に一週間ある。

何故それまで待つのだ?その日まで私はこのままの状態ということだ。

これも直観だが、この病院では、手術は水曜日と決まっているのではないかと思った。


私は12日(木)に自らの意思で退院した!!

一週間も寝たっきり、絶食で点滴だけをされていたせいで、私の身体は腰と足の筋肉が

膠着して歩くのもままならない状態になっていた。これには、本当に驚いた。

結局、この筋肉痛に私はずっと悩まされる事になった。


脱出したその日、アドバイスをくれた医者を訪ねた。

いきさつを話した。

一通りの事は、姉が話しているので、先生は私の話をフンフンと、うなづきながら聞いていた。

「で?その救急病院は、君に他の病院を紹介する事もなく、帰えしたの?

それは、とんでもないことだね!!」と、頭を傾げる。私は、あの時の溜飲が少し下がった。

もう一週間、食事をしてないし、翌日の診察のこともあるので、そこで、点滴を受けた。


先生が私に自信たっぷりに言った。

「ここ(紹介したくれた病院)の内視鏡手術の腕は、相当優秀だからね!!

この地域の某大学病院より上だよ!!」

その晩は一週間振りに自分の家で寝た。自分のベッドがいいなぁとつくづく思った。


翌日13日(金)は、入院の準備をして、紹介された病院に行った。

紹介された先生は30代後半くらいのC先生だった。

ここでも、私は痛み始めてからその日までの経緯を話した。

「じゃ、手術を前提にした検査をさせてください。それから判断しましょう」

検査は血液検査、レントゲン、肺活量、心電図、5分以内に血が止まる状況、

胆嚢のCTなど。前の病院に比べたら、1時間もドラムに入る事もなく検査が意外と簡単だった。

再度、呼ばれて診察室に入る。

先生の顔を見て、私は直感した!!

良くないな・・・

案の定、先生は「今日、スグに手術をしましょう!! もう、これ以上持っている意味が

ないです」私の胆嚢は発作を起してから何の処置もなされないまま10日も経っていた。

胆嚢の映像すら、写ってない状態であった。

このままだと、いつショック状態になってもおかしくないほど、悪化していた。

手術に対し私は少しも不安がなかった。C先生にお任せする気持ちに全く迷いはなかった。

前の病院で、『あなたは太ってるから、開腹手術だ』と言われたんですという私の話に、

「とんでもないよ!!太ってるとか痩せてるとか、そんな事はいっさい関係ない。

むしろ、太っている人にとっては開腹手術よりも、内視鏡手術の方がいいよ」

後は、手術における色々な説明があり、最後に先生が「何か質問がありますか?」という

問いに私は一番気になっていた事を尋ねた。(姉は、それは手術に関する事を聞いてるの

に、あんな事をよく聞くわね〜と言ったが私にはとても大事な事だった)

「先生、胆嚢を取ったら、その後の私の食生活はどうなるんでしょうか?」

先生は私の顔を見ながらはっきりと言い切った。

「何にも変わらない!!あなたが、今から『K-1』に出たり『相撲』をとったりするのでな

ければ、食生活は普通の人と全く同じでいいよ!!」と言って笑う。

「え?先生、油物も食べていいですか?(胆石の手術をしたら、油物は食べられないと聞いた事があったので)」

「いいよ!!」と言って、何故いいのか、その理由を説明してくれた。私は納得できた。

そして、更に聞いた。

「でも、先生、もし、油物をとっていいにしても、もし、食べ過ぎたらどうなるんです

か?」

「下痢する!!」

ここまで聞いて、私は安心して、手術台に上がる決心をした。

つづく

ps上の写真は胆石とは関係ありません。

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皆さま、キャラでございます。
この度は、大変ご心配いただきありがとうございました。
帰宅し、ブログを開けて、皆さまのあたたかいお気遣いを読みながら、キャラはブログを初めて本当に良かったと思うと共に、ここには確かな世界があるということを再認識いたしました。
ありがとうございました。そして、とても懐かしく、嬉しかったです。

胆石の発作で緊急入院、緊急手術と何がなにやら分らぬままに、まるでブレーキの付いてない(?)ジェットコースターに乗せられて振り回わされてるような7月でした。

キャラは自分が胆石持ちであるなんて、全く知りませんでした。
本日は先ずご挨拶のみさせていただき、後日、キャラの入院、手術のご報告を致したいと思います。
『え〜?胆石摘出手術のことなんかぁ〜、聞きたくな〜〜い』とお思いでしょうが、
皆さま、あなどってはなりません!!
キャラの経験がきっと皆さまのお役に立つと思いますので、どうぞ、聞いてやってくださいまし!!

これから、又、皆さまの所にご訪問させて頂き、生意気なコメントを残していきますが、どうぞ、ご容赦くださいませ!!

キャラ

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