|
横浜山下公園に係留されている1930(昭和5)年生まれの貨客船、氷川丸に乗船中。
(右下をクリックすると拡大します)
毎度の意味不明なタイトルですが、今回は「横浜市歌」の一節から採りました。
「されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや」と続きます。
作詞は森林太郎(森鴎外)。 1909(明治42)年に横浜港の開港50周年を記念して制定されました。
「ジャックの塔」として知られる横浜市開港記念会館も、横浜市歌と同じ開港50周年を記念して計画され、1917(大正6)年に竣工しました。
それから50年、横浜港の開港100周年を期に、氷川丸は山下公園で保存されることになりました。
同じく横浜を代表する景観のひとつ、横浜マリンタワーも開港100周年を記念して計画され、1961(昭和36)年に竣工しました。
先頃の開港150周年を期に、横浜市は氷川丸の保存運営から手を引くと… (以下略)
氷川丸は現在、現役時代と同じ日本郵船に所属が戻っています。
話がそれますが、日本郵船(NYK LINE)の船舶といえば、ファンネル(煙突)の白地に2本の赤いストライプ、「二引き」がトレードマークです。 制定は19世紀末、優に100年を越えています。
現代の大型客船、飛鳥2のファンネルも、やはり「二引き」がトレードマークです。
「お話がすんだら、乗組員区画に行きましょう。」
長い時間の話だからね。 言いたいこともつい増えちゃうのさ。
7番デッキに上がります。
氷川丸は昔の船なので階層が低く、5番(B)がアッパーデッキ(上甲板)で、6番(A)がプロムナードデッキ(遊歩甲板)とブリッジデッキ(船橋楼甲板)を兼ねています。
4から6番までが旅客区画で、7番から上が乗組員区画です。
「ボートデッキにやってきました。」
英国製のボートダビットに載る救命艇は、エンジンカッター(端艇)も装備した当時の最新型です。
氷川丸はこの時代の船舶にあって、救命艇を降ろす緊急事態に遭遇せずに済んだ、とても幸運な船でした。
後ろのドッグハウス(船楼)は、主に士官の居住区に割り当てられていました。 そういえば、このドッグハウスはかつて「Harbor Vue」というレストランでした。
かなり本格的な洋食レストランで、氷川丸の航海当時のメニューが再現されていました。
夕暮れ以降にここまで上がってくる人は少なくて、隠れ家みたいな雰囲気が楽しかったのですが、もう再開する事は無いのかな。
バウ(船首)側には3層構造のブリッジ(船橋)です。
ブリッジ(船橋)の1層目には、航海当時は通信室が置かれていたようです。
また、ブリッジはかなりの部分が木製です。 この時代にはそれが普通だったのか、それとも軽量化のためにあえて木造にしたのでしょうか。
ラッタル(階段)の左側に貨物倉の3番ハッチ。 ハッチカバーは金属蓋ではなく、木板を差し渡し、上から防水布を掛け、帯金とくさび、ロープで固定する方式です。 軽量化と広い開口部を確保するため、あえてクラシカルな方式を採用したとどこかで見たのですが、確認は取れませんでした。
これは別の船(帆船日本丸 初代)のハッチカバーの固定方法。 氷川丸と同じ方法でした。
「8番デッキは、船長さんの部屋です。」
8番はキャプテンズデッキ、船長室です。 やや広めの執務室と1等特別室と同じ位の寝室、バスルームの三つで構成されていました。 航海機器や伝声管がデスク周りに備えられています。
「船の一番上、9番デッキは操舵室です。」
一番高い所、9番デッキは操船の中心、ナビゲーションブリッジ(航海船橋甲板)です。
「かん!か〜ん! ハード・スタボー!ですっ」
操舵室の外側に舵角指示器が備えられています。 狭い水路を通過する際など、左右の舷側に置いた見張り役とやり取りをしたのでしょうか。
「HARD A STARBOARD」ポジションなので、「面舵(おもかじ)一杯!」です。
操舵室からフォクスル(船首)を見渡します。 デリック(クレーン)用のフォアマストの向こうには貨物倉の1番ハッチ。 あまりに機能的な前部の雰囲気は、貨物船そのものです。
氷川丸は貨客船の名の通り貨物の搭載能力が高く、主に3番デッキに6ヶ所、計8,700㎥近い貨物倉を持ち、重量10,000トンもの貨物を搭載する事が出来ました。
それだけの量の荷役を行うため、船上には18本ものデリック(クレーン)が装備され、9ギャング(9組)での同時荷役作業が可能でした。 これは、同時代の貨物船に匹敵する能力です。
「コンパスコース、040ですっ!」
大型のコンパス(方位計)がラット(舵輪)の前に備えてあります。 多分ジャイロコンパス(磁石を使わない方位計)なので、本当の表示はどうだったかな…
コンパスといえば、ブリッジ(船橋)の屋上は、何故か常にコンパスデッキと呼ばれます。
マストのクローズドネスト(見張り台)を除けば、船内で一番高い場所だから? それとも磁気コンパスの時代にはここにコンパスを置いたとか? 未だにちょっとした不思議のひとつです。
「かん!か〜ん! エンジン、フル・アヘッドですっ」
操舵室の左前部にはエンジンテレグラフ(出力指示器)。 機関室との間でエンジン出力の指示をやり取りしました。 「FULL AHEAD」なので、「全速前進!」
「びゅいーん!
