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東北南部、数日間晴れて暑かったのですが、再び雨空へと戻りました。
明けそうで明けない、梅雨の終わりのモヤモヤ感・・・・・・。
そろそろすっきりと晴れてほしいような気がします。
本日は梅雨の終わりに関して、てるてる坊主秘話など少々。
この頃あまり用いられなくなりましたが、昔の日本の季節表現には
「荒梅雨(あらづゆ)」「送り梅雨(おくりづゆ)」などの言葉があり、
梅雨の終わり頃に降る 雷を伴った激しい豪雨を特別な現象として
捉えていた痕跡が窺われます。
わずかながら、俳句にもその風情が認められます。
鐘撞いて 僧が傘さす 送り梅雨
森 澄 雄 1919〜2010
なかなか明けない梅雨・・・・・・。
地域によっては凄まじい水害も生じています・・・・。 ((((;゜Д゜))
災害などもたらすことなく、すみやかに止んでくれることを祈り、
てるてる坊主の歌を U P したいと思います。
て る て る 坊 主
作 詞 : 浅 原 鏡 村
てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
いつかの夢の 空のように
晴れたら 金の 鈴あげよう
( 大正10年 )
てるてる坊主は・・・・・、中国から伝わった風習です。
昔、北京にチンニャンという名の美しい娘がいました。
とても指先が器用で紙切り芸の名人として評価が高く、
その作品を求めて宮廷の人々が買いに来るほどでした。
ある年の夏、北京は凄まじい豪雨に襲われ、洪水に苦しめられました。
チンニャンは屋根の上にあがり、天界の龍神と交信します・・・・・。
「龍神様、お願いです! もう雨を降らせないで下さい」
「もし、おまえが天界に嫁ぐ気があれば願いをかなえても良いぞ」
「それで北京が救われるのなら・・・・・」
チンニャンの命と引き換えに、龍神は約束を果たします。
一陣の大風とともに娘の姿が消え、ほどなく晴天が戻りました。
それ以来、人々は天に消えた娘を偲び、雨の季節になると
門や軒先などに紙人形を祀るようになりました・・・・・。
それが転じて、日本のてるてる坊主になった・・・・・、とのことです。
(´・ω・`)
皆様のお言葉をお待ちしています。
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伝承の庭
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新緑や薫風などが清清しく、初夏の風情を堪能できるこの時期・・・・・、
散策の後には、さすがに少々のどが渇きますよネ〜。
ちょうどうまい具合に・・・・・、今は新茶がおいしい季節です。
本日はお茶の歴史秘話などを・・・・・・・、少々。
わたくし夏林人が棲む東北地方は冬季の気温が低く、
茶樹の栽培には適さないため、うちの近くには茶畑がありません。
というわけで・・・・・、グリーン系の風景写真などをご覧頂ながら・・・・・。
まずは有名な茶摘歌など、反芻してみましょう。
茶 摘 み
作詞 作曲 : 不 明
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠
初夏の風景が目の前に広がるような素晴らしい歌です。
歌詞もメロディも非常にシンプルで、覚えやすく、心に残ります。
しかし・・・・・・!
日本の唱歌の中でも、深い謎に包まれた不思議歌のひとつです。
作詞者も作曲者も誰なのかまったく判らないのですから・・・・・。
明治45年の尋常小学唱歌に初出が見られます。
京都宇治地方に伝承されてきた茶摘歌が原型とされています。
新茶を摘む仕事の中から編み出され、人の口から耳へ伝わり、
茶畑という屋外ステージで歌い継がれてきた民謡と考えられます。
お茶・・・・・と言えば、導入者・栄西禅師の功績が思い起こされますが、
じつは、ほんとうの茶の開祖は明恵上人だったという説もあります。
明恵上人 1173〜1232
事情を説明します。
もともと茶樹と仏教は切り離せない縁があり、禅とともに日本へ伝来した
聖木の一種なのですが、その精神を裏付けるかのごとく、
平安時代の高僧たち・・・・、たとえば空海や最澄も茶樹にあこがれ、
その栽培を試みていたという逸話があります。
なかなか定着しなかったようですが・・・・・・。 (´-ω-`) う〜む
鎌倉時代初期に入って、栄西が中国から茶の種子を持ち帰ります。
栄西自身の茶の栽培実績がどの程度のものか、よく判らないのですが、
とにかく栄西は弟子の明恵上人にも種子を分け与えます。
栄西 「これ、茶樹の種だよ」
明恵 「へえ〜〜〜〜〜!」 ((((;゜Д゜))
明恵上人はその貴重な種子を京都栂尾で栽培し始めます。
そして、相当な手ごたえをつかみます。イケルなぁ〜!(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
明恵上人はさらに栽培の地を探して京都南部を彷徨います。
種子の入った大きな布袋を背負い、馬をポクポク走らせました。
ある日、畑で農作業をしている農家さんに出会います。
そして、茶樹を栽培したいので畑を貸してほしいと願い出ます。
困ったのは農家さんのほうでした。見たことも無い作物をいきなり植えるのは、
相当な勇気が要ります。どうしようか、このお坊さんには参ったナァ・・・・・。
すると、明恵上人は馬に乗ったまま畑の中に入り、蹄の跡をつけて、
この窪みに種子を蒔いて下さい・・・・と告げ、立ち去って行きました。
これが 宇治茶の始まり・・・・ と 言い伝えられています。
(´・ω・`)
栂尾の尾上の茶の木 分け植えて
あとぞ生うべし 駒の足影
明 恵 上 人
やっぱり日本人はお茶だネ〜!
