時事法師〜普段のなにげない気持ち〜

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本日「俺は君のために死ににいく」を観に行きました

この映画はほとんどノンフィクションで当時の気持ちが描かれていました

特攻の母 鳥濱トメ氏をご紹介致します

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三代目女将 鳥濱初代さんの言葉より

昭和4年に開業した「富屋食堂」は、うどんやそば、丼物、夏にはかき氷などを出す
普通の食堂だったそうです。それが昭和16年に知覧飛行場が完成してから、
少しずつ時代の波に巻き込まれていくことになるわけです。

知覧は小さな町ですから「富屋食堂」はすぐに「軍の指定食堂」になりました。
そのため、兵隊さんがたくさんいらっしゃるお店となったんですね。
「富屋食堂」は大変なにぎわいとなったそうです。それはトメの優しい人柄、
どんな人に対しても決して分け隔てしないところが若い兵隊さんの心を和ませたんでしょう。
最初は「おばさん」と呼ばれていたトメが、
だんだん「お母さん」と呼ばれるようになったという話です。
兵隊さんはみんなトメに会いたくて食堂に来ていたんでしょうね。

ところが……ご存じの通り、戦局は悪化の一途をたどりました。
昭和19年、ついに「神風特別攻撃隊」が編成されることになります。
悲しいことに知覧飛行場は、その出撃地として選ばれてしまうんです。


戦後、トメは「お国のために散っていった」特攻隊員を供養するために、
草ぼうぼうとなった飛行場跡に棒杭を墓標として立て、拝んだそうです。
それからトメは、いろいろな方に呼びかけし続け、
遺族の方や生き残った方々や各関係者の御尽力によって「知覧特攻平和観音堂」
ができあがったそうです。

トメは毎日供養にでかけ、まだ皆が観音堂を今ほど顧みなかった頃から
近所の子供たちを集め、お掃除や供養することを習慣とさせたそうです。
そのご褒美にと飴やお菓子を子供たちにあげて皆が集まるように、
皆が手を合わせ合掌し供養してくれるようにと力を尽くしました。

又、その一方で、富屋旅館の離れにある当時特攻隊員さん達が訪れてた部屋で、
平和の語り部として『戦争はね、あってはならないのですよ』
と隊員さん達とのエピソードを交えながら語っておりました。 

そんなある日、トメは「おばあちゃんの役目はもう終わったんだよ」と語り、
「どうして?」とたずねると「おばあちゃんがもうお参りに行かなくても、
全国からお参りに来て下さるようになったから、おばあちゃんはそれでいいんだよ」
と話してくれました。

手を合わせることで、亡き命の供養とともに一人一人に平和は託されたとの
思いだったのではないでしょうか。トメは平成4年4月22日、
桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。
トメが拝み、最後まで大切にしていた観音様があります。
その観音様は、今もここ富屋旅館の一室にまつられています。

この映画にはこのエピソードが沢山もりこまれています
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また 私の実家が南薩摩市という事もあり

特攻と平和について子供の頃から伝えられてきました


是非 鹿児島県知覧の平和記念館に一生のうち一度は足をお運びください

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以前 河童の正体はほんとは宇宙人ではなかろうか?

こんな記事をつくりましたが やはり口で言うだけじゃだめですね(笑)
そして よつばさんのブログをみて秘境という秘境に行った川口探検隊を思い出しました

そうか 自分が探検隊になればいいや!!

前置きはさておき河童の正体が気になる方はこちらの記事をどうぞ!!
http://blogs.yahoo.co.jp/cb2_taraki/6433069.html
さて 私は 親父が単身赴任をしてる薩摩川内市に河童を探しにいきました

薩摩川内市といえば河童(がらっぱ)の故郷

必ず河童はみつかるはず!! 日曜日の一日かけてでも探してやる!!
そう思い親父に一言

「河童ってやっぱり川内にいるの」

親父「ああ あそこにね」


なんと親父は河童の居場所を知っていたのだ


あせりいそいでその場所に私は行った

そこでみたものは・・・





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Kappaじゃん・・・(汗)


まあ しょうがないや これ着ていくかあ・・・

で 親父の愛車 モリソン号で河童探しの旅しゅっぱ〜つっ!!


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そして 河童伝説の残る川内川へ

まちがいなくここに河童はいる そう感じさせずにはいられない川である
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私は周囲を見渡した

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その時なんと私の体に異変が!!





