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ユキノシタ <photo> by : Kalinjin .K
東北南部、梅雨入りのようです・・・・・。
季節植物の話題を予定していたのですが、ちょっとその前に・・・・・、
政府広報の重要な方針が聞こえてきましたので、
本日は特別企画「大飯原発再稼動」のお話など、少々。
先日の政府会見にて、野田首相は大飯原発再稼動の方針を明言しました。
夏の電力が不足するから トカ、日本経済が立ち行かなくなるから トカ・・・・、
あ・・・・・、またしても場当たり的発言・・・・・・。
首を傾げた方々も多かったのではないでしょうか? ( ̄ー ̄;).....ありゃ ?
日本国民のみならず全世界の人々が注目しているのは、
未曾有の震災と原発事故を体験した日本がこの先どのような再生プランを描き、
どのような新国家像を築き上げていくのか・・・・・、ズバリそれだと思うのです。
夏の電力不足が・・・・・ トカ、そのような次元の問題ではなく、
脱原発後の具体的なエネルギー政策をはっきり示して、
世界最先端のエコ国家を具現化しなければ・・・・・・・、
いつまで経っても放射能汚染国の汚名を払拭できないはずです。
残念ながら野田首相の発言には論理の飛躍&矛盾があります。
これほどまでに壊滅的な原発事故が発生し、底に穴が開いた福島の原子炉は
未だ修復されず汚染水が漏れ出ている・・・・・。その状況を原発事故収束と断言、
いかにも次のステップへ進めるような雰囲気作りをしておいて・・・・・・・・、
安全性が未確認であるはずの大飯原発を再稼動しようとしているのです。
しかも、再稼動の理由が・・・・、電力不足・・・・、というのだから滑稽です。
その着想は国の財政が厳しいから消費税アップ・・・・とまったく同じパターン。
原子力発電という装置そのものが人類にとって良い機械なのか否か、
まず根本的な議論をしっかり行ってからでなければ、軽々しく再稼動などと
発言してはならない・・・・・ ト、私は思います。 ( `・ω・´)
根本的な考え方として・・・・・・・。
私たち人類は都市空間のデザインを最初から間違えていたのではないか、
と、今こそ再検証すべき時期に突入しているノダと思うのです。 ノダ!
自然を破壊し、土地を平坦に均し、コンクリートとアスファルトで造った人工楽園。
その巨大な密閉空間において快適な暮らしを保つ為には、夏の冷房、冬の暖房が
当然のことながら不可欠になり、大量の電力を要するようになってしまったのです。
人間のための電力ではなくて・・・・・・・・・、
都市空間のために膨大な電力が費やされているのです・・・・・! ((((;゜Д゜)))
そのための原発再稼動・・・・・・。技術と幸福のパラドックス・・・・・。
この奇妙な現状は・・・・・、現代社会のあまりにも今日的な寓話です。
都市建築の初期において、もっと風の通るビル構造を研究するとか、
建造物全体をツタやヘチマなどで蔽うことができる仕掛けを施すとか、
何か工夫すれば良かったはずなのですが・・・・・・。
結局、政府も企業もオール電化の妄想に酔い痴れていたのです。
いま、やるべきことは・・・・・・・・・、
原発という前世紀の遺産を点検再稼動するようなことではなくて・・・・・、
自然界の中に融け込む新しいタイプの都市空間をデザインしなおすこと、
なのではないか・・・・・・・、と私は思っています。 (´-ω-`)
それができれば・・・・・・・・、
技術のパラドックスから脱皮することも夢物語ではないような気がします。
私たちひとりひとりが・・・・・、
方舟さくら丸の船員です。
皆様のお言葉をお待ちしています。
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天災の庭
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<photo> by : Kalinjin .K
あれから1年・・・・・・・・・・・・・。
東日本大震災発生の日から1年の月日が過ぎ去ろうとしています。
東北復興の道のりは長く遠く、まだまだ多くの問題が残されていますが、
ひとつひとつ着実に生活の正常化が図られ、前進しています。
震災で亡くなられた方々の魂を鎮める為に・・・・・・・・・・、
そして、生き残った人々のココロを癒すために・・・・・・・・・、
先人たちの言葉を追悼墨蹟として刻みたいと思います。
