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さて・・・・、4月8日はお釈迦様の誕生日です。
各地のお寺や仏教系施設でお祝いの行事が開かれます。
私自身はどこの宗派にも属さない、ただの釈尊ファンにすぎませんが・・・・。
本日は般若心経の成立秘話など、少々・・・・・・。
お釈迦様・・・・・・、ガウタマ・シッダールタ( 紀元前436〜383頃 )は
北インドとネパールの国境付近に生まれ、古代インド哲学から脱皮した
新しいココロの境地を見出した仏教の開祖です。
お釈迦様が生きていた頃は、話す相手の悩みや問題に応じて
直接的に釈尊ご本人が正しい道を説いていたので、
いわゆる経典のようなものはどこにも存在しませんでした。
釈尊入滅後、残された弟子たちは困惑しました。
大きな精神的主軸を失い、何を基準に生きていけば良いのか・・・・・、
わからなくなってしまったのです。 ((((;゜Д゜)))
そこで弟子たちは王舎城・七葉窟に集まり、生前の釈尊がどのようなことを
説いていたか、その具体的な思想を確かめようとしました。
これを「結集」と言います。いわば仏典編纂会議のようなものですが、
紙の文化が発達していなかった当時は、記憶力の優れた弟子が代表して
釈尊の言葉を詩のように吟じる形式であったと考えられます。
初期は口伝方式でも成り立っていたのですが・・・・・・。
元々は源泉が一つであるはずの仏教思想も時間の経過とともに、
勝手な解釈をする弟子たちが現れ、様々な部派に分裂し、
それぞれが椰子の葉に書き記した経典を持つようになりました。
これらの宗派流派は一元化されず、数百年に及んでインド社会を
彷徨い続けることになります。おそらく、その中には開祖の考え方から
乖離した摩訶不思議な教義もあったものと推察されます。
2〜3世紀頃、ようやくこの長きに渡る仏教的混迷にメスが入ります。
南インド出身、天才仏教僧・龍樹の登場です。
龍樹はこれまで整理されなかった仏教の教義をしっかりと体系化し、
開祖・釈尊からの思想的変遷を学術的に検証しました。
そして、改めて開祖の思想を重視し、「空」「縁起」などの理念を明確化しました。
ばらばらに枝分かれしたまま統一感の無かった仏教を再統合した、
この龍樹の努力はその後の大乗仏教に多大な影響を与えました。
4世紀頃、龍樹の思想は鳩摩羅什によって中国へ伝えられました。
5〜6世紀に入ると、いよいよ達磨大師( 第28祖 )がインドを旅立ち、
中国禅の開祖となります。母国インドでは衰退の兆しが見え始めた仏教が
中国で新しい芽を出し、伸びようとしていたのです。
そして、ついに7世紀がやってきます
7世紀は・・・・・、玄奘三蔵が活躍した時代です。
鳩摩羅什と並び二大訳聖と称された中国の訳教僧です。
玄奘はすでに広がり始めていた仏教文化を認めていたのですが、
仏教をより正確に理解する為にはインドの原典に回帰し、
もっと詳しく仏典研究をしなければならないと考えました。 (´-ω-`) う〜む
唐王朝が出国を許可しなかったにもかかわらず、国の禁を犯し、
インドへ向かいました。今のように交通機関など発達していなかった
時代なので、命がけの旅路です。その苦労は計り知れません・・・・・。
インドへ着いた玄奘は膨大な量の経典を手に入れます。
600巻以上にも及ぶ「大般若経」を中国へ持ち帰り、
663年、大般若経の全文漢訳に成功します。
この膨大な文量の大般若経を短く要約したのが「般若心経」です。
この世で私たちが体験する現象の空性を説いています。
仏教思想の真髄の中の真髄であり、空海、道元、白隠など日本の名僧たちも
これをきわめて重視したと伝えられています。
ちなみに鳩摩羅什訳を旧訳、玄奘訳を新訳と定義しています。
世界でもっとも選び抜かれた言葉と言っても過言ではないのです。 ( `・ω・´)
さすがに般若心経は深いナァ〜。
心が乱れた時はぜひ御一読を・・・・・・。
皆様の御言葉をお待ちしています。
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大悟の庭
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激動の2011年も残日数わずかとなりました〜。
東北南部、雪が降ったり融けたり・・・・。寒い日が続いています。
本日は今年最後の記事として「空也上人」を取り上げます!
