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羽田からバンコクを経由して、中部国際空港にやって来ました。
「フーくん、セントレアって遠いんだねえ。」
「………」
気を取り直し、セントレアから名鉄に乗車、
やって来たのは1911年に原形が建てられた、古いレンガ造の工場。
旧豊田紡織本社工場。現「トヨタ産業技術記念館」です。 トヨタ産業技術記念館HP http://www.tcmit.org/ 中に入る前に、まずは屋外から。
こちらの和洋折衷建築は、1905年建築の「豊田商会事務所」。
今や「世界のトヨタ」の原点、豊田佐吉が1902年に設立した豊田商会⇒豊田式織機の本店でした。元々は島崎町工場(現;中村区名駅)の一角に建てられていましたが、1994年、現在地に移築されました。
豊田佐吉は、それまで手工業だった紡織を、新しい紡績機、織機により、より近代的な産業としての紡織業へと発展させる礎を築きました。
このあたりの個別のカラクリに込められた改良点はとても面白いのですが、ここで沈没すると大変な事になってしまいます。
豊田商会事務所の隣に建つ、旧豊田紡織本社事務所。
カウンタで仕切られた廊下と事務所。大正末から昭和初期の空気が漂います。
初期の「トヨダ自動車」のパンフレットやマニュアルが展示されています。
豊田佐吉が1906年に発明した、「環状織機」の複雑な形状のパーツ。
加工技術の進歩と合わせ、道具が機械へと発展してゆく瞬間なのかもしれません。
トヨタ産業技術記念館の入口にどーんと置かれた、環状織機の実物。
違いを簡単に説明すると、レシプロエンジンに対するロータリーエンジンみたいな…
この環状織機は、1924年に製作された唯一の完成形試験機です。
アイデアを実際の形にするのには、18年かかったという事でしょうか。
動力源の選択から金属加工、制御技術等々、総合力の熟成が必要とされたのかと思います。ちなみにこの織機、完成から90年を経た今でも実働です。
独創的な発想こそ素晴らしかったものの、布地を織り上げる速さはかなり優雅で、生産性や操作性などから、残念ながら実用化には至りませんでした。
おっといかん、これでは入口で沈没してしまう…
こちらは同じく1924年に実用型が完成した、豊田G型自動織機。 往復して横糸を通す「杼(ひ シャトル)」を、運転状態のまま交換可能にしました。
更には糸切断時の自動停止機構なども備え、ひとりのオペレーターで数十台を運転する事が可能となり、生産性が飛躍的に向上しました。
G型自動織機の完成から6年後の1930年、豊田佐吉は63歳で没します。
その後も技術革新は続き、現在では横糸を入れるのに杼(ひ シャトル)を用いない超高速織機が実用化しています。
短い動画になってしまいましたが、動作が早過ぎて何だかよく分かりません。
横糸を空気で飛ばす、エアジェットという技術のようです。 従来の杼(ひ シャトル)の限界スピードを超える高速化を実現し、また、横糸の自在な選択により、絵のように複雑な絵柄の高速織り上げが可能です。
本当に技術の進歩は驚くべきものです。
高速織機を可能にするためには、強靭で均質な糸の生産が欠かせません。
こちらは1955年製の紡績機。
サイドのロゴが、この頃はまだ「TOYODA−トヨダ」だったのですね。
初期の「トヨダ自動車」が「トヨタ」となった歴史は意外と古く、1936年の自動車ロゴマーク公募をきっかけに、翌1937年の「豊田自動織機自動車部」から独立した際には「トヨタ自動車」として発足しています。 それに対し源流の「豊田自動織機」は、1987年の商号変更までは「トヨダ」でした。
現在の読み方は、「TOYOTA」で統一されているようです。
そういえばサッカーチーム、名古屋グランパスのユニフォームの背中には、
「豊田自動織機」と漢字で入っています。会社名は今でも「豊田」なのですね。
こういう呼び方の差は、いわゆる本家と分家筋とを分けるために、昔はよく行われていたようです。「豊田(とよだ)家」もそうだと言い切れるものではありませんが。
余談ですが、グランパスのJ2降格が決まってしまいました。これでJ2を経験した事の無いチームは、鹿島と横浜Fマの2チームだけとなりました。
現代の紡績機は、超高速で強靭で均質な糸の生産が可能です。
メカニカルな大型機械が整然と並ぶのは、何とも格好良い光景です。
つい、スチームパンクを連想してしまいます。
(産業革命後電力へのシフトが起こらず、主に蒸気機関と機械仕掛けが先鋭的に発達した近未来を描く、SF小説などのジャンル)
