楽譜de散歩〜CARSメンバーだより

CARSメンバーの日ごろの雑感をリレー形式で紹介します

末吉保雄(日本現代音楽協会)

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楽譜と演奏(その1)

このところ、同業の仲間たちとのあいだで、あるコンクールの作曲部門の審査が話題になっています。長年、その最終審査は「演奏審査」だったのに、今後は演奏無し、つまり「譜面審査」に変わるという話です。
理由はともあれ、「演奏によって音楽は成りたつ」、「演奏されるために曲を書く」、日頃からそう主張し続けている私には理解出来ない変更です。日進月歩、急速に変化する世の中に付いてゆけなくなった、これも、私の老化のゆえでしょうか?いやいや、後輩の、若い世代の友人たちの多くも、首をひねったり、“有り得ない”などと言います。
まあ、いやなら、応募しなければ良いのだから、これも“仕方が無いこと”のひとつと思うしかないのでしょうか?
ただ、これまで、予選を通れば演奏してもらえる、自分の「楽譜が音になる」と期待して、それを楽しみに応募してきた人たちは、きっと落胆していることでしょう。また、応募の楽譜を審査する側にも、「予選を通すのは、本選で演奏してみたいから」と考えてきた人たちも少なくはなかったと思えます。いずれにせよ、新作を演奏する機会が、ひとつ豊かになるのではなく貧しくなる、寂しい話と聞こえます。
さて、本来「楽譜」は、「演奏」を目的として書かれ、「新作」も、「演奏の場に提供する」ことを目的として創られるはずです。
(ひとり黙々として机に向かい、出来あがっても誰にみせることもなく引出しに納めて、また次作に取り組む…そういう作曲家が居ても、それは否定しません。その人が『許諾』しなければ、作品の公表は出来ませんし、その判断は尊重され、その『作品』も敬意をもって扱われねばなりません)
ただ、そのような場合でなければ、「楽譜」を書くことは「演奏に至る」ための前提です。私は学生時代から、よく伴奏をしました。さまざまな演奏者に連れられて、そのお師匠さんのレッスンの場にも赴きました。楽譜が貴重な時代でした。それで、次に取り組むべき楽譜がその師匠の元にしか無い、そういう場面も少なくありませんでした。その楽譜を書き写す…練習も、レッスンもここから始まりました。
(私自身は、この筆写を通じてたくさんのことを得ました。のち、コピーが簡単にできるようになっても、良く学びたい曲を筆写することがあります。これもコピーですが)
 
話をもどせば、作曲家の多くは、相手が大規模なオーケストラであろうが、一人のフルート奏者だろうが、自分の意図を理解してほしい…と願って楽譜を書いていると思います。いくつもの経験を通じて、こう書くとなかなか解ってもらえないが、こうすれば良く通じる…と、書き方を改良してゆくでしょう(その経験が少なかったら、楽譜を書くことの熟成を期待しにくいのではないでしょうか?)。自作が演奏されて鍛えられてゆきます。
楽譜は、人に“伝える”ために書かかれます。演奏の様子を、推量、予測、期待しつつ、「演奏してほしい」と願いを込めて書かれます。(続く)
 
2018.3.29
末吉保雄 (作曲家・日本現代音楽協会理事・CARS代表幹事
  CARS(楽譜コピー問題協議会)のホームページ http://www.cars-music-copyright.jp/

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コピーあれこれ(2)

 ……“音楽教室”の著作権使用料をめぐっての議論が、あちこちで話題になった。私も、長年、CARSを通して「適正な楽譜コピー」を呼び掛けてきた立場として、あるいは、もっと長年“音楽教室”に関わってきた者として、感想をたずねられることも少なくなかった。……
前回、このブログを上記のように書き出した。そして、次に……この事柄じたいについては、JASRACの対応を信頼しているので、ここで何か書く必要はないと思う……と、続けて、このことを報じた新聞その他のいくつかの記事にたいそう落胆したと記した。それはそれで間違ったわけではなく、修正すべきことを記したつもりは無い。
ただ、それ以降もなお、「この件」についての感想を述べる必要に迫られたことが多々有った。その時の話の経緯を振り返るうちに、以下のような“実例”(つまり、私の経験した事)の紹介が意味の有ることに思えて、今回は、これを書くしだいだ。