すでに御承知かと思いますが、3.11の東日本大震災をきっかけに、
昨今、平安時代と現代の比較論がさかんに行われています。
貞観6年(864)の貞観大噴火(富士山)、貞観10年の播磨国地震(兵庫)、
貞観11年の貞観地震(東北)、仁和3年の仁和地震・・・・・・。
これら9世紀に起こった大噴火や大地震のパターンが、比較的最近の現象、
すなわち阪神大震災、新燃岳噴火、東日本大震災などと酷似していることが
学術的にも指摘されています。
歴史的に何らかの周期性があるとの見方も発表されています。
噴火や地震のみならず、社会現象にもある程度の類似性があるようです。
9世紀頃の平安時代と言えば、表向きには雅な宮廷文化が花開いたような
芸術的気風も感じられるのですが・・・・・、
全体像としては暗黒時代といっても過言ではありませんでした。
連続的な大震災の後に、凶作・飢饉が多発し、疫病も流行りました。
農村から漂流してきた人々が多数、都に集まり、物乞いの日々・・・・。
病人や餓死者が溢れ、京都の寺は死体の捨て場と化したのです。
浮浪者、盗賊、殺人者・・・・、何者か判然としない者たちが暗闇を彷徨する姿は、
鬼や妖怪の概念を育んでいったに違いないでしょう。
いわゆる百鬼夜行のイメージはそこから誕生したものと考えられます。
荘園制度から税を搾取できる貴族階級がダメージを受けることは無く、
多くの民衆は失業や病気で苦しみ、荒んだ暮らしをしていました。
それでも何ら有効な策を出さない貴族的政治無能・・・・。
さらに追い討ちをかけるがごとき異常気象・・・・。( 大寒冷化 )
どことなく今の時代と似ているようにも感じられます。
しかし、禍々しい暗黒の時代にも神々しい光は差すものです。
市聖・空也上人の誕生です。 ※ 空也 903〜972
【 空 也 上 人 像 】 六波羅蜜寺 所蔵 空也の出生には謎が多く、醍醐天皇の落胤か?・・・とも噂されましたが、
実情はよく判っていません。尾張国出身、国分寺にて出家したとのことです。
当時の仏教界は典型的な腐敗構造に陥り、貴族にはべったり癒着、
自己保身ゆえに貧しい庶民層とは距離を置いていました・・・・・。
その風潮に、空也は疑念を抱きます。
・・・・・お釈迦様や聖徳太子の教えとはずいぶん違うんじゃないか?・・・・・
・・・・・困っている人たちがぜんぜん救われていないよネ・・・・・
ある日、空也は立ち上がり、諸国を廻ります。
行った先々で「南無阿弥陀仏」を唱えながら念仏踊りを披露し、
困っている人がいれば次々と救済を行いました。
道路を整え、橋を渡し、井戸を掘り・・・・・・。
慈悲の心で幅広い社会事業をすすめていったのです。
路傍で死に果てた名も無き人物の遺体も丁寧に供養しました。
その行動範囲は奥州・東北地方にまで及びました。
福島県会津若松市の八葉寺は空也上人の開基として知られています。
現在も、空也上人直伝の念仏踊りが行われています!!
つい最近になって、ふと夏林人も思うことがありました。
これは5次元的な回帰現象なのでは・・・・・・? と。
少し補足になりますが・・・・・・、
1次元は点の世界、2次元は平面の世界(絵画的世界)、
3次元は立体の世界(彫刻的世界)、そして・・・・・、
4次元は3次元空間に時間軸を加えたものです。(人間の生涯など)
ここでお話したいのは、その次の次元である5次元です。
5次元については正式な意味ではまだ定説が無く、
学者によって諸説あり、科学的にも立証されていません。
ここでは、基本的に4次元空間に距離的な隔たりを設けた異次元・・・・
のようなものと、お考えいただければじゅうぶんです。
私たちが体感している時空とは別の時空がどこかで展開している・・・・と。
( 詳しくは、ハーバード大学終身在職権を持つ、リサ・ランドールの著書を
ご覧いただければ、物理学的な定義を知ることができます。難解ですが・・・ )
ここからは夏林人の個人的妄想に入りますが、
私たちが経験している地球上の暮らし&その積み重ねである歴史の時空は
一直線に不可逆的に進んでいるのではなく・・・・・、
わずかに弧を描きながら公転的に時空を刻み、数百年から千年レベルで
元の位置に戻るのではないか・・・・・と、私は思うのです。
イメージとしては大阪を出発した間寛平がまっすぐ一直線に進んだ結果、
地球を一周して再び大阪へ戻ってきたような・・・・・、そんな感じです。
そして、いま、私たちは平安時代と同じ時空のポイントへ戻ってきたのでは?