腹減った(爆)


実は道中危険がいっぱいなので私は食料を準備していた

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じゃ〜ん

名物「うまかたい」一個80円なり〜(^o^)

なかをあけてみると

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ウインナー からしマヨネーズ たまねぎ なり〜(^^)/


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さあ 食料もとったところで私は 上流 下流と川沿いの道を散策した


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TARAさん探検隊には一抹の不安があった

日曜日を使ってまで河童がみつからなかったら


あせる探検隊


夕方までには戻らないといつ河童に襲われるかわからない


不安は隠しきれなかった


と あせる私の横を通りすがりの方がいた

私はあわてて聞いてみた

「あのここらへんで河童の目撃した人います?」

通りすがりの方「あっ おれ みたよ 最近!!」


「場所 急いで教えてくださいっ!!」

運がよかったとしか思えない
目撃者の方から現地の場所を教えてもらいそこに私は急いだ

果たして 河童とはなんなのか?


河童はほんとにいるのか?


みつけた!!






ついに







わたしは






衝撃の瞬間を







カメラにとらえた
















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ポストに河童が(汗)




どうやら危険が多い今回の捜索は


ここで終わりを遂げた


しかし河童伝説は生き続ける


本物の河童を見つけるまで


TARAさん探検隊の旅は続く



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TARAさん探検隊の一員になってくれる方大募集します(笑)

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だいだらぼっちは本当にいたのであろうか?

夢物語に近いのですが Wiki pediaにはこう書いてありました

ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される伝説の巨人。日本各地にはダイダラボッチという巨人に関する伝説が存在するが、東日本と西日本では異なる内容の伝説となっている。
東日本では、主に関東一円を中心に『常陸国風土記』に登場する「ダイタボウ」を主にダイダラボッチと呼び、近畿地方では三重県、奈良県、和歌山県に跨る伝説中に登場する踏鞴法師をダイダラボッチと呼んでいる。 また、四国地方にも関東同様の伝説が伝わっている。
どうやら沢山の呼び名があって そして伝説を紐解くと 日本全国例えば富士山などを作ったりしたのはだいだらぼっちであるという伝説も残してある

九州福岡に宗像大社という神社がある ここにはだいだらぼっちの発祥である「ダイダ」という巨人の伝説が残されているらしい

土地を作ったのが巨人なら

だいだらぼっち=神様


という事になります または 元の神ニニギノミコトなどの召使いであったのでは?という可能性も

ともあれ 伝達手段がなかった昔の時代に

だいだ でいだら だいだらぼっち


このような形で全国に名が知れ渡っていた事自体が不思議である

そこで 結論

だいだらぼっち=マンモス


紀元前は日本にもマンモスが生息しており かれらの移動経路で山ができ 道ができていったのではないか?

まっ あくまで妄想ですが(笑)

みなさんは伝説の巨人だいだらぼっち伝説を信じますか?

さすがに全部の問題を解くのは無理なので 一気に良く出る問題のゴロおさらい!!
かなりスピード出すんで付いてきてくださいね〜p(^-^)q


まず 歴史の流れから〜

セントジョーや こん明日は転校不平かな? 来た日にもうケンカ めでたいじょ へ〜
先土器 縄文 弥生 古墳 飛鳥 白鳳 天平 弘仁貞観 藤原 平安末期 鎌倉 北山 東山 桃山
元禄 化政 明治 大正 昭和 平成!! この順番をまずゴロ覚え

これで歴史の流れすべて終わり!!

そして 次から頻出系

縄文の前 APINECK(アピネック)

アウストラロピテクス ピテカントロプス ネアンデルタール クロマニヨン の順番

ちなみに世界の四大文明

え〜な〜 ちょっと 有名 イイ高校。

でエジプト文明 ナイル川 チグリス川 ユーフラテス川 メソポタミア文明 インダス文明
黄河文明 黄河 このゴロね〜

日本の歴史の戻りましょう!!

火を使って(縄文) 村ができ(弥生) 貴族ができ(平安) 武士ができ (鎌倉) 京都ができ(室町) 地方戦争(戦国) 東京ができ(江戸) 武士がなくなり(明治) 欧米かっ 笑(大正)
世界戦争(昭和) そして現代(平成)


はいこれで歴史おわりっす 笑

というわけにはいかんので (汗)

各頻出を 
弥生時代の遺跡を全部
トロから、す〜ぐいただく(怒)
弥生の遺跡は 登呂遺跡 唐古(からこ)遺跡 須玖(すぐ)遺跡 板付遺跡

奈良平安の法律一気に!!
なにさ 三ちゃん なじみのコンちゃん 同じ年だよ 大ちゃんと
723 三世一身法 743 墾田永年私財法 同じく743 大仏建立の詔

次 鎌倉 もう1192 は世の中みんな覚えてるとして 頻出は
鎌倉新仏教!!

