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小松市にある「日本自動車博物館」という「魔窟」に足を踏み入れてしまい、身動きが取れません。
「道草ばかりで、ちっとも進んでません!」
いかんいかん。 こんな調子で見ていたら、時間がいくらあっても足りないよね。
これは「三菱自動車」の、
「三菱 ミニカ(初代 1962〜69年)」(LA20系)。
展示車は、搭載する空冷2ストローク2気筒エンジンの潤滑が初期の混合式から分離給油に、燃料供給も重力式からポンプ式に変更された、中期(1964〜67年)モデルだと思われます。
こちらが初期型のピックアップトラック。
正式名称は「三菱 360」かと思います。
この写真だと分かりにくいのですが、重力式の燃料タンクがボンネット内にあるため、ボンネットフード上に熱抜きのスリットが切ってあります。
「三菱 ミニカ」といえば、この初代から8代目ミニカに至るまで約50年、「eKシリーズ」にその座を譲るまで、軽自動車を代表するブランドでした。
当時の典型的なファミリーカーですが、今見るととても小さいです。 まさしく「ミニカー」。
おっ、これは珍しい。 この車が分かるひとは、かなり少ないかも?
「コニー・360(1962〜1970)」(AF7)。
現在は主に日産車のエンジンやトランスミッションなどを製造している「愛知機械工業」が、かつて独自開発した軽自動車です。
一見すると上の「三菱 ミニカ」と同じように、ボンネット内のエンジンでリアタイヤを駆動するFR方式のようですが、実は車体中央(フロントシート下)にエンジンを置く、ミッドシップ・レイアウト。
重いエンジンを車体の中心に置き、重量の集中を図るというのは、どこか航空機的発想です。
それを可能にしたのが、0.36L・空冷水平対向2気筒OHVという凝ったメカニズムのエンジン。
しかも、シリンダヘッドはクロスフロー・半球型燃焼室、潤滑はドライ・サンプ。 まるで航空機用レシプロ・エンジンです。
この車には更に、フロントサスペンションがWウィッシュボーン・コイル式の独立懸架(ウィキペディアには「トーションバー」と記載)、ステアリング機構は応答性の高いラック&ピニオン式。
ヒーター標準装備に、セミ・オートマ設定車など、新機軸が数多く盛り込まれているのでした。
「コニー・360」を造った「愛知機械工業」の前身は、戦前の航空機メーカー「愛知飛行機」。
この小さな車に、もしかすると「ヒコーキ・スピリッツ」が凝縮されているのかもしれません。
閑話休題。
この頃の排気量0.36Lの軽自動車は、構造が簡単で重量が軽く、出力を稼げる2ストローク・エンジンが主流でした(上記「ミニカ」など)。
1962年頃に、軽自動車で4ストローク・エンジンを採用していたのは、上記「コニー」の他には、「東急くろがね工業(現日産工機)」と「東洋工業(マツダ)」。 後は、「本田技研工業」が「T360」を発表する直前でしょうか。
「マツダ・R360クーペ(1960〜66年)」(KRBB)
空冷90度V型2気筒OHV
「ホンダ T360(1963〜67年)」(AK250)
水冷直列4気筒DOHC
この「T360」は、後輪がクローラ駆動の雪上車仕様です。
「くろがね ベビー(1960〜62年)」(水冷直列2気筒OHV)の展示車もあったのに、使える写真がありませんでした。
こうして書き出してみて、気がついたことがひとつ。
「コニー」 空冷水平対向2気筒OHV
「マツダ」 空冷90度V型2気筒OHV
「ホンダ」 水冷直列4気筒DOHC
「くろがね」水冷直列2気筒OHV
見事に全車異なるレイアウトです。
このあたりのメカニズムに対するこだわりが、4ストを選択させたのかもという気がします。
ごちゃごちゃと書いていて気付いた事がもうひとつ。 4ストならエンブレがもれなく装備…。
あ、「コニー」がもう1台。
これはもっと珍しい、「コニー・グッピー(1961〜62年)」(AF8)です。
「長3.0m×幅1.3m 高2.0m 排気量0.36L」という、1975年までの軽自動車規格よりもさらに小さな、
「2,615mm×1,265mm 高1,290mm 排気量0.20L」の「100kg積・2人乗リ超小型トラック」です。
