〜 元祖 Kalinjin cafe 〜 夏林人の庭

★ ★ ★ ・・・・・・ 咲くも無心、散るも無心 ・・・・・・ ★ ★ ★

奥州の庭

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                                      <photo> by : Kalinjin .K
 
 
さて、唐突ですが・・・・・・、
 
皆様のお住まいの地域には明治・大正時代の建築など残されていますか?
 
数日前、私はふらりと福島盆地の北東部・保原町を散策してきました。
 
本日は明治時代の豪農奇譚などについて・・・・・少々。    
 
 
                     
 
 
時は幕末〜明治時代初期・・・・・・。
江戸時代が終焉し、わが国は港を開いて、諸外国と貿易を行うようになりました。
 
 
様々な輸出入品目があふれる中、とりわけ重要な意味を持っていたのが・・・・
生糸(絹糸)です。日本の生糸は諸外国において非常に高く評価され、
買い求めようとする欲求がそのまま当時の経済需要に結びついていました。
 
 
東北地方では福島県の県北・信達エリアが養蚕地帯として栄え、
福島盆地の北東部(桑折、梁川、伊達、保原)において養蚕産業が発展しました。
 
 
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桑を栽培して、蚕を育て、繭から糸を取り出し、生糸にする・・・・。
明治初期の頃はいわゆる生糸商人が八面六臂の活躍で取引を仕切り、
それで稼動していたわけですが、諸外国での評価が高まり、輸出量が増えると、
もう・・・・商人レベルでは間に合わなくなりました。 ((((;゜Д゜)))
 
 
明治時代中期〜後期、福島盆地に乱立した銀行の数は100を超えたとも
言い伝えられています。そして、明治32年、ついに東北初の日本銀行出張所が
福島市内に開設されました。町はたいへんな活況に湧き上がっていました。
 
 
その頃、生産地帯の農家さんたちは財力を蓄え、豪農への道を猛進中でした。
桑折町に亀岡正元という人物が頭角を現したのも・・・・・・その頃です。
県史に養蚕家・政治家として名を残し、当時珍しかった洋風建築も建てました。
 
 
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明治30年頃に建てられた擬洋風建築です。
明治〜大正〜昭和まで桑折町にあったものを、諸事情により平成に入って
保原町に移築したものです。記念館として一般開放されています。
 
 
どことなくルネサンス様式を意識したような痕跡が見受けられます。
当時はまだ東北にはほとんど洋風建築などありませんでしたので、
絵や写真などを参考に大工さんが苦心した姿が目に浮かぶようです。
 
 
建築評論家の中には、これらの擬洋風建築を揶揄する人もいます。
本物のヨーロッパ建築とはかなり異なる偽物の類だと・・・・・・。 (´-ω-`)
 
 
しかし・・・・・、私は個人的に擬洋風建築を高く評価しています。  
明治時代という激動・激変の時代に生きた人々の精神や社会の空気感が
これらの建造物にぎっしりと宿っているように見えるからです。
 
 
この旧・亀岡邸も外観こそ洋風に飾っていますが、
内部はほとんどが畳部屋です。昔懐かしい和の空間が広がっています。
黒柿、花梨、黒檀、鉄刀木、埋もれ木・・・・等々の銘木も随所に用いられ、
彫刻などの意匠も凝っています。
 
 
 
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どんどん時の迷宮に入り込んでいくような感じがします・・・・・・。
鎖国政策の廃止、西洋文明の流入、ハイカラという名の混沌・・・・・・。
アジア圏から脱皮し、西洋圏に加わろうとする反面、心の奥には和の魂・・・・・。
 
 
いわゆる和魂洋才・・・・・。
 
 
いや、今回の散策で、ふと・・・・・・私が思ったのは・・・・・、
私たちは明治の延長上に今も生きているのではないのか・・・・・・と。
じつは・・・・・、そのアンバランスな生活観は今も変わっていない・・・・・。
西洋の仮面をかぶった東洋人・・・・・、日本人・・・・・・。   
 
 
昭和初期の世界恐慌によって海外市場の需要を失った養蚕業は、
その後、化繊等の代替品に駆逐され、急速に衰退しました。 
 
 
日本の絹糸は・・・・・、いま、絶滅寸前ですネ。  
時代の変遷をしみじみと感じる次第です・・・・・。  (´・ω・`)
 
 
 
                      
 
 
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  ざんぎり頭を叩いてみれば・・・・・
 
      文明回顧の音がする・・・・・・。
 
                               (*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
 
 
 
