楽譜de散歩〜CARSメンバーだより

CARSメンバーの日ごろの雑感をリレー形式で紹介します

全体表示

[ リスト ]

 皆さんこんにちは。
 楽譜コピー問題協議会(CARS)事務局です。

 去る2018年3月16日,CARSの会員である一般社団法人日本楽譜出版協会(JAMP)の呼びかけで,同協会加盟社の社員で普段から楽譜の制作に携わっている担当者の皆さまと,CARS幹事の著作者らによる座談会が開催されました。

 そのときの様子を4回にわたってご紹介しており,今回は2回目となります。

 なお,CARSウェブサイトでも既報のとおり,この座談会にも参加した末吉保雄代表幹事(当時)が,2018年8月に逝去されました。事務局において,本座談会の模様を公開することの是非を検討しましたが,末吉氏は,本座談会において,楽譜に対する思いや,楽譜コピー問題の本質に切り込む分析を,作曲家ならではの視点で熱く語っており,氏の発言を広く紹介し,後世に伝えることが,本協議会の発足当時から熱心に活動に携わった氏の遺志に叶うものと考え,今回の公開に至りました。

  皆さまにも,楽譜に懸ける楽譜出版社の担当者や著作者の思い,楽譜制作にまつわる「あるある話」について興味をお持ちいただければ幸いです。

 

〜CARSについて〜
 楽譜の違法なコピーの防止に関する啓発活動等を行うことを目的として,一般社団法人日本音楽作家団体協議会(FCA),一般社団法人日本楽譜出版協会(JAMP),一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の三者によって設立,運営されている団体です。
https://www.cars-music-copyright.jp/


楽譜・作品への思い


●韓(音楽之友社) ●
 作家の先生方にお話をお伺いしたいと思います。楽譜の制作や,作品の創作過程で,どのような苦労がありますでしょうか?


●末吉(作曲家)●
イメージ 1
 私は,自分の作品を主に音楽之友社から出版しています。2017年に「スネアドラム・ソロによる“五つの情景”へのエチュード」(※1)という作品を,音楽之友社のご担当の方といろいろ議論しながら制作していただいたばかりです。また,「チェルニー30番」と「チェルニー40番」のNew Edition(※2)や「バルトーク ミクロコスモス6」(※3)の全曲解説も担当しました。
 こういった出版物では,解説の作成や,たとえば元の版から日本版をどのように作るかなど「楽譜制作」という立場で,企画段階からたくさんのディスカッションに参加させていただき,常に編集者の横で,いや,一緒に苦労を共有していると思っています。

※1 音楽之友社「〔現代日本の音楽〕スネアドラム・ソロによる“五つの情景”へのエチュード」
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail_sp.php?code=491504

※2 「〔標準版ピアノ楽譜〕チェルニー30番 New Edition 解説付」
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=410430

「〔標準版ピアノ楽譜〕チェルニー40番 New Edition 解説付」
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=410440

※3 「ニュー・スタンダード・ピアノ曲集〕バルトーク ミクロコスモス6」
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=435930


●上(作曲家) ●
イメージ 2
 アレンジの仕事を楽譜出版社の方と行なう機会がありますが,以前,「題名のない音楽会」のプロデュースを最初になさっていた牛山剛さんと対談をしたときに,アレンジについて「ある曲を異なる楽器でアレンジして読み出していくことも芸術の在り方なのだから,ひとつの作品として書き上げていく気持ちがあれば作曲と同じなのではありませんか。」というふうに言われたことがあります。アレンジもひとつの芸術作品なのだということを心がけて,自身を持ちながら,楽譜出版社の方と相談し,よい楽譜ができるよう取り組んでいます。


●韓(音楽之友社)●
 織江先生はいかがですか?


●織江(作詩家)●

イメージ 3
 私は童謡をずっと書いていましたが,日本童謡協会に所属してから音楽と出会いました。詩という平面的なものが,音楽というもうひとつのメディアを得ることによって表現が膨らんだような感覚を抱きました。
 心がけているのは,音に追随するのではなく,文学として,童謡や詩をひとつのジャンルとして認知してもらいたいということです。童謡や詩として創作したものを,作曲家の方や音楽家の方に手渡していきたいと考えています。そして,それが「楽譜」として出来上がっていくのだということを肝に銘じ,その姿勢を崩さずにやっていきたいですね。


●韓(音楽之友社)●
 歌詞と楽曲でひとつの作品が成り立つ場合,どちらが先なのかというのはケース・バイ・ケースなんでしょうか?


●織江(作詩家)●
 私の場合は100%,先に詩がある形を考えています。


●韓(音楽之友社)●
 詩を創作なさる時点で,曲によってはこの作曲家の方に,これに付曲してもらおうと思って詩を書くいうこともあるのですか?または,書き下ろされた詩を,どなたか作曲家の方が曲をつけさせてほしいということもありますか?


●織江(作詩家)●
 ええ,そうですね。中には難しいのもあるのですが。この前も上先生に……


●上(作曲家) ●
 織江さんはもともとずっと児童文芸の世界で活躍されていたので,2年ほど前にまとめて曲を書かせていただいたことがあったのですが,その時,全く音楽のことは考えず,織江さんがご自分の世界を詩で書いたものを見せていただいて,それに対して私が「この詩に曲を書きたい」と思いました。そうお伝えしたら織江さん自身が「でも,これは歌うために書いた詩ではありませんから」というふうにおっしゃるわけです。私は「でも,それを書くか書かないか決めるのは私ですから」なんて言ったのですが,「歌になるために書かれた詩」よりも,詩人は詩人の仕事をし,作曲家は作曲家の仕事をするというふうに曲を書いていきたいなと……思いませんか?(笑)


●末吉(作曲家)●
 自分がテキストを書くとダメな点を自覚せねばなりません。確かに作りやすい。「この言葉があったら困る」と自分で直してしまいます。むしろ「こんな嫌な言葉に,こんなイントネーションでどんなふうに発音させればいいんだ!」などの場合のほうがかえって「ああ,こうすればいいのか」という発想が生まれるものです。工夫することによって,それまで書いたことがない節が生まれたり,書いたことがない和音が付いたり,新しい飛躍があるのですが,自分でやっているとサッサと直しちゃうんですよ。そうすると,創作における抵抗がない分,逆に飛躍もなくなってしまう。嫌な場面があったら「こんな場面はみんな破いて捨てたい」というふうに思う一方,「どうすればいいのだろう?」と考える時に自分の世界が開けることもある。その「試練」はたいへん得難いものです。ですから,自作の詞に自分で曲を付けるのは,決して良いことばかりではありません。もちろん,作家によって違うと思いますが。


閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事