実例(その1)
ある街なかの大きな楽器店。音楽教室も開いていて多くの生徒と先生をかかえている。たくさんの楽器が並べられている横に、大きな楽譜棚も有って、新刊のさまざまな音楽“教材”が置かれている。気軽に手に取って、ページを開くのも容易だ。
そのオーナーが、若い先生たちに「新しい楽譜や本を、たくさん取り寄せているからね。大いに勉強して、よいものが有ったら言ってください」と言うので、「じゃ、コレコレをお願いします」。すると…
「先生のクラスの生徒は何人だっけ?数を言ってくれれば、すぐコピーします」。

実例(その2)
親切で、優しいので、おおぜいの生徒たちに慕われている先生の、ある日のレッスン。「じゃ、こんどはコレコレをやろうね。新しい曲で楽しいよ。でもアノ本は持って無かったよね。楽譜は、今晩中に、お母さんにメールで送っておくからね」

実例(その3)
前記とはべつの大きな店。多種多様な楽譜を買うことができる。背の高い楽譜棚が並んでいる。探しているものがなかなか見つからないので、いくつもの棚の上から下まで順に辿っていたところ、棚の一番下の方に若い人がしゃがみ込んでいる。棚から楽譜を取り出して、表紙にスマホをかざしながら、「ねえ、これで良いんだよね」と誰かに話している。ページを繰って「ここ?、次のページも?、わかった」と、パチリ。
すぐに行ってしまおうとしたので、つい私は「それって、いけないんじゃない?」と声を出してしまったが、黙って行ってしまった。
何を写したのかな?と、その楽譜を取り上げてみた。試験や、コンクールに良く出題される日本の現代曲だった。

むろん、これらの実例を、私はCARSの話し合いなどで話します。いま、CARSが出しているリーフレット<楽譜のコピーQ&A>の記事に、その反映が見つかるでしょう。
みんなで、色々な“実例”を持ち寄りましょうか?                               (続く)
 
 
2017.9.29
末吉保雄 (作曲家・日本現代音楽協会理事・CARS代表幹事
   CARS(楽譜コピー問題協議会)のホームページ http://www.cars-music-copyright.jp/

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番外(2)

前回の本欄への寄稿から、今回まで数か月の間に[“音楽教室”の著作権使用料]をめぐっての議論が、あちこちで話題になった。私も、長年、CARSを通じて「適正な楽譜のコピー」を呼び掛けてきた立場として、あるいは、もっと長年“音楽教室”に関わってきた者として、感想をたずねられることも少なくなかった。
この事柄じたいについては、JASRACの対応を信頼しているので、ここで何かを書く必要は無いと思う。ただ、このことを報じた新聞その他のいくつかの記事に(自分が目にしたものは、そのごく一部、ほんの僅かに過ぎないが)たいそう落胆して、考えることが多かった。
とくに、ある日の大新聞朝刊第一面のコラムと、べつの大新聞夕刊の週一度の連載記事の読後には、なんともさびしくなってしまった。論争するに至らない。音楽著作権について、その法律のことも、その背景も、まったく知らないでの話としか思えなかったからだ。
言論の自由だから、むろん、何を書いても、どう思うのも自由で、したがって、その記事について咎め立てする気は毛頭無い。
落胆、悲しい…と言ったのは、つまり“日暮れて道遠し”。CARSや、権利者、つまり音楽を世の中に送り出している人たち、日々何か新しい音楽を人々に問いかけている人たちの立場の主張が、現在なお、まったくもって不十分であり、これからも、もっともっと声を高め、増やしてゆかねばならない…その実感である。
 
