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ヒットメーカー、ホン・ジョンウン、ホン・ミラン姉妹(以下 ホン姉妹)が脚本を担当したホラーコメディ、「主君の太陽 주군의 태양 [ちゅぐね てやん] 2013 SBS」では、「キャンディ・キャンディ」 *1 に頻繁に言及すると書きましたが、文章にまとめるのが難しく、以下のような脚注でお茶を濁しました。
*1 「キャンディ・キャンディ」
水木杏子原作、いがらしゆみこ作画の1975〜79年のコミック、並びに1976〜79年の TV アニメ。 韓国ドラマのストーリー構造に大きな影響を与えた。 「主君の太陽」ではその構造について、「キャンディは… 」等のセリフを通じ頻繁に言及する。 とりわけ16話では、「キャンディ構造」の可能性と限界について詳細に論じている。 また、正式な題名は「キャンディ♥キャンディ」だが、ここでは便宜上「キャンディ・キャンディ」または「キャンディ」と表記する。
今回、何処まで具体化出来るか分かりませんが、取りあえず始めてみます。
尚、説明の性質上ネタバレでの進行となる事を、予めご了承ください。
実は、自分でも書いておきながら、かねてより疑問に思っている事がありました。
上の脚注で「『キャンディ・キャンディ』が、韓国ドラマのストーリー構造に大きな影響を与えた」という箇所です。
例えば、かの記念碑的ドラマ、「冬のソナタ 겨울연가 [冬恋歌] 2002 KBS2」が、「キャンディ・キャンディ」の影響を受けていると言われたりします。
しかし、具体的に何処にどう影響しているのかを問い始めると、正直なところよく分かりません。むしろ考える程に分からなくなってきます。
ドラマ序盤、不貞腐れた転校生カン・チュンサン(ペ・ヨンジュン 俳優名 以下同)が、何となく「キャンディ」の「テリウス(テリィ)」をイメージしているとは分かります。
でも、テリィのやさぐれの主な原因は、堅苦しい英国貴族の庶子である事。
しかも、わざわざアメリカまで会いに行った女優の実母に冷たく突き放され、やさぐれ度を加速させています。
そうした要因から積極的に人を寄せ付けない、「ローンウルフ」型になっています。
対するチュンサンは、不在がちとはいえ母親は健在。
亡くなったとされる父親について、誰も何も語らない事がやさぐれの主な要因。
寡黙な原因が「ソウルからの転校生」という現状にある、典型的な「転校生」型です。
うーん、これでは話が進まない。キャラクタ類型では無さそうだとは分かるけど…
実はこの件に関し、答えらしきものはあっても上手く文章になりません。
なので、一旦「キャンディ・キャンディ」に戻ります。
「キャンディ・キャンディ」が、戦後日本の「女の子如何に生くべきか」に最も影響を与えたと云われる、「赤毛のアン」を下敷きにした事は割と知られています。
駅で見かけたクリニックの広告。院長が「赤毛のアン」の大ファンだと分かります。
更に、グリーンゲイブルズ=緑の切妻屋根を左の絵が示しています。 それでは「赤毛のアン」を書いたL・M・モンゴメリが始まりかというと、こうしたお話の系図は更にさかのぼり、「シンデレラ」や「白雪姫」といった昔話に行き着きます。
どちらをお題にしてもいいのですが、「シンデレラストーリー」という言い方がある位なので、ここでは「シンデレラ」の構造を見直してみます。 「わたくしを、呼びましたかっ?」
まず始めに、とても有名な「シンデレラ」のお話は、ディズニーが1950年にアニメ版を製作する際、映像化に向かない要素を一部変えたり省いたりしています。
それが構造を分かり難くした所があります。以下その補足も含めて。
エラの父には多くのバージョンがありますが、総じて影が薄い。
良くて木の枝をお土産にくれる位、悪役の場合すらあります(上記の大公など)。 ディズニー版では、(継母のいじめを発動させるため)あっさり退場。 この「父性原理の不在」も掘り下げると結構面白い… (「キャンディ」も同様です)
継母と義姉がエラをいいようにこき使うのは、よく知られています。
ここで重要な点が、エラの「台所の灰」まみれの様子を嘲り、シンダー(灰まみれの)エラ=シンデレラと呼ぶ事。これが「真の名」を奪う、あるいは隠してしまいます。 また、「台所の灰」(シンダー)もポイントです。
火を扱う「かまど」は元々異界と親和性があり、その灰が「本当のエラ」を覆い隠し、シンデレラという仮の姿で継母や義姉を欺き、エラを保護しているのです。
