葉隠れ(通報されるくらいに・・・)

去年2台減って18台・・・今年こそ何とかしなければ。。。

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ふっつ〜の乗用車、、お下がりで廻ってきて足車に暫く使ってました。

小ぶりなサイズで取り回し良く 効率悪く 荷物はあんまり載らない。。

普通に良く走って 使いやすくて 特徴無くて すぐ馴れる、、そして飽きる。。

そういえば新車の時からドアの閉まりが悪かったです。

多分ドアガスケットの形状が原因で、ディーラーではその内馴染むと謂われましたが、

3年経ってもずっと半ドア気味でした。。

ふっつ〜の車でした。。


車両詳細〜

概要

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。
後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られる。


2代目GD・GG型(2000年-2007年)

ボディデザインは初代を引き継いでセダンとスポーツワゴンが用意されたが、スポーツワゴンが5ナンバー枠に収まるのに対し、セダンはスポーツ走行での安定性を考慮しブリスターフェンダーを備えた3ナンバーサイズとなった。また、スバルブランドがイメージ模索に迷走するあおりを受けてそのライフスパンの中で大きく3度に及ぶ大幅なフェイスリフトを受けた。スポーツワゴンは一時期、サーブ・9-2Xとして北米市場にOEM供給された。

2代目開発当時、各メーカーで盛んに叫ばれていたいわゆる「衝突安全ボディー」の設計に注力され、「新環状力骨構造[8]」の採用、また前面衝突時の衝撃を効果的に吸収するサブフレームが前端に追加された。「STi」では剛性の確保が根本的に見直され、サイドシルの断面積拡大、ストラットボックス、クロスメンバー部の補強などが行われた。

2.0L ターボ、2.0L NAには、新たに可変バルブタイミング機構(AVCS)を吸気側に新たに採用した。

2.0Lターボ車に新たにTGV(タンブル・ジェネレーション・バルブ)が採用され、燃焼効率の向上、触媒の二重化[9]による始動直後の排出ガスレベルの低減を実現し、STiを除く全車が平成12年度基準排出ガス25%低減レベル適合(G-LEV)した。また、2.0Lターボ、2.0L NAが「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」に適合し、「グリーン税制[10]」対象車となっている。

4WDモデルでは5速MTにVCU(ビスカスカップリング)方式センターデフを、E-4速ATに「MP-T」を用いたアクティブトルクスプリット4WDを採用している。4WDターボ用には、5速MTとして従来のTY75型(VCU方式センターデフ)を引き継いでいる。E-4速ATとしてレガシィと共通の、遊星歯車式センターデフ+「MP-T」によるVTD-AWDトランスミッションが搭載された。STiには、今回は全くの新開発のスバル内製「TY85」型6速MTが搭載された。先代ではガラスのミッションと酷評されたが、この代から搭載されたミッションは強度が見直された。

全国の警察の機動捜査隊に後期型WRXが覆面パトカーとして導入されている他、フランス国家憲兵隊では高速道路での取り締まりで使用されている。

販売期間: 2000年 - 2007年、乗車定員 5人
ボディタイプ: 5ドアスポーツワゴン、4ドアセダン
エンジン: 1.5L/1.8L/2.0L/2.0Lターボ、水平対向4気筒
変速機 4速AT/5速MT/6速MT、駆動方式: FF・4WD
サスペンション 前:ストラット/後:ストラット
全長 4,415mm 、全幅 1,695-1,740mm、全高 1,425mm、ホイールベース 2,525mm
車両重量 1,390kg 、最小回転半径 5.4m

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う〜ん、なんとも謂えずイイ味だしてるべるりーな。。

でも「走り」はアルファです。。音も良いし 廻せば楽しいし ・・

ちゃんと錆びてるし シートは破れてるし 2速はコツがいるし ・・ 

三角窓だし 中広いし 荷物は載るし 4人乗っても まあ快適ですし 。。

イイ感じでした。。うん とっても。。。



車両詳細〜

アルファロメオ・1750/2000はイタリアの自動車メーカー・アルファ・ロメオが1967年から1977年まで生産した乗用車である。

1750 (1967年〜1972年)

