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仮題 ”ノン " NO.8 まだ夜が明けたばかりだと言うのに目が覚めてしまった。ベッドの横の目覚まし時計が5時半を指している。いつも出勤2時間前に起きるのが習慣だが、それにしても早すぎる。薄暗い部屋の中でしばらくまどろんでいた。 まだ昨夜の事が信じられない。隣で寝ている神田の顔をしばらく望美は見つめていた。こんなに近くでまじまじ見るのも初めての事だ。なんて、不思議なんだろう。こんな日が来るなんて誰が想像出来ただろう。 高校時代、演劇の舞台もバレーボールの試合も遠くからだったし、廊下の向こうから歩いて来る神田をすれ違い様にちらっと見る程度で、どちらかと言えば、近づくと目をそらすのが常だった。 薄明かりの部屋で神田の日本人離れした顔が一層白く透き通っていて美しく、少し半開きの口元が親を信頼して眠っている赤ん坊のように望美の横で安心しきっているように思える。可愛い。これが母性本能と言うものなのだろうか。確かに神田が愛おしいと感じている。 神田がう〜〜んと薄目を開けた。 「あ、起こしちゃった?ごめんね。まだ寝てていいよ」 「あ〜おはよう」 「おはよ…あ、」神田の手が望美の身体を引き寄せた。一糸まとわぬ二人の肌が触れ合う。 神田の腕の中にすっぽり包まれて熱気がたまっていて、神田の肌も温かい。 「ノン」 「うん?」 「幸せ?」 「うん」 「俺も」 赤みがかったピンクの半開きの柔らかな唇に望美が人差し指でちょんと軽く触れた。 「うん?チューしちゃうぞ」 「ウッ!」柔らかく優しいキス。 「あ、トイレ、トイレに行く〜」 「え〜そんなのダメだよ〜〜」 「我慢してたんだもん」 「あ、俺も。どっちが先?」 「あたしよ!」とベッドから出ながら、掛け布団の下の毛布を引っ張り出し 「これ頂戴」 毛布を巻き付けてトイレに向かう望美を神田が追うようにベッドから飛び出した。意外に上半身が筋肉質の身体をしている。急いで目を逸らす望美に 「俺も寒いよ〜〜一緒に行こう」神田が背中にしがみついた。 「やだ〜〜出ちゃう〜〜」 「俺も〜〜」 「寂しくない?いた方がいい?どうする?」 「やだ〜〜恥ずかしいよ。見られたら出来ないじゃん」 「ドアの所にいます」とドアをうやうやしく開けてどうぞと手を紳士のようにして促した。均整のとれた美しい神田の裸体に目のやり場に困ると 「アハハ、裸でこれは無いよね」 「向こうに行って」と毛布を神田に手渡した。 「オウ〜〜!美しい!」 「やだ〜早く〜〜閉めて」 「はい、はい、了解」 朝が少しずつ始まっていた。誰かが階段を降りる音がした。 「コーヒー、入れる?」 「うん、いいね。このシチュエーションでコーヒー、いいね」 「風邪引きそう…」 「早くコーヒー入れてまた入ろ、ベッドに。ノン、何時に出るの?」 「うん?いつもは7時に出るけど。でも今日はまだ、お休み取ってるから行かなくていいの」 「え?大丈夫なの?オウ〜〜それは凄い!ラッキー!それじゃあゆっくりできるんだあ。じゃあ1日中一緒にいれる?」 大げさに手振りを入れて喜ぶ神田が可愛いと思う。演劇部のせいなのか、元々こうなのか、高校時代にもそんな神田を良く見かけた。 喫茶店でバイトをした経験のある望美が丁寧にコーヒーを入れながら言った。 「この時間が好きなのよ。こうしてゆっくりコーヒーにお湯を入れる時が」 一度膨らませるようにたっぷりお湯をさして空気が抜けるようにお湯がポットに滴り落ちた後、またお湯を切らさないように少しずつお湯をさし続ける。お湯の量に集中する時が無我の境地になるようで落ち着く。至福の時間だ。 「ノン上手だね」 「どうか分からないけど、一応バイトで教わったから。お店は布ドリップだったけど」 「へ〜〜喫茶店でバイトしたの?信じられないなあ。高校ん時を考えると、そんなイメージじゃなかったよね」 「そう?そんな感じ?」 「うん、真面目でお嬢様って感じだったよ」 「がっかりした?」 「逆だよ。それは変わらないんだけど、それ以上にもっと素敵だよ」 風邪引きそうだねと言って望美に毛布をかけるようにすると神田が自分の身体をスッと望美の横に入れて巻き付けた。作業の邪魔なのに寒さには勝てない。そのままで続けた。 「そう言えば『美徳のよろめき』っていう本があるんだけど、その世界みたいだな」 「三島の?」 「ノン、知っているの?読んだ?」 「うん、読んだよ。そう、ホントだ。あのシーンみたい」 「そっかあ〜あれ、読んだんだ〜ノンも。俺たちの高校であれを読んだ奴が居るとは予想してなかったなあ。それもノンが。驚きだよ」 「私も。びっくり。まさかヒデが読んでたなんて」 「君、ませてる?」 「どうなの?わかんない。姉たちの本棚にあったものなんだけど。文学だけはそうかもね。片っ端から読んでたし。お父さんの本棚もね。全部じゃないけど。意味が分かんなくて字を追っていただけっていうのもあるし、中途半端もいっぱいあるし。美徳は三島にしては読み易かったよね。薄かったし」 「そう言えばそうだね。『金閣寺』は俺、諦めたもんな」 「あたしもおんなじ〜〜難しくって」 コーヒーの香りが部屋中に広がり穏やかな朝が来た。 