この車、どこから始めようかと迷うほど、変わったところが満載です(トラックだけに?)。
まずは荷台が、トラックなのに駆動系が邪魔をして浅くて狭く、あまり実用的とは思えません。
実際の荷台サイズは「長685×幅965×高245mm」。 大型スーツケースひとつで一杯です(100Lスーツケースは大体「600×800×300mm」)。
強引にトラックにした訳は、もちろん時代背景として、実用性のアピールが何より重要だったのですが、商用車扱いならば物品税(15%)が免税になる上に自動車税も安く、更にトランクリッド(蓋)分の部品を減らし、重量と価格を抑える効果もあったようです。
そのような価格抑制策を取る一方で、サスペンションはフロントにWウィッシュボーン・コイル、リアはトレーリングアーム・ナイトハルト・トーションバーという、舌を噛みそうな複雑な機構の4輪独立懸架(これは「トヨタ 2000GT」に匹敵)。 なのにタイヤは「4.00-8/4PR」と原付スクーター並み。
また、2つのヘッドライトを点灯させるのに十分な12V電装を持つ一方で、ウインカーはリアピラーにひとつだけという質素さ。 絶妙なアンバランス感がとても素敵です。
「コニー・グッピー」は、ドイツの「メッサーシュミット」や「ハインケル カビーネ」のような前2輪・後1輪駆動の2人乗り小型三輪車として開発を始めたものの、安定性を追及するうちにこの形に行き着いてしまったようなのです。
「メッサーシュミットKR200(1953〜64年)」
「ハインケル カビーネ(1956〜58年)」
これらドイツ製三輪車の車重が大体250kg程度なのに対し、車輪がひとつ増え、駆動系が複雑化した分、「コニー・グッピー」の車重は290kgにもなってしまいました。
そういえば、「メッサーシュミット」と「ハインケル」も航空機メーカーでした。
「愛知飛行機」が前身の「愛知機械工業 コニー」といい、ヒコーキ野郎はこういった最小サイズのメカに、つい血が騒ぐのでしょうか。
「コニー・グッピー」に戻り、更に更に変わっているのが、このパワーユニット。
この画像は「愛知機械『コニー復元クラブ』HP」 http://www.aichikikai.co.jp/club/index.html
「グッピー復元No5 エンジン降ろし編」からお借りしました。
エンジンは0.20L・空冷2ストローク単気筒、11ps/6,000rpm。
これはまあ良いとして、その先の駆動系はトルクコンバーター+1段変速!
上記ドイツ製三輪車がマニュアル4速ミッションを備えていたのに対し、より操作を簡単にするためオートマチックを採用していました。 しかしCVTもプラネタリーギアも無く、トルコン任せでギア比は「1.111」に固定という思い切りの良さ。
「コニー・グッピー」自体は短期間の販売で終わってしまいますが、ボディを換装しデチューン(性能抑制)した特別モデルが、横浜郊外のテーマパーク、「こどもの国」の「こども自動車」という交通教育施設で1965年から73年まで使われました。
「コニー・グッピー」改め
「ダットサン・ベビイ(1965年)」
うーん、この車、今見てもロータスとかポルシェみたいで格好良いなあ。
「こどもの国 ダットサンベビー復元展示披露」から画像をお借りしました。
「こどもの国」HP http://www.kodomonokuni.org/
「こども自動車」では、小学校5年生以上の子どもは施設内の「教習所」で座学と実技講習を受け、試験に合格すると「運転免許証」が貰えました。
「運転免許証」を持っていると、園内1.6kmのクローズドコースを「ダットサン・ベビイ」に乗って単独運転する事が出来たのです。
「朝日新聞 日産ダットサンベビー復元」
ここまでの項、
「コニーグッピーのHP」 http://www.conyguppy.com/index2.html
「愛知機械『コニー復元クラブ』HP」 http://www.aichikikai.co.jp/club/index.html
を、特に参考にさせていただきました。 ありがとうございますm(_ _)m
「もう、好きにしてください。 ここで待ってますから…」
え、まだまだ見るものいっぱい残っているのに、もういいのかい?