情報一新、日々一時、営利を通そう

浄土宗 法然 一向宗 親鸞 日蓮宗 日蓮 一遍 時宗 栄西 臨済宗 道元 曹洞宗

はいこれで 仏教全部終わり!! 宗 は 誰? くらいしかでませんからだいじょぶだよ〜(^^)/

室町は幕府成立をおさえる

一味サッパリ 尊氏君 いざ国統一 義満君
1338年 足利幕府成立 初代将軍尊氏 1392年南北朝統一三代目義満

戦国はあえてやらないですが 

イチゴパンツ(1582年)はいて死んだ信長さん(本能寺)
イチゴパパ(1588年)な秀吉さん(刀狩)

じゃあ 頻出の江戸

めちゃめちゃでるのは やっぱり改革!!

享保 寛政 天保 の順番なんだけど

まずは
きょう寒天くった?
これで順番覚えて
次 享保から
いーな ヒーロー吉宗に 今日も明日も九時にあいたい
1716年 吉宗 享保 足高の制 公事方御定書 相対済し令
続いて寛政
いーな 鼻完成!! 昨日 医学で解剖、かっこいいでしょ?
1787年 寛政 帰農令 寛政医学の禁 海防 囲米の制
はい最後に天保
人はよい 人情よし 海産問屋の水野さん
1841年 人返し令 上地令 株仲間解散 水野忠邦

その改革の時に何があったかがわかると全部解ける!!

明治は条約改正

順番は
岩 寺 井 大 青 陸 青 小

なので ガンジー大小 陸のまわりは青い海だ〜


順番岩倉具視 寺内宗則 井上馨 大隈重信 青木周蔵 陸奥宗光(治外法権撤廃) 青木周蔵
小村寿太郎(関税自主権の回復)

治外法権の撤廃とは 簡単に言えば 外国人を日本の法律でやれない というのをなくす(できる)よにした
関税自主権の回復とは 貿易の時かかるお金を日本が自分できめられるって事 いままで 外国が勝手に決めてたから

現代はオイルショックがよくでる
オイルショックは73だ 79して語れない

以上 軽めの歴史すべて総ざらいでした〜 受験生は特に使ってくださ〜い(^^)/

「三方ヶ原の戦い」

しらない方もいらっしゃるかもしれませんが
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武田信玄徳川家康

武田法性院信玄 VS 徳川次郎三郎家康
この二人の戦いとなれば誰もがワクワクするところであろう!!
そして 武田軍がいかに戦国最強であったかを世に示した戦いでもある。
武田信玄とはどのような人物だったのか?ルイス・フロイスは「シンゲン」について母国ポルトガルでこう語っている。
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「彼は剃髪して坊主となり月に三度偶像を祭ります。」
「彼の信心の目的は近隣諸国を奪うことです。」
「彼は武力によって畏怖され部下たちから大いに尊敬を受けています。」
「彼は小さな失敗であっても赦すことなくすぐに殺させるからです。」
ちょっと 不気味な感じがしますが これが客観的に見た武田信玄であると想像できます
三方ヶ原の合戦 に関しても事前に信玄はかなり頭を使ってます 

王手飛車取り

織田信長を攻めにいくまえに途中織田の同盟国徳川の領地を通りすぎようとした 徳川としては

城に攻めてきても終わり そのまま通りすぎて武田軍が織田に攻めても終わり

結局 徳川軍は通りすぎていく武田を攻めるしかない!!

事前の段階で徳川軍に出陣させるよう考えていたわけです そして 三方ヶ原の戦となる
武田軍は戦国時代当時から「最強」を謳われてきた。その精緻を極める合戦手法が進化の極みに達し、極限の形で昇華したものが、「三方ヶ原の合戦」である。 はたして その軍制、騎馬軍団とはいかなるものだったのか。

日本史上最高峰の合戦がいま始まる!!

まず徳川の城 「二俣城」に攻めてきたのは 

武田軍 小山田信茂 投石部隊600人

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小山田信茂
武田のいぶし銀 投石部隊(石を投げる)を率いる 当時小山田投石部隊の 投げた石の距離は約200
メートル 鉄砲隊が当時射程距離が50メートルだったのでその訓練のすごさがうかがえる。
それでもたった 600人の兵に徳川軍1万が城に立てこもるわけにはいかない もうすでに 織田軍の元へ武田軍が攻めていると思い 出陣する

石を投げ逃げる小山田 追う徳川

そして 徳川軍は次第に狭い山へと入っていく
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クラウゼヴイッツの「戦争論」ではこう記す
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「戦争では すべての行動は霧の中や月光下の如く見えにくい
そして敵は異様で実際より巨大に映るのだ」
互いに正面衝突をするどころか情報のまったく行き届いてない中で戦わざるを得なかった・・・・・・
そういった実情に近いのではなかったのではないだろうか・・・・・・

この時家康は先の みえぬ白い闇の中にいたのだ

やみくもに追いかけ 祝田坂の細道を越えたあたり



このとき・・・












家康の目に映ったのは・・・












































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三方ヶ原から祝田坂を下り 都田川付近に展開した武田軍およそ三万











この最強の軍団に

























攻撃命令が下された!!












