こぶ〜がふらふら

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1/14の記事で16世紀中頃、12代王「仁宗(いんじょん)」から、17世紀中頃、16代王「仁祖(いんじょ)」にかけての暗闘。

1/17の記事では17世紀後半、19代王「粛宗(すくちょん)」から、18世紀後半、22代王「正祖「(ちょんじょ)」にかけての暗闘を、延々と記しました。

更に前回は、そんな暗闘の原点となる5代王「文宗(むんじょん)」から、9代王「成宗(そんじょん)」、15世紀中頃から末にかけての暗闘を記しました。


今回は… そんな記事を起こしていた時に気になった小ネタに、なる筈です。




ソウル市庁駅前にある「徳寿宮(とくすぐん)」の正殿「中和殿(ちゅんふぁじょん)」。
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王朝末期の1902年に建設されるも1904年に焼失、現在の建物は1906年の再建とされています。


1902〜06年といえば、1895年に清の冊封体制から脱し、1897年に国号を「大韓帝国」、国王が「皇帝」として即位した直後の時期です。

そんな時期の建設のためか、中和殿の内部に関し「特別な意匠を持つ龍が皇帝の威光を強調している」とする説明をよく見かけます。
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中和殿の天井にある龍のレリーフ。
かなり多くの解説に「通常は5本爪だが、皇帝を表す7本爪」とありますが、どう見ても「通常の5本爪」です。
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「7本爪の皇帝龍」は何処にいる…
どうやらこれは、誤った説明が反復・増殖している可能性が高そうです。


龍の爪の数が格式を表すとか、爪の数の多い龍の話はよく聞きます。
最もよく聞くのが「宗主国の明・清が5本=皇帝、冊封国が4本=国王、その他3本」という原則。

あれ、この説に従うのなら、冊封体制を脱した表現は「皇帝=5本」でいい筈で、7本というのは勇み足ならぬ勇み爪では。




そこで、画像ファイルをちょっと漁ってみました。




まずは「崇礼門(すんねむん)」。「南大門(なんでむん)」とも呼ばれます。
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2008年焼失後の復元ですが、古い時期の模写と考えていいと思います。
崇礼門の天井画の龍は4本爪かな?(個人的には3本+蹴爪と見えるのですが)
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正宮、「景福宮(きょんぼっくん)」の正殿「勤政殿(くんじょんじょん)」
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勤政殿の天井の龍、おお、歯車のように方向性の無い7本爪
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1395年、初代国王「太祖(てじょ)」創建時の記録から再現したとするのには無理があるので、1865年に再建を主導した大院君(26代王「高宗」の父)あたりの意向だと思われます。おそらく傲岸不遜な大院君が「清の皇帝の威光を超える」とか企んだのではないか、そんな気がします。

しかし、時代はまだ清の冊封体制下。もしこれを清に見咎められたら…
すかさず「これは太祖大王の意匠でして…」なんて言い訳をしそうです。
それでもこの時代に、この程度の造作(爪の数の操作)は可能だったという事です。




もう一箇所、「西大門(そでむん)」駅近くの「慶煕宮(きょんひぐん)」。
15代王、光海君により西の離宮(別宮)として1617年に着工、1623年に竣工しました。
現存する王宮としては、最後に造営された事になるでしょうか。
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慶煕宮の正殿「崇政殿(すんじょんじょん)」の天井。

おお、こちらも歯車の7本爪
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しかし、この建物は1991年の復元。細部まで正確とは限らないよなあ。


と思っていたら、慶煕宮が廃宮となった際に、崇政殿は「曹渓寺(ちょげさ)」に払い下げられ、「東国大学」に移築されて現存するとの事。


ここからはネットをふらふら。

こちらが、現存する崇政殿(現;東国大学正覚院)の天井の龍。
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1623年の光海君時代のまま残っているとされています。
落ちてしまった箇所もありますが、歯車型の5本以上の爪を持つ事が分かります。