じゃあちょっと、「日野自動車」のコーナーに行ってくるから待っててね〜。
「日野自動車」は「トヨタ自動車」との関係で、1967年に自社ブランドでの乗用車生産から撤退してしまいますが、かつては独創的な車を造り出していました。
手前でやや見切れているのが、
「日野・ルノー4CV(1953〜63年)」(PA型)。
仏「ルノー4CV」のノックダウン生産から始まり、やがて国内生産に切り替えました。 信頼性が高く、小型でも室内が広いのでタクシーによく使われました。
奥左側が「日野自動車」が独自設計で開発した
「日野 コンテッサ900(1961〜65年)」(PC10)。
一段高いところに、「コンテッサ900」の後継
「日野 コンテッサ1300(1964〜67年)」(PD100)。
どちらの「コンテッサ」も「ルノー4CV」と同じ、水冷直列4気筒OHVエンジンを車体後部に縦置きするRR方式。
「コンテッサ1300」は、イタリアのジョバンニ・ミケロッティがデザインした、欧州調の流麗なラインが特徴でした。 また、4輪ディスクブレーキ装備も日本車初だったとか。
3年前ですが、日野自動車の展示施設「日野オートプラザ」に 出かけたときの様子 も。
日本の自動車メーカーは、異業種の前身企業を持つところがほとんどです。
例えば今や「世界のTOYOTA」は、繊維機械を製造する「豊田自動織機製作所」を基にします。
そんな元企業を見ていくと、ヒコーキ系というグループが出来上がります。
「立川飛行機」と「中島飛行機」の「プリンス自動車」、「愛知飛行機」の「愛知機械工業 コニー」。
「東京瓦斯電気工業」と「日野自動車」。 ちょっと遠いけれど「石川島重工業」と「いすゞ自動車」。
「三菱重工業」と「三菱自動車」の関係はややこしいですが、いずれもが「元航空機メーカー」となる中で、ボーイング787のパーツだって造っちゃう、現役ヒコーキ野郎・自動車メーカーがあります。
「中島飛行機」の流れをくむ、「富士重工業 スバル」。
「スバル」といえば、それまでの車に対する考え方を一変させたとまでいわれる、
奥の「スバル・360(1958〜70年)」(K111)と、
中央の「スバル・サンバー(初代 1961〜65年)」(K151)が、
あまりにも有名ですが、そちらは「プロジェクトX」あたりにお任せして…。
ヒコーキ野郎的「スバル」といえば、何といっても右端の、
「スバル・ff‐1(1969〜70年)」(A14)。
45年前に、スバル車の特徴ともいえる「台形フロントグリル」をすでに採用しています。
この「スバル」、年代毎に「スバル・1000(1966〜69年)」(A12)、「スバル・ff‐1(1969〜70年)」(A14)、「スバル・ff‐1・1100/1300G(1970〜72年)」(A15)と三度も名前が変わります。 基本は同じ車型なのに…。 (全く、「スバル」を語るのは大変です。)
愚痴はともかく、「スバル・ff‐1」の何が凄いかというと、「ff‐1」の名が示す通り、今では殆どの小型車が採用している駆動方式、「FF-フロントエンジン・フロントドライブ」に不可欠な技術を、1966年に「スバル・1000」で確立したのです。
(ここでイントロ 「♪じゃ〜んじゃ〜ん 風の中のスバル〜♪」)
話が少々「スバル」からそれますが、
車のエンジンと駆動輪の関係は、かつては前に置いたエンジンで後輪を駆動する「FR-フロントエンジン・リアドライブ」が主流でした。 しかし、コンパクトに車を造ろうとすると、長い動力伝達系が邪魔になり、伝達ロスも発生します。
ドイツの天才、フェルディナント・ポルシェは考えました。
「どうせ後輪を駆動するんだから、駆動系をまとめて後ろに置いちゃえ。」
そうして生まれたのが
「フォルクスワーゲン ビートル(タイプ1)(1938〜2003年)」
車体後部に駆動系を集約し、前輪は操舵に専念するレイアウトはとても合理的で、上の「ルノー4CV」や「日野 コンテッサ」なども、この「RR-リアエンジン・リアドライブ」を採用しています。
「スバル・360」も同じレイアウトで、小さな車体に大人4人が乗車可能な空間を生み出しました。
ところが「RR」方式には弱点があります。 車の前に操舵系、後ろには駆動系が詰まり、その間にしかスペースがありません。 人が乗るだけなら良いのですが、人+荷物、荷物を多く運ぶ商用車など、他のレイアウトへの展開が難しいのです。
