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羽田空港の「カールユーハイム」でバウムクーヘンを購入したところから、大正から昭和に元号が移った頃の神戸に空想が跳んでしまいました。
子どもの頃、頂きもののお菓子の最高峰がふたつありました。
ひとつは前回登場の「ユーハイム」のバウムクーヘン。
羽田空港限定、「りんごのバウムクーヘン (ホーニッヒアッフェルバウム)」
そしてもうひとつが「モロゾフ」の洋菓子。
中でも「カスタードプリン」は、とても特別な存在でした。
昔ながらのガラス容器に入った「モロゾフ」のプリンは、とても大人な雰囲気でした。
大人になったら好きなだけ食べるのだと、心に決めたものでした。
今回プリンについて見ていたら、ガラス容器になったのは1973年で、1962年の発売から1972年までは陶器製の容器を使用していました。 陶器に入ったプリン、覚えがあるような無いような…。
そしてもうひとつが「パンプディン」。 昔は普通に販売されていたのに、いつの頃からか「限定販売」となり、最近ではほとんど見かける事がありません。
この写真も、2013年夏のものです。 「モロゾフ」のHPにも記載が見当たりませんでした。
カスタードプリンよりもしっかりとした食感と、たっぷりのカラメルソースが好きだったのに。
見栄えの良い写真が無くて、申し訳ございません。
あと、「モロゾフ」といえば、勾玉模様の缶に入ったナッツ載せの焼き菓子「アルカディア」とか…
きりが無くなりそうです。
こんな素敵な洋菓子を作り続けている「モロゾフ」の元を辿ってゆくと、実は19世紀末のロシアに行き着きます。 モスクワの東、ボルガ川に面した都市、シンビルスク。
ウラジミール・レーニンの生誕地であり、それにちなみ現在は「ウリヤノフスク」と改名。
(レーニンの本名は「ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ」。 「レーニン」はペンネームのようです。)
1880年、ウラジミール少年が10歳の頃、シンビルスクの商家にひとりの男の子が生まれます。 その名は、フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ。
やがてフョードルは家業を継ぎ、貿易商としてロシア帝国内での地位を築いてゆきます。
1911年、フョードルの息子、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ誕生。
1917年、ロシア革命が勃発し、ロシア帝国−ロマノフ朝は終焉を迎え、レーニンたちが主導する「ソヴィエト(労働者評議会)」が次第に権力を握ってゆきます。
ロシア帝国の「ブルジョアジー」であったモロゾフ家は、革命による混乱を逃れ、当時ロシアの影響力が強かった中国・ハルビンに脱出します。
モロゾフはハルビンで、「ソヴィエト−赤軍」に対抗する、共和制派「白軍」を支援する活動などをしていたようです。
1923年、中華民国の行政がハルビンに確立し、今後ロシアの支配力が弱まる事を見越したのか、一家はアメリカ・シアトルに移住します。
その後のハルビンは、1926年にロシアの支配が終り、1931年に勃発した満洲事変により、1933年には満洲国の版図に組み込まれてゆきます。
モロゾフ一家がシアトルに到着した翌年、「1924年移民法」が成立します。
この法律は、あからさまな人種的偏見に基づき、「優等人種」の移民を奨励する一方、「それ以外」の移民は大幅に制限ないしは禁止するという露骨なものでした。
この人種的偏見を正当化する考え方はやがてドイツに波及し、ナチス・ドイツにおける「支配人種」説へとつながってゆきます。 そんな情勢の中、モロゾフ一家はアメリカを離れる決意をします。
拡大してゆく偏見による、先行きへの不安が大きかったのではないかと思われます。
一家は再び太平洋を渡り、日本へと向かいます。
こうしてモロゾフ一家の神戸での物語が始まります。
1926年、息子ヴァレンティンとともに「コンフェクショナリー・F・モロゾフ」を開店。
1931年、日本人投資家からの出資を受入れ、「モロゾフ」は共同経営となります。
ところが、次第に経営陣との間に確執が生まれ、
1936年にモロゾフ親子は経営権を失い、「モロゾフ」を追われてしまいます。
この時、「モロゾフ」という商号は「モロゾフ製菓」のものとなり、モロゾフ親子はモロゾフという名前を事業に使用する事が出来なくなってしまいます。
モロゾフと同じ亡命(白系)ロシア人で、神戸で洋菓子店を営んでいたマカール・ゴンチャロフもやはり、1932年に日本人の出資を受けた事業を、1934年に全て譲渡、日本を去っています(その後ゴンチャロフの消息は不明)。
奇しくもモロゾフ一家は、時代の混乱のほとんどに巻き込まれてしまったのでした。 やがて戦争が終わり、戦時中日本に協力したドイツ人という理由により、主を失った「ユーハイム」の工場を、息子バレンティンが借り受け「コスモポリタン製菓」を起こします。
ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは白系ロシア人として、戦後「ソヴィエト連邦」の国籍を取得する事はせず、無国籍のまま生涯を送ったといわれています。
祖国を失い、異国で生きたモロゾフさんちが、たどり着いた「コスモポリタン」。
夢と願いを込めた名前と思ってしまうのは、いささか考えすぎでしょうか。
1971年、父、フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ 死去(享年91歳)
1999年、息子、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ 死去(享年88歳)
2006年、「コスモポリタン製菓」廃業
あまりの波乱万丈に、つい話が長くなってしまいました。
さて、「モロゾフ」の箱の中には、何が入っているのかな?