上画像の左上部分の詳細図。7本爪の後脚を持っています。
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となると、歯車の7本爪は、1623年に光海君が建立した慶煕宮の崇政殿が最初という事になります。

思わず空想してしまいます。
明の冊封体制からの脱却を模索し、清への接近を試みた光海君にとり、別宮の天井に這わせた7本爪の龍は密かな決意表明だったのではないかと。

ちなみに光海君が再建した他の王宮、昌徳宮の仁政殿、昌慶宮の明政殿の天井には、龍ではなく鳳凰が据えられています。



景福宮の勤政殿の7本爪は再建に携わった大院君が、光海君の崇政殿を「格好良いねえ」と模倣したのではないかという気がしてきました。

景福宮の勤政殿の龍、再び。
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ここで別段何かを論証したいという訳ではありません。
なので唐突に個人的な結論に至ります。

想像に過ぎない龍の爪が何本かなんて、確定出来る筈がありません。
なので描かれる龍の姿は様々です。時代により、地域により異なっていて当り前。

なのに何故か「宗主国の明・清が5本=皇帝、冊封国が4本=国王、その他3本」みたいな原則が一人歩きしています。

但し、この原則を明確に形にした関係がひとつだけ存在します。
それが上でぐだぐだと書き連ねた「宗主国=明と冊封国=朝鮮王朝」との関係。

国王の纏う服の龍が云々、一段下がる世子には云々と規制があったようです。

そんな規制を必要としたのはおそらく、明が龍の爪にまで難癖を付ける可能性があったからだと思われます。
それでも17世紀初頭の光海君の時代には、原則から外れた龍を造形する程度の自由さがありました。

龍の爪の数なんて、その程度のものだったと考えるのが妥当な気がします。




朝鮮王朝と並び、琉球王国の龍が4本爪だとよく語られます。

首里城の正殿内部。
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しかし、この龍がかつての朝鮮王朝と同じ、明との関係性を表すへり下った表現だとする根拠って、はたして存在するのでしょうか。

個人的には上述の崇礼門(南大門)と同じ、古い時代の3本+蹴爪の4本を表現したもの(要するに偶々)に過ぎないとしか思えません。




例えばこちら。西洋を代表する龍。
英国の「指輪物語」の原作者、J.R.R.トルーキンが描いたもの。
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4本爪ですが、これも明に遠慮したのでしょうか?

龍の爪の3本+蹴爪は、単に鳥の足あたりからの連想に過ぎないのでは。

西洋では確実にそうだろうし、琉球王国を含む日本に於ける龍の爪が様々でも、それは時代の流れや表現に沿ったものであり、明と朝鮮王朝の関係性に依る数論議を、他の関係性にまで援用するのは飛躍のし過ぎとしか思えません。
それこそ勇み爪というものです。

まあ、光海君をクーデタで追い落とした勢力のように、明の覇権が絶対的・普遍的であるべきだという議論を展開したいのなら、恰好の素材ではありますが。



たかが龍の爪に、調べたり考えたりする度、実は少しずつ苛立ってしまいます。

まあ、それほどまでに人が何かに縛られたがるのなら、最早黙るしかありません。
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いかん、いかん。どうにもこのところ話がシリアスになり過ぎます。
なのでこの話はここまでにしたいと思います。