天災は忘れた頃にやってくる
b y : 寺 田 寅 彦
道徳なき経済は犯罪である
b y : 二 宮 尊 徳
国は土で出来ているのではなく
人々の心で出来ている
b y : タ ゴ ー ル
市場があれば 国家は要らない
b y : 藤 原 新 也
大道廃れて 仁義あり
by : 老 子
神は無為にして万事を為すも
人は万事を為して 一事をも為しえず
b y : 福 岡 正 信
百官は一民にしかず
b y : 夏 林 人
皆様の御言葉をお待ちしています。
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<photo> by : Kalinjin .K
早いもので、東日本大震災発生日から 11ヶ月の月日が過ぎ去ろうとしています。
ようやく復興庁の設置も決まり、福島市では主に公園などで表土の除染作業が
進められています。 あまりにも遅い対応に市民も放心状態です・・・・・。
本日は社会派の記事・・・・、「大正の奇跡」をお届けします。
現代の震災復興諸問題を考える時、ただ漠然と悩んでいても仕方ありませんので、
昔の事例を参考にしながら、温故知新のアプローチを試みることも大切です。
1923年( 大正12 )、9月1日、わが国の首都東京は巨大地震に見舞われ、
壊滅的な打撃を受けました。広範囲で建物は崩壊、連鎖的に火災が起こり、
死者行方不明者は10万人以上、いわゆる関東大震災の発生です。
このとき政府中枢はとても深刻なパニックに陥りました。
無理もありません。震災の直前、8月24日に加藤友三郎首相が急死し、
内閣総理大臣は空位のままだったのです〜!
有力者が集まり、緊急会議の結果、山本権兵衛新内閣が発足します。
山本権兵衛は元薩摩藩士、海軍大臣、総理大臣を歴任した実力者です。
軍人ならではの危機管理能力が評価されての首相再就任となりました。
山本権兵衛 1852〜1933
壊滅的な打撃を受けた廃都を蘇らせる為には・・・・・、
まず中心軸を定める必要があります。山本は「帝都復興院」を創設し、
9月27日、復興院の総裁に後藤新平を指名します。
震災発生、緊急会議、復興院設立まで何と1ヶ月以内のスピード対応でした。
後藤新平はすでに台湾総督府長官、満鉄初代総裁、東京市長を歴任した
押しも押されもせぬ大実力者でした。とくに都市計画分野で業績があります。
後藤は瓦礫の山と化した東京を再生させる為の新しい都市計画案を練ります。
後藤新平 1857〜1929
後藤新平は考えます・・・・・。
単に壊れた建物や道路を直すだけでなく、新しい時代へ向けて脱皮すべきだ、
この際、水道や電気などライフライン共同溝も整備したほうが良いだろう・・・・・。
都市の再生事業には自信がある、しかし、今は災害で心身ともに衰弱した人々
を直接的に救わなければならない・・・・。
その為には、あの人の力が必要だ〜〜〜〜〜!
未曾有の震災を打開すべく、後藤新平は渋沢栄一に打診します。
第一国立銀行や東京証券取引所など日本の資本主義の基盤を作った
大人物・渋沢栄一に震災復興のヒントを求めたのです。
渋沢もこの要請を受ける形で、被災者の救済活動を始めました。
渋沢栄一 1840〜1931
立ち上がった渋沢の姿に驚いたのは、他ならぬ渋沢の側近の者たちでした。
・・・・・・この惨状では危険も多いので、いったん故郷の深谷へ戻られては・・・・・。
・・・・・・いや、こういうときにこそ世の為に尽力すべきなのだヨ・・・・・・・。
渋沢栄一、このとき83歳でした。
「炊き出し」「被災者収容」「災害情報掲示板」など八面六臂の大活躍で
困った人々を次々と救済しました。私邸を解放、食糧配給本部として機能させたり、
公費に頼らず私費を投入して、震災復興を進めていったのです。
渋沢栄一はこの未曾有の震災を体験し、「物質の復興」と「精神の復興」
両方を進めることが大事なのだヨ・・・・・・・、と語ったそうです。
自己保身や私利私欲に走る資産家を戒め、徳の重要性を唱えました。
ここで渋沢栄一の名言をご紹介します。
道 徳 経 済 合 一
b y : 渋 沢 栄 一
【 解 説 】 夏林人
人間は金のために生きているわけではない。
求められたことに対して応えることが仕事の本質であり、
人々のココロを満たすことをまず念頭に置くべきなのだ。
貨幣はそのあとについてくる。
経済はマネーゲームなどではないのだヨ。 (・ω・)
3つの要素が揃って、首都東京は現在の姿を取り戻したのです。
大正時代にできたことが、なぜ、今できないのか・・・・・・?