おしまい。 |
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不二家のプラのプリン位しか食べた事がなかったので、モロゾフを意識しないで大人になりました。食べた事がないかも(笑)
2015/7/27(月) 午前 5:58
拙僧も高級プリンと言えばモロゾフでしたが、陶器は記憶にございません。
重いガラス容器、再利用して牛乳プリンが出てきました(笑)
2015/7/27(月) 午前 7:17
モロゾフのプリンは大好きです!
プリンを食べ歩きするときもモロゾフの味が多分私の中のベーシックになっているのだと思います(^^ゞ
アルカディアも美味しいですよね(笑)
2015/7/27(月) 午前 11:12 [ kazukun ]
歴史の勉強になります!!!
モロゾフと言えば「プリン」のイメージがあります。
そして、そのガラスの容器は・・いつしか麦茶を飲んだりする夏のグラスとして家で使われておりました〜(笑)
2015/7/27(月) 午後 9:47
ガラス容器入りのプリン、おいそれと手を出してはいけない雰囲気がありました(^_^;
大人になった今、大人食いしてみたいです(笑)。
2015/7/27(月) 午後 10:42
プリンやけど、高い方、安い方、どっち好き?
って先日、同僚に言われました。
苦いか?甘いか?
モロゾフってルーツがロシアだったんですね♪
2015/7/27(月) 午後 11:25 [ うろつきPLUS ]
りかおんさん、おはようございます
子どもの頃の日常では、不二家で何とかお菓子を買って貰おうと粘ったものでした(笑)
モロゾフのお菓子をお土産に持ってきて来てくれる「モロゾフのおじさん」は、ありがたい存在でした(^^ゞ
2015/7/28(火) 午前 8:22
JGC修行僧さん、こんばんは
モロゾフといえばガラス容器の景色ですが、陶器製にかすかな記憶があるような…(^_^;)
あの空き容器はなかなか捨てられず、あの手この手で再利用しております(笑)
2015/7/28(火) 午前 8:25
kazukunさん、おはようございます
プリンの基準がモロゾフという気持ちは、同感です(^^ゞ
アルカディアといい、子どもの頃から今に至るまで、高級洋菓子の基準であり続けています。
2015/7/28(火) 午前 8:30
柏のLunaさん、おはようございます
やはり、モロゾフといえばプリン、プリンといえばモロゾフですよね(^^ゞ
あの容器は中々捨てられないものの代名詞で、多くの家で再利用されている事と思います(笑)
2015/7/28(火) 午前 8:32
くぅねるさん、おはようございます
モロゾフのプリンは大人の雰囲気が漂っていて、何時か好きなだけ買えるようになりたいなんて思いました(^^ゞ
お土産に持っていけるようになった時、大人になったなあと実感しました(笑)
2015/7/28(火) 午前 8:39
うろつきPLUSさん、おはようございます
プリンは高いほうも、安いほうも実はどちらも好きなので、決めがたかったりします(笑)
モロゾフやゴンチャロフというエキゾチックな名前、帝政ロシアに遡る歴史があると、改めて知りました(^^ゞ
2015/7/28(火) 午前 8:43