当初はアルファロメオ・1750シリーズとして、ベルリーナ(4ドアセダン)・GTV(2ドアクーペ)・スパイダー(2ドア2座オープン)を揃えて登場した。1750の名はエンジン排気量1779ccに因んでいるが、1800とはせず1750と名乗ったのは、1930年代の名車・6C1750にあやかったためである。

1750シリーズは入れ替わりに生産中止された6気筒エンジン搭載の大型車・2600に代わって、ずっと小型ではあるもののアルファロメオのトップモデル(モントリオールや33ストラダーレのようなスーパースポーツを除く)としての役割を果たすべく登場した。構造的にはおおむね1962年以来好評を博し、1970年代半ばまで並行生産される1300〜1600ccクラスのジュリアと共通であった。

車体はベルリーナのみホイールベースが2350mmに延長され、ベルトーネのデザインによる新しい車体(全長4390mm・全幅1565mm)が与えられたが、ウインドウスクリーンをはじめ多くのパーツはジュリアと共通であった。また、ベルリーナとGTVには4灯式ヘッドライトが与えられ、GTVのフロントノーズは従来の「段付き」とは異なる、やがてジュリア系にも採用される新しいデザインであった。スパイダーのみはジュリア系と全く同じボディを用いていた。

インテリアはダッシュボードが新しくされ、大きなタコメーターとスピードメーターがドライバー正面に据え付けられた。GTVのシートはヘッドレスト埋め込み式となった。

1779ccのエンジンはジュリア1600用エンジンのストロークを82mmから88.5 mmに延長したもので、DOHCツインキャブレター付きで118馬力(ベルリーナ)・122馬力(スパイダー・GTV)を発揮した。ジュリア1600と比較すると、最高出力の差はさしたるものではなかったが、レブリミットが7000 rpmから6000 rpmに下げられたことからも明らかなように、低速域での扱いやすさが大いに改善され、高速クルージングも楽に行えるようになっていた。なお、排気ガス規制が厳しくなりつつあった北米市場での販売車種は1750シリーズのみに絞られ、 SPICA製燃料噴射が装備された。

増加するパワーに対応して、1750にはホイール・タイヤサイズの拡大、リアサスペンションへのロールバー追加、そしてブレーキ性能の強化が施され、ロードホールディングや制動力を改善していた。

1970年にはマイナーチェンジを受けて「シリーズ2」となり、ブレーキが二系等式となり、従来床から生えていたペダルが吊り下げ式となった(右ハンドル車は従来通り)他、GTVのバンパーが細いものに変えられ、フロントウインカーはバンパー上部から車体に移された。

1971年にはベルリーナにZF製3速オートマチック付きが追加されたが、シフトショックが大きく、ギアレシオがエンジン特性にマッチしておらず性能・燃費に悪影響が大きかったこともあって、生産台数は250台前後と極めて少なかった。

1972年に新しいアルフェッタ1.8ベルリーナ及び2000GTV・スパイダーに後を譲って生産中止されるまでに、約10万台のベルリーナと44,269台のGTVが生産された。

2000 (1971年〜1977年)

1971年 に登場したアルファロメオ・2000シリーズは、1750のエンジンのボア・ストロークを共に拡大して1962ccとし、最高出力を132馬力に高めたモデルである。ベルリーナでも最高速度200km/h・0-100km/h加速9秒という当時としてはかなりの高性能車となった。ギアボックスは5速マニュアルで、ベルリーナにのみ引き続きZF製3速オートマチックが選択可能であった。北米向け輸出車にはSPICA製燃料噴射が引き続き装備された。

1750との外観上の主な相違はフロントグリルで、ベルリーナのグリルは1750のもの横線が細かくなり、GTVには伝統の盾形センターグリルのモチーフを横線のグリル内にデザイン化した新しい意匠のグリルが与えられた。 GTVのテールライトは対米輸出用の1750GTVの後期モデルに先行使用されていた大型のものに変更された。 スパイダーは1750時代同様、1300/1600との外観上の相違はテールのエンブレムだけであった。

2000ではホイールキャップが廃止されて、美しいデザインのホイールが露出されるようになり、GTVのダッシュボードではメーター類が全てドライバー前のクラスターに集約された。 また、モントリオールと同じ"Turbina" と呼ばれるアルミホイールがベルリーナ・GTVともにオプションで用意された。