エンジンテレグラフのメッセージに乗って、機関室にわーぷ!」 機関室の一部は、8層目のボートハウストップ(ファンネル基部)まで吹き抜けになっています。
「こちら機関室。フルアヘッ、了解。 がちゃがちゃん!」
このレバーがどうやらスロットルのようです。
最近の飛行機や車は、何でも電気仕掛けで動かす「フライ(ドライブ)・バイ・ワイヤ(電線)」が主流ですが、操舵室からエンジンテレグラフなどで機関室にオーダーを伝え、機関員が直接操作を行う「ヴォヤージュ・バイ・メッセージ」?システムです。
船体中央部、1番デッキから4番デッキまでをつらぬき、奥行きが30m以上ある機関室です。
氷川丸は、デンマークのバーマイスター&ウェイン(現;独MAN)社製の複動4ストローク直列8気筒ディーゼルエンジンを2基搭載。
ボア×ストロークは680×1,600mm 1基あたり5,500hp/110rpmの出力を発揮します。
氷川丸が建造された1930年頃は、船舶の動力が蒸気機関からディーゼルエンジンへと移り変わる時期でした。 例えば、氷川丸の竣工から10年後の1940年に竣工した新田丸は、ディーゼルエンジンではなく、蒸気タービン機関を採用しました。
「ぐわん・ぐわん・だだだだー 上部のバルブ機構が動きます〜」
4番デッキには、シリンダヘッドと上部の吸排気系。 巨大なロッカーアームやバルブスプリングがずらりと並びます。
3番デッキはシリンダブロックの高さ。 巨大なカムシャフトと、プッシュロッド機構が並びます。
8気筒エンジンにしては、ものすごい数のカム機構です。 ピストン下部でも燃焼運動をさせる4ストローク複動式なので、1気筒あたりおそらく8本のバルブを駆動します。
(吸気・排気・燃料噴射・始動が上下で2本づつ。)
2番デッキはシリンダブロックの下側。 いわゆる腰上と腰下の境目付近です。
カムシャフトの下には、ピストン下部給排気系の複雑なバルブ機構が並びます。
ピストンの両側に仕事をさせる複動式は、蒸気機関ではごく普通だったので、当時のディーゼルエンジンにも採用されたのでしょうか。 でも、1気筒あたり8本にもなる複雑なバルブ機構は、パワーロスもかなりありそうです。
現代の大型船舶用ディーゼルエンジンは、バルブ機構が最小限で済む、2ストロークターボが主流です。 なので、現存するこの複動4ストロークディーゼルエンジンは、とても貴重な存在です。
喫水線よりも下、1番デッキまで下りてきました。 機関室のメインフロアです。
(右下をクリックすると拡大します)
クランクケースの高さです。 上に、ピストン下部燃焼系、カム機構が積み上がります。
画面右に、先ほど水兵くんが操作していたエンジン操作盤。
船首側にあたる奥に電話ボックスがあります。 エンジン作動中は、騒音を遮断しないと通話が出来なかったのだとか。
右上の白い換気ダクトの奥に、喫水線が表示されています。
画面中央に並ぶのは、各種排水用ポンプ。 このデッキの4m下が船底(ボトム/ソール)です。
メインエンジンと同じ、B&W社製補助ディーゼルエンジン。 出力は450hp。
補助エンジンでコンプレッサと発電機を回し、メインエンジンに必要な圧縮空気や、船内の電力をまかなったようです。
蒸気機関の場合、発生する豊富な蒸気圧を利用して、船上のウインドラス(揚錨機)やウィンチ(巻上機)といった動力機器を作動させました。
ディーゼル駆動では蒸気圧の利用が難しいので、大容量の発電機を装備し動力機器の電動化を図ったようです。
ふと、エンジンで発生する圧縮空気を利用して各種機器を作動させる従来型のジェット機に対し、大容量の発電機を用いて電動化を進めた、ボーイング787を連想しました。
機関室中層に隣接する、おそらく就航当時の配電盤。
