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「♪かもめの水兵さん 並んだ水兵さん〜♪」
「お呼びですかっ!」
さすが水兵くん、タイミングよく出てくるねぇ。
みなとヨコハマを代表する景観といえばやはり、氷川丸(ひかわまる)です。
氷川丸は、北太平洋シアトル・バンクーバー航路向けに横浜船渠(よこはませんきょ 後の三菱重工業横浜造船所)が建造し、1930(昭和5)年に竣工した、日本郵船所属の貨客船です。
氷川丸の銘版。
船舶番号 35370
総トン数 11,625.06トン 総トン数 6,812.24トン でしょうか。
(所有する日本郵船の要目によると、総トン数11,622トンとなっています。)
当時の花形太平洋航路、ホノルル−サンフランシスコ(ロサンゼルス)航路向けに1930年に竣工した、全長178m、総トン数17,500トン、速力20ノット、分類こそ貨客船ですが、旅客定員833名を誇る豪華客船仕様の「太平洋の女王」秩父丸(後の鎌倉丸)と比べると、
全長163m、11,600トン、速力18ノット、貨客混載仕様のため旅客定員が289名(後に331名)に過ぎない妹分、氷川丸は建造当時としてはやや地味な存在でした。
ただ、シアトル航路は大圏コース(最短距離)に近いため12日程度での太平洋横断が可能で、その後グレート・ノーザン鉄道に乗り継ぎ、セントポール−ミネアポリスを経由しシカゴまで3泊4日(約70時間)で到達出来るという利点があり、需要の見込める航路でした。
とはいえ横浜からシカゴまで2週間以上かかる船+鉄道の旅とは、飛行機で12時間の現在からは想像しにくい時間です。
余談ですが、氷川丸を製造した横浜船渠は現在の横浜みなとみらい21地区の一角にあり、かつての1号ドックには帆船日本丸が保存され、2号ドックは横浜ランドマークタワー横の「ドックヤードガーデン」として、どちらも国指定重要文化財(産業・交通・土木)となっています。
画面右端、横浜ランドマークタワーの傍らで生まれた氷川丸が、85年を経た今も1海哩離れたこの地に繋留されているのは、とても奇跡的なことに思えます。
氷川丸が建造されたかも知れない、旧横浜船渠2号ドック。 現在はランドマークタワーに隣接するドックヤードガーデンです。
「お話はともかく、早く乗船しましょうっ!」
「リベット構造の外板が、格好良いです。」
鋼板を細かく重ね張りし、丸いリベット頭の並ぶ外観は無骨だけれど、「船らしさ」に溢れています。
ただ当時の日本の製鉄技術では、アリューシャン列島に近い北太平洋の荒波に耐え得る強度を持つ鋼板が量産出来ず、英国製の鋼板が使用されました。
またまた余談ですが、戦後初の国産旅客機「YS-11」も、航空規格を満たす高強度ジュラルミン材の国内調達が出来ず、米国製のジュラルミン材で製造されました。 造船や航空といった総合力がものをいう分野を眺めていると、技術力とは何かという事について改めて考えさせられます。
兵庫県豊岡市 コウノトリ但馬空港で保存されているYS-11(JA8734)
それでは早速船内へ。 でもその前に、
氷川丸は9層のデッキで構成されていて、1〜4番までが水密構造のハル(船殻)、5〜9番がスーパーストラクチャ(上部構造)です。 (4番の天井がアッパーデッキ[上甲板 じょうこうはん])
1〜2番デッキは水面下となり、地上のビルに例えると地上7階、地下2階。 または、地上2階、地下2階、塔屋5階?
数字での呼びは全体の構造で、旅客用区画は4=Cデッキ、5=Bデッキ、6=Aデッキと呼ばれていました。
まずは5番(B)デッキから乗船します。
「通路が狭いので、お気をつけください。」
何故か公開されていない、2等フロアを通り抜けます。
「突き当たりには、1等食堂です。」
5番(B)デッキの横幅をいっぱいに使った、贅沢なメインダイニングです。
「1等児童室です。」
メインダイニングの脇に、子ども専用のプレイルームがあります。 専任の係員がいて子どもを預かってくれたのだとか。 ドレスコードのあるメインダイニングで大人たちが過ごす間、子どもたちはここで遊んだり、食事をしたりしていたようです。
メインダイニングの後ろには、1等旅客用メインエントランスを兼ねる中央階段。
アール・デコの明るくモダンな意匠です。
「6番(A)デッキに上ってきました。」
フェンスの中央部は、氷川丸の名の由来である「氷川神社」の紋「八雲」をモチーフにしています。
氷川丸の姉妹船は2隻、日枝丸(ひえまる)と平安丸(へいあんまる)。
それぞれが頭文字「H」の氷川神社、日枝神社、平安神宮が由来の神社シリーズでした。
「1等読書室です。」
中央階段の脇にあり、もっぱら手紙を読んだり書いたりするスペースだったようです。 今でいうならビジネスコーナー?
