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ベネズエラの“ど田舎”で仕事をする。なにが難しいかって、こっちの人は「言うこと」と「やること」が全然違うんだな。何も考えずに口から言葉が発せられちゃうのだろう。ものすごい言動の不一致。その最たる例が時間。
「あしたはモイタコ(村の名前)へ行こう。朝の9時には出発しようね。わかった? クルマで迎えに行くから」
とベネズエラ人に言われたところで、定刻に相手が来ることはまずない。良くて9時半。まずまずで10時、11時、昼の12時、昼過ぎ、昼下がり、夕方、ときには平気ですっぽかされることも‥‥けっこう多い。
度合いの差こそあれ、東南アジアで仕事をしていたときも似たような場面に何度も直面したし、それに僕は元来、日本人としてはテキトーな性格。だからそんなにムカムカはしない。諦めの境地。だけどやっぱり、何時なのかはともかく、本当に行くのかどうかだけでいいからはっきりしてほしい。“時はキン(金)なり”という格言がこっちにもあるんだしさ。
「あしたは朝の7時に出発しようぜ」。フィエスタとオンナのことでいつもは頭がいっぱいのベネズエラ人から、ごくまれに積極的な提案を受けることもある。
「うっ、朝早いな。ホントかよ。いつも仕事なんてしないくせに、なんでだ?珍しいな。でも、ま、いいか。やる気をもってくれているわけだし」と喜ぶには早い。「待てよ。本当に来るのか。絶対無理だろうな」と疑いつつ、「ひょっとして来るかもしれないし」
一縷の望みにかけ、いちおう6時に起床し、スタンバイ。待つ。来ない。ずっと待つ。やっぱ、来るわけないよな、と待ち疲れた10時過ぎ、「オラ!(やあ)」と元気良くあいさつされてもね。「あ〜」としか言葉を返せない。
早起きは三文の得? いやいや、骨折り(早起き)損の(待ち)くたびれもうけ。だって早起きは眠いでしょ。ただでさえ、スペイン語を聞くと眠くなるというのに。必然的にクルマの中で寝ていたら、「お前はよく寝るな。はははっ」。「ばか、なに言ってんだ。日本人は瞑想するんだよ」
さてさて、「いま」をスペイン語では「アオラ」、またはスラングで「アオリータ」という。だがこのアオラ(アオリータ)、理解するのがどうしてなかなか難しい。意味が日本語の「いま」とは微妙に違うし、時と場合によって変わるから。
「ワタシ、ちょっと市庁舎に出かけてくるわ」
「何時ごろ?」
「アオリータ」
(1時間後)
「いつ行くの?」
「アオリータ」
この人は結局、アオリータと言ってから2時間半後に出た。
とくに忙しかったわけでもないのに。
この場合、アオリータは2時間半後(未来形)を指していたわけだ。
全然“いま”じゃないじゃん。
「ホセはまだ帰ってこないのかな」
「戻ってきたよ」
「えっ、いつ?」
「アオリータ」
「アオリータって、いつ?」
「2時間ぐらい前」
それって“いま”なの?
過去だよね。
究極は「マス・アオラ」。
「マス」は「もっと」という意味だから、直訳すれば「もっといま」。
響きからすれば、「まさにいまこの瞬間」という感じがしなくもない。
「晩ごはん食べた?」
「マス・アオラ」
「でもまだ5時だよ」
「だからマス・アオラ」
「?」
「7時ごろ食べるつもり」
早い話、マス・アオラは「もっと後」という意味なのだ。
この場合、「アオラ」という単語は完全に「後で」という意味に変化している。
何でもかんでもアオリータ(アオラ)。
つまりこの言葉、意味がないんだな。
現在、過去、未来、すべてを表す。
ま、時間なんてどうでもいいといえばどうでもいい。
1世紀100年、1年365日(366日)、1カ月28〜31日、1日24時間、1時間60分、1分60秒‥‥なんて人工的な枠組みなんだろう。
太陽や月の動きを目安にして、きっちり行動するなんて、ヒトとしてはちょっと自発性がなさすぎる。
ただいま時間に縛られない生き方を勉強中。
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今晩は、久しぶりです。時間に縛られない生き方・・・いいですね♪ 時間で何事も決められているのは嫌だーが・・・毎日が縛られています(;´∀`)
2006/8/29(火) 午後 9:57 [ - ]
そっかー。自発性がないってそういう見方もあるんですね… エルサルで私が苦しんでる表現は、ジャ(ya)っていうのがあります。辞書的には「もう」とか「すでに」で、"Ya viene"(もう来るよ) とか"Ya se fue"(もう行っちゃった)とか言います。これは、まったく時間の縛りがない「(いつか)あとで」、「(いつだったか)ずいぶん前」だったりするんですが、本当に「今」であることもまれにあります。期待すると裏切られることがよくあります。私もなかなか時間の縛りから抜けられない生活、しています…
2006/9/8(金) 午前 10:24 [ ukarism ]