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NO.6 神田?神田の爽やかな歯切れの良い低音の声がよぎった。 「・・・」 「望美?」 「あ。お姉ちゃん」 「望美、起きてる?」 「う?うん、起きてるけど、そろそろ寝ようかなとしてるとこだけど」 なんか変だ。こんな時間に、しかも用事がない限り、姉から電話をかけて来る事はない。それにトーンが低い。 「あのね、光博がね、・・・死んだの」 「エッ!嘘・・・なんで・・・いつ?」 「さっき、0時47分」 「エッ〜〜そんな悪かったの?」 「あんたには言わなかったけど、悪い事は悪かったの。でもこんなはずではなかったのよ。急変して。 それで、望美に来てほしいんだけど。来れる?」 「いつ?今?」 「今、タクシーで来て。お金は出すから。一樹があんたにしかなつかないでしょ」 「うん、一樹は?寝てるの?」 「寝てるけど、これから明日も、私には色んな事あるし、とにかく来てよ。出来れば1週間ぐらいいれない?」 「そうしてあげたいけど、仕事が・・・分かった。とりあえずこれから行きます」 「あ、そう?良かった。あ、それで、ほら、あれ、持ってる?何だっけ?黒の」 「喪服?喪服っぽいのはあるよ。普通の黒のワンピースだけど、それでいいなら」 「飾りがなければ大丈夫よ。じゃあ、それ忘れないで。あ、そうそう、途中で開いてるお店あるかな?何か飲み物とかお菓子とかカップラーメンとかなんか適当に買って来て。一樹が、ほら、あれだから」 「わかった。一樹が食べそうなのね」 「じゃあ、お願いね。1時間ぐらいかかるわね」 「そうね。準備もあるし、買い物もあるし、もう少しかかるかもね」 「じゃあ、気をつけて。あ、家にね」と言って切った。 なんてこと!望美は呟いた。お兄さんが逝っちゃうなんて。 とりあえず旅行用のボストンバックに3日分ぐらいの着替えとをパッパッパと頭が真っ白になりながら手早く詰め込んだ。黒のワンピースと靴だ、忘れる所じゃん。それにしてもなんで?繰り返しもたげる疑問が、望美の脳の中をグルグル回っている。そうだ、出勤用の洋服も持たなきゃ。それから一樹にと銀座のソニープラザで買っておいた輸入お菓子を思い出した。それも紙袋に入れて電話帳でタクシー会社を調べて頼んだ。さすが、秘書をしてるだけある。いざとなると望美の動きが手早い。20分でそれらを終えてストーブ、電気製品を指差し一つ一つOKと言い、消して外に出た。雪は小降りになっていた。深夜、冷え込む暗い夜道でタクシーを待っていると段々心細くなる。空車が走っていないのを見ると、こんな雪の日にそう簡単につかまる筈はないと判断したのは正解だった。ほどなく予約したタクシーが目の前にス〜っと停まり乗り込んだ。車内は暖まっていた。 「今日は混んでるんでしょ」 「そうですね。雪が降れば桶屋が儲かるって感じかなあ」 「ハッ?それ、面白いね、運転手さん」 「いやあ、ハハハ。大して儲かんないんですけど。道が滑るしね。ゆっくり走るでしょ。忙しいだけですよ。何てたってこの時間は台数が少ないですから」 「なるほどね。だから深夜のタクシー停めるのって大変なのかしら」 「それだけじゃないですけどね。都心に行っちゃうしね。お客さん、こんな時間にどうしたんですか?恋人の所にでも?いいな。こんな人が夜中にくるっていう男性は幸せですよ」 何だ、これは・・・踏み込み過ぎじゃないの?しかも、勝手に決めつけて。 「運転手さん、家族が亡くなったの。そんないい話じゃないわ。そうだ、途中にコンビニか深夜開いてるスーパーがあったら、そこへ寄りたいんですけど、どこかあります?」 「あ、それはすみません。そんな時にすみません」 後ろを振り返りそうになりながら、恐縮して何度も謝るのだ。感じが良い人で良かった。道も詳しそうで、安心して任せられそうと望美は少し緊張感を緩めた。これから尋常じゃない事が起こる筈だし、ここで少し弛緩しておこうと思った。なにしろ立ち居振る舞い、ヘアースタイル、服装から持ち物まで何かとうるさいし、急に訳も分からず怒り出す姉だし。