研究報告

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掲載の写真は以前このブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/16858380.html )でも紹介しましたが、1967年3月12日、アメリカ、ニューメキシコ州のピカチョ・ピークで大学生が撮影した円盤とされるものです。

少し、撮影時の状況をこの写真を最初に報道したアメリカの初期のUFO研究団体APROの会報から補足しておきます。
撮影者は、カメラを趣味とするニューメキシコ州立大学に通う学生で、匿名希望です。
その撮影者が、良い被写体となる景色を探してこのピカチョ・ピークの特徴的な景色を見つけ、撮影しようとカメラを構えていたところ、銀色の円盤が無音で静止滞空しているのを発見、そちらにカメラを向けなおして撮影したとされるのがこの写真です。
物体からは絶縁体の焦げるような人工的な匂いがしたと伝えられています。
撮影に使用されたのは乾板を入れ替える方式のカメラで、撮影者がその入れ替えのために、下を向き再度カメラを構えなおしたときには、物体は既に居なくなっていたとのことです。
その間、約3秒と証言されています。
画面に見える物体が滞空する丘陵までの距離は約460メートルで、物体の位置もそのくらいであったとされています。匂いが漂ってくるくらいですから、たぶん距離としてはそのあたりが限界であったろうと思われます。

私は、以前の紹介では物体がよほど遠くに無い限り、丘陵上にその影がないのは怪しいと、この写真のトリック性を匂わせる記述をしていました。
撮影者も丘陵上に物体があったとしているわけですからなおさらです。

そういう理由で私の中では長い間、この写真もトリックとして整理されていたのですが、昨日この写真をよくよく見ていると、あれあれ?何か物体の影らしいものが丘陵にあることに気がつきました。
植物か岩の影がまだら状に点々と写っているため、ずっと円盤の影とは関係のないものばかりと考えていたのですが、よく見るとそうとは思えないちょっと長めの影がちょうど物体にあたる太陽光の反対側に存在しています。

もし、これが本当に物体の影であれば、トリック説も覆されることになり嬉しい誤算であった事になるのですが、う〜ん・・・いかがでしょう?


※UFOを目撃、撮影したら御連絡を。
※CBA(宇宙友好協会)の資料を探しています。お心当たりのある方はぜひご連絡ください。
   天空人協会 ; sky-people@jcom.home.ne.jp

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UFO出現の意味を探る考察は、傍から見ると、ただでさえ異端なUFO研究者の中でも、更に異端の深みにはまり込んだように見えるかと思います。
たぶん、その通りです。
こういった研究をしている研究者が少ないのですから、分析もあまく少々強引な考察があるのは仕方が無いとご容赦いただくしかありません。
つまり、批判にさらされたり、補強証拠を集めたり、などといった論考を磨き上げる通常の手順すら少数でしか行なえないわけです。
残念です。

一方で、過去何十年と世界のUFO研究者はそれなりの信憑性のある情報を収集しています。
そういった溢れかえるばかりのUFO情報をどうしてほったらかしにするのか、それが不思議でなりません。
UFOが未知の知性に起因する現象であるのは、ほぼ確実でありながら、どうしてその未知の知性に思いをはせないのかな?と思います。
全くもって謎です。

もちろん情報収集活動も重要ですが、もう少しその先に進んで、出現の意味を求める研究者が増えても良いような気がします。
まぁ、どうでもよい話かもしれませんが・・・。

さて、前回( http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/32339013.html )は、1942年のロサンゼルスUFO事件に対し、「なにゆえ人類を古代から知り尽くし、神と呼ばれる天空人は、こんなにも不注意な行動を起こしたか?」
「実は天空人とってこの行動は、大きな意味を持つものだったのではないだろうか?」
という2つの疑問を残したままにしていました。

「天空人は意味なくして現れない」というこのブログでも再三論じたセオリーを前提として考えると、ちょっと恐ろしい結論に達してしまいます。
つまり、「彼らは誤解を招くタイミングで出現し、米国民を恐怖に陥れ、多少とはいえ犠牲者を出す事態を引き起こすことで、“契約の民”の末裔が住む日本への敵意を燃えあがらせる必要があった」
そういう結論です。

※ちなみに、「契約の民」という言葉を使った意味については、装飾古墳のUFOLOGY( http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/26801111.html )で論じた天空人と地上の契約に基づく国家=蒼穹の王国の項をご参照ください。
※また、このブログではけっこう聖書的な表現を多用していますが、これは古代の天空人飛来の記録として、最もまとまった文献資料が「聖書」やその起源となった「古代オリエントの神話」であるとの解釈に基づくからです。聖書(もしくは古代オリエントの神話)に見え隠れする天空人の思想に沿った記述を行なっているためとお考えいただければよいかと思います。