1976年にアルフェッタに2000GTVモデルが登場したことにより2000GTVが消滅、翌年アルフェッタ2000ベルリーナが登場したことを受けて、2000ベルリーナが生産終了となった。2000ベルリーナは89,840台、2000GTVは37,459が生産された。一方、2000スパイダーのみは1990年代半ばまで継続生産された。

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何気にシトロエン好きです。

CX・XMと乗り継ぎ、密かに「いつかはSM」と憧れておりました。。

「DS」まではとてもとても・・・と思っていたのですが、ひょんなキッカケで。。。

う〜ん、何とも謂えず、、、良いです。。

ちなみに厳密に言えば「DS」の廉価バージョンの「Dsuper5」というグレードです。。


コラムAT、、、まるでタクシーのような動力性能。。

フカフカソファーのようなシート、、プラスチッキーな内装。。

微?絶妙な乗り心地、謂われているほど良いわけではない・・ホイールベースが効いてるゆったり感。。

手放しOKの直進性、、ボタンの様なブレーキ、、おちゃめチックな「取説」。。

そして何よりも・・・宇宙船?変態チックなビジュアル、、オタク系スーパーカー??


「これだったんだ」って感じで「お気に入り」です。。


来た時はボロだったのですが手を入れたくなってしまい・・・

全塗装〜フレーム補修〜機関整備まで・・・

現在、取敢えず絶好調です。。



車両詳細〜


シトロエン・DS(Citroën DS )は、フランスの自動車メーカーであるシトロエンが1955年に発表した前輪駆動の大型乗用車である。

宇宙船にも譬えられた流線型の未来的スタイリングに、エア・サスペンション(および変速機等の多くの附属機器類)を油圧遠隔制御する「ハイドロニューマチック・システム」を搭載した、野心的設計の自動車である。

あまりに常軌を逸したアヴァンギャルドぶりから、登場時には「10年後の車」「20年進んだ車」と言われたが、実際1955年から1975年までの約20年間、フランス車の最高級レンジを担うモデルとして第一線に在り続け、アップデートを繰り返しながら(派生形の「ID」等も含めた)合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造された。本項ではDSのほか、派生形である「ID」についても記述する。

沿革
彫刻家からシトロエンの社内デザイナーに転身したフラミニオ・ベルトーニがデザインを担当し、その度外れて大胆なボディ・スタイリングに起因する強烈な存在感と、自動車設計の理想を徹底追求した結果の極めて異例である複雑機構[要出典]によって、機械工学や工業デザインの面はおろか、社会文化面からも興味深い研究対象とされてきた。[要出典]哲学者ロラン・バルトが、発表されて間もないDSを取り上げた一篇の批評「新しいシトロエン」を残したことはよく知られる逸話である。

車名「DS」は、フランス本国では「デ・エス」と発音される。その正確な語源は「開発コードの省略形」とも「Désirée Spéciale」(特別な憧れ)の略とも言われるが詳細は不明である。しかし「DS」が、全く同じ発音の「女神」という意味のフランス語「déesse」(デエス)を意味しているという説も根強い。その名に相応しく、発表後50年以上、製造終了後30年以上を経て、なお世界各国に熱狂的な崇拝者・愛好者が多数存在する、伝説化したカルトカーである。

1999年には、全世界の自動車評論家・雑誌編集者等の意見を集めて選考された「20世紀の名車ランキング」であるカーオブザセンチュリーにおいて、1位のフォード・モデルT、2位のミニに次ぐ第3位の「偉大な自動車」という評価を受けている。多くの名高いスポーツカーや高級車を尻目にこれほどの高評価を与えられた事実は、自動車史上におけるDSの存在意義を如実に物語っていると言えよう。

だがDSについて、あまり語られないが特に重要な点は、元々はDSが、一般社会と隔絶した「超高級車」としてではなく、いわゆる「マニア」と呼ばれる様な人向けでもなく、安価な大衆車ではなかったもののごくごく一般的なユーザー向けの実用車として企画され、少なくともフランス国内ではそのように受け取られて、タクシーにさえ使われたと言う事実である。これをトヨタのラインナップになぞらえれば、DSは限定生産高級車のセンチュリーではなく、またかつての少量生産高性能車の2000GTでもなく、それらよりは、一般向け上級車として遙かに多数が量産されたクラウンのような存在であったと言えよう。そうした車に、このような理想主義的かつ高度な設計を用いたことは、DSの高い理想主義と、シトロエンの見識の具現とも言える。

