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かえってきました〜 |

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こんにちは、ゲストさん
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かえってきました〜 |
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とても面白かったです 一瞬完全にコメディぽいストーリーにみえるんですが 泣かせてくれる部分もあり 近年の邦画のなかではかなりバランスのとれた映画だと思いました 二時間きっちりで終わらせるのもよいですし 素早い展開なので飽きさせない 舞台は幕府滅亡のご時世 主人公は このご時世に立身出世を目指し 福の神にあやかるが なんと ついてきたのは 貧乏神 不幸の神々と主人公のドタバタ劇が今はじまった 絶賛映画放映中 かなり面白かったです ぜひ観られてくださいね(^^)/
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先週 仕事で桜島に行ってきました フェリーの中からみた桜島はやっぱり雄大でしたね〜 と フェリーからおりて車を走らせると なんと 長渕 剛の砂でできた記念像があるではありませんか〜 という事でせっかくなので みに行ってみると ・・・ ・・・・・ ・・・・・・・・・・(汗) |
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もう 平成の大合併が達成されてから早や 二年が経過しようとしています |
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本日「俺は君のために死ににいく」を観に行きました この映画はほとんどノンフィクションで当時の気持ちが描かれていました 特攻の母 鳥濱トメ氏をご紹介致します 三代目女将 鳥濱初代さんの言葉より 昭和4年に開業した「富屋食堂」は、うどんやそば、丼物、夏にはかき氷などを出す 普通の食堂だったそうです。それが昭和16年に知覧飛行場が完成してから、 少しずつ時代の波に巻き込まれていくことになるわけです。 知覧は小さな町ですから「富屋食堂」はすぐに「軍の指定食堂」になりました。 そのため、兵隊さんがたくさんいらっしゃるお店となったんですね。 「富屋食堂」は大変なにぎわいとなったそうです。それはトメの優しい人柄、 どんな人に対しても決して分け隔てしないところが若い兵隊さんの心を和ませたんでしょう。 最初は「おばさん」と呼ばれていたトメが、 だんだん「お母さん」と呼ばれるようになったという話です。 兵隊さんはみんなトメに会いたくて食堂に来ていたんでしょうね。 ところが……ご存じの通り、戦局は悪化の一途をたどりました。 昭和19年、ついに「神風特別攻撃隊」が編成されることになります。 悲しいことに知覧飛行場は、その出撃地として選ばれてしまうんです。 戦後、トメは「お国のために散っていった」特攻隊員を供養するために、 草ぼうぼうとなった飛行場跡に棒杭を墓標として立て、拝んだそうです。 それからトメは、いろいろな方に呼びかけし続け、 遺族の方や生き残った方々や各関係者の御尽力によって「知覧特攻平和観音堂」 ができあがったそうです。 トメは毎日供養にでかけ、まだ皆が観音堂を今ほど顧みなかった頃から 近所の子供たちを集め、お掃除や供養することを習慣とさせたそうです。 そのご褒美にと飴やお菓子を子供たちにあげて皆が集まるように、 皆が手を合わせ合掌し供養してくれるようにと力を尽くしました。 又、その一方で、富屋旅館の離れにある当時特攻隊員さん達が訪れてた部屋で、 平和の語り部として『戦争はね、あってはならないのですよ』 と隊員さん達とのエピソードを交えながら語っておりました。 そんなある日、トメは「おばあちゃんの役目はもう終わったんだよ」と語り、 「どうして?」とたずねると「おばあちゃんがもうお参りに行かなくても、 全国からお参りに来て下さるようになったから、おばあちゃんはそれでいいんだよ」 と話してくれました。 手を合わせることで、亡き命の供養とともに一人一人に平和は託されたとの 思いだったのではないでしょうか。トメは平成4年4月22日、 桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。 トメが拝み、最後まで大切にしていた観音様があります。 その観音様は、今もここ富屋旅館の一室にまつられています。 この映画にはこのエピソードが沢山もりこまれています また 私の実家が南薩摩市という事もあり 特攻と平和について子供の頃から伝えられてきました 是非 鹿児島県知覧の平和記念館に一生のうち一度は足をお運びください
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