なぜ、11ヶ月もかかって復興庁設立なのか・・・・・・?
どうしても多くの疑問が残ってしまうのです・・・・ネ〜。 〜(((( °д°)) ひえ〜っ!
皆様の御言葉をお待ちしています。
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<photo> by : Kalinjin .K
いよいよ師走・・・・・・・。 福島県在住の夏林人にとって、3月の震災以降、
2011年はほんとうに激動の一年でした・・・・・。 そして、
今も、まだ終わっていない問題が山積みです・・・・・。
本日はやや深刻な話題です。スルーしていただいても結構です・・・・・。
冒頭の写真は福島市大波地区の風景です。
夏林人の自宅からクルマで15分程度の場所にあります。
すでに報道等でご承知かと思いますが、ここ大波地区で栽培されたコメから
国の基準値を超えるセシウムが検出されました。
放射能汚染さえなければ静かで良い村なのですが・・・・。
今、何が問題か・・・・・、率直に説明したいと思います。
結果として、福島県知事が出した農産物の「安全宣言」はいったい何に
基づいて解析された知見だったのか・・・・・・ということなのです。
私はこの調査解析に関与していなかったので、詳細は不明ですが、
土壌にしても農産物にしても、かなり荒っぽいサンプリング方法で抽出し、
強引に結論を導いたような印象が強く残ります。
大波地区については当初、たった2箇所のサンプリング調査で検査数値が
基準値以内だったことを根拠に、154農家(計4752袋)のコメをあっさり
出荷O Kにした・・・・・とのことです。
その後、詳しく調べたところ、131袋から基準値を超えるセシウムが
検出されたのです! 最大で1270ベクレル・・・・・。
もう、これは風評云々の話ではなく、あきらかに有害食品です。
本来、全農家全農地を調査対象とすべきですが、県の解析能力にも
限界があり、国から具体的な支援が無い状態では、なかなか理想の
調査環境が整わなかったものと思われます・・・・。
しかし・・・・・、やはり、県知事の「安全宣言」は早すぎたのではなかったかと、
私は思っています。何と言っても、大きな原発事故が発生した当年のコメです。
じゅうぶんに調査分析をしてから、安全宣言を出す・・・・・、それが正解なのです。
以前、私はブログにてND農産物流通制度を提唱しました。
同じ内容の提言を政府HPにも送っています。
極論ですが、セシウム0%をめざして努力しない限り、
福島県の農業に明るい未来は無いと思うのです・・・・・。
検査所が足りない? 検査員が不足している?
それは言い訳に過ぎません。しっかり国に交渉して、確実に予算を確保し、
全農家全農地全作物の検査をやらなければ・・・・・・。
失われた信頼はなかなか回復されないでしょう。
震災発生以降、今まで、何とか地元福島県を応援したいと思い、
さまざまな記事を書き続けてきたのですが、正直なところ、
ここ数日間、がっかりして落ち込んでいます・・・・・。
国も県も・・・・、何をやっているのかニャ〜???
でも、大丈夫〜♪ (=^・ω・^=)
まだまだ秘策を考えているところです。心は折れていませんヨ〜!
問題があればあるほど、それを解決する楽しみも増えるものです〜!