前期形
ベッキアは次善の策として、トラクシオン・アヴァンエンジンを徹底的にアップデートすることで必要な性能を得ようとした。元々ベッキアは1941年にシトロエン入りする前は、高級車メーカーのタルボ社に在籍しており、高性能レーシングカーのエンジン設計にも携わっていた。そのノウハウを活かしたアップデートの内容は、いかにも1930年代-1940年代の高性能車用エンジンを連想させるものであった。

すなわち、1911ccエンジンのブロックと排気量はそのままだったが、旧来のヘッドに代えて新しいアルミ製ヘッドを与えた。新しいヘッドは動弁機構こそOHVのままだが、ダブル・ロッカーアーム式として吸排気弁を対称配置したクロスフロー型にし、燃焼室を半球形状として燃焼効率を大きく高めた。更にウェーバーの2ステージ・キャブレターを装着した結果、DS19用エンジンの最高出力はグロス値75ch/4,500rpmにまで向上した。これはトラクシオン・アヴァン15CVの2900cc6気筒(77ch)に、ほとんど匹敵する性能であった。重量差を考慮すればハイドロ・ニューマチック用オイルポンプ分の動力損失を差し引いても優位性を得たことになる。

このDS用エンジンは、既に長い実績のあるエンジンの改良であったため、完全新開発のエンジンよりトラブルは少なく済んだ。もっともそのキャラクターは、旧来からのロングストロークレイアウトの制約もあって、あくまで実用エンジンとしてのマイルドなものである。

最初のDS19の最高速度は、当初のエンジン出力がさほど大きくなかったこともあって、1955年時点では140〜145km/hに留まった。それでも従来のトラクシオン・アヴァン15CV-sixや競合他社のモデルよりは高かった。

IDも同一のエンジンを用いたが、デチューンされており、廉価型「ノルマル」で63ch/4,000rpm・130km/h、上級形「ルクス」で66ch/4,500rpm・135km/hとややアンダーパワーであった。

DSは1961年式から83chに出力を強化し、最高速度は160km/hに達している。

後期形
1966年に新たなエンジンが新設計された。直列4気筒のクロスフローOHVレイアウトは同じだが、メインベアリングを5個に増やし、ストロークをボアより小さくしたショートストローク形となって、従来よりも高速化・高出力化を実現している(DS21用で90mm×85.5mm)。

排気量は1985cc(DS20)と2175cc(DS21)の二本立てとなり、前者は103ch、後者は109ch/5,500rpmを発生するに至った。DS21の最高速度は175km/hをマークした。のち1969年にはそれぞれ108ch、115chに出力を向上した。

シトロエンのエンジンについて解説した文献の中には、「DSの後継モデルのCX(1974〜1989)にまでトラクシオン・アヴァン以来の古い設計のエンジンが50年以上も用いられた」と安易に記述している例がしばしば見られる。実際にはDSのエンジンがショートストロークの5ベアリング型エンジンへと完全刷新された1966年時点で明確に系譜が断絶しており、「水冷直列4気筒OHV」レイアウトのみが共通であるだけで全くの別物である。

IDは1966年に在来型3ベアリングエンジンのままで81chに強化しているが、翌年DS同様の新型5ベアリング・ショートストローク1985ccに変更、出力はDSに比して抑え気味の83chであった。

1971年、DS21には従来のウェーバーキャブレターに代えて、電子制御燃料噴射(ボッシュDジェトロニック)を装備したモデルが追加された。電子制御燃料噴射はフランス車で最初の採用である。これによってDS21は出力を139chに高める。

1972年登場の最終形DS23では、排気量を2347ccに拡大した。インジェクション仕様で出力141ch/5,250rpm、最高188km/hをマークしている。ID系(1970年以降は「D20」と改称)は最後までキャブレター仕様のみであった。