竣工時からはかなり改装されているようですが、円形メータと大型の栓形フューズが並ぶ光景は今ではあまり見ることがありません。
隣には現役の配電盤。 現在は、陸上から高圧電力を給電して船内電力をまかなっています。
機関室から、土日祝日のみ公開の後部デッキに出てきました。
この部分は、保存船となる際にデッキを1層架装したので、往時の面影があまりありません。
ここから1層下が本来のアッパーデッキで、4・5番の船倉ハッチなどがあるはずです。
船体後部までやってきましたが、ミズンマスト基部のドッグハウスや6番船倉ハッチ、その他一切の構造物が無いので、妙にあっさりとしています。 最後部のデリック用マストも2本切られてしまい、換気筒か何かみたいです。
帆船は帆の状況を見るので最後部で操船をしますが、この船では必要無かったと思われます。
なので、この舵輪は記念撮影用に設けられたもののようです。
「でも、雰囲気はあります。」
この場所はドッキングブリッジと名付けられ、航海中は後部の監視、入港時は船尾側の錨や係船、荷役などの作業を確認する場だったようです。
掲げられている国際信号旗は「JGXC」氷川丸のコールサインです。
これで氷川丸の見学コースをほぼ一周。
85年前に建造された船の全体像を今でも見られるというのは、とても貴重な事だと思います。
大型船の維持保存には多大な手間と費用がかかりますが、何時までも昭和初期の技術や文化を伝える存在であって欲しいと思う、氷川丸なのでした。
この後はどうしようかと思いつつ、 多分 つづきます。
|
全体表示
[ リスト ]





操舵室に期間室!エンジンの基本構造は今も引き継がれていますね!やはり無骨な機械って良いですね!
2015/10/12(月) 午前 9:06
エンジン、デカイっ!こんなところも4ストロークエンジンだったなんて、へぇ〜ボタン10回くら押したいです。
保存船ということでエンジンルームもぴかぴかですね。前にフェリーのエンジンルームを見せてもらったときは油臭いし、実際に航行中だったので音もすごいし、大迫力だったのを思い出しました。
2015/10/12(月) 午前 10:21
JGC修行僧さん、こんばんは
航海船橋や機関室は、現役時代を彷彿とさせる雰囲気が漂っていて、とても素敵な空間でした。
細かな装置を全部紹介したら大変なことになりそうで、どれを載せようか、かなり迷いました(笑)
2015/10/12(月) 午後 8:34
ずんこさん、こんばんは
このディーゼルエンジンはとてつもないサイズでした。バルブスプリングが4WD車のサス位(^^ゞ
電信柱みたいなカムシャフトがぐるぐる回るのを想像したら、クラクラしそうでした(笑)
2015/10/12(月) 午後 8:39
自分の両親の実家が横浜なので氷川丸とマリンタワーは自分の子供の頃の遊び場でした(笑)
子供だったので何も覚えていませんが、いつまでも氷川丸をバックにシウマイ弁当を食べたいですよね!
2015/10/14(水) 午後 3:53 [ Trans World A ]
何故か、何回か行ったことがあります。こぶ〜さんの詳しい説明にもう一回行ってみたくなりました。(笑)
2015/10/14(水) 午後 3:53
Trans World Aさん、こんにちは
昔の氷川丸は水色とかグリーンに塗られていて、ちょっとくたびれた感じでした(^^ゞ
シウマイ弁当の掛け紙にも描かれている「ハマの風景」ですから、末永く保存して欲しいと、今回改めて思いました。
2015/10/15(木) 午後 0:45
いちろうさん、こんにちは
この船が山下公園に保存されている意味を、今回改めて知ることが出来ました。
存在することで歴史を語るものを先に伝えてゆく事の重要性みたいなものを感じて帰ってきました
2015/10/15(木) 午後 0:50