スチームパンクの中ではない、本物の大型蒸気機関の展示もあります。
カラー写真をモノクロのように見せてしまう、蒸気機関の迫力は圧倒的です。
この蒸気機関は、1898年にスイス、スルザー社が製造した500馬力モデル。
1914年に、この工場に設置されたものとほぼ同型です。
工場時代に設置されたスルザー社製蒸気機関は、440馬力モデルだったようです。
導入当初は機械の動力源として使われましたが、後に発電用に改装されました。
発電機としては300kVA程度の出力が得られたようです。
とはいえさすがに今は蒸気圧ではなく、電力で機関が動く様子を再現します。
4.7mフライホイールが、優雅に回る様子を見たかったなあ。
ちなみに現代の300kVA級発電機は、こんなにコンパクト。
サイズは5m×1.5m、11Lディーゼルエンジンを搭載し、重量が燃料込で5,500kg。
蒸気機関のピストン部分に収まってしまうでしょうか。 対する蒸気機関は、本体とは別に、蒸気を発生させる巨大なボイラが必要でした。
現在の中庭に、蒸気ボイラの煙突跡が残っています。
今時の発電機なら、この部分に十分収まりそうです。
工場の壁には、かつて動力シャフトを通していた穴。
ぐるぐる回る動力シャフトが力を伝えていた光景を、つい想像してしまいます。
手工業が産業化へと向かうには、安定した動力源の確保が欠かせません。 明治初頭に使われた日本独自の紡績機、「ガラ紡機」を駆動する伝統的水車。
水力の利用も進歩します。こちらは「横軸露出型水車タービン」。
従来の高低差を利用する水車から、水圧と流速を利用し、効率を上げました。
より安定した出力を得るため、上述の蒸気機関も直接駆動から、発電用へと変わりました。20世紀初頭は、動力源が電力へと急速に変化してゆく時代でした。
電力は他の動力源に比べ、制御しやすいという利点があります。しかも発電設備と電動機(モータ)間は電線をつなげばよく、互いを離して設置する事が可能です。
出力に特化した電動機はとてもコンパクト。(スチームパンク、やっぱり敗北…)
1920年代に使われていた、独シーメンス社製電動機。
この頃の電動機は殆どが外国製だったようです。
蒸気機関に据え付けられた発電機も、ドイツ製のようでした。
日本勢としては芝浦製作所(現;東芝)が1895年に、日立が1910年に電動機を完成させていますが、どちらも特定用途用(鉱山向け)で、汎用製品とまではいかなかったのかもしれません。
ようやく繊維機械館を出ると、金属加工技術に関する詳細な展示があります。
こういう細かな展示って、つい見入ってしまいます。 金属加工の実演コーナー。
鍛造機を実際に動かし、鍛造品の製作過程を目の前で見せてくれます。
時間帯により、鋳造や切削加工の実演も行われます。それも見たかったなあ…
こうしてふらふら進んで行くと、時間だけがどんどん過ぎてゆきます。
現在のトヨタを代表するプロダクト、自動車館を前に…
紙幅も尽きかけているようです。
果たして続きはあるのだろうか?
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豊田自動織機は陸上部で初めて知った会社というくらい疎い分野です。「トヨダ」「トヨタ」の変化を含めて歴史が勉強できました。
この周辺はまだまだ通えそうですね(笑)
2016/11/17(木) 午前 4:12
世界のトヨタの原点なんですね!一企業の歴史と言うよりものづくりニッポンの歴史そのものですね!メカニカルな展示は何度行っても楽しめそうですね。
2016/11/17(木) 午前 7:36
トヨタ産業技術記念館は大好きで3回も行っております。(笑)
トヨタの凄さが分かりますよね。いつでも世界に物を売っていたトヨタだって分かります。
2016/11/17(木) 午後 4:59
りかおんさん、おはようございます
今回トヨタグループの歴史を改めて知る事が出来ました。
名古屋周辺は、古くからものづくりに長けた土地柄だという事を改めて認識しています
2016/11/19(土) 午前 6:39
JGC修行僧さん、おはようございます
ものづくりの原点って結局はひとの熱意なのだなあと、改めて感じてきました(^^ゞ
ここの展示のすごい点は、殆どの展示物が実働品で動く姿が見られる事です。
2016/11/19(土) 午前 6:42
いちろうさん、おはようございます
今回は時間の関係で、やや駆け足になってしまったのが残念でした(^^ゞ
ものづくりにかける熱意みたいなものが、展示のひとつひとつから感じられました。
2016/11/19(土) 午前 6:44