さて、これまでの宇宙考古学的論考で得た結論は、われわれは“契約の民”の末裔であると同時に、古墳時代に興った“最後”の「蒼穹の王国」を滅亡に導いたヤマト政権に率いられた民の末裔でもあり、その古墳時代に滅亡した「蒼穹の王国」は、つまり我々自身が消し去ったということでした。
ちなみに、ここで“最後の”という言葉を使ったのにも意味がありますが、平行して論じている縄文土偶のUFOLOGYのその5以降で触れたいと思いますので、ここでは述べません。

さて、自ら契約の王国を消し去るという行為は、古代から連綿と続く、天空人との関係=契約に対する明らかな裏切りでしょう。
そして、古代の文献資料である「聖書」や「古代オリエントの神話」を少しでも読めば、そういった天空人との契約違反を犯した者たちは、結果的に滅ぼされる運命にあることが繰り返し述べられています。

ということで、ここでまた、古代の記録を紐解いてみたいと思います。
『主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかし、イスラエル人は臆することなく出て行った。それでエジプトは彼等を追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた』
これは、『旧約聖書』、出エジプト記の中の一部です。
思わず目を疑いますが、天空人と推測される神ヤハウェが、彼自身の契約の民イスラエル人に対して、エジプトの軍勢を敵として向かわせたことが述べられています。
これは、旧約聖書の神が契約の民に向けて、自分への信仰をより強固にするために行なった演出だと解釈されています。

太平洋戦争におけるロサンゼルスに現れたUFO群が行なった行為は、まさしくこの聖書の記述どおりではないでしょうか?
これだけで、太平洋戦争が天空人によって仕組まれたものと考えるのはとても非科学的なことですが、このブログは科学を論じているわけではありません。
ですので、想像も交えて述べさせていただくと、もしかすると天空人は、裏切りの民である日本国民の前に、米国という巨大な敵を出現させたのではないでしょうか?

それは、装飾古墳のUFOLOGY( http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/26801111.html )で述べたようにヤマト政権側の画策に追従し「蒼穹の王国」を滅ぼした“契約の民”に、「巨大で凄惨な罰を与えるため」と、ヤマト政権側の「隠蔽工作による支配に終止符を打つため」、それが目的であった様に思えます。
ちょっと難しい問題もあるので、微妙な表現で申し訳ないのですが・・・。

そして、その証拠に、UFO群は太平洋戦争末期の沖縄戦において、米国機動艦隊に対し、まるで戦争終焉の合図とでもいうべき一大ページェントを挙行します。
この事件については既に一度ご紹介したことがありますが( http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/13036479.html )、再度説明すると、太平洋戦争末期の1945年のその日、沖縄攻略展開中の米国機動艦隊の1つが、200機〜300機もの正体不明航空機の大編隊をレーダースクリーン上に捕捉します。それは、時速1200キロメートル以上という、当時としては考えられない速度で、機動艦隊に接近しつつあり、しかも、その大編隊は徐々に左右に広がり、米国機動艦隊に対して明らかな包囲陣形を敷いたとのことです。
太平洋戦争で投入された最速の戦闘機P51ムスタングが最高時速750Km程度であったと伝えられていますから、この速度は驚異的です。
そこで、日本軍の最新兵器による攻撃と色めき立った米海軍では、即時に臨戦態勢をとったのですが、奇妙なことに、レーダースクリーン上で十分視認できるほど接近していたはずの飛行物体群が、晴れわたった空のどこにも存在しなかったとのことです。
米国機動艦隊の頭上を不可視の大編隊は攻撃もせず通過し、米海軍に肩透かしを食わせることになったのです。
この現象がレーダーの故障ではないことを示す証拠に、他の機動部隊でも、大編隊をキャッチしていて、しかも、この“不可視の大編隊”は、その後の数週間、幾度となく米国機動艦隊上に出現と伝えられています。
 戦意高揚を意図したロサンゼルスでの出現とは裏腹に、レーダー面上でのみ姿を現し、視認できない状態で飛来したUFO群の意図は明らかだと思います。
なにしろ、視認できないUFOを攻撃することはできないわけです。
したがって、自分たちを凌駕する性能を持った正体不明の大編隊からいつ攻撃されてもおかしくないという不安は、沖縄攻略中の米国兵士たちに、高揚心よりも、戦争に対する嫌悪感や虚脱感を味合わせる効果は十分だったと推察されます。      
天空人は、自らが仕組んだ戦争を、無言の演出で終わらせようとしたのではないか?と思えるわけです。

そして太平洋戦争は、『旧約聖書』のソドムとゴモラの記述そのままの悲劇で幕を閉じていきます。
これを聖書の記述になぞらえると、「太陽が地上に昇った頃、天空人に促されたアメリカ合衆国は、広島と長崎の上に、放射能の火を上空の戦略爆撃機B29から降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼした」・・・こうなります。