ラリーでの戦績
アンダーパワーで巨大な図体のため、ハイパワーや小回りを活かした機動性などとは無縁なDS/IDシリーズであるが、実は多くのレースやラリーに出場して好成績を収めている。前輪駆動と低重心構造によってもたらされる高い操縦安定性と、ハイドロニューマチックによって確保されるサスペンションのしなやかさは、特にラリー・フィールドにおいて大きな長所となった。

プライベーターたちの手で早くも1956年からモンテカルロ・ラリーに出場、1959年にはポール・コルテローニの、ほとんどノーマル状態に近かったID19が優勝した。1960年からはシトロエン社のワークス・チームがDSで活動を開始、優勝こそ多くなかったが多くのラリーで上位入賞する好成績を挙げた。1963年のモンテカルロで総合2位、1964年のアクロポリス・ラリーで2位など、より強力な競合チームと互角の戦績を残したことは特筆に値する。

1966年には高速型の新型エンジンを搭載したDS21が登場、ラリーにも投入された。この年のモンテカルロ・ラリーでは、パウリ・トイポネンのDS21が総合優勝しているが、実は1位から3位を独占したイギリスのBMCミニ・クーパーSが「灯火レギュレーション違反」という理由で失格となり4位のDSが繰り上げ優勝となったものである。

この時期になると競合チームの性能向上も著しかったことから、シトロエンではDSのラリー・フィールドを、北アフリカ等での耐久レースに移行させることにした。もともと長距離走行を得意とするDSは、モロッコ・ラリーなどの過酷な環境でタフネスさを発揮した。

1969年には、DSの全長をホイールベースともども強引に大幅短縮し、低いルーフのクーペボディを与えた軽量なスペシャルが製作された。このDSクーペは、1969年のモロッコ・ラリーでデビューし、従来型DSと共に4位を除く1位から6位までに入る成功を収めた。DSによるラリー活動は、生産期間最終期にあたる1970年代中期まで続けられた。

カーオブザセンチュリー
1999年、自動車批評家たちの意見を集めて選考された「20世紀の名車ランキング」であるカーオブザセンチュリーで、シトロエンDS / IDは3位に選ばれた。

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いつかはと憧れていたアルファのスパイダーです。。

しかも真っ赤。。。

が、

US仕様でした。。


スタイルとは裏腹に遅いです。

かったるいです。。

たぶん観ている人達には颯爽と走っている様に観えるかもしれませんが・・・まるで牛です。。

こんなのアルファじゃないっ!!って感じ。。

でした。。


車両詳細〜

アルファロメオ・スパイダーは、イタリアの自動車メーカー・アルファロメオが1966年から製造している2ドア・オープンカーである。

初代(1966-1993年)

ポートテール時代

アルファロメオ・ジュリア(105系)のオープンモデルとして、ジュリア・スプリントGTVの1570cc109馬力エンジンを与えられて1966年のジュネーブ自動車ショーでデビュー、ジュリアの名は与えられず、「アルファロメオ1600スパイダー・デュエット」と命名された。デザインは先代のアルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー同様、カロッツェリア・ピニンファリーナであったが、息子のセルジオに後を譲る直前のバッティスタ・ファリーナが手がけた最後のプロジェクトであった。実際、デュエットのデザインの源流は1959年のプロトタイプ「3500スパイダー・スーペルスポルト」、1961年の「ジュリエッタSSスパイダー・スペチアーレ・アエロディナミーコ」まで遡ることが出来る。

1967年にはベースが1750に変わり、1779cc118馬力エンジンとなって「1750スパイダー・ヴェローチェ」に改称された。1968年にはGT1300ジュニアと同じ1290cc89馬力の「スパイダー1300ジュニア」が追加された。1750とはヘッドライトのアクリル製カバーやホイールキャップが無いことで識別される。このモデルは1967年の映画「 卒業」(ダスティン・ホフマン主演)の主人公の愛車として使われ、映画のヒットと共に広く知られることとなった。

カムテール時代

1970年には大幅なマイナーチェンジを受けた。最大の変化は、テールが下がった従来の「ボートテール」から、直線的な「カムテール」になったことであり、トランクスペースが拡大した。また、フロント周りのデザイン変更、より直立した大型のウィンドースクリーン、吊り下げ式のペダル、クラッシュパッドが入った新しいダッシュボードなども与えられた。