王朝末期、19世紀末から20世紀初頭の徳寿宮には、続々と近代的な建物が建設されます。

こちらは1910年竣工の「石造殿(そくちょじょん)」。19世紀末の英国の雰囲気です。
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新古典主義っぽい重厚な佇まいは、記念写真にうって付けのようです。
こんなフォトセッションが行われていました。結婚写真かな?
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塀の向こうには英国大使館。石造殿は、英国の技術で造られました。
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一転して優美なこちらの建物は「静観軒(ちょんぐぁんほん)」。
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静観軒の内部。1900年に竣工した帝政ロシア風の建物です。
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徳寿宮の南側、「石垣道(とるだむきる)」を進むと、
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帝政ロシア風の建物がもうひとつ。1897年竣工の「重明殿(ちゅんみょんじょん)」。
かつては徳寿宮の中でしたが、現在では敷地が切り離されてしまいました。
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重明殿は「激動の近現代史の現場」なのですが、そのあたりへの深入りはしないでおきます。
ただ、事が過ぎた今から見て思うのは、王朝の朋友感覚でやや無定見に近隣の「近代国家」を引っ張り込んでしまった事の結果は、あまりにも重いものでした。

まあ色々あれど、徳寿宮周辺は確実に近代化の舞台でした。
なのでそんな建物が幾つも残ります。




徳寿宮、大漢門前に建つ「旧;京城府庁舎(現;ソウル図書館)」。1926年の竣工。
2008年まで、ソウル市庁舎として使われてきました。
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画面が白飛びしてしまいましたが、「旧;新亜日報別館」。
1930年頃に米国シンガーミシンの支社として建てられました。
外観はレンガ貼りですが、鉄筋コンクリート造。
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1963年に新亜日報が建物を取得し、1965年に同紙を創刊。
3、4階部分は1975年の増築のようです。
1980年の言論統制により、新亜日報は廃刊に追い込まれてしまいます。



「旧;新亜日報別館」の向かい側には、1915年建築の「梨花女子高シンプソン館」。
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梨花女子高は、1886年創立の「梨花学堂」−米国宣教師が開いたこの地初の女子教育塾が前身。現在では幼稚園から大学院まである
女子教育の名門です。

ここの裏手には同時期創立の「培材学堂」もあり、こちらも私学の伝統校です。



この界隈の変化を見つめ続けてきたのだろう、槐(えんじゅ)の古木がありました。
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徳寿宮から北西にどんどん進むと、龍の項で登場した「慶煕宮(きょんひぐん)」に行き当たります。その昔は、徳寿宮からここまでつながっていたのだとか。
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慶煕宮で即位したのが、22代王「正祖(ちょんじょ)」。ドラマ「イサン」の主人公。
前々回の記事に登場した、敵対勢力に命まで狙われ続けた不穏な時代の王でした。

西の外れのここで即位する事となったのは、即位を阻止したい勢力との駆け引きの末だったようです。




また、慶煕宮はドラマ「屋根部屋の皇太子(プリンス)」のロケ地としても知られていますが、
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慶煕宮のすぐ先、松月洞のパク・ハの屋根部屋のあたりは、再開発が進み跡形もありません。改めてソウルの再開発の早さに驚かされます。
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何だか中途半端ですが、今回はとりあえずここまでです。

え、まだ続けるつもり


閉じる コメント(4)

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ソウル市庁舎と言うと私は20世紀の民主化運動での軍隊出動の記憶が蘇ります。。プレジデントホテルの部屋から戦車を見ると言う今では想像も出来ない貴重な経験をしました(笑)

2017/1/24(火) 午後 11:25 大魔王

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何回行ったか分からないソウルですが、見所はまだまだいっぱいありそうですね。

2017/1/25(水) 午前 7:26 いちろう

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大魔王さん、こんばんは
ソウル市庁舎前の広場は民主化運動から'02年のW杯、最近のデモに至るまで、
常に時代の焦点だったという事を、改めて感じました。
とはいえかつての民主化運動と聞くと、思わず炸裂する催涙弾を連想してしまいます(*_*)

2017/1/27(金) 午後 11:06 こぶ〜

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いちろうさん、こんばんは
ショッピング系に全く縁が無いもので、ついこういう細かいところばかり巡ってしまいます(笑)
表向きは、19世紀末から20世紀初頭の近代建築が好きという事にしているのですが…

2017/1/27(金) 午後 11:09 こぶ〜


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