日々の戯言

気の向く時、気の向くままに書こうと思っています

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友人の”死”

 先日小、中学校時代の同級生が、とある事件の被害者となってしまいました。あまりの急な話に電話をもらった私は素っ頓狂な声を出していました・・・。

 まだ死ぬのは早いよ。まだ子供も小さいのに。

 彼はどちらかというと不良と言われるカテゴリーに入る集団に属したが、正義感があり、当時いじめられっ子だった私を何かと気にかけてくれた。そんなこんなでごくまれに会えば「よう!、元気?」と声をかける感じの友人だったのに・・・。

 人柄を反映してか、お通夜には本当にたくさんの人が参列し、ご焼香の列はとても長く、次から次へ途切れることなく続いていた。

  思いがけずそんなところで20年ぶりに再会する友人もいて、当時の事を思い出してはお互い信じられない気持ちでいた。


 職業柄、人の“死”は慣れているつもりだった。
 長く診た患者さんが亡くなると、落ち込む自分がいたが、でもどこか麻痺しているという自覚があった。こうして近い人が亡くなってみると、それは“慣れ”ではなく、“ひとごと”としてしか見ていなかった自分がいることが原因のような気がしてしまった。

 いちいち落ち込んでいたらこんな仕事してられない。寿命は無限にあるわけでなく、病気の人に関わる以上、そういう場面に出くわす事も多いんだから。


 ・・・、それでいいのかなあ。

 人が死ぬ、この世からいなくなるという事は、周りの人間にとってとても大きな影響を与えること。相手によっては、この世にいる意味を失わせるほどの喪失感をもたらす事もある。
 妻が・・・、子が・・・。考えたくもない。


 人の“死”。思いがけず直面した重いテーマ。いつも身近に見ていたのに・・・。何で今更とは思うが・・・。

 何だかこの仕事が怖くなってきた。私はこれでいいのかな・・・。

転職?

 今年度も後半。
 もう少しで来年の人事を気にする季節になってくる。
 大学病院の医局に属している私は、基本的にその人事配置に従わなければならない。今は家からも通いやすく、勤務条件も比較的良いと思うのだが、ここから異動となったらどうするか・・・。
 正直医局を辞めてしまおうかとも思ってしまい、なんとなく医師の転職サイトに登録してしまった。良かったのだろうか・・・?
 いろいろ考える年になってきているのを実感。若いときはその日で精一杯だったけど、最近は今後の見の振り方を考えるようになっています。成長なのか、老化なのか。はてさて。

鹿児島

 久しぶりの更新です。

 本日は学会で鹿児島に来ております。全国から結構な人数が集まり、にぎわっております。
 大学以来の同級生にバッタリ会ったりもして、本来の目的のお勉強以外にもいろいろいい機会でした。
 何より病院を離れるとリラックスできますね。

 最近はCTで2mmとか4mmとかの単位の直径しかない冠動脈(心臓の筋肉に血液を送り栄養する血管のこと)の状態も見られたり(狭心症や心筋梗塞の状態を把握するのに必須とも言える)、進歩は目覚しい。
 実際私もその検査の解析を担当しているけど、すでに私の病院の機会は一時代前のものになってしまい、勉強してもうらやましいだけで応用できないという悲しい現実がありました。

 

患者さんとの距離

物理的でなく、精神的な、です。

遠いと必要な事も訴えてくれない。大事なサインを出さない。
もしくはこちらが見逃してしまい、患者さんの病状、状態の把握に問題が出る。

近いと必要ない事も訴えてくる。
大事なサインが埋もれてしまって、必要のない世間話などをひたすらにしてくる患者さんが多い。
暇なら話を聞いてますが、大抵忙しいので困ってしまう。
私が聞きたいのはそこじゃないんだけど・・・。


距離が近くなると、普段は気にしないような些細な症状も訴えるようになる人もいる。

「大丈夫」の一言をもらって安心したがっている人。
それも大事なんだろうとも思う。
その積み重ねでどの程度までは安心なのか把握してくれる人もいるから。
そういう人は訴えは徐々に減ってくる。