 
皆様のお言葉をお待ちしています。     (=^・о・^=) にゃ〜
 
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                                     <photo> by : Kalinjin .K
 
 
新緑がとても爽やかな季節です・・・・・。
 
数日前、福島盆地の北端に位置する半田山をぶらりと散策。
 
地元の人はよく知っていますが、ここは歴史の古い場所です。
 
本日は風景写真を見ながら、その歴史などについて少々・・・・。   
 
 
                     
 
 
半田山(はんだやま)は福島盆地の北端、桑折町のシンボル的な山です。
ほとんど宮城県境と言って良いでしょう。
 
 
この山は江戸時代から銀山として栄えた地域で、島根の石見銀山、
兵庫の生野銀山と並び日本三大銀山として栄えた、日本屈指の鉱山です。
 
 
現在は総人口1万2千人ほどのひっそりとした静かな田舎町に見えますが、
江戸時代〜明治・大正時代までは銀パワーでたいへんな活況を呈していました。
 
 
銀・金・鉛・亜鉛など複数の金属が採取される優良な鉱山だったのです。
昭和25年に閉山、今は採掘事業は行われていません。
 
 
機械部品の溶接に用いられるハンダ(鉛と錫の合金)は、
この半田山の歴史に由来するとも伝えられています。
 
 
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標高863m、福島市内の平地とは異なり、山頂付近は気温もやや低く、
深山の野草として名高いシラネアオイなども自生しています。
 
 
また、このあたりには野生の鹿や猿も棲んでいます。
 
 
そして、山頂よりやや低い位置に、深い森に囲まれた神秘的な沼、
・・・・・・半田沼という美しい沼を見ることができます。
 
 
 
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地元の人々は「沼」と呼んでいますが、6 h a という広さと水の美しさを
評価すれば、沼ではなく「湖」に近いような印象さえ感じます・・・・。
 
 
湖畔の近くに案内施設やバンガローが数軒あるだけで、
そのほかには人工的なものが何もありません。
 
 
大自然にみなぎる氣が体内に入るときの快感を覚えます・・・・。
科学的な説明を抜きにしても、ここに氣が満ちていることを確信します。
 
 
何という清清しい・・・・・、この神仙世界〜!!   (o*~∇~*) 
 
 
                           
 
 
 
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    いにしえの 半田の森に 奥入れば
 
         湖面に光る  石の夢影
 
 
                                夏 林 人    
 
           
 
皆様のお言葉をお待ちしています。      (=^・о・^=) ニャ!
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                                    <photo> by : Kalinjin .K
 
 
東北南部、爽やかな初夏の候に入りました。
 
春先から西行の和歌などに触れてきたのですが、平安つながり・・・・
 
ということで地元の平安時代奇譚を掘り起こしてみようかと思います。
 
観光パンフレットには無い隠れ里の不思議なお話です。 
 
 
                      
 
 
時は平安時代後期・・・・・・、天喜年間の頃です。
 
 
当時の日本は今のような統一国家の形は成しておらず、
京都を中心形成された朝廷制度と・・・・・、
東北の奥六郡(今の岩手県)を中心にした陸奥国が・・・・・、
お互いに相手を異国視していました。
 
 
歴史にも記された前九年の役とは、朝廷軍 VS 東北軍の壮絶な戦争でした。
じっさいは12年間続いたので、奥州十二年合戦とも呼ばれています。
 
 
岩手の武将・安部頼時(よりとき)の軍は東北を南下し、
今の福島県二本松市に陣を張り、北上してくる朝廷軍を睨みます。
 
 
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            福島県二本松市下川崎 馬隠神社の裏
 
 
 
そこへ後冷泉天皇から「東北を統治せよ」と命じられ、陸奥守の立場で
都を出た将軍・源頼義(よりよし)の一行がたどり着きます・・・・・。(1053年)
 
 
しかし・・・・・・!  
 