また、後部に置かれたエンジンは、走行風が使えない分、冷却にかなりの工夫が必要です。
今度はフランスの天才、アンドレ・ルフェーブルが考えます。
「駆動系と操舵系を全部前にまとめれば、設計の自由度が格段にあがるじゃん。」
そうして1934年に生まれたのが、仏「シトロエン」の「トラクシオン・アヴァン」シリーズの車。
何だかフランス語って格好良いなぁ。
「traction avant」て、「前で牽引=前輪駆動=FF」なのですが、とても特別なものに聞こえます。
「トラクシオン・アヴァン」は第二次大戦後、フランスの国民車、
「シトロエン 2CV(1949〜90年)」
に結実します。 「2CV」も展示車があったのに、写真を撮り忘れました。 黄色の物体が、「シトロエン 2CV」です。
これではあまりに何なので、愛知県長久手市「トヨタ博物館」所蔵の「シトロエン2CV」。
天才はまだまだいるもので、英国の天才「アレック・イシゴニス」が今度は考えます。
「駆動系と操舵系をひとまとめにすれば、すっげーコンパクトになるよね〜。」
そうして生まれたのが、イギリスの国民車、
「BMC ミニ(1959〜2000年)」
二人の天才が考え出した車はとても完成度が高く、ポルシェ博士の「フォルクスワーゲン・ビートル」の65年には及ばなかったものの、「2CV」と「ミニ」ともに、41年もの間製造され続けました。
これら3台の車に共通するのは、天才的なひらめきの詰まったとても高い完成度を持つ点です。
その高い完成度が長期間にわたり製造される理由となるのですが、裏を返せばあまりに特別すぎて、一般化とは無縁の進歩も後退も無い、いわば孤高の存在なのです。
例えば「ミニ」の動力系は「イシゴニス・レイアウト」と、開発者の名前で呼ばれるほど独特です。
「スバル」でも「2CV」でも「ミニ」でも、前輪駆動を考える場合に最も問題になるのが、サスペンションで上下、操舵で左右と絶えず位置関係が変わるタイヤに、如何に確実に動力を伝えるかです。
そのためには、動力を伝える「ドライブシャフト」というパーツが途中で二度折れ曲がり、長さが伸び縮みしつつ、エンジンの力を受けて高速で回転するという、無茶な要求を満たさねばなりません。
しかも、この部品が壊れたら車は動けないので、相当な耐久性も要求されます。
そんな無茶な要求を満たすために、ドライブシャフトには「等速ジョイント」というパーツが二つ必要です(二度折れ曲がるから)。
「シトロエン 2CV」の時代には、等速ジョイントは性能の低い「カルダン・ジョイント」しか無く、ルフェーブルはその限界を超えぬよう、うまく車をまとめました(そのへんが天才的です)。
1956年に、英国でより高性能な等速ジョイント、「ボール・フィックスト・ジョイント(以下、BFジョイント)」が実用化されます。(開発したバーフィールド社から「バーフィールド・ジョイント」とも)
従来の「カルダン・ジョイント」に新しい「BFジョイント」を加えれば、「ミニ」が実現可能と考えたイシゴニスは、「イシゴニス・レイアウト」を始めとする全体像を完成させます(そのあたりが天才的です)。
ふぅ。 これでようやく、「スバル・ff‐1」に話が戻ります。
「スバル・1000」開発チームは、従来型のジョイントでは「2CV」や「ミニ」の性能を超えられない事に気付きます。
そこで、まだアイデア段階だった「ダブル・オフセット・ジョイント(以下DOジョイント)」を、「東洋ベアリング(NTN)」とともに開発。 1966年には実用化に成功し、「スバル・1000」に搭載します(何という努力家)。
「2CV」や「ミニ」は、ドライブシャフトに必要な「折れ曲がる」性能を、利用可能なジョイントで実現し、「伸び縮み」のほうは無視… ではなく、「伸び縮み」が問題とならない範囲に車の全体像を収める事に成功したのです(やっぱり天才的)。
「DOジョイント」は「折れ曲がる」上に「伸び縮み」する画期的なもので、このジョイントの実現により、ドライブシャフトの限界に合わせた車を造るのではなく、車に合わせたドライブシャフトを自由に造る事が可能になりました。
設計の自由度が上がった事により、前輪駆動−FFは、その後の車の主流になってゆきます。
また、4WD−四輪駆動の普及も「DOジョイント」に拠るところが大きく、FR車の「四輪独立懸架」に大きな影響を与えたのも「DOジョイント」の功績だったりします。
