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東京都の郊外を南北に、多摩市の多摩センターと東大和市の上北台の間16kmを結ぶ多摩モノレール。
多摩モノレールと西部鉄道拝島線が交差する玉川上水駅で下車すると、すぐ南側を駅名の通りに玉川上水が流れます。
松任谷由実が1979年に発表した「悲しいほどお天気」の中で、「上水沿いの小径をときおり選んだ♪」と歌われます。
そんな玉川上水から500m北に、ひと際異彩を放つ古い建物が残されています。
1938年に建てられた「旧;日立航空機立川工場変電所」。
外壁に残る無数の凹みは、戦争末期の1945年2月17日、4月19日、4月24日の三度に渡る米軍機による銃爆撃の痕です。
日立航空機立川工場では航空機用エンジン(当然軍用)を製造しており、10,000人を超える人たちが働いていました。 三度の攻撃による犠牲者は100名を超え、工場の半分以上が破壊されました。
この変電所は銃爆撃を受けたものの躯体は使用可能で、その後1993年まで変電所として現役でした。
工場移転に伴い跡地を公園化する際、多方面からの働きかけにより、この建物の保存が決定します。(取り壊し案もあったようです。)
1945年の平面図。太線が当時稼働していた建物です。 (右下をクリックすると拡大します)
戦後、1953年に工場敷地の南側、第一・二・三工場のあたりが米軍により接収され、1956年から1973年まで「米軍大和基地」となっていました。
北側に残った変電所を含む工場は、東京瓦斯電気工業(第2次)⇒富士自動車(スバルとは別)⇒ゼノア⇒小松ゼノアと変遷、2000年にここからの移転が完了します。
富士自動車といえば何といっても、1955年発売の「フジキャビン」。
(長久手市 トヨタ博物館所蔵)
125cc5.5psエンジンをFRP製フルモノコックボディに搭載した2人乗り三輪乗用車。 「フジキャビン」は、ここで生み出されたのでしょう。
先端技術をふんだんに取り入れた野心作でしたが販売は振るわず、富士自動車は自動車メーカーへの夢を断たれてしまいます。
その後この工場では、2000年の完全撤退まで建設機器や農業機器などが生産されました。
また、多摩モノレールの沿線には「イケア立川」、
「ららぽーと立川立飛(たちかわたちひ)」といった大型商業施設が建ち並びますが、その広い敷地の多くが、かつての工場跡地だったりします。
ららぽーとの「立川立飛(たちかわたちひ)」というちょっと不思議な名前は、往年の航空機メーカー、「立川飛行機」に由来しています。 戦争当時、拝島から国分寺にかけ軍関連の施設や工場が多く建ち並びました。
(敷地の形状等は正確ではありません。 右下をクリックすると拡大します)
2.陸軍整備学校
3.陸軍少年飛行学校
4.日立航空機
5.東部国民勤労訓練所
6.陸軍兵器補給廠 小平分廠
7.参謀本部特殊無線通信所
8.昭和飛行機
9.陸軍立川飛行場・立川飛行機など 現:昭和記念公園(一部)
10.陸軍資材本廠
11.日立中央研究所
12.陸軍経理学校
13.陸軍技術研究所
更に地図外の近隣地区には、現;武蔵野市の中島飛行機武蔵製作所、現;調布市の調布飛行場、東京重機工業、現;日野市の日野重工業など数多くの生産拠点が集結。都下の中央線沿線は、さながら「軍都」の様相を呈していました。
そのためこのエリアは米軍の主要攻撃目標とされ、1944年11月から終戦に至るまで10数回もの航空機による攻撃(空襲)を受け、立川市が340名以上、武蔵野市が200名以上と多数の犠牲者を出しています。
「軍都」立川から南西に10kmほど行くと八王子。
明治以降は絹を中心とする繊維産業が発展し、生産だけではなく、繊維製品の集結地としての役割も担います。
冒頭に登場した松任谷由実に縁の深い、大正元(1912)年創業「荒井呉服店」もそうした繊維産業を支えて来たのでしょう。
八王子は街道筋に倣い、鉄道も東西を中央本線、北行きの八高線、南行きの横浜線、更に新宿からの京王線が交差する鉄道の要衝でしたが、米軍の組織立った攻撃を受けた立川エリアとは異なり、散発的な攻撃*1を受けるに留まっていました。
7月8日、品川区から元八王子村に集団疎開していた児童が、米軍戦闘機による機銃掃射を受け死亡します。
訃報を知り駆け付けた母親が、近くの地蔵尊に遺品のランドセルをかけ、亡き子の供養とします。ランドセル地蔵と呼ばれるようになったその地蔵尊は、今も地蔵堂の中でランドセルと共に佇んでいます。(八王子市泉町 相即寺)
この出来事は、「家出ねこのなぞ(1979年)」、「ランドセルをしょったじぞうさん(1980年)」という児童文学の題材になりました。
疎開児童を襲った戦闘機編隊(おそらくP-51)は、元八王子村から南西に3km離れた浅川町の浅川駅(現;高尾駅)にも機銃掃射を加えています。
高尾駅の1・2番ホームの支柱には、その時の弾痕が今も残ります。
P-51の12.7mm重機関銃が、廃レールの支柱にこれだけの痕を残します。
もうひとり、機銃掃射の犠牲となった品川区からの疎開児童がいるようなのですが、残念ながら詳細が分かりませんでした。(おそらく7月28日)