皆様のお言葉をお待ちしています。
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2月28日は「 ビスケットの日 」・・・・・・・・。
恥ずかしながら私の場合、つい最近になってその記念日の由来を知りました。
どうやら幕末の蘭医に深く関わっていたとのことで・・・・・、
本日は「ビスケット」&「柴田方庵」などのお話を・・・・・。
ビスケットの歴史を遡れば、かならず古代バビロニア世界に辿り着きます。
メソポタミア文明から受け継いだパン製法技術を応用し、2度焼くことによって
保存性を高めたものが・・・・・・、ビスケットの元祖なのだそうです。
バビロニア 〜 ギリシア 〜 全ヨーロッパ のルートで伝播し、今では
全世界の人々に愛される食品になりました。
これらの似通った言葉には「2度焼く」という意味が込められています。
よく焼き固めて、保存食としての機能を高めたものと考えられます。
ちなみに大航海時代の船には大量のビスケットが積み込まれていたとか・・・・・。
日本への伝来は江戸時代末期と言われています。
ビスケットに関する日本最古の記述としては『方庵日録』が挙げられます。
幕末の長崎・・・・・。 蘭学者・医師として活躍していた柴田方庵のところへ
故郷常陸の水戸藩から特殊な依頼が舞い込みます。
・・・・・・・西洋の保存食を学んで、その製法を伝えてください〜!・・・・・・
柴田方庵は長崎に滞在中のオランダ人からビスケットの作り方を学び、
文献にまとめて、水戸藩へ送付しました。 1855(安政2年)2月28日。
西洋保存食「 ビスコイト製法書 」 の送付・・・・・、この史実に基づいて、
日本ビスケット協会が定めた記念日が「 ビスケットの日 」・・・・・とのことです。
日本ビスケット協会
この写真は「クッキー」として販売されていたものですが、
ビスケットとクッキーの定義は世界の国や地域によってバラバラであり、
明確な統一基準など何も無く・・・・・・・・・、
それぞれ勝手に作って勝手に命名しているのが実態のようです。
同じ焼き菓子を指さして、イギリス人は「ビスケット」と発音し、
アメリカ人は「クッキー」と呼び・・・・、とにかく、それを食べてしまうのです。
比較的几帳面な民族である日本人は、ビスケットとクッキーを分けて、
はっきりと定義づけしているようです。
グルテンがやや多めの小麦粉を使い、牛乳、砂糖、塩、バター、などを加え、
よく練りこんでから薄く固く焼いたもの。保存食的な焼き菓子。
グルテン含有量の少ない小麦粉を使い、牛乳、砂糖、卵、バターなどを加え、
あまり練りこまず、サクサクした食感が楽しめるように厚く焼いたもの。嗜好品。
この基準はあくまでも日本的な基準です。
世界の基準はお国柄・歴史・食文化がそれぞれ多岐に分かれています。
そういえば・・・・、日本にも縄文クッキーがあったはず・・・・!
古代バビロニアよりも起源が古いかもしれませんゾ〜♪ 〜(((( °д°))
これは・・・・・、サブレのようです。ややバターが多いとのことです・・・・・。
珈琲によく合いますネ〜♪ ついつい手が出る・・・・・。 ☆(^∇^)ゞ
2月28日はビスケットの日です。
皆様の御言葉をお待ちしています。
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東北南部、ようやく暖かい陽射しを感じるようになりました。
積もっていた雪も融けたり凍ったりしながら、少しずつ春へ向かっています。
寒い季節はどうしても室内にこもって食べてばかりの日々が続き・・・・、
そのせいなのか不意にスプーンの来歴が気になり・・・・・、いろいろ調べ・・・・・。
・・・・・・というわけで、本日の話題は「スプーン」です〜!
