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那覇を基点に久米島、宮古と回り、那覇に戻って来ました。
「那覇空港を後にします。」
「ゆいレールに急ぐですっ!」
「あ、これは故郷の海…」
そうか、ピカリャ〜くんは、八重山諸島の宣伝部長だったっけ。
「それでは出発進行〜。 次は赤嶺ですっ!」 うっ、変わり身が早い…
写真だと分かりにくいのですが、外はものすごいスコール状態。
これは困ったぞ。 そうだ、そんな時には。
「♪24時間、今も開いてますっ♪」
♪もちろんそれは〜♪
臨時休業がニュースになるといわれる、24時間営業の「ユニオンですから」もちろん今も開いてます。
ユニオンで買い物を少々。大雨の中を本日のお宿「ホテル グランビュー沖縄」へ。
ここは空港からひと駅。ユニオンも近いので遅い時間の到着にはとても便利です。
フロントでは「こっちは久々の雨なんですよ。」と言っていました。
部屋はベッドが広めのシングルルーム。
水周りもごく標準的ですが快適に過ごせます。
グランビュー沖縄HP http://www.granview.co.jp/okinawa/
今回は赤嶺駅ビューの側でした。 相変わらず雨が強いようです。
こうして長かった一日も、ようやくひと区切りです。
翌日の朝になりました。 雨もすっかり上がったようです。
まずは、ホテル1Fの「琉旬彩食 土煌」で朝食です。
朝06:00オープンなので、早朝出発にも便利です。
野菜におかず各種、
パスタもあります。
カレーにゆし豆腐。
ふちゃんぷるー(お麩炒め)に、くーぶいりちー(昆布炒め)もあります。
お腹も一杯になったら、本日の行動開始。
「赤嶺駅は、日本最南端の駅です。」
赤嶺駅からゆいレールではなく、ふらふらとやって来たのは、
那覇市と豊見城市の市境に近い、「海軍壕公園」です。
赤嶺駅から徒歩だと30分くらいでしょうか。
旧海軍司令部壕(海軍壕)は、1944年に沖縄防備の拠点として建設されました。
建設当時の全長は450m、現在はそのうちの300mが整備され公開されています。
当時重機などは使えず、殆ど手作業で掘り進められたと云われています。
海軍壕は、図左端の小録飛行場(現那覇空港)を見下ろす「火番森(ひばんむい)−琉球王国時代の港の監視所」と呼ばれた標高74mの丘にあります(赤丸印)。
現在では壕内の照明が整備されていますが、当時は発動発電機によるわずかな照明があるだけでした。
「司令部壕」として建設されたので、一部は掘り広げられ、コンクリートと漆喰で内側が固められていますが、(ここは司令官室として使用されていました。)
殆ど素掘りの空間に、4,000名もの将兵が詰めていました。
1945年4月1日、読谷から北谷にかけて米軍部隊が上陸します。(画面下が残波岬)
その後、4月中旬に現在の普天間飛行場の南側、嘉数高台で日米の主力部隊が激突します。(宜野湾市、嘉数高台公園から見る普天間飛行場)
戦線は次第に南下、5月には、慶良間チージ(Sugarloaf −現在のおもろまち、安里配水池公園付近)から、
大名(おおな)高地(現在の末吉公園付近)にかけて激しい戦闘が繰り返されます。
おもろまち付近は首里城の西側にあたり、末吉公園は首里城の北側にあたります。
激戦の末、5月31日には日本陸軍司令部の置かれた首里城が陥落します。
戦線は更に南下、6月4日には現在の那覇空港の北側に近い、小録に米軍が上陸します。
そして6月の下旬、日本軍の組織的な抵抗は終結します。
旧海軍司令部壕は人工的に掘り進められましたが、掘られてから70年が経過して、水分により石灰が染み出し、鍾乳洞のようになった所もあります。
いささか重い空気を感じつつ、壕を後にしました。
火番森の高台に上ると、向こうには慶良間諸島と青い空が広がっているのでした。
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2015年こぶ〜の旅
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朝6時から朝食が食べられるのは便利ですね。前夜に飲み過ぎてなければ早起きは得意ですから(笑)
旧海軍司令部壕は空港からも近いので、いつかは行こうと考えていましたが未だに未訪問です。
2016/2/25(木) 午前 5:30
その後、民間人がどうなったかを考えると辛いです。
沖縄の犠牲の上に日本は成り立っていると感じてならないです。現在も。
2016/2/25(木) 午前 6:27
南部は戦跡が多く当時の激戦が偲ばれますね。
拙僧は毎年組織的な戦闘が終結した沖縄慰霊の日の6.23には正午に黙祷を捧げます。
2016/2/25(木) 午前 7:35
激戦地の沖縄、今はリゾートと化していますが戦争を知らない世代はこんなところで多くの方々が犠牲になった事を知らないでしょうね。。風化されるのが非常に怖いです。。
と真面目にコメントしましたが、私の修行時の定宿に泊まられたんですね。。ここは6時から朝飯を喰えるので20レグ修行にはピッタリです(爆)
2016/2/25(木) 午後 0:53
あの空間に4000人とは!