でも、中には拍車のかかる人もいる。
病気になりたいのか、毎回違う症状を訴える人も。
検査をしたがる人も。
結果が異常なしでも喜ばない人もいる。
「こんなに調子悪いのに・・・」って。
元気に見えるけど、そういう言い方は出来ない。
「調子悪いかもしれないけど、検査で異常なかったのは良かったじゃない。また経過見て見ましょう。」
その人は病気があると思っているので、否定したら納得しない。
なんだか中途半端な言い回しが有効で、そのうち違う症状に関心は移っていく。
その繰り返し。

そういう人との距離は正直近くなりたくない。
でも、一度近いと判断された場合は、逃げさしてくれない。
そして外来の診察時間が長くなり、他の患者さんの待ち時間が長くなる。

でも、そういう無駄と思える話を聞いていると、患者さんはいろいろな事を伝えてくれるようになる。
一見無駄でも時として大事なサインが混ざっている。
時々本当の病気だったりするんだよね。
狼少年になっちゃうところだったよ・・・って思う事もあるわけです。

患者さんはたくさんいる。
近すぎるのも、遠すぎるのも困る。
距離のとり方が大変だ。

なんて思ったりしました。

「絶対」

 基本的に医療の世界に絶対という言葉はない。「絶対治るから」、「絶対安全だから」、「必ず効果あるから」等々。
 病気をしている患者さんは基本的に気持ちも弱っている。元気づける事も必要で、励ましてあげたいが、基本的に安易な保証はしてあげられない。世知辛い世の中、何かあったときに問題となる。
 人間は本当に予想外にもろい。あっけないくらい。心臓が数秒止まると意識失うし、数分単位になると死んでしまう。それを知っているだけに「絶対」、「必ず」は禁句となってしまう。「絶対」と言えるのは、この世に生を受けたものは、いつかは死ぬという事だけ。結局早いか、遅いか、それだけ。むなしいくらい。
 最期の時を迎える、迎えそうになっている状況では、それまでにいろいろ関わる事が出来れば、それを迎えたときに納得できるように気持ちの整理をつけてもらえるように、そんなケアも治療と一緒に必要と思う。

 なんでそんな事を書いたのか。

 世の中、医療事故というものがある。人間のやっている事だから必ずミスはある。これだけ命に近いところで働いていると、ちょっとした事でその人の運命を左右する事がある。そしてどんな些細な行為でも、絶対大丈夫なことはない。風邪薬でアレルギー起こして死ぬ事だってあるんだから。だから、医療行為が原因で人が亡くなる事はありえる。それが事故となるかどうかは、医療従事者と、患者さん、その家族との関係に左右される。

 ときどき患者さんの家族から、クレームが来る。医療事故まで行かないまでも、先日も状態が思わしくないのはこの病院に入院してからだという批判があった。また私がペースメーカーの手術をした呼吸器科の患者さんが急に亡くなったとき、もともと重症であったので予想された範囲だったのに、納得がいかないと呼吸器科の主治医が責められていた。・・・・どちらもいつもそばにいた家族でなく、普段全然見舞いにも来ない、世話もしない家族から。

 患者さんの近くにいつもいる人とはいろいろ話す機会もある。普段の状況も見てもらえる。だから、何かあったときも信頼関係が出来ているので、お話しすれば納得してもらえる。場合によってはそれでも感謝の言葉をいただくことさえある。
 でも、普段近くにいない人は、患者さんの調子の悪いときには会っていない。入院しても見舞いに来ない。病状の説明も聞きに来ない。だから、そういう人にとっては、元気だった人がいきなり、ということになるらしい。しかも、亡くなった人にはもう何もしてあげられない。だから、後ろめたい気持ちがこちらへの攻撃に変わるらしい。しかも、それが親族へのアピール、自分は亡くなった患者さんのために頑張っているんだというアピールになると考えているように見える。  もう遅いのに・・・。患者さん喜ばないと思うけど・・・。

 「絶対」訪れる最期の時を迎える場面を目にすることが多い私の環境。
 その周囲でいろいろな人間の行為を見て、最近悲しくなる事が多いです。

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