蛇足ですが、もしかすると我々は、縄文時代に既に一度、天空人からこのような滅ぼされ方をしている可能性があります。
この話は、「縄文土偶のUFOLOGY」で述べてみたいと思います。

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日本軍による真珠湾攻撃を皮切りとして、1941年12月8日、太平洋戦争が始まりました。
そして、これはあまり知られていませんが、その直後の12月9日、相手国のアメリカ合衆国上空に正体不明の飛行物体が現れています。
私も15年ほど前も天宮清氏から紹介されるまで、この事件のことは知りませんでした。

1941年12月11日付の読売新聞は、その状況を次のように伝えています。
「ワシントンUP電によれば九日夜、燈管(燈火管制)中のニューヨーク市には一斉に 空襲警報が発せられた。アメリカ政府当局は同警報発令に関し10日、それはニューヨーク市近郊ミチェル・フィールド飛行場目指して飛来せる敵飛行機を認知せるためだと発表した。その飛行機は一瞬の間に大恐慌を起こしたニューヨーク市を尻目に何処かに飛び去ったが、10日朝来全市はこの噂で持ち切りで、その敵飛行機は果たして日本機か或いはドイツ機かと目下様々の憶説が行われている」
このとき、飛来した“敵飛行機”の正体は不明のままです。もちろん、日本、ドイツいずれにも、当日アメリカ本土空襲を行なったとか、上空に進攻したなどという記録はありません。
そのため、研究者間では、この日、ニューヨーク上空に飛来した謎の飛行物体はUFOだったと考えられています。
しかしUFOであれば、なぜ、太平洋戦争開戦直後の、それも緊張感漂うこんな時期に、ニューヨーク上空に現れたのでしょうか?
しかも、その2か月半後、UFOは再び、もっと恣意的に米国上空に出現します。 
こちらは有名な事件ですし、この時の模様は新聞社のカメラマンによって撮影されていて、UFO本で繰り返し紹介されていますので、ご存知の方も多いと思います。

その事件とは、1942年2月25日未明、ロサンゼルス上空にUFOが集団で姿を見せた、あの事件です。
当時、これを日本軍の空襲と勘違いした米軍が、地上から対空砲火を浴びせるという米国史上例を見ない、一大事件に発展しています。
普通に考えれば、ロサンゼルスという軍事的に重要な都市の上空を、しかも、開戦直後に正体不明の怪物体が飛行すれば、これは当然すぎる結果です。
このとき発射された砲弾は、実に1430発。飛来した物体の数は約15機。目撃者の報告では、物体は円形をしており、当時の航空機の外観とは似ても似つかぬものであったと伝えられています。
これらのUFO群は、猛烈な弾幕の中、撃墜もされず、悠々と飛び去って行ったとのことですが、その時の砲弾の落下破片によって、5名の市民が死亡したと伝えられています。
米国側から見れば、日本軍が上空に現れ、その戦闘によって5名の尊い命が失われたのですから、これは怒りますよね。
米国内の開戦反対派を、軽く押さえ込むほどのインパクトを与えたことは想像に難くありません。きっと、米国民は日本に対する開戦の必然性を意識したことでしょう。
結果として、この「ロサンゼルス事件」は、米国民の戦意高揚に一役も二役も買ったことになったのではないでしょうか?

UFO事件のその表面だけを追うことで満足していると、この事件はこれで終わりです。
ところが、もう少し突っ込んで、このブログでも再三触れた古代天空人の来訪という宇宙考古学の視点や、“天空人は意味なくして現れない”という視点をこの事件に盛り込むと、様相はかなり変わってきます。
つまり、なにゆえ人類を古代から知り尽くし、神と呼ばれた天空人その人たちが、こんなにも不注意な行動を起こしたのかという、どうにも納得できない疑惑が噴出してくるのです。
ここにはまるで、日本という国に巨大な敵を向かわせたかのような残酷かつ作為的な演出すら感じることができます。
実は天空人にとって、この時の行動は、大きな意味を持つものだったのではないでしょうか?


以下、次回へ続きます。

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☆UFOsの生命維持活動?

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ずいぶん昔のUFO入門書には、地球の地質や生物の調査をUFO飛来目的の一例として挙げていることが結構ありました。
しかし私は、こんな話はありえないと思うのです。
これまでに見てきたように、旧約聖書の時代から飛来していたと思われるSky-Peopleです。今更なんで調査が必要でしょうか?