武田軍といえば騎馬軍団が有名であるが
「甲陽軍艦」(武田家書物)品第十四はこう記す
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「馬には大将と主力となる者が一軍勢中(約千人)に七,八人である。」
「残りは馬を後にひきつれて降り立ち,槍をとって徒歩で一備えごとにせめかかった。」
「三方ヶ原は騎馬の障害になるものはなかったが,(ここでさえ)騎乗で攻めたにあらず。」
「馬を並べて突進したというのは,武道を知らぬものの言にて候。」
つまり 武田軍は馬に乗って戦ってはいなかったのだ

さらに「甲陽軍艦」ではこう記す
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「徳川軍はさすがに武名の高い家中の者ゆえ,
九隊のうち八隊が戦闘に加わる」

武田軍先鋒は山県正景
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山県正景
山県隊は部隊の軍装を赤一色に統一し編成したことから、「赤備え」として諸大名から畏怖された。なお、昌景の死後、徳川家康の重臣・井伊直政や真田昌幸の次男・真田信繁らも赤備えを採用しているのを見ても、その強さがいかに畏敬されていたかがわかる。
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この鎧(赤備え)をみただけで 震えあがりだれもが逃げていった しかし徳川隊はこの山県赤備え隊に攻めた 後に 家康が「山県とはもう二度と戦いたくはない恐怖で脱糞した」という逸話が残されている

勇気を出し突撃した徳川本隊 そして 初めて押される武田山県隊 しかしこの「押される」というのは大きなわなであった。
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このように山県隊がわざと「押される」事により 徳川家康隊は孤立し 敵方に囲まれることとなる

こうなるともう逃げられない!!

ここで 馬場信春から槍が入り徳川軍はほぼ全滅状態となった
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馬場美濃守信春
四十年間数多の合戦でもかすり傷さえ負わなかった 通称「不死身の鬼美濃」 その戦法は静かに耳をたて 怜悧に目を配るのみ 及び腰の部隊は足音が乱れ旗印は傾く 合戦巧者には 敵の弱い部隊が澄んで見えるという。
つまり 馬場信春は弱い部隊から攻撃し 一気に全滅させていったのだ!!

じゃあどうやって家康は逃げれたのか?

「信長公記」にはこう書かれてある。
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「家康公は(中略)三方ヶ原の山沿いの道を、ただ一騎で退かれたが
敵は先回りして退路を遮った。」
「家康公は馬上から敵兵を弓で謝倒し、駆け抜けて通られた」
史実かどうかはわからないが 家康が逃げ切った事は事実である そして戦は終わった
武田軍三万のうち死者わずか二百名にたらず 一方 徳川織田軍一万一千のうち討ち取られた数二千弱
わずか二時間で勝負がついたという

現在の三方ヶ原は激戦をしのばせる跡はほとんどないが

この合戦の恐怖を刻み込んだ特異な肖像画が残っている

徳川家康が 三方ヶ原の合戦の直後 自分の恐怖の顔を描かせた「しかみ像」である
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通常 戦国武将が自分の失敗を記録に残すことなどあり得ない
だが「しかみ像」と呼ばれるこの肖像画は
三方ヶ原の合戦直後
多くの犠牲者を出した戒めとして
家康が恐怖の表情を写し取らせたものである
現在徳川美術館に所蔵されており 徳川家康の失敗をいまに伝えている

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元亀三年壬申十二月二十二日
遠州三方ヶ原の御合戦とはこれにて候
「甲陽軍艦」

そして 信玄は この合戦の直後 病にてなくなる



巨星墜つ!!





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武田信玄の言
「予測と準備の重要さは、夫婦喧嘩も国家の運営も合戦でも同じ事」
「常に事前に準備せよ」
「合戦の前に勝利を決めよ」
「矢を放つ 槍を合わすは事後処理にすぎん」











元亀四年四月十二日





戦国史上最強の男



武田法性院信玄逝去 享年五三







マンガ「センゴク」をベースにつくりました!!
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(8〜11巻参照)

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