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那覇から、宮古を経由して那覇に戻って来ました。
3月上旬の那覇では、桜が満開。
「桜といえば、私の出番っ!」
はいはい、好きなだけお花見してていいからね。
突然話が変わりますが、
2018年3月末の完成に向け、工事の進む旭橋の那覇バスターミナル。
ここは、かつてこの地を走っていた、沖縄軽便鉄道(沖縄県鉄道)の那覇駅でした。
(那覇バスターミナルの説明板より)
沖縄軽便鉄道(沖縄県鉄道)は、1914年に与那原線が開業、1922年に嘉手納線、
1923年には糸満線が開業し、3路線47.8kmの区間で多くの人や物を運びました。
(那覇バスターミナルの表示より)
「戦後すぐに、鉄道復興計画がありました。」
「でも、実現しませんでした。」
「とっても、残念です。」
戦後の沖縄では道路建設が優先されたため、結局実現しませんでしたが、鉄道の復興計画がありました。
その計画は戦前の軌間762mmの軽便鉄道ではなく、日本で標準的な1,067mm軌道で、糸満から那覇を経由し、与那原から金武、名護、大宜味とつなぐ本格的な路線が想定されていたようです。
沖縄軽便鉄道は戦争により壊滅的な打撃を受けたため、遺構が殆ど残っていないのですが、那覇空港近くの「ゆいレール展示館」に、道路工事の際に発掘されたレールが保存されています。
奥が、かつて那覇市内を走っていた沖縄電気軌道のレール。
ん?沖縄電気軌道?
実は戦前の沖縄には、沖縄軽便鉄道の他にも鉄道路線がありました。
1914年に一部開業し、1917年に全線開業した路面電車、沖縄電気軌道です。
(ゆいレール展示館の展示から)
青点線が沖縄軽便鉄道、赤点線が沖縄電気軌道の路線。(あくまで概略です)
(右下をクリックすると拡大します)
軽便鉄道、嘉手納方面↑
↓軽便鉄道 糸満、与那原方面
沖縄電気軌道は、大盛で知られる「波布食堂」のある那覇ふ頭から、旭橋、松山、泊、安里を経由して首里までを結んでいましたが、道路網の整備による乗客数の減少により、1933年に廃止されてしまいました。
沖縄県には、戦後も走り続けた鉄道がありました。
沖縄本島から東に400km離れた南大東島には、かつて27kmに渡る貨物用軽便鉄道が敷設されていました。
南大東島を走っていたディーゼル機関車5号機が、ゆいレール壺川駅近くの壺川東公園に保存されています。
小型機関車製造メーカーだった、加藤製作所製「カトー10トン(1967年)」です。
三菱重工製の水冷6気筒ディーゼルエンジン。
「6DB-10L 120ps/1,800rpm」と銘板にありました。10Lは排気量でしょうか。
ボンネットの向かって左側、トルクコンバータを介して出力するようです。
駆動はチェーンとスプロケットの組み合わせ。何だかバイクみたいな感じです。
とてもシンプルで分かりやすいメカです。
加藤製作所は、トラック輸送が増大した1960年代後半に、小型機関車製造から撤退しています。なのでこの機関車は、加藤製作所製の最終号機に近いものです。
保存状態があまり良いとはいえないのが、ちょっと残念。
また、カトー10トンの後ろには、ドイツ・ヘンシェル社製蒸気機関車(1913年)の台車部分が保存されています。南大東島を初めて走った蒸気機関車です。
ディーゼル機関車、カトー10トンの運転台を眺めていると、
南大東島の景色の中を走っていた頃を、空想したくなります。
結構貴重な産業遺産でもあるのだから、もう少し良い状態で末永く保存されて欲しいと思いつつ、機関車を後にします。
桜の花も撮れたし、南大東島の機関車も見学出来たので満足とか思いつつ、壺川から旭橋方向にふらふらと歩いていると、「Excuse me?」と声をかけられました。
観光客は殆どいないエリアですが、韓国から来た若いカップルです。
日本語と韓国語、英語のちゃんぷる〜で話をしてみると、どうやら旭橋周辺のホテルから国際通りに行こうとして道に迷ったようです。
男の子が地図を持っていたので周辺のランドマークを示し、正しい方向に地図を向け、国際通りはあっちと言ったのですが、「かむさはむにだ〜」と何故か間違った方向に向かおうとします。
旭橋から、青−の国際通りに向け赤→に進むべきところを、黄→方向に90度ずれて迷子になったのに、またずれています。
「おーい、間違ってるよ〜」と呼び止め、ルートイン付近まで一緒に歩き、「この道を真直ぐ」と再度方向を示しました。今度は多分大丈夫でしょう。
このやり取りでちょっと思った事。
韓国のテレビの旅行番組で、地図と90度ずれて進み迷子という同じパターンを幾度か見ています。
また、以前韓国人旅行者に道を尋ねられた時にも、90度ずれて進んでいました。
後から自分でもやって見たのですが、地図を立てて水平に戻す、或いはその逆の動作をすると勘違いが起きやすいようです。
また、その勘違いが、何となく文字の読み方の癖に関係している気がしました。
もしかすると、ハングルは90度ずれやすいのかもしれません。
