カードックのふらふら日記

気ままに書き綴る昔の話やらあれこれ

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イソーロー

(ミニの話はまだまだ続きますがこのブログの名物(どこがや?)、ちょっと笑えるしょうもない話を一つ)
 
以前、我が家に一時期居候がいた(笑)
 
高校時代からの友人、ってもあんまり好きじゃ無い男なんだが、
(兎に角好い加減で向こう見ずでバカ)(笑)
ある時突然電話して来て「暫くお前の家に居候させてくれ」と云い出す。
 
この男カメラマンでその道では結構有名(自称?)らしく、スタッフ抱えてスタジオ持っててしっかりやってたらしいんだが、
「水中カメラマンになりたい」と思ったらしい。
 
いや、こいつが海に潜って写真を撮ってるのは以前から聞いていたが、どこかで結構評価されたらしい。
それで現在のスタジオは人に任せて自分は身を引き、裸一貫で水中カメラマンを目指したいと考えたらしい。
 
更にこのバカが云うには
 
「どうしても撮りたい海がある。
そしてそれは6月にしか撮れない(電話して来たのは4月だから2ヶ月後)
又、機材の購入、搬入やらで370万円いる。しかし今の自分には自由になる金が250万しか無い。
 
そこでこの二ヶ月間経費を一切使わずに、金を増やしたい。
 
だから居候させてくれ」(笑)
 
と云うのだが、
「どうやって金を増やすんだ」と聞いたら「毎日必死で競馬に通う」(笑)と抜かしやがる。
 
俺は「バカも懲りたら治るのか?」と思って居候させてやる事にした。
 
その間このバカは土曜と日曜の朝早くから淀の京都競馬場に通い、
しまいには「名古屋なら毎日競馬がある」とか云い出して電車で通い、案の定二ヶ月で全財産使い果たしスッテンテンになった(笑)
 
そんなある日、小学校に通ってたうちの娘が友達に、「うちの家にイソーローがいんねん」と云ったらしい。
 
その時の会話。
 
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 
「イソーローてなに?」
 
「なんにもせんと家でごろごろテレビ見てる人」(笑)
 
「子供?」
 
「いや、お父さんと同い年の大人」(笑)
 
「どんなしてご飯食べてんの?」
 
「お母さんに食べさして貰うの」
 
「仕事は?」
 
「だから『イソーロー』」(笑)
 
「見に行っていい?」(笑)
 
「ええけど普通のおっさんやで」
 
しまいには
「ええなあ、仕事も何もせんでええなんて、私も大きくなったらイソーローになりたいな〜」だと(笑)
 
二年生になった時、○出が転任となり代わりに「I」がやって来た。
そして顧問であったW先生は定年退職し、このIがいきなり剣道部顧問となったのだ。
 
そしてIは小学校からの悪ガキ仲間であったSとMのクラス担任になった。
 
Iは背が低く浅黒く、○出程では無いが言葉使いもガラが悪い。
話をしている間ホイッスルを回して紐を右手の人差し指にグルグル撒きつけたり解いたりを繰り返す癖がある。
右足の親指の爪が膨れ上がっており、どうも水虫らしい。
 
このIは何かにつけて剣道部を目の敵にした。
と云うより正確にはSとM二人が目を付けられていたのだ。
 
放課後三人で帰ろうとすると向こうからIがやって来た。
 
「おうお前らもう帰るんか、ワレ早う帰ってちょっとでも勉強せなあかんぞ」
 
「やかましいわい、おっさんに(←SとM二人はIの事を「おっさん」と呼んでいた)云われんでも帰るわい」
 
(実はSとM,そして俺も学業は出来る方だった。
この日はたまたまSとMがテストで平均点程度の結果を出したので、Iはそれに絡んで嫌味を云っているのだ)
 
「何やその口の聞き方は教師に向かって!こらワレ、しばくぞ!」
 
「何じゃこらおっさんしばいてみい!」
 
咄嗟にIがSに平手打ちをした。
 
「何をすんねんこらおっさん、指導力無いので暴力に訴えやがって校長先生に云うたろか!」
 
「おう云うてみい、お前らみたいに教師に逆らうとどうなるのか教えたるわボケ!」
 
「もうええやんけこんなおっさん放っとこ放っとこ」
 
「そやな、帰ろ帰ろ」
 
 
「こら帰るんか、逃げるんか。根性無し。アホ〜〜〜〜」と怒鳴るIの声を背中に聞きながら俺達は帰った。
 
 
次の日の練習の時、Iが体育館の隣にある剣道部の部室の前に立っていた。
 
 
「この剣道部の部室は廃止する。今後お前らは他のクラブと一緒に空いている教室で着替えろ」
 
(実は他のクラブは校舎の裏にある横に長いバラックに部室が並んでいたのだが校舎を増築する際に部室が撤去され、
新しい部室が出来るまで空いている教室で着替えていたのだ)
 
