〜 元祖 Kalinjin cafe 〜 夏林人の庭

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物語の庭

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              <photo> by: Taro416 ( flickr )




冬の寒風の晒されて、落葉樹の葉が

次々と散っていく季節です。

私はこの季節になると、ある一編の短編小説を思い浮かべます。



それは、O・ヘンリーの『 最後の一葉 』です。

あまりにも有名な作品ですが、あえてご紹介します。





     最後の一葉( The Last Leaf )  
                     O・ヘンリー( 1862〜1910 )



ある古い村に貧しい画家たちが暮らしていました。
二人の女流画家、スー と ジョンジィもこの芸術家村の住人です。
3階建てレンガ造りのアトリエの一番上に住んでいました。


あるとき、この村に嫌な風邪が流行しはじめました。
しつこく治りにくい風邪です。
残念なことに、ジョンジィが感染し、肺炎に罹りました。


友人のスーは心配して看病しますが、病気になった本人ジョンジィは
ひどいマイナス思考で、窓から見える蔦の葉がすべて落ちたときに、
自分も死ぬのだと決めつけて、ココロを閉ざしたままです。


往診に来てくれた医者も、ジョンジィ本人が病気と戦う意志がない
ことに気づき、ひどく絶望します。
効くはずの薬も効かなくなるだろう.....と。


同じアトリエの1階に住むベアマンも心配していました。
彼は歳老いた男性画家でしたが、あまり画業は成功していませんでした。
名前も絵も売れず、一枚も傑作を描けないまま歳をとり、
今では、単なるアトリエの番人役に過ぎませんでした。
ベアマン老人もまたジョンジィの弱気を見抜いていました。


ジョンジィは窓の外に見える壁の蔦の葉を
1枚1枚数え続けました。7、6、5、4、3、2........。
そして、最後の一枚だけが残りました。


突然、嵐がやってきました。
一晩中、寒風に晒された蔦はおそらくすべての葉を落としたに
違いありませんでした。ジョンジィは死期を覚悟しました。


ところが窓を開けてみると、最後の一葉はまだ残っていました。


ジョンジィは予想外の出来事に、少し希望を感じました。
失いかけていた自信が戻り、食欲も湧いてきました。


それから数日経っても、最後の一葉は壁に張り付いたまま
落葉しませんでした。ジョンジィの病は快方に向いました。


しかし、それと引き換えに、他の人物が病に倒れ、死に至りました。
それはベアマン老人でした。


そのとき、ジョンジィは悟りました。外に飛び出し、
窓から見えていた壁のところまで駆けつけました。
そこには、嵐の夜、ベアマンが描いた美しい蔦の葉がありました。


ベアマン老人は無名のまま生涯を閉じましたが、
最後にひとつの傑作「 落ちない葉 」をこの世に残したのでした。
                
           おしまい(^^)




いかがでしたでしょうか?


久しぶりに思い出した方、初めてストーリーを知った方、
それぞれ胸中に浮かぶ心象世界があろうかと思います。


殺伐とした世の中ではありますが、この物語で、
少しは皆様の心が癒されたかな? と、ささやかな願いを夢想します。


皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。

椰子の実と漂着神

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        <写真> by mycondor'34 ( GATAG FREE )


去り行く夏の背を見送りながら、静かに漂いはじめた秋の気配......

皆様、いかがお過ごしでしょうか、ジャングル庭の番人、夏林人です。



私の個人的な錯覚に過ぎないのかもしれませんが、
この季節、なぜか、ある一編の詩を思い浮かべます。

歌の歌詞でもあるのですが.........


      名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ

      ふるさとの岸を離れて  汝(なれ)はそも波に幾月     


誰もが口ずさんだことのある歌詞ではないでしょうか。

島崎藤村の「 椰子の実 」です。
のちに、大中寅二が作曲し、文部省唱歌として有名になりました。

文学通の方々にとっては、百も承知のことでしょうが、
この詩は島崎藤村ひとりの力で書かれた作品ではないのです。



民俗学者・柳田國男が学生時代に、
ある海辺の網元の離れ座敷を間借りして、1ヶ月以上滞在したのですが、
そのときの出来事が出発点になっているのです。

明治31年、夏......... 愛知県 田原市 伊良湖 .......

若き柳田國男は海岸を散歩中に、偶然、岸辺に漂着した椰子の実を拾います。
感受性豊かな柳田は、その椰子の実を拾った刹那、何かを感じました。


そして、友人の島崎藤村にその出来事を伝えました。


話を聞いた島崎は、たちまち触発され、
彼特有の美意識を発揮し、一編の詩を書き上げました。

それが「 椰子の実 」誕生秘話です。


もし、友人・柳田國男が散歩中に、その椰子の実を発見しなかったら、
あるいは、視野に入っても、無意味なモノとして蹴飛ばし、記憶に刻まず、
藤村に一切何も伝えなかったとしたら、
私たちは、この名作を知らずに終わったことでしょう。



このエピソードは、単なる詩の話に限らず、
日本人古来の漂着信仰に結びつきます。


七福神のひとり、えびす様は漁業の神様です。

古事記によれば、日本創造の神・イザナミとイザナギの最初の子が
蛭子神(ひるこのかみ)でした。
ところが、蛭子は体が弱く足腰が立たなかったため、掟に従い、
舟に乗せられ、海へ流されてしまったのでした。

その後、蛭子の舟は兵庫西宮に漂着し、その地で蛭子は成人しました。
そして、いつしか漁業の神に祀られるようになりました。

西宮だけでなく、各地の海岸や漁村文化には「 寄り神信仰 」があり、
海岸へ流れ着くモノを畏怖・崇拝し、漁の神として祀る風習が残されている
といわれています。

...... 漁のときに海岸で漂着物を拾うと大漁になる ........と。


海を渡って何かが流れ着くイメージ。
それを崇め祀る心理。

海に囲まれた、島国ならではの精神文化なのかもしれません。



詩「 椰子の実 」誕生の由来も、漂着物への憧憬が深く関わっているように
思えてならないのです。


昭和18年8月22日、島崎藤村は大磯の自宅で永眠しました。

この季節になると、私は「 椰子の実 」の歌詞を思い浮かべます。

      名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ..........

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