古代にSky-Peopleが飛来し、それが現代のUFO現象と同じものだとする立場をとるならば、“調査”のために飛来するという可能性は捨て去らなければなりません。

では、何のために飛来しているのか?
う〜ん・・やっぱりよくわかりません。
しかし、以下の二つの可能性は十分ありえるかと思います。
とはいっても,廊△粒萋阿鮃圓覆上での副次的なものなので、実際には△靴ないのですが・・・。

\弧唇飮活動
 自らの命を維持するための食物や水分の補給、テクノロジーを維持するためのエネルギー源の補給活動。これは彼らの母星との往復でまかなわれている可能性もありますが、地球上で独自に行なわれている可能性も捨てられないところです。
⊃洋爐悗侶拗雹抉膤萋
 古代の文献を紐解けば、彼らの主たる任務は我々へ暗示的なメッセージを啓示することだと断言できます。(なぜだか、直接的ではありません。)
もちろん、啓示対象への偵察、記録活動は行なうのでしょうけど、もはや地表の土壌分析や動物・人体調査などは有り得ないと考えます。そして、既に述べたように,粒萋阿廊△粒萋阿良次的なものなので、実際にはSky-Peopleの飛来目的はこれだと思われます。

さて、このブログでは主にメッセージ色の強い事例や解釈をいつも紹介しているので、少し趣を変えて、1973年7月に北海道苫小牧市の東埠頭で匿名の大学生によって目撃された天空人の生命維持活動とも取れる目撃の1例をご紹介しましょう。

「1973年7月のある夜、夜警のアルバイトをしていたT君が、頭上に球状のUFOが現れ、海上に管を伸ばした後、海水を吸い上げたかのような活動をするUFOsを目撃した。
その後、その物体はどこかから現れた同様の球状物体と共に、ほとんど黒色に近いドラム缶様の母船(?)に格納され、薄黒い煙の筋のようなものを放出して、北の空に飛び去って行ってしまった。
また、球状物体が最接近した時に、その周囲にぐるりと窓のような構造が認められ、その中に変形した人影のようなものがあったという。(近代宇宙旅行協会「空飛ぶ円盤特別情報 12」より)」

こういう目撃談です。
海水を吸い上げて何をしたのか、ちょっと推測できませんが、この目撃談は1970年代のバラエティーに富んだUFO事例の中でもひときわ異彩を放っているものです。


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前回(http://blogs.yahoo.co.jp/cba_int/14646219.html)に引き続き1950年代の国内UFO写真をもう少し紹介しましょう。
日本最初のUFO写真は1957年でしたが、その翌年にはもうトリック写真が作られています。

§岩手のUFO
1958年4月30日午後8時頃、岩手県盛岡で当時高校生の菊池務氏が撮影したUFO。
望遠鏡で月の観測を行ない数枚月の写真を撮ったところ、その中の1枚だけにこのような発光体が写っていたというものです。
肉眼では一切このような光る物体には気がつかなかったとのこと。
約1秒間の露出で撮影。

§わが国最初のトリック写真
1958年10月31日の午後2時過ぎ、大阪府貝塚市新井町で中学2年生の馬場義弘君によって自宅2階から撮影された2枚の写真。
物体は南西の空から現れて眼前で大きなカーブを描いた後、南東方向へ飛び去ったと発表されました。
当時トリックか本物かと大論争を巻き起こしましたが、本人がトリックであることを告白しあっけない幕切れとなりました。
国内最初のトリック写真として今も有名です。

§東京天文台撮影の発光体
1959年4月14日、東京都三鷹市大沢の東京天文台に設置されたナン・ベーカー・カメラによってキャッチされた発光体です。
先立つ2月17日に打ち上げられた人工衛星ヴァンガード2号の追跡撮影を行なっていたところ、人工衛星の光跡と共に偶然撮影されたものと言われています。
この写真は米国のUFO研究団体NICAPが発表した「UFO EVIDENCE」という優れた研究書にも紹介されていました。

§雲の研究家塚本氏が撮影したUFO
これらの2枚の写真は東京都武蔵野市吉祥寺で雲の研究家、塚本治弘氏が撮影したもので、初期の円盤写真として非常に有名です。
塚本氏は雲に関する本も出版されていましたが、どうもUFO写真の方は怪しいようです。
上:1959年5月17日午前5時40分頃、左手の松林から右上方斜めに上昇する強い光を発する光体を発見、即座に撮影したというもの。
下:1959年6月13日午後、太陽を望遠鏡で観測中にラグビーボール状の物体を発見して撮影したもの。
合計5個の物体を観測できたということです。
しかしながら、2個の物体がまったく同じシルエットで、きわめて平面的に見えることから、円盤型に切り抜いた紙を貼り付けて撮影したトリックである可能性が高いと思われます。
したがって、同一人物による上の写真もその信憑性は薄いと考えざるを得ないところです。
残念ながら塚本氏の写真は両方ともトリックでしょう。


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