「何でやねん、この部室は工事に関係無いやんけ!」
 
「いや、他のクラブから
『俺達はジプシーみたいに毎日空き部屋探して着替えてんのに、何で剣道部だけ部室を持ってるんや』とクレームが出ている」
 
「知るかそんなもん、
他のクラブと違うて剣道部は防具やら面やら竹刀やら備品が多いから持って移動する事が出来ひん、
そやから剣道部だけ体育館の近くに部室を持ってたんやないけ!」
 
「それを云うならバレー部かてネットやらポールやら毎日準備しとる」
 
「何でやねん、あれは体育館の倉庫に入れたあるやんけ!」
 
「兎も角今日から剣道部の部室は廃止や、入ってはならん。」
 
「あほか中にある防具はどうするんや、出さんと明日から練習出来ひんやんけ!」
 
「ほな今日中に出せ。そんで持って帰れ。明日から入室禁止や。判ったな。」
 
 
自分が剣道部の顧問の癖に・・・完全なる嫌がらせだった。
 
 
「あのアホに何とか一泡吹かせたい」 俺達は考えた。
 
「そや、入るの入るなやのボックスがあるからややこしいねや、
今日中に完全にボックスを無くしてしもうたら明日おっさん、ビックリしよるんちゃうやろか?」
 
 
「剣道部のボックス」と云えば聞こえは良いが、
実は体育館の横にあった男子トイレに壁を張っただけの物だった。
入った所の窓際に机が二つあり、反対側の壁には直径25センチ位の材木が部室の端から端まで貫いていて、
それに打ち込まれた多数の8寸釘に防具や小手を引っ掛けていた。
 
窓はあるものの床には小便器の名残の排泄穴が二つ開いているし、
その奥の更なる壁で仕切られた「備品置き場」には大便器がそのまま残っている。
 
工作室から鋸や金槌やペンチ等を持ち出し、放課後の校舎で我々は黙々と部室を解体した。
 
出た残骸は校庭の端にある焼却炉に運んで片っ端から燃やした。
 
暗くなると焼却炉からは天にも届けとばかり紅蓮の炎が立ち上がり、壮観だった(笑)
 
 
次の日、一時限目の授業中にIが俺の教室に駆け込んで来た。
 
「授業中すいません、中森、ちょっと来い!」
 
俺は教室を出てIの後を付いて行った。
 
校長室の前にはSとMが並んで待っていた。
 
Iは「お前らのやった事はしゃれにならん、俺は見放した。
もう校長先生には事態を説明し、ちゃんと現場も見て貰った。後はどんな処分があろうと校長の指示に従え」
と云った。
 
「中学に退学は無いよな」
「弁償ったって、もう使ってない便所の弁償なんて出来んもんな」
「少年院?まさか」
「親の呼び出しは仕方ないやろな」
 
俺達は小声で話し合った。
 
Iが校長室のドアをノックする。「どうぞ」の声。
 
俺達三人は校長室に入った。
 
そして校長の口から出て来たのは意外な言葉だった。
 
 
「『発つ鳥後を濁さず』と云うが、実際はなかなか出来るもんでは無い。
君達は諸般の事情で他のクラブが部室を失う事態を見て自ら部室を放棄し、
更にその部室を綺麗に解体し、更にゴミを全て焼却処分してしまうとは真に生徒達の規範となるべき事であり、
立派である。
これからもその心掛けを忘れない様に学業に専心しなさい。」
 