冒頭に U P したの写真は夏林人の手彫りスプーンです。
庭木を伐り、ナイフや彫刻刀を用いて形を整えてみました。
名付けて「弥生式スプーン」・・・・・・・・・。
世界のスプーンについて、いろいろ調べてみたのですが、
それぞれの文明エリアでかなり古くからスプーンが使われていたようです。
ヨーロッパではすでに新石器時代から動物の骨を加工してスプーンをつくり、
実生活に取り入れていました。おそらく獣肉や魚肉を食べる時に肉を削り取る
ような用い方をしていたのではないかと想像されます。
紀元前古代中国でも同様に骨製スプーンが使用されていました。
約7500年前の黄河流域の遺跡から骨スプーンが出土しています。
また、春秋戦国時代頃には陶製のスプーン、すなわち散蓮華(レンゲ)が
発明されました。その後、レンゲは中国のみならず日本を含むアジア広域で
使われるようになりました。
日本語ではスプーンのことを匙( s a z i )とも呼びますが、
これはあきらかに中国語の影響を受けています。
中国語
匙( c h i ) 匙子( c h i z i ) 茶匙( c h a z i ) 湯匙( t a n g c h i )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・というわけなのです。
日本におけるスプーンの歴史は、一説によれば石器時代から存在したとも
言われているのですが・・・・・、はっきりとした物的証拠に基づいているのは
やはり弥生時代説になります。
鳥取県青谷上寺地遺跡から弥生時代に作られた木製スプーンが出土しています。
すでに稲作が定着し、青銅器や鉄器が伝来していた時代なので、木を加工して
スプーンをつくることは比較的容易であったと思われます。
米や雑穀を炊いて雑炊風に仕上げ・・・・・・、
それをスプーンで掬って食べたのでしょう。
世界に視点を戻しますが、金属製のスプーンは古代エジプト文明や
メソポタミア文明ですでに実用段階に入っていたのだそうです。
象牙や木製のスプーンもありましたが、金属加工技術が発達していたため
青銅のスプーンが使われていました。
ところで、スプーン( s p o o n )の語源は・・・・・・・、古代アングロサクソン語の
「かけら」「木片」を意味する s p o n に由来するのだそうです。
これとは別な系統として、ギリシア語「貝」を意味するコクロスや
ラテン語「かたつむり」を意味するコクレアなどの言葉が転訛して、
フランス語のキュイエール、イタリア語のクッキャーイオが生れたのだそうです。
ちなみにタガログ語ではスプーンを・・・・・・、クッチャーラと呼びます。
まるで日本語みたいな響きですネ・・・・。 喰っちゃうのら〜! (・ω・)
スプーンは・・・・・・・・・・・・、
人類が発明した道具の中で
もっともシンプルで美しく・・・・・・、
実生活の役に立つ傑作です。
皆様の御言葉をお待ちしています。
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東北南部、比較的穏やかな日が続いています。
辰年になったら必ず u p したいと密かに願っていたテーマがあります。
辰・・・・・龍・・・・・龍宮・・・・、浦島太郎〜!
本日のテーマは日本童話最大級の謎に迫ります〜!
むかしむかし〜、浦島は〜、助けた亀に連れられて〜♪
文部省唱歌にもなり、古くから絵本で読み継がれた名作「浦島太郎」。
しかし、この作品には深い深い謎があり、それは今日も解かれていないと
さえ言われています。まずは、一般に流布されている「大衆版:浦島太郎」の
あらすじを書いてみます。
浦 島 太 郎
『 御 伽 草 子 』
むかしむかしあるところに浦島太郎という青年が住んでいました。
あるとき、浦島太郎が海岸を通りかかると、近所の子供たちが集まって
一匹の亀を虐待していました・・・・・・。
「君たち、そんなことをしたら可哀想じゃないか〜」浦島が問いかけます。
「俺たちが拾った亀だ、何をしても自由だ」と、子供たち。
「それじゃ、その亀を売ってくれないか?」浦島はお金を出しました。
「あ・・・、それなら、譲ってもいいよ」
浦島太郎は買い取った亀を海に逃してやりました。
数日後、浦島が海で釣りをしていると、一匹の亀が姿を現わしました。
「浦島さん、先日は危ないところを助けていただき、感謝です〜」