酸素はだいじょうぶだったんでしょうか?
カレーにトッピングしたのは沖縄名物の「スパム」ですか?
2016/2/25(木) 午後 7:44
過去を引きずっては行けませんが、決して忘れてはならない記憶ですよね。
戦争を知らない私ではありますが、戦争で多くの方が犠牲になられた上に今が有ると言うことを、忘れないようにしたいと思います。
2016/2/25(木) 午後 9:23 [ kazukun ]
あはは〜うまい所に「ユニオンですから」が出てきましたね!
台風でユニオンが休業っていうのは、気象庁が発表する警報なんかより、よっぽど危険なんだと沖縄の友人が言ってました〜(笑)
スコール、写真でも十分わかります。どしゃぶりだったのですね。
戦争と沖縄。二等国民と位置づけられてしまっていた昔のことも、そして戦後から今のことも、もっときちんと勉強したいです。私自身、知らない事が多すぎる・・。
2016/2/25(木) 午後 10:00
おぉ〜、いつも通っている見慣れた光景です。土砂降りな日もこの場所は
何かと便利ですネ。海軍壕は歩いて行ける距離ですが、まだ一度も
訪れた事がありません。一度は行ってみたいと思うのですが、あの重苦しい
空気に耐える事が出来るかどうかとても不安です。。。
2016/2/26(金) 午後 7:48 [ チョコパン ]
天草にも戦争の跡がありますが
やっぱり沖縄は激戦の跡が見られるんですね(T_T)
風化させないことが大切ですよね(*_*)
2016/2/26(金) 午後 9:37 [ - ]
りかおんさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
ホテルの朝食は6:30とか7:00開始のところが多い中、ここの6:00スタートは飛行機乗りにとても便利です。
海軍壕はいささか重い気持ちになりますが、沖縄の昔と今を考えさせられる場所でした。
2016/4/22(金) 午後 1:50
いちろうさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
本島南部の戦跡はいずれも声高には語りませんが、戦争と平和、沖縄の昔と今を静かに語っているかと思います。
いつもは飲み食い(飲み飲む?)しか考えていませんが、たまには真面目に向き合ってみました(^^ゞ
2016/4/22(金) 午後 1:54
JGC修行僧さん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
本島南部の戦跡を見ていると、当時の状況から今に至る近現代史について改めて考えさせられます。
大田司令官の言葉は70年の時を超え、現在の私たちにも何かを問いかけているかのようです。
2016/4/22(金) 午後 2:05
大魔王さん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
基本的には青い海青い空の南国の風景が大好きなのですが、近現代史に翻弄された事実を忘れずにいたいと思います。
グランビュー沖縄は交通の便も良く、那覇市内のお気に入りホテルのひとつです。
2016/4/22(金) 午後 2:12
油屋さん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
現在は湧き水の排水と換気をしているようですが、戦争当時はそれこそ筆舌に尽し難い劣悪な環境だったと聞きました。
はい、カレーに思わず焼ポーク(スパムミート)をトッピングしてしまいました(^^ゞ
2016/4/22(金) 午後 2:19
kazukunさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
歴史は今も流れ続けているので、特定の見方に偏るべきでは無いと自戒しつつ、
それでも尚、沖縄の蒙った犠牲の上に今の私たちがいられるのだという事を、戦跡は静かに語りかけていると思います。
2016/4/22(金) 午後 2:28
柏のLunaさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
24時間今も開いてるユニオンは、沖縄を訪れる度にお世話になっております。
いつもは青い海青い空〜と浮かれてばかりですが、沖縄の歴史に私たちの今が深く関わっている事を忘れないようにしたいと考えております。
2016/4/22(金) 午後 2:38
チョコパンさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
小録のユニオン周辺は毎度の事ですが、悪天候にも関わらずとても便利なエリアでした。
海軍壕はいささか重たい空気を持っていましたが、壕から出た後の、
火番森の丘から眺める開けた景観が、何かを優しく語りかけてくれました(^^ゞ
2016/4/22(金) 午後 2:44
ama-soraさん、返信が遅くなりまして失礼いたしました。
数多くの先人たちの苦難の上に、現在の私たちがあるという事実を忘れないようにしたいと思います。
私が普段暮らしているエリアにも、やや忘れかけられた史跡があったりして、改めて歴史の重さに思いを馳せます。
2016/4/22(金) 午後 2:56