俺達は揃って「判りました!」と頭を下げた。
 
校長室を出るとIが立って、ほくそえんで待っていた。
 
「どや、どやった?」
 
「何がえ?」
 
「どんな処分やて云われた?」
 
「知るか、お前が校長先生に直接聞かんかえ。」
 
そう云ってる間に校長室から校長が顔を出し。「I先生、ちょっと。」と呼んだ。
 
Iは一瞬気を付け!の姿勢になり「ハイ!」と返事をして校長室に入って行った。
 
 
今度は俺達がIの出てくるのを待った。
 
暫しの後に出て来たIに今度は俺達が「どやった?」と聞いた。
 
 
Iは「お前らは恐ろしい奴らや」と一言云った(笑)
時は昭和40年、昨年の昭和39年には東京オリンピックが開催され、日本中が沸いた余韻が生生しく残っていた。
女子バレーで「鬼の大松監督」率いる日紡貝塚が「東洋の魔女」と呼ばれ、金メダルを取った記憶も生々しい頃だった。
 
日本中が「根性」、「努力」と云う言葉に憧れていた。
 
一年生の指導は上級生である二年生の三人が仕切っていた。
三年生は受験を控えているので殆ど練習には出て来ない。
 
練習と云えば聞こえは良いが実際は殆ど「シゴキ」と呼ぶべき物だった。
 
練習が始まるといきなり腹筋200回、腕立て伏せ20回、うさぎ跳びでグランド一周、空気椅子5分が取り敢えずの準備運動で、
初めの頃はこれだけで声も出ない程へとへとになる。
 
他のクラブの連中は呆れてその様子を見ている。
 
二年生はこの間「おら根性が無いぞ!」「もっときばらんかい!」と怒鳴り、
遅れた奴を竹刀で叩いたりはするが殆ど見てるだけ。
 
そして蹲踞、素振りの後に掛かり稽古が始まる。
 
冬になると「寒稽古」と称して、大寒の当日から一週間、早朝5時から練習をする。
 
練習後に喰う分と昼飯に喰う分、弁当を二つ持って誰もいない体育館に向かう。
 
遅刻したら竹刀でしばかれる。
寒い。体育館の冷え切った床の冷たさが裸足の足から沁みて来る。
 
あのトラウマから俺は朝が弱くなったのでは無いだろうか・・・。
 
二年生に云わせると「勝負は気合」であり「駆け引き」であり、
その為には第一声で驚かせ、相手の度肝を抜いてこそこちらのペースに持ち込めるらしい。
 
その為、掛かり稽古が始まると
「きぇええ〜〜い!」「どひぇ〜〜〜い!」「どわぁ〜〜〜っ!」と素っ頓狂な声が体育館に響き渡る。
それぞれにどうしたら相手の度肝を抜けるかと工夫した結果だ(笑)
 
実際に試合の際、これは有効だった(笑)
俺は何を隠そう、個人戦で京都府下第三位の奴に一本入れた事がある。
 
俺が先鋒で試合に臨んだ我々は相手の先鋒がその男だと知り、
「こらアカン」、「全員一人にやられるのと違うか?」等と云い合っていたのだが、
俺としてはこうなりゃ意地で、せめて一本だけでも入れてやろうと思っていた。
 
相手は小柄だ。俺の作戦は決まっていた。
 
向き合い、礼をして審判が旗を出したその下に竹刀を合わせる。
 
審判の「始め!」の声の瞬間、相手が半歩下がったその刹那、俺は一歩踏み込んで「めぇ〜〜〜〜ん!」と後頭部めがけて面を打ち込んだのだ。
「一本!」主審も副審も同時に旗が上がった。
 
相手は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしている。
 
ざまみれ。「○出流」だ(笑)
 
控えにいた剣道部員は沸いた(笑)
 
しかしさすが京都府下三位、その後絶妙の小手を二本続けて喰らい俺は敗退し、
その後立て続けに副将までやられてしまった。
 
結局向こうは二人だけで俺達五人を撃破した。
 
それでもこの試合で京都市内でベストエイトに残ったこれが俺達の生涯最高成績だった(笑)

嗚呼、花の剣道部(1)

(時節柄まだまだ続きそうなモンキーネタを一時中断して、
去年好評を博した「死にかけた話」に続き、「お盆スペシャルサービス」と題しておバカネタをお送りします)(笑)
 
どうもうちのブログは技術ネタよりおバカネタの方が受けるんだよね・・・。
 
俺の中学の教師は変な奴ばかりだった。
 
殊に体育教師。
 
脳味噌が随意筋で出来ているのか、
或いは中身は空っぽで海綿体が充満してるんじゃ無いかと思わせる奴しか体育教師にはなれないのでは無いのか?
 