「美味いよ。ノン上手だよ」 演劇をしている神田の読書量は望美以上かもしれない。 「そうか、あの中で一日中裸で過ごそうって言ってさあ。べッドで朝食とる場面があっただろう?」 「それ、憧れていた。大人になったら、そんな風にしてみたいって」 「ノンも?俺もだよ。俺たち、似てる?あれをしよう。トーストだよ。食パン無いよね?帰って来たばっかだもんね。俺、買って来ようか?」 「そう、トーストね!それがあるのよ、食パン。お姉さん家から持って来たの。朝食べれるようにって」 若い青年が年上の人妻と確か軽井沢のホテルで過ごす場面だ。興奮してドキドキしながら読んだ。神田も同じだったのかしら。 「ノンさあ。よく図書室行ってたでしょ。昼休みに」 「え?うん。行ってた、昼休み。どうして?知ってるの?」 「俺も結構行ったんだよ。昼休みより放課後かなあ、俺は。たまに本を読んでいるノンを見かけたよ」 「え〜そうなの?知らなかった」 「それで、ノンが何を読んでいるのか知りたくってさあ。それがノンが返却した後のを借りたんだよ。偶然だよ」 「え〜〜そうなの?何を借りたの?」 「『デミアン』。ノンの後に3人くらい名前があって。それで、それからノンが借りた後すぐ借りたくてさ」 「やだ〜」 「やだ?」 「う、うう〜ん。嬉しい…」 「それで『郷愁』そして『知と愛』」 「ゴルトムント」 「ナルシスとゴルトムント」 「そう、そう、凄い!ヒデ凄い!友だちも読まなかったんだよ。一人は源氏にハマってたし、もう一人は嵐が丘のヒースに夢中だったし。いくら勧めても読んでくれなくて、ヘッセを話せる人がいなくて。ヒデ凄いよ」 「うん、凄いでしょ。俺は『デミアン』という題名が目に留まって。それが初めてのヘッセだったけど」 「ペーター・カーメンチートをペーター・カーチメントってずっと勘違いしていたのよ、私」 「あ〜そんな名前だったね。『郷愁』だっけ?」 「うん、そう。忙しいのに読書する暇があったの?」 「まあ、そんなにしょっちゅうではないけどね。俺は家まで5分で帰れるし、ノンたちみたいに電車通じゃないから、その分、時間が取れたんじゃないかなあ」 「でも私たち電車通は電車に乗ってる間が読書の時間になったのよ」 「なるほどね。そう言えば、卒業前の生徒会誌に全員の一言を書いたじゃん。あの時ノンの言葉がデミアンだったかなあ。ヘッセの作品の中の言葉だったでしょ」 「わ〜〜分かってくれてたの?」 「何か聞いた事あるなあと思って、見返して探し当てたんだ。<自分が愛されたいように愛せよ。そうすれば必ずやあなたの愛は通じるだろう>だった?」 「凄い!まさか!あれは自分に言い聞かせる意味だったんだけど、でもあなた宛てでもあるのよ。まあ、気づく筈ないって思って期待なんてしてなかったし、吐露しただけなんだけど」 何と言う事だろう。知らないとは言え、全く気づかずに、片思いの果ての失恋の痛手から立ち直ろうと必死だった。しかも他の人に目を向けようとしてみたり、それは簡単ではなく、神田への思いを引きずりながら、辛い時間を過ごしたというのに。互いに同じ思いを抱えていたのにも拘らずだ。何故すれ違うのだろう。何故思いを伝えられないのだろう。恋愛に関して、まだまだ閉鎖的な環境のせいなのか。普通に男女が話せる機会など無かったし、大体日本人は自分の思いを伝えるのが苦手だ。奥ゆかしいという言葉が物語るように。それに若い頃は結果を恐れて、伝えずに恋心を秘めてしまうのだ。望美も例外ではなかった。 「シャワーしなくて大丈夫?シャワーする?歯磨きも」 「このままでいい」 「歯磨きだけでもしたら?」 「そうだね。俺歯ブラシ持ってないけど、ある?」 「大丈夫。買い置きしてるから」 何気ない日常の会話がすでに自然で、それは神田との恋愛の証のようで、それが望美の心を満たしていた。 TVをつけると朝の天気予報が流れている。どうやら今日は晴れて気温が少し上がるらしい。 外を歩く人の気配がする。そろそろ1日が始まり出したというのに、ベッドルームはまだ夜の続きのように薄暗い。 歯磨きを終えた神田の腕が背後から望美を包んだ。 「お天気良さそうだね。朝日の中であれをしない?」 「え、あれって?」 「さっき言ったあれだよ。裸でトーストだよ」 「え?やっちゃう?」 「うん。そうだ、ノン。パンを出してくれる?」 暖まった室内で身体は冷えきっていた。神田が望美をひょいと抱きかかえてベッドに運ぶと、僕に任せてとうやうやしく執事のように礼をして台所に戻った。 ――――――――――――――――――――continued―――――――――――――――――――― アップ後も加筆修正があります。ご了解下さい。 尚、この作品の権利は作者にあり無断転用、使用を禁じます。 |
小説 仮題「ノン」
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久しぶりの小説、楽しみにしてました。
こう言う朝、いいですよね。
2011/12/20(火) 午前 0:54 [ - ]
それはありがとうございます。
こんな朝をご経験で?
書く側は妄想で書いてます。
2011/12/20(火) 午前 3:29 [ carmenc ]