「楽譜コピー問題」のように、むしろ、音楽を演奏しようという動機をもつ人たちへの呼び掛けのほうが、具体的で、わかり易いのだろう。浴びるように音を聞いて楽しんでいる人たちに、そのコストを説くことは、無粋なのか、場違いなのか…そこに、きっと反発を誘う何かが働くのかも知れない。『井戸の水を飲むときは、それを掘った人を忘れてはならない』などと言うと、古代のこと、時代遅れもはなはだしいのだろうか?
しかし我々の呼び掛けが、よりわかり易く、そうお金をかけずに、広く、大量に呼び掛ける…つまり、今日の<情報>伝達の手段をより研究、駆使することで、今までにない大きな影響力を持つ事も、不可能ではないだろう。まあ、悲しむだけでなく、そうも思って、もうひと頑張りしようと自戒しているしだいだ。
 
一方で、痛感するのは、作詞、作曲者たちからの主張を聞く事が少ないこと。たびたびこの欄にも書いたことだが、この仕事の当事者たちの収入格差は著しい。売り上げるべき額を奪うな!、という人と、売れないことは承知だからタダでも使ってくれという人(この方が多数)が、ともに創作者というわけだ。足並みそろえて、世間に“著作権”を訴えようとしても、ここにうまくゆかない大きな「何か」が有る。
ここで欧米の例を持ち出すのは好きではない。ともあれ、日本の一般社会において、創作、演技、演奏などいわゆるパフォーミングアーツ当事者の仕事そのものへの関心が低いことは事実だ(大当たりを取った演者だけは別)。知識、教養を欠いても、恥ずかしくない世の中だ。
失礼。愚痴は禁物。さあ、もうひと頑張りしましょう!
 
2017.4.28 

 末吉保雄 (作曲家・日本現代音楽協会理事・CARS代表幹事

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コピーあれこれ


最近のことです。要するに、以前「“研究用”としてコピーしてもらった楽譜(市販の楽譜からのコピー)」を“演奏会での演奏”に用いる例をめぐって考えることが有りました。


 曲がPDでなければ・・・、演奏会が有料なら・・・、まずは、JASRACに申請して「演奏会での利用」に際して発生する“演奏の著作権料”を支払ってください。この点の理解は、まあだいぶ行渡ってきました。


 だが、さて「使用する楽譜」については、どうでしょうか?“研究”に用いたときの書き込みも有り、自分が見慣れた楽譜を使って演奏する…自分だって当然そうしたいところですが・・・何か留意しておくことが有るでしょうか?


それが私の曲だったら?ええと・・・市販の楽譜が出ているので、まあそれを使ってほしいな・・・と思いますね(心のなかで)。でも、「すぐに買ってください」とは言いにくいですね(相手によっては)。そこで、・・・自分が購入した楽譜をその人に進呈します(むしろ、早くから“進呈”しておきます)。つまり、自作の“売り上げ”を自分が上げているわけですが、楽譜がタダで使われたわけではありませんね。


そうはしても、実際には、やはり“研究用”のコピーを使って演奏されるでしょう。“使い慣れた楽譜”で演奏する方が、なにかと“安心”ですから。でも、演奏会で演奏するなら、著作権者の許諾が必要なんですね。


問題は、「正当にコピーされた楽譜」の『転用』は、現実に多く行われていますが、「『転用』は正当でない」ということでしょう。


譜メクリを容易にするために、コピーして用いる・・・当人が市販の楽譜を購入していて、その補助として用いる・・・これは許容されると理解して良いでしょうか?


あるいは、購入した市販の楽譜がキレイなので、ここに書き込みをしたくない。そこでコピーして、これに沢山書き込みをする(・・・時と場合によっては、ほんとうに沢山の書き込みが必要になります。 年寄りの私など、眼鏡の着脱まで注意書きします・・・そんなことはキレイな楽譜に書き込めませんから)。でも、この場合、コピー譜を使って弾くことは許されるでしょうか?


