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1970年代後半から1980年代初頭にもなると当時のUFO大ブームはほとんど収まっていました。
そういったタイミングで、私はSPA顧問である並木伸一郎氏が主宰する日本宇宙現象研究会(Japan Space Phenomena Society)へ入会しました。
JSPSのメイン機関誌は「未確認飛行物体 - 情報とその研究」と言い、本格的な論文と体裁で作られていました。

入会した当時は、同誌が既に10号くらいまで出ていたでしょうか?
私はその頃高校生でしたが、発行が遅れてなぜか年末近くになると到着する「未確認飛行物体」誌が本当に楽しみでした。

ところで、私は当時大分県の別府市に住んでいました。
家のすぐ近く、歩いて5分もないほどの距離に、ハンディキャップを持った人たちの「太陽の家」という大きな施設がありました。
そこは、私にとって知人も多くごく身近なところだったのですが、驚くべきことに、「未確認飛行物体」誌はそこの印刷センターで印刷されていました。
「こんな偶然ってあるのかな?」と思いました。
近所で作成された機関誌が、東京のJSPS本部を通して、また印刷所のすぐ近くに戻ってくるなど、これは不思議な縁を本気で感じましたね。
そのため、私は自分が主宰する会の機関誌は、必ず「太陽の家」の印刷センターで作ると心に決めて上京して来ました。
まぁ、どうでもいい話ですが、今でも当時の気持ちを懐かしく想い出すことがあります。

そういえば、『最も美しいUFO研究会機関誌は何?』を前回( http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/16519418.html )考えましたが、JSPSの「未確認飛行物体」誌も負けず劣らず美しいです。
「人に媚びない実直さ」の極致がここにあります。
特に1977年の第7号は秀逸です。
ちなみにSPAの初期機関誌「空飛ぶ円盤フェノメナ」の数号は「未確認飛行物体」を手本として編集しています。
並べて見るとよく似ていますよね。
もちろん印刷は「太陽の家 電子印刷センター」です。
ある意味、これは、私の夢がかなった瞬間でもありました。

さて、私のUFO活動は機関誌の編集作業と表裏一体です。
思っている以上に機関誌の編集は過酷な作業ですが、機関誌は美しいに越したことはありません。
選ばれた13名の方にしか送られていない「The Sky People」誌はそれを優先的に考えて編集しています。

掲載写真はJSPS「未確認飛行物体」癸掘SPA「空飛ぶ円盤フェノメナ」創刊号、そして今編集作業中のSPA「The Sky People」12です。

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1990年11月3日午後1時頃、長野県松本市で旅行中に撮影した球形の金属物体です。連続5枚中の2枚で、物体を追いかけながら刈り取られた田んぼの中から撮影したものです。
最初に見つけたときは発光していたのか、光の塊のように見え、西から東へ飛行していました。
接近するにつれて、球状をした物体の金属的外観が識別できましたが、撮影のためにあたふたしている間に遠ざかってしまい、写真にはごく小さくしか捉えることができませんでした。
したがって、掲載写真はかなり拡大しています。
それでも、物体の右側が光を反射しており、金属的なものであることがわかると思います。挿入の図を参照ください。

物体との距離は目測で約1km、物体の直径は約3mと判断しました。
これは、目撃時の印象と原版の写真に写った景色などから、若干遠慮して数値を割り出したものです。
ちなみに直径3mというと結構大きいですよ。
写真では到底分かりませんが、目撃時にはもっと大きいのではないかと思えるほど迫力がありました。

物体はずっと直線的に同一の高度を飛行しているように見えましたが、かなり遠ざかったところで急に垂直上昇して飛び去って行きました。

ちなみにこの10年後、やはり同じような球形の比較的大きな物体を、東京町田市で踏み切り待ちの車の中から目撃したことがあります。
このときはカメラを持っていなかったので、撮影できませんでした。
(SPA 佐藤)

※UFOを目撃、撮影したら御連絡を。
天空人協会 ; sky-people@jcom.home.ne.jp

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