「電信を、送信いたしますか?」
中央階段正面にレセプションカウンタ。 ここに船内郵便局が設置されていたようです。
他にも様々な要望を受け付けるインフォメーションの場だったのでしょうか。
アール・デコスタイル、ガラスと金属の扉の向こうには「1等社交室」。
「最上階なので、天井が高いです。」
最大79名の1等旅客が快適に過ごせるよう配慮された空間が広がります。 社交室にはグランドピアノも置かれ、ダンスパーティ!なども開かれたのだとか。 この雰囲気だと、社交ダンスよりもスウィングジャズのほうが似合いそうです。
「アールデコの華やかな雰囲気です。」
「こちらは、6番(A)デッキ後部の喫煙室です。」
喫煙室と名付けられていますが、煙草を吸うためというよりは、前部の社交室と比べ落ち着いた雰囲気に仕立てられ、静かな雰囲気を楽しむ場だったようです。
角には小さなカウンタ。 バーに使われたのでしょうか。
ようやく客室にたどり着きました。 こちらは1等シングルルーム。 ちょっとビジネスホテル風?
花折のブランケットの載るベッドはSSサイズでしょうか。 昔、ペンションサイズなんて言いました。
Aデッキ窓側の1等ツインルーム。 アウトバスだったようですが、洗面台付が1等の証でしょうか。
こちらもブランケットが花折に整えられています。
1等特別室。 スイートルームです。
ステンドグラスの窓、木張りの内装など豪華仕様ですが、広さはツインとさほど変わりません。
でも、スウィートなのでリビングがもうひと部屋、
そして、バス・トイレ付です。
これら1等客室を覗きこ込んだ方たちが「狭いね〜、これで12日なんて絶対無理」と話すのが聞こえましたが、キャビン(個室)は寝るだけで、荷物はおそらくクローク、ほとんどの時間をダイニングやふたつのラウンジで過ごしたのだろうと想像しました。
ちなみに1等客室から2層下、4番(C)デッキの3等客室。 2段ベッドが4台で8名一室。
現代の船もほとんど変わらないドミトリスタイルが、この頃すでに確立していたようです。
3等客室の中央部にある、おそらくギャレイ(台所)の配膳口。 3等旅客の場合、船内で行動できる範囲がどのくらいだったのかが気になります。 食事をここで受け取り、ベッドで食べたのかな?
ちなみに1937(昭和12)年の横浜−シアトル間の運賃は、1等:250ドル、2等:130ドル。
3等は、洋食:95ドル、華食:75ドル、和食:60ドルという不思議な区分けです。
現在ならば、1等135万円、2等70万円、3等洋51万円/華41万円/和33万円 位でしょうか。
(なんちゃって換算なので、あくまで参考値です。)
3等の価格差が食費のみにしては大きいので、おそらく部屋タイプと食事がセットの運賃設定だったように思われます。 窓無しの大部屋とか、機関室横など色々と空想してしまいます。
公開されている3等ドミトリは、もしかするとかなり良い部屋だったのかもしれません。
話がまたしてもそれてしまいました。 現在地を1等客室のある6番(A)デッキに戻し、
「プロムナードデッキに、出ます。」
6番(A)デッキの舷側がわのサイドデッキです。 後ろに中央階段が見えています。
「ブルワーク(舷牆 げんしょう)が、ごっついです。」
ここが救命ボートへの乗込口を兼ねるので(左上に「LIFE BOAT No2」の表示)オープン形式にするところを、北太平洋航路の荒波に耐えられるよう、プロムナードデッキの前半部はブルワークを完全に立ち上げ、波の侵入を防いでいます。
黄色の矢印が現在地。
また、この時代の船舶だとプロムナードデッキがアッパーデッキ(上甲板 じょうこうはん)、ハル(船殻)上部の事が多いのですが、氷川丸の場合、白いストライプが回る1層下の5番(B)デッキの床面がアッパーデッキです。
船殻に沿ってブルワークを一層分立ち上げる(矢印下の白塗り部)レイズドデッキとし、波浪対策をしたようです。 このあたりも、荒波を乗り越える北太平洋シアトル航路向けの特徴でしょうか。
サイドデッキを無くした分、キャビンを広く取れるという利点もありました。
これで、一般公開されている旅客区画をほぼ一周です。
氷川丸探検は、もう少し つづきます。
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私も先日見学しました。
当時これに乗れた方々は相当お金持ちだったのでしょうね・・・