気の良い運転手のお陰で無事に買い物も済ませて、同じ都内でも対角線に位置する姉の家に着いた。3時半になっていた。 翌日から家政婦、子守り、家庭教師、姉のマッサージ師、そして姉の代わりの裏方を望美はこなして、悲しんでいられない喪主のようであった。ちょっとでも涙ぐむと姉が、そんな暇はないわよ、子供の前で泣かないでと叱責する。会社は2日までならと言う所をごり押しでなんとか1週間休暇をとった。 有名私立大付属病院の勤務医である義兄の光博は少し年齢より老けて見えるのだが、温厚な性格と腕も良く、患者さんから信頼され評判が良かったらしい。参列者が千人を軽く越える盛大なお葬式だった。姉は望美にもっといて欲しい、出来ればここで暮らさないかと言う。どんなに懸命にやっても、姉の満足を得られずに何度も人前でも叱られた。5日間でこりごりした。 久しぶりに家に戻ると、ドアに紙切れが挟んである。誰?神田?裕太?そういえば。神田から電話がなかったし、何かあったのかと思ったまま、留守にした。神田が心配していたかもしれない。 部屋に入り、ドサッと荷物を置いて手を洗ってメモを見る。神田だった。来たんだ、あいつ。ふっと小さく笑った。疲れが飛んで行きそうなくらい嬉しかった。 でも、まさか望美の身にこんな事が起きてるとは思う筈もなく、多分勘違いをしているんじゃないのかと恐る恐る目を走らせる。 筆圧もしっかりして、整然と並んで適度な大きさのいい字を書く。へ〜〜誠実そう、目を見張りまじまじと見て、初めて神田の字を見ている事実にも感動していた。 残して行ったメモには、急にロケになり外出して電話をかける程の自由がなかった事、翌日遅い時間に帰り死んだように眠った事、毎日電話した事、怒った望美から嫌われてないかと心配してる事、そしてアパートに3度訪ねて、その都度メモを挟んでは交換している事が書いてあった。 二人とも思わぬ方向に流されていたのだ。 バックから取り出した物を洗濯機に入れて廻し、シャワーを浴びてから、バスタオルで身体を包み、ドライヤーを髪にあてていた。 ”ピンポ〜〜ン”誰かが来た。こんな時に、普段なら無視する状況だが、ハッと予感がした。音を立てないようにしてドアに近づいてみる。誰?神田?男の話し声がする。 「メモがないよ。いるのかな」 「戻って来てるね」 神田の声がする。でももう一人いる。またピンポ〜〜ンと鳴った。誰が一緒なの?この格好よ、出れる訳ないじゃない。 「はい、どなた?」 「あ、いた〜〜山岡?俺、神田」 「神田?ちょっと待って。今ちょっとひどい格好なの」 「いいよ、どんな格好でも俺はいいよ。構わないよ。いて良かった〜〜」 ホッとした声。だからって構わないってこっちが構うんだってば。 「あのう、実は・・・シャワーした所で、裸なの」 「エッ、裸?そ、そうなんだ。それはそうだな。着るまで待ってるよ」 「うん、待ってる?着たからってお化粧もするし、いい〜い?」 「勿論。着なくてもいいけど〜〜ハハハ」 「やだ、バカね!待ってて」 もう、やなんだから、神田はこんな時もあんな風に冗談言うし。そんなとこ好きなんだけど。 やだ、誰が一緒なの?エッ!いったい誰が私の裸を見るのさ〜〜やな奴!神田はなんで誰かを連れて来てるの?慌てるものだから、あちこちに足をぶつけ、ゴミ箱を転がし、まとめておいた郵便物やチラシがぶつかった瞬間に床に落ちてばらまかれ、小汚い部屋になる。何なんだ〜〜余計な仕事が増えちゃったじゃん。もう、ダメだなあと呟き、自己嫌悪に軽く陥りながら、さっさと急いで事を進めた。 高校の時に素顔を見られてる事だし、さっと素早く軽くお化粧をして時間のかかりそうな荷物を押し入れに押し込んで部屋を片付けてドアを開けた。 「遅くなってごめんなさい。お待たせしました。どうぞ」 「オウ、こっちも勝手に来てごめん」 うん?神田の隣に立っている若者も微笑んで会釈した。 「あ、こいつ、大沢」 「大沢です。すみません。初めまして。ヒデが大変だって言うもんだから」 「あ、初めまして。山岡です。あ、どうぞ」 「どうしていた?俺、謝らなきゃなんないし、ちょっと、コイツ絡みの事があったから、来てもらったんだ」 「そ、そうなんです。