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基本的に医療の世界に絶対という言葉はない。「絶対治るから」、「絶対安全だから」、「必ず効果あるから」等々。
病気をしている患者さんは基本的に気持ちも弱っている。元気づける事も必要で、励ましてあげたいが、基本的に安易な保証はしてあげられない。世知辛い世の中、何かあったときに問題となる。
人間は本当に予想外にもろい。あっけないくらい。心臓が数秒止まると意識失うし、数分単位になると死んでしまう。それを知っているだけに「絶対」、「必ず」は禁句となってしまう。「絶対」と言えるのは、この世に生を受けたものは、いつかは死ぬという事だけ。結局早いか、遅いか、それだけ。むなしいくらい。
最期の時を迎える、迎えそうになっている状況では、それまでにいろいろ関わる事が出来れば、それを迎えたときに納得できるように気持ちの整理をつけてもらえるように、そんなケアも治療と一緒に必要と思う。
なんでそんな事を書いたのか。
世の中、医療事故というものがある。人間のやっている事だから必ずミスはある。これだけ命に近いところで働いていると、ちょっとした事でその人の運命を左右する事がある。そしてどんな些細な行為でも、絶対大丈夫なことはない。風邪薬でアレルギー起こして死ぬ事だってあるんだから。だから、医療行為が原因で人が亡くなる事はありえる。それが事故となるかどうかは、医療従事者と、患者さん、その家族との関係に左右される。
ときどき患者さんの家族から、クレームが来る。医療事故まで行かないまでも、先日も状態が思わしくないのはこの病院に入院してからだという批判があった。また私がペースメーカーの手術をした呼吸器科の患者さんが急に亡くなったとき、もともと重症であったので予想された範囲だったのに、納得がいかないと呼吸器科の主治医が責められていた。・・・・どちらもいつもそばにいた家族でなく、普段全然見舞いにも来ない、世話もしない家族から。
患者さんの近くにいつもいる人とはいろいろ話す機会もある。普段の状況も見てもらえる。だから、何かあったときも信頼関係が出来ているので、お話しすれば納得してもらえる。場合によってはそれでも感謝の言葉をいただくことさえある。
でも、普段近くにいない人は、患者さんの調子の悪いときには会っていない。入院しても見舞いに来ない。病状の説明も聞きに来ない。だから、そういう人にとっては、元気だった人がいきなり、ということになるらしい。しかも、亡くなった人にはもう何もしてあげられない。だから、後ろめたい気持ちがこちらへの攻撃に変わるらしい。しかも、それが親族へのアピール、自分は亡くなった患者さんのために頑張っているんだというアピールになると考えているように見える。 もう遅いのに・・・。患者さん喜ばないと思うけど・・・。
「絶対」訪れる最期の時を迎える場面を目にすることが多い私の環境。
その周囲でいろいろな人間の行為を見て、最近悲しくなる事が多いです。
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私も先生の考えが分ります。見舞いにもこない患者の家族から、いきなりのカルテ開示要求。ムンテラもセッティングしてるのに来ない。仕事が忙しいとか、連絡先の電話がつながらないとか本当にやめて欲しいです。 大切な人なら毎日泊まりこんででも付き添って欲しい気もします。
2006/6/25(日) 午前 3:39 [ - ]
そうですよね。大切な人なら。でも逆に、実際泊り込むと必ずその家族も具合を悪くして共倒れになるので、そういう気持ちのある人には逆に「無理して毎日来なくても、きちんと見てるから大丈夫だよ」と言いたくなることもあったり・・・。いろいろですよね。
2006/7/15(土) 午後 11:35