八王子市合併前の周辺町村はこのような攻撃を受けていたものの、当時の八王子市−中心市街は戦争末期の1945年7月末迄、ほぼ無傷でした。
現在の甲州街道。八王子市の古くからの中心です。
しかし、1945年8月2日に日付が変わった 00:45、
169機(180機とも)のB-29が突如八王子市街を襲い、状況が一変します。
ここからのお話は長くなりそうなので、回を改め、続けたいと思います。
最近、高尾駅周辺の整備計画が決定し、1927(昭和2)年竣工の神社仏閣風の北口駅舎の建て替えが決まりました。
八王子市によると、2018(平成30)年度に施行協定を締結し、工事に着手。
完成まで約6年を見込んでいます。
現行駅舎は移転保存される予定ですが、弾痕の残るホームの支柱は形を変えてしまいそうです(例えば切り取られて部分保存とか…)。
高尾駅の廃レールを利用した柱は弾痕以外にも、1902年製の現存する国産最古のレールとか、古いドイツ製レールなど貴重なものが沢山。
「UNION 190*」と読めます。ドイツからの輸入品だと思われます。
これらも見に行くのなら、早めのほうが良さそうです。
更に、北口駅前が手狭なため設けられたバス用の転車台(既に使用されていない)も、早晩姿を消してしまいそうです。
高尾駅周辺には他にも、この区間が開業した1901(明治34)年から現役を続けるレンガ造のアーチ橋など、興味深いものが数多く残ります。
それでは、つづきます。
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近くにお出かけ
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今更ながら、八王子の北東に立川があったんですね〜。すっかり東だと思っていました。この辺りは今でも工場が多い地帯ですが戦時中とは会社名が随分違うのには驚きました。
2017/6/18(日) 午後 11:18
こういった施設がまだ残っていた事にびっくりでございます!遠くまで行かなくてもまだまだ色々見るものってあるんですね!
2017/6/19(月) 午前 5:48
東部地区に在勤在住の拙僧は西側が疎いので大変参考になります。
立川は昔から軍の拠点だったんですね
2017/6/19(月) 午前 7:19
多摩モノレールには乗った事はありませんが、時々、モノレールが走っている景色を見ています。
バスの転車台は向ヶ丘遊園駅北口の小田急バスの停留所にあったので
懐かしいです。
2017/6/19(月) 午前 7:22
あら、私の実家も軍施設で赤く塗られているエリアだわ。
そんなに昔の事ではないのですよね。なんか不思議です。
2017/6/19(月) 午前 7:41
こんにちは
昔は軽四という免許証のカテゴリーがありましたね。
そのランクの車なんでしょうね。
2017/6/19(月) 午前 11:13
とっても昔の建物のように感じますが、ヨーロッパだったら比較的新しい方に見られてしまいそうです。色々と考えさせられる過去の爪跡ですね。
2017/6/19(月) 午後 2:06
ジョニーさん、こんばんは
中央線って直線的なイメージがありますが、立川以降は結構曲がっています。
会社名の変遷には、自分も改めてびっくりしました。小松ゼノアもその後幾度か変わっていたり…
2017/6/21(水) 午後 10:09
さもんさん、こんばんは
こうした遺構は壊してしまったら二度と元には戻らないので、大切にして欲しいなと思います。
ただ、自治体によって取り組み方に温度差があり、そのあたりが少し気になります…
2017/6/21(水) 午後 10:15
JGC修行僧さん、こんばんは
今ではすっかり様変わりしましたが、ひと昔前の立川はまさしく「基地の街」でした(^^ゞ
あまり知られていない戦争の爪痕が、意外なところに残っている事に改めて気がつきました。
2017/6/21(水) 午後 10:19
りかおんさん、こんばんは
そういえば向ヶ丘遊園にもバスの転車台がありましたね。すっかり忘れておりました(^^ゞ
多摩モノレール、南北の交通機関が少ないので、この地域では意外と便利です。
2017/6/21(水) 午後 10:25
のんちき7さん、こんばんは
戦時中には相当強引な拡張も行われ、改めて調べるとその広さに驚きました。
再開発で昔の面影が急速に消えていますが、残すべきものもあるのではなんて思ってしまいます。
2017/6/21(水) 午後 10:29
NKM758さん、こんばんは
軽四輪免許の廃止って1968年頃でしたっけ。昔は16歳で車に乗れたのですよね(^^ゞ
仰る通り、軽四免許やオート三輪免許で乗る事の出来るカテゴリだと思います。
2017/6/21(水) 午後 10:40
柏のLunaさん、こんばんは
高尾駅の北口駅舎は時代こそ昭和ですが、大正天皇の大喪に関係する建物だったりします。
戦争遺構の保存や啓蒙に関しては、自治体による差が大きいのが気になります…
2017/6/21(水) 午後 10:45