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前回までとはあまりつながり無く、
2016年、ソウルに出かけた時に見かけた小ネタです。
韓国ドラマで会社のデスクに必ず乗っている、螺鈿細工の大型名札。
ドラマ特有の記号的な小道具かと思っていたら、売っているお店がありました。
実際のオフィスでも、どーんとデスクの上に乗っているのでしょう。
「事業團本部 本部長 具滋徳」さんって一体どんな人?
検索してみたところ、同姓同名のPC関連の経営者の方がヒットしましたが、どうやら関係は無いようです。
ソウル西寄りの漢江の北岸、楊花大橋から城山大橋にかけてのあたり。
望遠洞、望遠市場など「望遠」という地名がちょっと不思議だったのですが、王朝時代に設けられた「望遠亭(まんうぉんちょん)」という亭子=東屋が由来なのでした。
王の漢江沿岸の視察施設兼休憩所だったようです。
「望遠亭」の原形は15世紀前半に造られ、幾度か再建されましたが、1925年の大洪水により流出。現在の建物は1989年に再建されたもの。
こんなに高い位置なのに洪水で流された?
実は再建とはいうものの、漢江沿岸の開発や周囲の宅地化による地形の変化で、建つ場所すら異なるようです。なので正確には「望遠亭址」。
今では漢江よりも車の流れのほうがよく見えます。
まあ、あまり難しい事は考えず、とても穴場の展望台です。それ程視界は広くありませんが(^^ゞ
龍山駅前に建つ大型のサウナ施設、その名も「DRAGON HILL」。
ベタなネーミングと感じるのは、漢字を識別するからだと後から気づきました。
後からこのサウナ、ドラマロケに使われていると気が付きました。 だったら中に潜入してみるべきだったかも(^^ゞ
龍山駅の南側に、ソウル市内には数少ない踏切があります。
ドラマの中で踏切のシーンがあると、かなりの確率でここが使われます。
思いついたのが、「いとしのソヨン」で失業したお父さんが時間を持て余し、「結婚できない男」の主人公ふたりが良く出会っていました。
電車が通過します。京義・中央線かな?
反対側から。こちら側は「サンドゥ、学校に行こう」に登場したような。
近くにもう一か所単線の踏切があり、こちらもドラマに登場した筈。
確か「秘密」に登場していたと思います。 踏切付近には古い商店が残り、フォトジェニックな風景です。
このあたりもドラマによく登場します。
「パンチ 余命6ヶ月の奇跡」の主人公の家だと分かりました。
ドラマ内ではクリーニング店でしたが、本来は写真館のようです。 手前の青い屋根の空き店舗も、何かのドラマに登場していた気がします。
こっちのお店も、見覚えがあるんだけどなあ。
龍山駅周辺は再開発が進み、すぐ隣まで高層アパートが迫ります。
既に板囲いされたところもあり、立ち退きが始まっているようです。
踏切のあるこの町並みが消える日も、そう遠くはなさそうです。
龍山から漢江を渡った南岸は、水産物市場で知られる鷺梁津(のりゃんじん)。
買い出しをして食堂で調理をして貰うのは楽しそうですが、ひとりではとても太刀打ち出来る量ではないので、残念ながら見学のみ。 漢江と漢江大橋が綺麗に見えるスポットがあるというので、こんな坂道をえっちらおっちら登ってみます。
登った先は、何とがっちり板囲い。
既に再開発が始まっていて、やって来るのがひと足遅かったようです。
少しでも覗ける場所が無いかと周囲をウロウロしてみましたが、細かなところまできっちりフェンスで囲ってありました。
かつては漢江を見下ろすこんな高台の町でした。(Daum地図 2013より)
この町も眺望の良さから、ドラマによく登場しました。
「神々の晩餐」、「アイドゥ・アイドゥ」、「会いたい」など。
Daum地図によると2015年版までは町並みがあるので、取り壊しは2016年から?