ここのダイニングで料理を味わってみたかったです^^
2015/10/9(金) 午前 0:47 [ kazukun ]
古い客船は良いですし、特に氷川丸は人気がありますね。
私は宿泊した事があって沈没してしまったスカンジナビア丸に思い入れがあります。
2015/10/9(金) 午前 5:26
タイタニックの様な豪華客船ですね。名称等今の飛行機にも通じる物も多くて見所満載ですよね!憧れのハワイ航路!乗ってみたいです。
2015/10/9(金) 午前 6:54
長年神奈川に住んでいながら氷川丸には乗る機会はありません。意外と近い所は行った事が無かったりします。
2015/10/9(金) 午前 7:03
氷川丸は小学生時代に社会科見学で行った事があります(笑)
当時の記憶は外観のみ、この氷川丸をバックに集合写真を撮った記憶があります。懐かし〜い!!(←ってまだあるじゃん・・・爆)
2015/10/9(金) 午前 8:04
kazukunさん、おはようございます
昭和初期の優雅な客船の雰囲気を、今でも見られるのはとても貴重な事だと思います。
就航当時の氷川丸の食事は、とても美味しいと評判だったらしいです。
以前は、船内に就航時のメニューを再現したレストランがあったのですが、残念ながら閉店してしまいました…
2015/10/9(金) 午前 9:02
りかおんさん、おはようございます
戦前に建造された日本の大型船は、戦禍でことごとくいなくなってしまったので、
氷川丸はとても貴重な歴史の証人になっていると思います。
三津浜のスカンジナビア、懐かしいです。 ただ、あの船を思うと私企業が船を保存する事の難しさを感じます…
2015/10/9(金) 午前 9:07
JGC修行僧さん、おはようございます
T字型にカーブする中央階段は、客船を象徴する風景だと勝手に思っています。
現代ではクルーズ船での航海なので、昔の定期船とはかなり雰囲気が違うのだろうなと思います。
そうそう、航空業界は船からの用語が多く引用されていますよね。機長も船長も「キャプテン」だし(^^ゞ
2015/10/9(金) 午前 9:14
ジョニーさん、おはようございます
近場だとかえって訪れないところって、結構ありますよね(^^ゞ
実は、マリンタワーの前はしょっちゅう通っても、昇ったのはもうn十年も前です(笑)
今回の氷川丸もかなり久しぶり、今の運営になってから初めてでした
2015/10/9(金) 午前 9:17
大魔王さん、おはようございます
氷川丸の船尾をバックにした集合写真は、今でも定番のようでした。
実は氷川丸はここに係留されて以来、何度か色が変わっているので、
船の色で年代が分かったりします(^^ゞ
2015/10/9(金) 午前 9:20
今回は港に出没ですか♪ 船内にも入って見学が出来るんですネ。
1等やらスィートやらは見ていてため息がでます。優雅な船旅を
楽しめたのでしょうネ〜。
2015/10/9(金) 午前 9:32 [ チョコパン ]
詳しい記事ですね。
思わずその昔のアメリカ行きを想像しちゃいました。(笑)
鉄は産業の文化なんですね。
今では日本の鋼板が世界で使われていますもんね。
2015/10/9(金) 午前 10:37
横浜からシカゴまで2週間ですか… 時代の流れを感じます。
東方、生まれは横浜、数年前まで横浜に住んでいましたが、1度も中に入ったことがありません(笑)
2015/10/9(金) 午後 7:23
チョコパンさん、こんばんは
最近は遠くにお出かけが出来ないもので、近場の港かで気分だけでも出してみました。
85年も前に建造された船ですが、今でも優雅な雰囲気をたたえています。
ゆっくりと船旅というのも、楽しそうです
2015/10/9(金) 午後 9:29
いちろうさん、こんばんは
氷川丸の航海はかなり北よりのルートだったので、荒れることもあったらしいです。
素材から製品まで一貫して製造する技術というものが、この頃からの地道な積み重ねの上にあるのだと、改めて認識して来ました。
2015/10/9(金) 午後 9:32
ハマベアーさん、こんばんは
シカゴまで2週間は、それでも速いと評判になったらしいです(^^ゞ
氷川丸に乗船したのはとても久しぶりでした。
昔は船内にレストランがあったりして、もっとテーマパーク風だったのですが(笑)
2015/10/9(金) 午後 9:36