イヤイヤ・・・、どちらも演奏会のためなら・・・許諾が必要なんですね・・・法律上は。


ともかく、『演奏会で用いる楽譜は、まず自分で購入する』、そのことの優先性に留意しましょう。


さて、しかしもし、研究用のコピー譜が、市販されていない楽譜(たとえば手稿譜だったり、作曲者のPCから送信されたデータ)だったらどうでしょうか?以前にもたびたび書いたこと、つまり「近年、作曲家は、五線譜に手書きして作曲することが少ない」ことを思い出してください。


正解は、「“演奏会での演奏”に用いる楽譜の『転用』の、この場合の正しい処理の仕方を、JASRACに問い合わせること」でしょう。

 


自慢とは違いますが、長い勉強ののちですから、私は、膨大なコピー譜を所蔵しています。「こんな昔に、こんな珍しい曲を、こんなにも良く勉強している」と自慢できる例も有ります。このあいだも、つい後輩にその一つを貸したところ、感激して“ぜひ弾いてみたい”とのことでした。嬉しかったのですが、ふと、「公開して良かった楽譜だったかな?」と心配になりました。しばらくして、「そうか、その曲は時効か。もうPDになっているものな・・・」と安心しました。でも、そうでもない場合も無数にあります。油断も隙もありません。


 


2016.11.25 


末吉保雄 (作曲家・日本現代音楽協会理事・CARS代表幹事


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小森先生を悼む

小森昭宏氏が逝去されました。高名な方で、曲もお顔も早くから存じ上げていましたが、“げんこつやまのたぬきさん”の作曲者と知ったのは、たくさん子供たちと歌ってきた後になってからでした。
 
CARSでご一緒するようになって、色々なお話しを伺い、多くを教えて頂きました。N響のティンパニストだったお父上の面影と重なることも有って、そのお父上の戦前・戦中・戦後のご様子を話していただいたことも有りました。
CARSの会議では、「中田喜直さんが、不当なコピー譜をふりかざして『これは偽札!』と力説した」などのエピソードを引用して「作る者の気迫」を説いておられました。
6月の会議で、いつものようにお目にかかれるとばかり思っていましたので、突然の訃報を受けとめかねています。先ずは、長く、違法コピー排除運動の陣頭に立ってくださったことに感謝を申しあげ、ご冥福をお祈りする次第です。
 
故小森氏の、長年の「著作権擁護」の活動はCARSにとどまりません。そのご功績については、いずれJASRACを中心に共に活動された方々から語られることでしょう。
ここで私が申すべきは、その運動を、次代にしっかりと引き継ぐことの重要性です。
より若い世代に確実に「渡す」ことがなければ、いまの世相のなかで「著作権」への意識は急速に希薄化してゆくことでしょう。若い著作者たちの多くも、例外ではありません。
もしかすると、『売れている人』はそうでないのかも知れません。『売り上げ』を減らすような行為には、敏感に反応し、これを咎めることにも異を唱えないでしょう。
一方、多くの『売れない人』は、『売り上げ』を当てにするより、まずは、少しでも作品が認められ使ってもらうことを切望します。「違法コピー」でさえ、自作に関心を持ってもらうためならと、大目に見てしまう例は少なくありません。
この乖離から、気になることは、「著作権」への意識が、著作者側で二分してしまう傾向です。
尊重されるべき著作者の権利は、収入の多寡によりません。収入の毀損される度合いによって尊重度が変動する…そうなりがちなことは理解するとしても、著作者のもつ権利が尊重されるべきだという「前提」は、そのことと無関係です。1円にもならないものを作ろうとも、著作者、著作物は尊重されねばなりません。
著作者自身がその前提に立たなければ、「著作者でない人たち」は、これを、隙有らばと蚕食してゆきます。すでに「権利は尊重されるべきだが…手続きの厄介さが利用の拡大を妨げ…価額が高くなる。もっと安く…手っ取り早く…」「そもそも、そんなに儲けなくとも…」とも「著作者たちの“権利擁護”の主張が、世の中の“進歩、拡大”の足を引っ張っている」とも…そんな“論”が蔓延っています。
創りだすことより、誰かが創りだしたものを利用する、それも安く利用する…その多勢が、創作への“敬意”を忘れさせます。“百の創意”は“ひとつの収益源”をさえ保証しません。しかし、創られたときに1円にも成らなかったものが今では“至宝”…そんな例も、いくらも有ります。「著作権」は、将来に創作の意味を繁げてゆく思想です。
小森先生からのバトンを、今度は“次に”どう渡すか…それを考えています。

2016.06.22 
末吉保雄 (作曲家・日本現代音楽協会理事・CARS幹事
CARS(楽譜コピー問題協議会)のホームページ http://www.cars-music-copyright.jp/

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