兎も角俺は体育教師にだけはなりたくないもんだと常々思っていたもんだ。
 
中学生活初めて出会った、中一の時の体育教師は「○出」と云った。
仇名は「出○」で、これは下げ箱を持って寿司や店屋物を配達する人間の通名であり、
普段生徒の間では「出○」と呼ぶ事が通例となっていた。
 
背が高く常に浅黒く少し出っ歯で、河内弁である。
 
生徒を「おうワレ、こらワレ」と呼ぶ。
 
体育の時間に○出を呼ぶ時に、
つい普段の呼称である「出○先生」と呼んでしまうおっちょこちょいで不幸な奴がいる。
 
そいつは自分の言葉が自らの口から発せられた途端思わず我が手で口を塞ぎ、顔面蒼白になる。
 
周囲は一瞬に凍りつく。
 
○出は「何おぅ、何じゃこらワレ〜!」とそいつの所へ脱兎の如く突進し、
いきなり数発の両手ビンタを浴びせ、
しどろもどろの言い訳をしながら後ずさりするそいつの襟首を掴んで振り回し、
或いは華麗な首投げを一発決めて転ばせた所に容赦無く、
さすがに顔面は蹴らないが背中と云わず腹と云わず足と云わず、
「こら教師に向かってこのボケ、ワレ、糞ガキ!」と罵りながら、
相手が泣こうが喚こうが容赦無く、
他の生徒が「あかんて先生!」「死んでまうてそいつ!」と叫びながら教師の体に群がって、
手足を押さえられて最早動けなくなるまで、
当たるを幸い足蹴りを浴びせるのだ。
 
実は俺もその嵐の様な蹴りの洗礼を受けた事がある(笑)
 
今時こんな教師がいたら即刻首になるんだろうが、
当時は家に帰ってその事を親に話したら「お前が先生に向かって悪態を吐くから悪い!」と尚更怒られる。
 
ちがうねん、普通の教師やないねん・・・。
お前らこんな教師見た事無いから判らへんねんて・・・。
 
 
俺は中学に入って直ぐに剣道部に入った。
特に剣道が好きだった訳ではないが、小学校からの友人「S」と「M」が入部を決めていたからだ。
 
顧問は剣道三段の歴史の教師で副教頭でもあるW先生。
メガネを掛け、日本男児そのものの如何にも紳士であった。
紺色の剣道着が似合った。
 
高齢であったが生徒の掛かり稽古にも時々参加される。
立ち振る舞いが華麗であった。一本入れる所か竹刀が体に触れる事さえ出来ない。
部員の尊敬を集めていた。
 
ところが剣道部と云わず体育会系クラブには「副顧問」なる者が任命されており、
これが剣道部の場合、前述の○出だった。
 
○出は極くたま〜に部活の最中にやって来る。
 
やって来ると必ず一声「おらワレ、もっと元気出さんかい!掛かり稽古じゃ〜!」
と蹲踞の練習もそこのけで終わりの無い掛かり稽古が始まってしまう。
 
全員「このおっさんに絶対一本入れてやる!」との意気込みで掛かって行くのだが相手は○出、
近づいたら相手を両手で突き飛ばし、離れ際に右手一本で「面!」と一声後頭部に竹刀を振り下ろす。
 
これが脳震盪物に痛い。
 
呻きながら頭を抑えてうずくまる部員に「何じゃワレ、根性が無いの!ほれ次!」と吐き捨て、
結局全ての部員が戦闘不能になるまで「○出流掛かり稽古は続くのだった。
 
迷惑な熱心さを持つ奴だった(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近頃の、
近所の姉ちゃんみたいなのとかチチがデカイだけの姉ちゃんがテレビや映画に出てる時代じゃ無く、
俺が子供の頃、映画女優と云えば美人に決まっていた。
 
ここで云う「美人」とは近頃の若者には想像も付かない、もし一人でも見つけたらたちまち座り小便、
AKB48が千人いたって一人も見つけられない様な、超ド級の美人の事である。
 
そもそも「美人」ってのは何を以って美人と呼ぶか?
それは「浮世離れした美形」である事。
 
そこらにいそうな姉ちゃんじゃ無い、
「こいつ暇な時は家で焼き芋でも食いながら寝転がってテレビでも見てんだろな〜」なんて想像を絶対させないと云うか、
想像すら出来ないと云うか、
焼き芋どころか何を食ってたらこんなに美しくなるんだ!
霞でも食ってんじゃ無いだろうか、
絶対う○こなんかしない、屁なんかこかない、それどころか尻には下品な穴さえ開いて無いんじゃ無いか、
そう思うと我々脱糞する様な下賎な者が触れる所か近づくのさえ畏れ多い様な、
一度触れれば天罰でその手は腐りやがて全身燃え尽きるんじゃ無いだろうか、と思わせる、
正に天上界の天女の様な存在だったのである。
 