「あ・・・、先日の亀さん〜、お元気そうで」
「お礼に龍宮へ案内したいのですが・・・・・」
「龍宮って・・・? どこにあるの?」
「さあ、わたしの背中に乗ってください〜」
浦島太郎を乗せた亀は深く海中に沈み、海底のお城へ向かいました。
「こちらが龍宮城です」
「立派なお城だナァ〜♪」
案内されるまま進んでいくと、龍宮の主人と思われる美しい姫様が出迎えました。
「ようこそ、龍宮へ。うちの亀を助けてくださったとのこと、感謝いたします」
乙姫という名の超美人でした・・・・・。
案内された部屋は四方四季の庭・・・・と呼ばれる全時空的アート空間で、
春夏秋冬がすべて楽しめるような仕掛けになっていました。
美食&美酒&音楽など・・・・、とても楽しい接待を受けながら、
しだいに浦島太郎の時間感覚はあいまいになっていきました。
そろそろ帰らなくちゃ・・・・・。
浦島が帰宅の願いを申し出ると、乙姫は淋しそうな顔をしました。
仕方なく承諾し、乙姫は土産の箱(玉手箱)を手渡しました。
「もし龍宮へもどる気持ちがあるのでしたら、この箱は開けないで下さい」
謎めいた言葉に狼狽しつつ、浦島は地上の世界へと帰還しました。
ところが・・・・・、
浦島が居ない間に故郷の姿は変わり果て、肉親も他界していました。
出会う人は見知らぬ人ばかり・・・・・。
自分の住居跡と思われる塚へ行くと、そこには古い石碑があり、
浦島太郎の名前も刻まれていました・・・・・。
通りかかった古老に事情を聞くと、はるか遠い昔に海の彼方に消えた
失踪者・浦島太郎の言い伝えがこの石碑に書かれているのだヨ・・・・・、と。
世の中との関係をすべて失い、放心状態になった浦島太郎は
最後の手がかりである玉手箱のフタを開けました。
すると中から白煙がもくもくと湧き上がり・・・・・・、
あっという間に浦島太郎は老人になってしまいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(・ω・)?
あれ・・・・? 何か変な余韻が残りますネ〜。
せっかく亀を助けたのに、善人であるはずの浦島太郎が自分の人生を
失うという最悪の悲劇で物語が閉じてしまうのは何故か・・・・・。
なぜ箱を開けてはいけなかったのか・・・・・。
これには深いワケがあります。
これは室町時代に成立した『御伽草子』の中に組み込まれている「浦島太郎」
なのですが・・・・、もともとの純粋なオリジナルとは異なる内容であることが、
すでに文献調査で判明しています。
オリジナルは 『日本書紀』 『丹後風土記』 『万葉集』 など諸説ありますが、
成立年代は7〜8世紀頃の編纂書物であり、室町時代の『御伽草子』よりも
はるかに古いお話なのです。
参考までに 『丹後風土記』 の内容を紐解けば、
水江浦嶋子(浦島太郎)は亀を助けのではなく・・・・・、
ただ普通に釣りの最中に一匹の亀を釣り上げます。そして、
その亀が仙女に化けて浦嶋子を誘惑する物語なのです。
向かった先は海底ではなく・・・・・、海上の蓬莱山。
しかも、最後に箱を開けるシーンは、
たちまちの間に芳しき蘭のごとき体
風雲にしたがひて蒼天に翩り飛びき
・・・・・・・・・・・・・という感じなのです。
白い煙は出ていないのです。 〜((((((((( °Д °;))! まさか・・・・。
つまり・・・・、わたしたちは室町時代に書き換えられた 『新・浦島太郎』 を
読んでいたに過ぎなかったのです!
本来のシュールで神仙的な濃厚ラブストーリーが道徳的配慮なのか、
勧善懲悪&亀の恩返し的な報恩譚へと変貌を遂げてしまったのです。
強引に書き換えたので、不自然なストーリー展開に・・・・・。 残念〜!!
それでは、オリジナルに書かれた世界は何に基づいていたのだろうか?
史実か、幻想か、・・・・・という疑問が残ります。
このあたりが重要なポイントのように思われます。
最古の原典 『丹後風土記』 に書かれた文章は古代の書物編纂官・
伊預部馬養連(いよべのうまかいのむらじ)が丹後国の土地に伝わる
口伝を取材したメモから成り立っていると言われています。
丹後国日置里筒川・・・・・、現在の地理で言えば京都府伊根町あたりに
漁師・水江浦嶋子(みずのえうらしまこ)が住んでいました。
彼の神秘的な体験談こそが、ほんとうの「浦嶋伝説」なのです。
恩返しの美談ではなく、異界との接触、美女との恋、そして時空の歪み・・・・。
まさに古代のシュールレアリズムだったのです!