1971年には1750が1962ccの2000に発展したことを受けて、「2000スパイダー・ヴェローチェ」が1750に代わって登場した。翌1972年には1300と2000の中間車種として、1600cc版が「スパイダー1600ジュニア」として、1300と同じ簡素な外装で再登場した。1974年には一時的に、ルーフの一部のみが脱着式の「スパイダー・タルガ」が2000台弱生産された。

1300は1974年に、2000は1975年に、小さなリアシートが追加されて2+2化された。1300は1977年に生産中止された。また、1974年以降の対米輸出車には大きなゴム製の衝撃吸収バンパーが装備された。さらに、当時の技術水準による排気ガス対策により、性能も大幅に低下した。当時の日本へもこの仕様が輸入された。

1980年代

1983年、スパイダーには13年ぶりの大きなマイナーチェンジが施された。フロントグリルと一体化した大型バンパー、リアスポイラーと一体化した大型リアバンパー、大きなテールランプ、一新されたダッシュボードなどが装備された。車名は「アルファロメオ・スパイダー」に単純化された。エンジンは1570cc104馬力と1962cc128馬力の二種類があった。

1986年には流行のエアロパーツを装備し、1962cc132馬力に強化された「クワドリフォリオ・ヴェルデ」(Quadrifoglio Verde)と、シンプルな「グラジュエイト」(映画からの命名)にグレードが分けられた。シリーズ3から本革シートやエアコンも装備可能となり、既にスポーツカーとしてはエンジン・シャシーとも時流に遅れていたことから、雰囲気とスタイルを楽しむパーソナルカーとしての性格が強まっていく。

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またもや衝動買いでした。

維持費も掛からないし 何処にでも乗ってけるし 佇まい良いし 丁度良いかも・・・

で、けど、やっぱ足にするにはちょっとだけしんどい感じ。。

2スト・550cc・4速MT・ローギヤード・でっかいタイヤ・・・

やっぱ無理でした。。なんか疲れる。。。

このボディーにワークスのエンジンとAT乗せられればちょっと良いかも・・・妄想です。。


車両詳細〜

ジムニー (Jimny) は、スズキが1970年から市販している四輪駆動の軽自動車である。

構造
小型で軽量のパートタイム4WD車というユニークな存在である。小型の自動車においては、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化が進んでいる今日にあって、低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いるという、ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型四輪駆動車としては独自かつ希な存在である。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても定評がある。

2000年に FR車が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。

約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いのが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース)。

車名
車名の由来はジープ(Jeep)型のミニという意味を込め、「Jeep」と「Mini」をかけあわせ命名されたものであり[1]、メーカーの公式発表でも「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。

軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物となる4ナンバー規格(商用車)で販売されており、5ナンバーの軽乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。

開発前史
ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長兼社長である鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」とうたわれた ON型4WD は軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で ON型4WD の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WD のエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円程だったと言われている。

このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である[2]。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8mm映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという[3]。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WD の組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WD は、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。

初代第3期(1976年-1981年) スズキ・ジムニーSJ10型

SJ10-1型
1976年6月、発表。1976年の法律改正により軽自動車の規格が変更され、それに対応して、旧規格の車体サイズのまま、新しいLJ50型エンジン(水冷直列3気筒2サイクル)を搭載し、排気量を550ccクラス(539cc)へと拡大する。愛称は「ジムニー55(ゴーゴー)」となる。

幌型で向かい合わせとなる後席の居住性改善のため、幌後半の高さを増大した。

SJ10-2型
1977年6月、新規のホーシングとオーバーフェンダーにより、トレッドと車体サイズを拡幅する。 エンジンフードは盛り上がった形状となり、前端にはエアインテークが設けられた。



乗車定員 2(3) 人 ボディタイプ 幌 / バン エンジン 水冷直列3気筒 LJ50型
2サイクル 539cc 26ps/4,500rpm 5.3kg·m/3,000rpm  変速機 4MT
駆動方式 パートタイム4WD  サスペンション リーフリジッド
全長 3,170mm  全幅 1,395mm(幌) 全高 1,845mm(幌) ホイールベース 1,930mm
車両重量 675kg-710kg


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