俺が、ヒデを」 「ま、なんだか分からないけど、私、今帰ったばかりで、何か飲みたいし、何がいい?コーヒーと紅茶、緑茶とオレンジジュースとトマトジュース」 「じゃあ、コーヒーを、大沢もいいだろ」 大沢がうん、うん、と従順に頷いた。学生は可愛いなあと思いながら、日頃本心が分からない会社の大人たちの嫌らしさとの違いを感じていた。喫茶店でバイトをした事のある望美は上手に手際良くコーヒーを入れてテーブルを挟んで向かい合わせに座った。 「うん、美味いね」 「ホントだ。美味しいです」大沢もウンウンと頷いて大きな声を張り上げた。 「お前張り切るなよ」 はい、分かってますと言って大沢が神田を無理に連れて行った経緯を話した。 引き続き神田が話し始めた。ビックリさせようとここに来るつもりだったと初めて知り、神田の気持ちが伝わって、それは高校時代には考えられない事、夢のようで、だが現実に胸がキュンとする。 「お前はどうしていたの?何かあった?怒っていると思って心配だったよ」 「怒る暇なんかなかったわ。泣く暇だってなかったんだもん」 怪訝な顔をする二人にこの5日間を話した。 「そうか、大変だったんだ〜。僕たちそんな考えには及ばなかったなあ」 「そうなんですよ。こいつ、あなたが死んでるんじゃないかとまで言って」 「おい、それは言うなよ。失礼じゃないか。お前案外がさつだなあ。ちょっと心配だっただけだよ。ごめん」 大沢は予定があるからと言い、神田と約束していた通りに先に帰った。 二人きりになった。沈黙が続いてコーヒーカップを口に何度も運んでいた。洗濯機が止まったようだ。 「洗濯したの?帰ってすぐ?やっぱ女の子だなあ」 「1週間だもん、着替えにも困っちゃうし、すぐやると簡単なのよ。洗濯機に入れるだけでいいんだもん」 「干す?俺、邪魔?手伝う?」 「やだ〜下着が殆どよ。いい。後でやる」 「早い方が皺が出来ないんじゃない?俺、それでいつも失敗するよ」 「そうね、じゃあ干しちゃう。見ないふりして。部屋の中に干すし」 「あ、そっか。見ない振りは任せて。役者だし」 一緒にやると早くゆっくり出来ると言って神田も洗濯物を入れた籠を運んだりして、少し手伝った。こんな男もいるのかと不思議だった。神田は中学時代からの仲の良い女子とも普通に話していて高校時代からユニセックスのような性別に拘らず、誰とでもフランクに接しているように感じていた。望美は幼い頃から進歩的な家の雰囲気のせいと、家の本棚の文学全集を手当り次第に読みあさり、特に望美は外国文学に傾倒した。時代の影響もあり、無意識にフェミニズムの考えを持っていた。神田に居心地の良さを感じた。この人なら結婚しても楽だなとも思う。 干し終わって、一息つくと。息が詰まりそうな空気が流れる。 「ありがとう。早く済んで助かったわ。それに」 「俺、会いたかった」 「うん」と言う望美の肩に神田の手が伸びて、顔を見合わせると 「ノンちゃん、好きだ」いとおしそうに望美を見つめてから、ゆっくりと肩を抱き、望美のふっくらして少し乾いた唇にそっと自分の唇を重ねた。柔らかな神田の唇が優しく何度も繰り返し触れている内に望美の身体がよろめいた。ギュッと望美の身体を引き寄せると堰を切ったように好きという感情が溢れ出る。愛が伝わるやさしいロマンティックなキスだった。 神田は自制した。幸せで充足していた。頬が紅潮して、まとわりつくように神田を見る瞳が濡れているのを見て神田の心が動いた。 「ご飯どうする?何か食べに行く?」 望美がそう言って差し出したコーヒーカップを受け取りながら神田が笑った。 「ハハハ・・・ノンって面白いな」 「え?何が?」 「うん、好きだな。そんなとこ」 「え?なあに?お店閉っちゃうよ。食べなきゃ、生き抜けないぞ」 「ハハハ・・・そうだね。生き抜くために食べに行こうか」 ――――――――――――――――――continued――――――――――――――― |
小説 仮題「ノン」
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