もし継母がシンデレラの「本当の姿」を知ったら、何処かに売り飛ばしかねません。
(関係無いけれど「シンデレラストーリー」という表現、いささか逆説的です)
日本の昔話「姥皮」で、婆姿となった娘が火焚きとして長者の家に住み込む、「千と千尋の神隠し」で、名前を奪われた千尋が釜爺の所に行くのも、同じ構造です。
もうひとつ、義姉はディズニーアニメ版では戯画化されますが、「美貌が自慢」という設定のほうが多いようです。
「魔法使いが変身させ」、「魔法の制約により、00時の鐘で元に戻る」という設定を採用しています。まあこちらの方が、ドラマ的には盛り上がります。
本来的には、シンデレラが灰を落とし、『本当のエラ』として舞踏会に出席。
同じ舞踏会に出席している継母と義姉は、『本当のエラ』に気付かない。 なので『シンデレラの労働』をこなすため、自発的に『仮の姿』に戻るのです。 ところがディズニー版だと「魔法によるかさ上げ−変身の有効時間は短い」と取れてしまい、「本当の自分」を取り戻す過程だと分かり難い気がします。
(どこまで意図的かは分かりません。あくまで個人の感想です)
これでとうとう大団円。
有名な「ガラスの靴」のシーンは、「3-4 課題とその達成」の達成部分。 実は、「本当の『エラ』を見た」王子さまが、どんな行動をしても構いません。
要は「本当の姿を見た者」が、今までとは異なる行動を起こし、シンデレラを取り巻く状況が変化すればいいのです。 ディズニー版の「ガラスの靴」場面が盛り上がるのは、王子さま側の物語における「課題とその達成」、「真のお妃(エラ)探し」が上手く導入されているためです。
なので周囲の大騒ぎに比べ、シンデレラにはどこか醒めた態度を感じます。 「だ か ら わたくしを呼びましたかっ?」
実はシンデレラにとり、王子妃となる事は割とおまけで、どちらでもいいのです。 せいぜい「新たな場所に出発する」きっかけに過ぎません。 何故なら、「何が何でも王子さまと結婚!」を目標に入れたら、王子さまを美貌で惑わす悪女となりかねず、最終的に高い対価を支払う、それが目的の継母や義姉と同類になってしまいます。
もうひとつ、男の子受けしそうな「英雄話」では、構造は同じでも「越境、試練、誘惑」など、外からの課題要求がより強調され、そこに「父性の無効化」が含まれます。
その点が、元から「父性」の弱い「シンデレラ」や「キャンディ」と異なります。
また、英雄は「貴種流離(隠された王子)」型が多く、「既に備わる(隠された)力」の解放、或いは制御、すなわち有効活用が課題達成の中心です。
これに対し「シンデレラ」型では、日々の労働−課題達成の反復による能力の向上がより強調されます。
「仕事がまだ残っているので」と舞踏会を立ち去るような、シンデレラって意外と生真面目で努力家なのです。
全くの余談ですが、19世紀末に日本に「シンデレラ」が初めて紹介された頃、異国風の名前は馴染まないとして、「おしんの話」として翻訳された事があります。 一世を風靡した1983〜84年のドラマ「おしん」と、奇しくも同名。 単なる偶然か、如何なる縁があったのかはよく分かりませんが… 「シンデレラ」の構造を見たところで、再び「キャンディ・キャンディ」に戻ります。
基本的構造は同じですが、物語が反復するため、要素が少し増えます。
まずは出だしから。
「ポニーの家」で暮らすキャンディス・ホワイト(キャンディ)には、家族がいません。名前も、ポニーの家の院長が付けてくれたものです。 実は「キャンディ」のお話は、これでほぼ半分が完成しています。 いわゆる「起承転結」の「起承」。
また、この展開が、格好良く言いたいのでビルドゥングスロマン、成長物語である事を示しています。
1.物語の発端とその背景 ♪ちゃららちゃっちゃっちゃーん♪
出発準備完了といったところです。
そうなんです。成長物語って、まんまロールプレイングゲーム。 あらかじめ欠落の多い主人公が、欠落を埋める、あるいは取り戻す旅に出て、風変りな空間を経て、新たな人やモノなどに出会い、段々と成長する訳です。
再びキャンディのお話、
成長物語、実はこれでほぼ一周。
3.到着した場所 敵の姿が次第に明らかになり、自らの使命も見えてきます。
そこに仲間が加わり、新たな避難所も見つかるという進行です。
「♪ちゃららちゃっちゃっちゃーん♪」
特に「3-4 課題とその達成」、「それを受けてキャンディがする事」を往復します。
また避難所は、所属がはっきりしないだけに絶対安全とは限らず、一時的庇護者が実は悪者(あるいは敵)とか、悪い呪文(呪い)をかけられてしまう事もあります。