安部氏の軍は予想をはるかに超えて手強く、東北への侵入を拒みます。
朝廷軍は散々に打ち破られ、もはや源頼義と数名の従者を残すのみ・・・・・。
 
 
この戦を不利と見た源頼義はやむを得ず一時退陣を決めます。
そして、通りかかった神社に立ち寄り、戦乱が治まることを祈ります。
 
 
 
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源頼義たちが帰ろうとしたとき、馬の姿が見当たらず、狼狽させられます。
近くを捜索したところ、馬は笹薮に身を沈めて笹を食べていました・・・・・。
 
 
無事、朝廷軍は京都へ帰ることができたのですが、
その後、福島の現地では不思議なことが起こります・・・・・・。  
 
 
馬が笹を食べた場所に笹が生えなくなったのです・・・・・!
その場所はいつしか笹無山と呼ばれるようになりました。
 
 
また、馬が消えた事件に由来して、この神社は「馬隠(まがくし)神社」
との呼称が定められました。現在もその名で呼ばれています。
 
 
 
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                    馬 隠 神 社
 
 
 
この地・・・・・、二本松市下川崎は地形的に道順が判りにくいこともあり、
ほとんど観光地化されずに大昔の姿をそのまま留め、ひっそりとしています。
いまも外来者の姿は無く、隠れ里的な空間の中で静かに時が流れています。
 
 
この地に住む人々が代々、平安時代からの奇譚を受け継いできたのです。
 
 
おそらく全国を歩いて調べれば、このような隠れ里がたくさんあるのでしょう。
歴史の教科書には書き込まれず、観光パンフレットにも載らない土地が・・・・。
 
                                       (´・ω・`)
 
 
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    日本の隠れ里は今も生きている・・・・・。
 
 
 
 
 
皆様のお言葉をお待ちしています。     (=^・о・^=) にゃんころりん〜
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                                        <photo> by : Kalinjin .K
 
 
東北南部、秋祭りがスパークしています。
 
福島の県都・福島市では、10月8日、9日、10日・・・・の3日間、
 
福島稲荷神社例大祭が催されました。神社周辺には露店が建ち並び、
 
市民が見守る中、36町会への神輿渡御(神事)も行われました。
 
9日の夕刻には、氏子各町会が保有する山車が駅前通りに集結し、
 
勇壮な連山車の姿が見られました・・・・。    
 
 
                          
 
 
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福島稲荷神社は福島市の中心に建てられたシンボル的神社であり、
社伝を遡れば、とても古い時代のエピソードへつながります。
 
 
987年(永延元年)、朝廷と深い関係にあった陰陽師・安倍清明は
奥州への下向の際に、吹島の里(福島)へさしかかります。   
 
 
そこで、専門家特有の性というか・・・・・・、この地の山や川の特徴を
よく調べて、風水的な診断を試みたのです。
北に信夫山、西に吾妻連峰が聳え、東南には阿武隈川が流れています。
 
 
風水診断を終えた安倍清明は地形のバランスを考慮しつつ、
稲荷神社の原型となる神社を建てたと伝えられています。
( 勧請=分霊は 大阪・聖神社説と伊勢外宮の豊受比売大神説があります )
 
 
その後、本格的な社殿建造は安倍清明の孫が担当したのだそうです。
 
 
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9日の夕刻から夜にかけて、駅前に集まった20台の山車を見たとき、
わたく し夏林人はこの土地に宿る神々の化身を体感しました・・・・・。
震災のダメージを心配していたのに、まったく逆に凄まじいほどの氣が
山車を曳く人々の姿から揮発されていたのです〜!
 
 
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力強い太鼓の連打・・・・・。 軽やかな篠笛の響き・・・・・。   
そして、人々の掛け声・・・・・。神々の氣と人間の氣が交流する・・・・・。
 
 
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大震災、大津波、原発事故、風評被害・・・・・・・。
それらのすべてを払拭し、浄化し、新時代を開こうとする気迫・・・・・・・。
 
 
この福島市には、今も浪江町や飯舘村から避難してきた人々が
怒りや悲しみを背負いつつ、明日への希望・新しい可能性を信じて、
赤々と己の命の炎を燃やし続けています・・・・・・。    (・ω・)    
 
 
                      
 
 
 
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   氣が満たされてきたゾ〜  どりゃ〜 ♪
 
                                     (=^・ω・^=)
 
 
 
皆様の御言葉をお待ちしています。          
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                福島県川俣町の風景     <photo> by : Kalinjin .K
 
 
気温の上昇とともに自然界の緑も濃くなり、
 
森のなかで様々な昆虫たちが活動を始めています。
 
本日は「絹」「虫」「皇族」などをキーワードに、知られざる福島の文化を
 
探求してみたいと思います。ここにもパワースポット系の風土があります。  
 
 
                         
 
 