(ここでエンディングテーマ「♪ヘッドラ〜イト・テ〜ルラ〜イト 旅は〜♪」)
「スバル」のヒコーキ野郎的設計の話に行きたかったのに、力が尽きそうです。
実はドライブシャフト設計の自由度が増した事で、今どきの車は左右でシャフトの長さが違うのはあたり前、中心線からずらしてエンジンを置くのも普通です。
そんな風潮にあっても「スバル」は、(自らが非対称を実現可能にしたのに)あくまでも左右対称のメカニズムにこだわり続けています。 やっぱり、左右非対称の飛行機なんてあり得ませんから。
この項は、
「自動車技術会 日本の自動車技術240選」 https://www.jsae.or.jp/autotech/index.html
「NTN株式会社」HP http://www.ntn.co.jp/japan/
「NTN テクニカル・レビューNo.70 自動車用等速ジョイントの変遷と最近の技術」
を、特に参考にさせていただきました。 ありがとうございますm(_ _)m
こうして「スバル」のFF技術は、その後の車のFF化を決定付けますが、実は、日本初のFF車は「スバル」ではありません。 (最近そういう記述を幾度か見かけ、ちょっと気になります。)
「スバル・1000」発売の11年前、1955年に日本初のFF車で、初の本格的な量産4輪軽自動車となる「スズライト(1955〜68年)」を開発したのが、「鈴木自動車(スズキ)」です。
ここでまたしても、「スズライト」の写真を撮り忘れるという悲しいミスが…。 なので、
「鈴木自動車(スズキ)」初の小型乗用車、
「スズキ フロンテ800(1965〜69年)」(C10)
「フロンテ800」は、水冷2ストローク直列3気筒エンジンを、フロントに縦置きするFF車です。
FF小型車として、「スバル」よりも早く実車を完成させていました。
「スバル」以前という事は、ドライブシャフトは当然「DOジョイント」ではなく、1963年に「東洋ベアリング(NTN)」が国産化に成功したばかりの「BFジョイント」に、「カルダン・ジョイント」と伸び縮みパーツを組み合わせる凝ったつくりでした。
1955年の「スズライト」の頃は、「ミニ」が採用した英国製「BFジョイント」はまだ無く(実用化は1956年。あっても高価で使用出来なかったと思われます)、「2CV」と同じ「カルダン・ジョイント」の組合せでした(参考にしたのは独車「ロイト」)。
このように独創かつ先進的な「スズライト」と「フロンテ800」でしたが、「鈴木自動車(スズキ)」は4輪に参入して日も浅く、量産体制や販売網の問題などもあり、台数は伸びませんでした。
台数が伸び悩む先輩たちに代わり、満を持して登場したのが、
「スズキ フロンテ360(二代目 1967〜70年)」(LC10)
展示車は、1968年に発表されたハイパワーモデルの「フロンテ360SS」。
アニアックなこだわりを持つ、「鈴木自動車(スズキ)」の初期の車たちの販売は伸び悩みました。
そこで一転、量産に向くシンプルなメカニズムと、明確なメッセージ性を持つ「二代目 フロンテ360」が登場します。 呼称も「スズライト」を外し、「スズキ フロンテ360」とシンプルにしました。
駆動方式を先代のFFからRRに変更し、ノーマルタイプで25ps/5,000rpm、展示の「SS」などスポーツモデルでは36ps/7,000rpmを発揮する、高性能な空冷2ストローク直列3気筒エンジンを後部に横置きします。
また、この2ストローク直列3気筒というエンジン形式は、「スズキ」のオートバイにも広く用いられ、「フロンテ」と後に登場する商用車モデル「アルト」において1984年まで使れ続ける、「スズキ」を代表する形式となってゆきます。
「もう本当に、いい加減にしてくださいっ!
バスが来ますっ(怒)」
あー、ごめんごめん。 こういうの眺めていると、つい時間の経つのを忘れちゃって…。
それでは(渋々と?)バスに乗り、「日本自動車博物館」を後にします。
他にもお見せしたいクルマがたくさんあるのですが、この調子で続けたら大変な事になりそうです。
それらはまた別の機会に…。
「紹介しなくていいですから早くっ!」
あ、は〜い、バス乗りまーす。
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