漢字かな交じりだと、どの位ずれるのかなあ…(国内では他の情報で自動的に補正してしまうようで、よく分かりませんでした)
もうひとつ、お国柄だなあと感じた事。
声をかけてきた男の子と地図をぐるぐる回し、あれがココとかやり取りをしている間、女の子のほうは一切話に加わらず、のん気に写真を撮ったりしています。
(地図を覗き込む様子も撮られてしまいました(^^ゞ
冷淡なのかと思いきや、話が終わった時には「かむさはむにだ〜」と男の子よりも元気に挨拶をします。
どうやら道案内は男の子の役目、女の子は口を挟まず待つのが礼儀という感じのようです。完璧にリードしなくちゃいけない韓国の男の子って、大変だなあ。
ケンカせずに楽しく沖縄で過ごしてねと、若い子たちを見送るおじさんなのでした。
さっきの子たち、おじさんも旅行者だったとは思いもしないだろうなあ。
そんな事を考えつつ、「ホテルユクエスタ旭橋」に向かいます。
翌日の朝になりました。
1Fのオープンキッチンのイタリアン「トラットリア・ディ・マーレ(Trattoria Di Mare)」で朝食です。
ビジネスホテルらしからぬ、ちょっと優雅なプレートです。
朝食を終えたら、さてと。
おまけの小ネタ。
ゆいレール旭橋駅の近くには、
レンタル公道カートのステーションとか、
以前から気になっている「信州そば」のお店があったりします。
残念ながらどちらも利用した事がありません。
相変わらずキョロキョロしつつ、つづきます。
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2017年こぶ〜の旅
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沖縄は戦前はたくさん鉄道があったんですね!
那覇の市街地も戦前戦後で違うってブラタモリでもやってましたね(^^ゞ
韓国人の男の人はリードしなければいけないのですね。大変ですね(^^;)
2017/4/9(日) 午後 11:46 [ kazukun ]
沖縄の鉄道のれし・・・しると悲しくもなりますが・・・ゆいレールがその遺志を引き継いでいる感じですね!
2017/4/10(月) 午前 5:50
なんと!沖縄にも鉄道が走っていたのですね!
韓国人のカップルは微笑ましいですね!拙僧家では連れは口だけ挟みますのでいつも大混乱(笑)
2017/4/10(月) 午前 6:36
この時代のエンジンはメンテナンスがしやすかったのでしょうね
2017/4/10(月) 午前 7:51 [ ファンキー五郎 ]
この公園の機関車は沖縄そばを食べに行く際に見学しました。
南大東島にもシュガートレインの機関車の展示がされているので、
機会があればぜひ!
2017/4/10(月) 午前 8:06
やっぱり行って見たい、南北大東島って気になります。
那覇からひとっ飛びなのに、何故か遠い大東島。いつか行くぞ〜。
2017/4/10(月) 午後 0:47
路面電車もあったのですね。首里の坂はどうやって登ったのでしょうね。(笑)
本格鉄道が北部まであったら、沖縄の開発はもっと違っていたのですかね。
2017/4/10(月) 午後 6:21
kazukunさん、こんばんは
軽便鉄道は知っていましたが、路面電車の存在はゆいレール展示館で初めて知りました。
「男がリードすべし」に加え、韓ドラとかでは支払いも男の子持ちみたいなので、大変そうです(^^ゞ
2017/4/13(木) 午後 9:05
さもんさん、こんばんは
地図に線を引きながら思ったのですが、ゆいレールは路面電車と軽便鉄道の中間を通っています。
そのあたりにも、繋がりを感じますよね。
2017/4/13(木) 午後 9:08
JGC修行僧さん、こんばんは
ゆいレール展示館で鉄道の予習をしたら、現物を少しでも見たくなりました。
若い頃から聞くときは全員出動、支払いは割り勘だったので、隣国の男の子たちは大変だなあと思いました(笑)
2017/4/13(木) 午後 9:13
ファンキー五郎さん、こんばんは
この時代のディーゼルエンジンは電気仕掛けが全く無いので、構造が分かりやすいです。
ただ発電機が往年の直流ダイナモみたいなので、ここだけは故障が多そうです(^^ゞ
2017/4/13(木) 午後 9:23
りかおんさん、こんばんは
南大東島の機関車は遠いので、壺川に保存されているのを知り、見に行ってきました。
あ、壺川に出たのだから、楚辺で何か食べてくれば良かった… 残念(^^ゞ
2017/4/13(木) 午後 9:36
のんちき7さん、こんばんは
実は南大東島には行ったものの、空港から外に出ないままでした(笑)
なので島の風景が空撮しかありません。何時かは空港から外に出るぞ〜(^^ゞ
2017/4/13(木) 午後 9:38
いちろうさん、こんばんは
首里の丘へは傾斜の比較的緩やかな県道29号沿いを蛇行しつつ、ループも使って登ったようです。とてもゆっくりだったと思われます。
もし戦後の鉄道計画が実現していたら、那覇への一極集中が違う形になっていたかも?
2017/4/13(木) 午後 9:49