さて、いつものパターンですが・・・・・・、
皆様をタイムトラベルの世界にご案内いたします。    
 
 
時は6世紀・飛鳥時代、ところは大和国・・・・・・。
 
 
わが国の思想界や政界の黎明期に当たるこの時代は、
法も制度も不安定で国家の姿もまだまだ曖昧な状況が続いていました。
 
 
用明天皇、崇峻天皇、推古天皇、聖徳太子、蘇我氏、物部氏・・・・。
もし他の時代に生まれていれば、それぞれが立派な為政者として
政権を握ることが出来た人々です。    
 
 
しかし、神はこれらの登場人物を同地域・同時代に
配置しました。そのために、幾つかの悲劇が起こりました。
 
 
592年(崇峻5)、蘇我氏が送り込んだ刺客の手によって崇峻天皇は
暗殺され、おそるべき宮廷クーデターが成立しました。     
 
 
その後、推古天皇が即位し、聖徳太子がそれを補佐する体制が
整えられたのです。そして、日本は仏教国としての第一歩を
踏み出すことになりました・・・・・。
 
 
崇峻天皇亡き後、妃と皇子に危機が及びます。    
ぼんやりしていたら、蘇我氏に殺されてしまう可能性が大です。
 
 
このとき、崇峻天皇の息子・蜂小皇子は聖徳太子の特別の配慮で
密かに舟に乗り込み、出羽国へと亡命を果たします。
いまの地図で言えば、山形県鶴岡市です。
この地の山の姿にインスピレーションを感じた蜂小皇子は
山に籠もりながら村人の苦悩を取り除き、いつしか能除大師と
呼ばれるようになりました。      
 
 
これが修験道の聖地、出羽三山の開山・開祖秘話なのです。
 
 
ちなみに役小角も空海も、そのあとの時代に活躍した人なので、
時代考証としては日本修験道の元祖・開祖は蜂小皇子と言っても
差し支えないと考えられます。
 
 
話を元に戻します・・・・・。   
 
 
崇峻天皇の暗殺、蜂小皇子の失踪・・・・・。
たいへんな政変に遭遇して心身にダメージを受けたのは他ならぬ
妃・小手姫でした。そのまま大和に残ることは無理と考え、
皇子が向かったとされる東北地方へ出発します。
 
 
新幹線もクルマも無い時代です。
想像を絶する苦労があったに違いありません・・・・・・。     
 
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何とか福島・信夫里(現在の福島市)までたどり着くと、そこから数里ほど
山の奥に入った静かな村へ至り、荷物をおろしました。
おそらく蘇我氏の追っ手から身を隠す為に、主道から少し外れた地域を
選んだものと考えられます。  (現・川俣町)
 
 
たどりついた小手姫御一行の姿を見て、村人たちはたいへん驚きました。
服装や話し言葉の印象で「やんごとなき血筋の人々」であることは明白、
事情を理解した村人たちは御一行をあたたかく迎えました。
 
 
緑豊かな山々に囲まれたこの地は、奇しくも小手姫の生まれ故郷・大和国
高市郡川俣の里によく似ていました。
そのことが、この村の地名(川俣)の由来と伝えられています。
 
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               < 小手姫像 >  福島県川俣町
 
 
ある日、小手姫は近辺の野山を散策中、非常に重要な発見をします。   
野生のカイコ(天蚕)=ヤママユガが繭を造っている姿を見出したのです。
 
 
小手姫は心の中で叫びました。
・・・・・ 何も無い寂れた村だけど、天蚕があれば高級絹が生産できる・・・・・!
 
 
小手姫は村人たちを集め、養蚕・糸紡ぎ・機織の技術を伝授し、
この村が養蚕の産地として栄えるよう基盤を整えました。     
 
 
その後、川俣絹の生産は軌道に乗り、品質の高さゆえ糸好絹と呼ばれ、
江戸や京都へ運ばれるようになりました。
 
 
結果として、小手姫は息子の蜂小皇子には再会できず、
この地・川俣で生涯を閉じました。    
この町の女神山に丁重に葬られたと伝えられています。
 
 
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              < 小手姫像 >  川俣町中央公園
 
 
その後、時代の変革とともに絹の生産技術も向上し、
川俣は国内有数の高級絹生産拠点として栄えるようになりました。
 
 
ヨーロッパで高く評価される「ミカドシルク」は、ここ川俣が発祥の地である
という説もあります。結婚式で新婦が身に纏うドレスの最高級品として有名です。
 
 
天皇暗殺という悲劇を背負いながらも、北の隠れ里で養蚕文化を育んだ
小手姫の功績を称え、その存在は絹の神として祀られています。
その信仰は1400年が経過した今日も語り継がれているのです・・・・・・。  
 
 
 
                          
               
 
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              < 機織神社 >   福島県川俣町    
 
 
 
皆様の御言葉をお待ちしています。

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