こうしてレベルアップにひたすら励んだら、いよいよ迎えるクライマックス。
5.本当の姿を見た者、あるいは真の名を知る者 ストーリーに則すと、
長々とした説明が難しい漫画やアニメで、サクリファイスに意味を持たせるのは大変ですが、このくだりは上手く出来ているなと思います。
なので少し横道ですが、この件について考えてみます。
アンソニーが「本当のキャンディ」を求めるだけなら、彼女を追って自らメキシコに出向くなど、直接的に行動すれば済みます。
ところがアンソニーは、ブラウン家の長男というポジションを捨てられないため、一族の長、アードレー家のウィリアム大伯父に解決を委ねるしかありません。
しかもアンソニーは、元からオリジナリティを欠く存在として登場しています。
容貌と呪文は「丘の上の王子さま」、贈与アイテムもアードレー家に関する事柄。
この点が、アンソニーの行動力の弱さをあらかじめ示しています。
本来こうしたポジションは「影(シャドウ)」役の場合が多く、「影」は実体が薄いため、サクリファイス向きではありません。
ところがキャンディが、「アンソニーはアンソニーだから好き」という強力な呪文を放ち、「丘の上の王子さま」の「影」である事を封じてしまいます。
更にアンソニーを悲劇的にするのが、彼なりに頑張った点。
自分の誕生日を知らないキャンディの誕生日を決め、自分が品種改良したバラを「スイートキャンディ」と名付け贈ります。
ところがこれが、「仮の」誕生日に例の「バラ園」で「改良」したバラ、しかもその名がキャンディからの「借用」。
意地悪な作者により、ここまで追い込まれてしまう可哀想なアンソニー。
キャンディが新しく得た「アードレー」という名前−地位の代償を、自らが支払う事になってしまいます。しかもその場がお披露目会という皮肉(いえいえドラマチック)。
こうしてキャンディは、アンソニーの支払った代償を受け、ロンドンに旅立ちます。
そしてロンドンに向かう船上で、蔭のある美少年テリウス(テリィ)と出会い、物語は第2部に入るのです。
物語は更に先へと続きます。そうだ、テリィは上でちらっと書いた「影」の要素を併せ持つキャラクタなので、行動がより謎めいて複雑です。
「キャンディ・キャンディ」について長々と書いてしまいましたが、韓国ドラマに与えた大きな影響とは、こうしたビルドゥングスロマンの教材という意味に思えるのです。
例えば「冬のソナタ」を象徴するようなアイテム、「ポラリス(北極星)のネックレス」。
この場面はドラマ終盤。チョン・ユジン(チェ・ジウ)が落とし、壊れてしまいます。
これだけで、カン・チュンサン(ペ・ヨンジュン)との別れを予感させます。
何故ポラリスかというと高校時代、合宿中に迷子になったユジンをチュンサンが見つけ、「迷った時にはポラリスを探すんだ。」と教えます。
10年後、ユジンの勤めるデザイン事務所の名前が「ポラリス」。
ユジンからポラリスの話を聞いたイ・ミニョン=実はチュンサンが、ふたりで出掛けた雪山で、「ポラリスのネックレス」をプレゼントします。
とまあ見事なまでに、異界−一時的庇護者−呪文と贈与アイテムという組み立てを、「ポラリス」ひとつで繰り返しやってのけます。
しかもこの後も、「(ポラリスがあるから)帰り道は必ず見つかる」とか「僕がきみのポラリスになる」等々、呪文かけまくりです。
「主君の太陽」、チュ・ジュンウォン=チュグン(ソ・ジソプ)が、テ・ゴンシル=テヤン(コン・ヒョジン)にお守りとして渡そうとする、「テヤン(太陽)のネックレス」。
この渡し方のあいまいで複雑なところが、異界に対する捉え方(考え方)の差を示し、後々起きる出来事での捉え方の差を暗示します。
そしてクライマックスでは、互いが支払うべき対価を象徴し、本物と偽物を区別するアイテムとして機能します。
関係ありませんが、日本のドラマは長さの関係もあるのか、こうした呪術的なモノの受け渡しがあまり得意ではないように感じます。
逆に韓国ドラマでは、技術者らしい言動、警官らしい言動、などの役職的表現が苦手に見えます。まあ、得手不得手があるのは当然ですが。
こうした視点に立ってドラマを観ると… 実は結構、楽しめません(笑)
お話はお話として楽しめば良いものを、すっかり艶消しにしてしまいます(^^ゞ
くだくだと長いだけの文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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