もう少し早く来ればよかったと、ちょっと後悔。
「黒石洞の漢江を見下ろす高台の町」には見事に振られてしまいました。
仕方がないので、別の方向に回り、
漢江大橋を何とか収めようとしますが、伸びた雑草と霞であまり上手くいかず。
更に別の方向に回り、今度は漢江鉄橋を狙うも、視界がいまいちすっきりせず。
本洞の連立住宅(ヴィラ)街を眺め、
微妙な不発感を抱きつつ、ドラマでお馴染みの急坂を下りるのでした。
本洞の連立住宅街は、もうしばらく健在のような気がします。
鷺梁津に戻り、「紅箭門(ほんさるむん)」をくぐります。
紅箭門は、神聖な領域への入口を示しています。
その先に建つのは「義節祠(うぃぢょるさ)」。位牌を祀る御堂です。
義節祠には、1453年に朝鮮王朝で起きたクーデタ(癸酉靖難 けゆじょんなん)の際に先王への忠節を貫き、謀反の罪で処刑された臣下たち、「死六臣(さゆくしん)」の位牌が祀られています。
1691年、19代王「粛宗(すくちょん)」により死六臣は名誉を回復。以来忠臣の鑑として知られています。
1978年に墓廟が「死六臣公園(さゆくしんこんうぉん)」として整備され、現在に至ります。
義節祠の裏手の丘に、伝統的な土塁の墓が並びます。
校外学習で訪れている子どもたちが、ガイドさんの説明を聞いています。
きっと、「皆さん『王女の男』は観たでしょ。」とか解説しているんだろうなあ。
ガイドさんに成り代わり、少々解説。
1450年、聖君として「世宗大王」と称される、4代王「世宗(せじょん)」が薨御。
世宗大王といえば、10,000ウォン札。
いきなり余談、タイムスリップ時代劇「屋根部屋のプリンス」で、王朝時代から現代に飛ばされてきた一行が、10,000ウォン札を見て思わずひれ伏してしまうというネタが、視聴時には理解出来ませんでした。
世宗大王の「御真」を直視する不敬は犯せない、という事が今では理解出来ます。
そんな世宗の後を継ぐのが、長男の5代王「文宗(むんじょん)」。
ところが文宗は即位後病に倒れ、38歳で突然薨御。在位期間は僅かに2年。
しかし、文宗はあらかじめ官僚系集団に嫡男の「端宗(たんじょん)」を後継とするよう根回し済み。1452年、11歳の端宗が6代王として即位します。
ところが王族系集団は、幼王を操る官僚系集団の伸張が面白くありません。
そこで4代王・世宗の二男にして5代王・文宗の弟「世祖(せじょ 首陽大君[すやんてぐん])」を担ぎ、1453年にクーデタを起こし、端宗は据え置きますが、王周辺の官僚系集団を一掃します。
2年後の1455年、クーデタ集団は、後ろ盾を失った端宗に対し退位を強要。
7代王・世祖が即位します。
おさまらない官僚系集団は、翌1456年に端宗の復位を目論むクーデタを企てるも失敗。この時処刑された首謀者たちが「死六臣」です。
しかし、無理押しは何とやら。世祖も皮肉な事に、父王・世宗、兄王・文宗と同じ病に侵されたと云われ、在位13年で薨御してしまいます。
凶事は続き、18歳で後を継ぐ8代王「睿宗(いぇじょん)」は在位僅か1年で薨御。
王権が安定しない期間が続くと、官僚系集団が徐々に勢力を取り戻します(人が入れ替わっても官僚は増殖が可能?)。
そして官僚系集団が後押しする9代王「成宗(そんじょん)」、10代王「燕山君(よんさんぐん)」と時代が続きます。
この事態が面白くない、かつて世祖を担いだ王族系集団は、今度は燕山君をクーデタにより排除。「チャングム」11代王「中宗(ちゅんじょん)」が即位します。
王朝全編を通じて続く暗闘の歴史は、「死六臣」の時代にこうして華々しく?幕を開けたのでした。
ちなみに王族系集団はその後、13代王「明宗(みんじょん)」に後継が無かったため大幅に弱体化してしまいます。
王族としては傍系の14代王「宣祖(そんじょ)」が即位すると、王への影響力を確保しようとする、官僚系集団同士の勢力争いへと図式が変化します。
全く、これだけの労力を、もう少し有効に使う事が出来なかったのかなあ、なんて後から見ると思ってしまいます。
死六臣公園の高台からは、漢江と漢江鉄橋が良く見えます。
ここから見る漢江鉄橋は1/11の記事の、辛い近現代史の最前線でもありました。
小ネタを並べる筈が、またしても王朝の暗闘の歴史に引きずられてしまいました…
まあ、それだけ強烈だったという事で(^^ゞ
え、まだ続けるつもり?
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世宗大王が10000ウォン札だったんですね!
2017/1/21(土) 午前 0:00
JGC修行僧さん、こんばんは
実は、10,000ウォンが世宗大王だと知ったのはドラマからなのでした。
また、歴代王の肖像は度重なる戦災で焼失してしまい、姿が不明な王が殆どというのを今回改めて知りました。
2017/1/24(火) 午後 8:55