古代中国の老荘思想や神仙世界の影響か・・・・と結論づける学説も
多々見受けられますが、もうひとつ興味深い事実があります。
数年前、TV「アンビリーバボー」でも紹介されたのですが、
はるか昔、南洋ミクロネシアのポナペ島に流され漂着した日本人が
ムー大陸文明圏の末裔と接触し、華やかな日々を過ごしたあと、
再び苦難の航海を経て日本へ戻った・・・・・、
それが浦島太郎伝説なのではないかと・・・・・・。
ポナペ島の近くには「聖なる都市」という意味の海に沈んだ古代遺跡があり、
かつてナン・マドールと呼ばれた王族たちの海上都市があったことは
よく知られています。石の文明であり、その石からは強い磁気が発生するため
時間や方位の感覚が狂うと現在でも恐れられています。
ナン・マドールが龍宮城だったのではないか、・・・・・・と。
ここからは・・・・・、夏林人の夢幻仮説をご紹介します。
【 夢 幻 仮 説 】
ナ ン ・ マ ド ー ル 龍 宮 奇 譚
妄想ナビゲーター : 夏 林 人
むかしむかし、丹後国の漁村に水江浦嶋子という若い男が居ました。
ある日、浦嶋が海岸を歩いていると、浜辺に打ち上げられた不思議な魚を
目撃しました。それは珍しい深海魚・リュウグウノツカイでした。
「天変地異の前触れだと・・・、聞いたことがある」
浦嶋は何かが起こると予感しました。海のことが気になり、愛舟・亀号を出し、
あたりの様子を見て回りました。すると、急に潮流が変わり、沖へ沖へと
押し流されてしまいました。いくら漕いでも岸から遠ざかるばかり・・・・。
何日も流され続け、ようやく辿り着いたのははるか南洋のポナペ島でした。
そこにはムー大陸文明の末裔である王族たちが暮らしていました。
荒波に揉まれ食料も尽きていた浦嶋は王族の娘・オトフィネに助けられました。
オトフィネはとても美しく優しい娘でした。
美食&美酒&音楽・・・・・、浦嶋は悦楽の境地を味わいました・・・・。
そして浦嶋とオトフィネは恋仲になりました。
「日本名で乙姫かな・・・」などと浦嶋は妄想しました。
おだやかな人々に恵まれ、宝石のような景色の中で、歳月が流れました。
日本とは生活様式が異なり、暮らしのリズムも違うためか、
時間の感覚が狂っているようにも感じられました。
そして、不意に浦嶋は「リュウグウノツカイ」のことを思い出しました。
「そうだ、日本に帰らなければ・・・・、何か天変地異が・・・・」
浦嶋はオトフィネに事情を説明し、母国へ帰る意志を伝えました。
オトフィネは深く悲しみましたが了承し、別れのしるしに箱を渡しました。
「この箱には大切なものが入っています。開けないでネ」・・・・と。
島から島へ、厳しい航海の果てに、浦嶋は日本へ戻りました。
ところが・・・・、浦嶋の目に映った風景は・・・・、
大きく変わり果てた故郷の姿でした・・・・・。
大地震が起こり、津波で町が破壊されていたのです。
かつて自宅であった土地に家は無く、墓標が立てられていました。
通りかかった古老に尋ねると・・・・、
「むかし、水江浦嶋子という若者が居たが神々の住む海上の蓬莱山へ向かい
二度と戻らなかった。その直後に大津波がこの町を襲った。海神の祟りじゃ」
浦嶋は悲しみのあまり孤独な旅に出ました。
香川県の三豊市、愛知県の武豊町、長野県の上松川・・・・・。
行った先々で出会った人に浦嶋伝説を語りました。
まるで失われた人生を取り戻すかのように・・・・・・。
ある日、意を決してオトフィネからもらった小箱を開けてみました。
中には香りの良い蘭の花が入っていました。
すでに干からびていた為、急に吹き込んできた風を受けて、
天高く舞い上がりました。ああ〜、乙姫 〜 ♪
浦嶋は南の島の暮らしを懐かしく思い、オトフィネを恋しいと思いましたが、
すでに白髪も増え、老境に差し掛かっている自分には、
再びあの厳しい航海には耐えられないことも悟っていました。
箱の中には圧縮された時間が閉じ込められていた・・・・、
いま、フタが開けられ、すべては無に帰したのだ・・・・・と。
浦嶋老人のココロにはそのように映し出されたのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( おいまい )
【 リ ュ ウ グ ウ ノ ツ カ イ 】 挿 絵 : 夏 林 人
【 日本各地に現存する浦島太郎伝説の地 】
亀が祀られている「亀戎社」があります。
される「玉手箱」が秘蔵されています。
皆様の浦島太郎体験をお聞かせ下さい。 |