まずは、福島県知事さん、安全宣言を撤回して国民に説明してくださいネ。
それが信頼回復の第一歩なのですから・・・・・。
(追記 : 今回の話題は中通りの事例であり、会津地方のコメは安全です。)
皆様の御言葉をお待ちしています。 |
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<photo> by : Kalinjin .K
福島県福島市野田町から中継です・・・・・。
東日本大震災の発生から4ヶ月が過ぎ去ろうとしていますが、
復旧・復興の進捗にも明暗があり、パッと明るい兆しもあれば、
停滞したまま打開策の無いケースもあります。
写真をご覧いただきながら、福島の現状をお伝えします。
本格自家焙煎珈琲店 『 椏久里(あぐり) 』といえば知る人ぞ知る飯舘村の
名店です。コーヒー豆の種類も豊富で、焙煎、抽出等の技術もしっかりした
優良店だったのですが、このたびの原発事故の影響で、地元での営業が
成り立たなくなり、 経営者も福島市へ避難していました・・・・・。
いつになったら飯舘村へ帰れるのか・・・・・。
具体的な見通しが立たない現状が続く中、福島市内に空き古民家を発見、
改装して珈琲の七つ道具を運び入れ、この7月に再スタートしたのです。
復興を祝して、夏林人もこの店を訪れ、美味しい珈琲をいただきました。
天井の高い古民家の風情を残しつつ、椅子やテーブル等は欧風であり、
特有のクラシカルな雰囲気を味わうことが出来ます。
避難を余儀なくされた飯舘村の人々がそれぞれの近況を確かめるべく、
この店に集まってくるのです・・・・。
避難所で衣食住の支援は受けていたかもしれませんが、
そこでは得られない「ほんとうの心の交流」がこの店には成立しています。
このとき、とつぜん閃光のようなイメージが私の脳裡をかすめました。
それは日本の土着的共同体「講」「結」「惣」などの存在でした。
東日本大震災が起きた直後、諸外国のマスメディアが驚きながら報じたのは、
日本政府の対応ではなく、被災した東北人たちの秩序正しい姿でした。
大地震、大津波、原発事故・・・・・・、ライフラインは寸断され、食糧や水も不足する
最悪の状況においても、私たちは暴言を吐いたり暴動を起こしたりしませんでした。
なぜか・・・・・・・。
日本の某TVタレントは言いました。「東北人はガマン強いからね〜」
それは違います。たいへんな誤解です。
私自身、東北人なのですが、別にガマン強いほうではありませんし、
粘り強くもありません。 まあ・・・・・、ごく普通の現代っ子です。
それでは、なぜ非常事態を冷静に生きることが出来たのか・・・・?
その理由はおそらく・・・・・古くから日本社会の根底を形作ってきた土台、
すなわち「講(こう)」や「結(ゆい)」などの農村結社の文化がまだ消滅せずに
私たちの血の中に活き続けていたのではないかと・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・そんなふうに、私は思ったのです。
日本の社会は大昔から中央集権だったわけではなく、各地に夥しい数の
村が存在し、それぞれの村に「講」「結」などのグループが機能していました。
「講」はどちらかと言えば、信仰結社であり、たとえば月待などの組織は
十五夜・二十三夜などの定められた日の夜に集まり、飲食をともにし、
経を唱え、語り合い、月を拝む・・・・・・・・・・。そのような秘密の定例会が
比較的最近まで行われていたと言われています。 「結」はあきらかに労働経済的な結社であり、お互いに農作業を手伝ったり、
家屋の補修を行ったり、冠婚葬祭にも深く関わり合うグループです。
国の政策とは無関係に、現地には現地の自然発生的な土着法があり、
遠い遠い昔から、村人は助け合いの精神を持って生き抜いてきたのです。
近代化の波に洗われ、これほどまでに利便性が確保された現代においても、
流れる血のどこかに「講」や「結」の精神があったからこそ、この大震災時も
お互いに水や食糧を分け合い、声を掛け合いながら、千年に一度の苦難を
乗り越えることができたのです。
椏久里復活のような明るい兆しもあれば、なかなか復旧・復興が進まず、
3.11の震災当日のまま時が止まったかのような空間もあります。
写真は福島市南部にある新興住宅地の一郭です。
山を削り、凹凸を平らにする為に盛り土をして造成したらしいのですが、
このたびの大地震で凹の区域が脆くも崩れてしまったのです・・・・・。
たとえ建築業界が絶対の耐震性を謳ったとしても、地盤がゆるいと・・・・・、
結局、家屋がサイコロのように転がされてしまいます。
このあたりは4ヶ月経っても、まったく改善されていません。
東北全域の復興・復旧は・・・・・、まだ始まったばかりなのです。
皆様の御言葉をお待ちしています。 |