まあね、俺がガキの頃は京マチ子様を筆頭に先日亡くなられた高峰秀子様とか南田洋子様とか司葉子様とか、
池内淳子様とか八千草薫様とか、
燦然たる美女が銀幕で活躍してた時代だった訳だ。
 
そんな時代にぶっちぎりの彼女はデビューした。
「吉永小百合」様だ。
 
俺が小学生の頃必死で見ていたテレビ番組「赤銅鈴ノ助」に、絣の着物を着た子役でデビューしたのを俺はありありと覚えている。
 
子役とは云え美しさの片鱗はあった。「ダイヤの原石」を発掘した心地だった。
 
クラスで吉永小百合様の事を話しても誰も知らない。「俺だけの物」って気分で嬉しかったものだ。
 
その後「キューポラのある街」のポスターが街のあちこちに貼られ、
その後「寒い朝」でレコードデビュー、
更に橋幸夫とのデュエットである「いつでも夢を」が大ヒットして遂にはレコード大賞を獲った頃には、
彼女は誰でも知ってる国民的美人女優になってしまった。
 
俺は今更彼女を美人だともてはやす周囲のガキ共や、
彼女の七光りでレコード大賞取りやがった癖に寄り添ってテレビで歌う橋幸夫を苦々しい思いで眺めていた。
 
そんなある日、彼女は看板となって俺の日常の、眼前に現れた。
 
イメージ 1
 
俺の小学校の正面玄関の真向かいに友人の酒屋があった。
 
その前に小百合様は白いドレス姿で、手に赤玉ポハニーワイン」を持ってにこやかに立ってらっしゃったのだ!
 
 
 
学校で何気無く(のつもりで)その友人に聞くと「実物原寸大」らしい(笑)
その日から俺は家に近い校庭からではなく正面玄関から登下校するのが常となった(笑)
 
しかし目を合わせられない。下を向いて誰にも聞こえない小さな声で「おはようございます」「さようなら」と声を掛けるのが精一杯だった。
 
長い間その看板はそこに置かれていた。朝夕に店に取り入れる様子も無い。
 
時々店のおっさんが小百合様の肩に手を掛けたりしてアホそうなおっさんと立ち話をしてる。
 
「わりかし小さいんやなあ」とか「足が太いんやなあ」とか云いながら彼女に触ったりしてるのを見ると、
「俺が大きくなったらこのおっさん、絶対殴ってやる!」と心に誓うのだった(笑)
 
そんなある雨の日、下校時に彼女の足元をみると軒先に入れられているとは云え、
靴の辺りが剥げ掛かってきている!
 
「彼女はこんな下町のおっさんに弄ばれて朽ちて行くのか・・・そんな事は許さん、絶対させん!」
 
俺の心は決まった。
 
その日の夜、「友達の所に行って来るわ」と母に告げて俺は家を出た。
そして酒屋に辿り着き、軒下に隠れて人通りがいなくなるのを待った。
 
誰もいない事を確かめると俺は彼女を抱きしめ、つうか脇に抱えて一目散に家に向かった。
 
思いの他にデカイ、そして重い(笑)
運びながら、日露戦争時に爆薬を抱えて敵戦車に体当たりした「肉弾三銃士」を思い出した(笑)
 
ようやく家に辿り着き、玄関に小百合様を残して母親が寝静まるのを待ってから、
深夜に彼女を俺の部屋に引きずり込んだのだった(笑)
 
身長は当時の俺と同じくらいだった。よく見るとなるほど足が太い。
 
いざ前に立つとさすがに恥ずかしい(笑)
 
「ここなら大丈夫です、ゆっくりしていって下さい」とか何とか挨拶をして、押入れに彼女を立て掛け戸を閉めた。
 
それから毎日朝と寝る前に押入れを開いて彼女に挨拶をするのが日課となったのだった。
 
数日後、俺の部屋の押入れにはシンガーミシンの横に寄り添う酒井和歌子様までやって来て、
その後暫くして俺が留守の間に母親が押入れを開いて腰を抜かす迄、
殆どハーレム状態だった(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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