そのポイントでは同様の大地震や噴火、社会現象が起こるのではないか? と。
この広い宇宙内においては時空そのものが周期性を帯びているのではないか?
進化や歴史の中を堂々巡りしながら、大悟へ至るのではないのか・・・・・・・・、と。
そんな5次元的空想を弄んでいるうちに・・・・、
2011年は幕を閉じていくのですネ〜。 ああ、12月が終わっていく〜!
さて、2012年は・・・・、真の慈悲喜捨に目覚めた人が立ち上がり、
空也的価値観が求められていくような予感がします。 (=^・ω・^=)!
ちょっと早めの除夜の鐘〜♪ GO〜♪
ゴ〜〜〜〜〜ン!! (((((((((( °д °;)))) 〜!
皆様、良いお年をお迎え下さい。 来年も宜しくお願い致します。
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東北南部、平地でも落葉が進み、裸樹の姿が目立つようになりました。
辛うじて樹の枝に残されている葉が青空に映え、独特の風情を醸しています。
本日は晩秋から初冬への季節の変わり目について考察します。
暦の上ではもう冬・・・・・・。
それでも、自然界の姿を見渡せば、まだまだ晩秋の余韻が感じられます。
春から夏、夏から秋、秋から冬へ・・・・・。
四季それぞれの季節の変わり目に、微妙に感じられる空気感・・・・・。
本来、言葉では表わし難い要素をあえて文字に残した禅語があります。
本日は「耳聞不似心聞好」と「山中暦日無」のふたつを取り上げてみます。
に も ん し し ん も ん よ
耳 聞 は 似 か ず 心 聞 の 好 き に by : 虚 堂 智 愚
【 解 説 】 身の周りで起きている現象をただ耳で聞いて判断しているだけでは
ほんとうに理解したことにはならない。
心を開いて、心で聞かなければ真の理解には至らないのだヨ〜!
※ この禅語は一般的には冬の積雪の気配を読む言葉です。
さ ん ち ゅ う れ き じ つ な
山 中 暦 日 無 し
by : 太 上 隠 者
【 解 説 】 大自然の中にはもともと暦など何も無かった・・・・・。
人間が暮らしの中で変化を記録し、それを暦にしたのだ。
しかし、いつのまにか人間はカレンダーに従って行動する
ようになってしまった・・・・・。
本末転倒、本来は大自然のほうに主体性があるのだヨ〜!
里山が赤々と輝き、落ちる寸前に輝く線香花火にも似た最後の力を放つ時、
大自然の中で野生の時が刻まれる「無音の梵鐘」を心で聞く思いがします。
(・ω・)
皆様の御言葉をお待ちしています。 |
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2009年6月26日に誕生した「夏林人の庭」は
おかげさまで2周年を迎えることが出来ました。
開設当初は何を書けば良いか戸惑うことも多かったのですが、
いつのまにか自分のスタイルらしきものが固まり、
ふと気がつけば、すでに2年の歳月が過ぎ去ろうとしています・・・・。
ここまで更新が続けられたのも皆様の御支援のおかげです。
ほんとうにありがとうございます。
ブログ更新の記事を書き、多くの方々からコメントをいただきながら
ブログ世界について自分なりの感想を抱くようになりました。
ブログは仮想現実と言われているけれど・・・・・・、
じつは「現実そのもの」だナァ〜・・・・・・と。
喜びを共有できたり、落ち込んでいる時に励まされたり、
大切な情報を与えたり、与えられたり・・・・・・。
ある意味では現実よりも現実的です。
時代が変わっても、国が変わっても、
道具が変わっても、メディアが変わっても・・・・・、
決して変わらないココロの本質があるのだろうと思います。
2周年を記念して、紀元前インド・シャーキャ族・ゴータマシッダールタの
四大原理をお届けします。
四 梵 住
by : 釈 尊
梵とは・・・・、自然界・人間界を含む宇宙全体の法則性のことです。
大宇宙の中にこの「慈悲喜捨」が偏在している・・・・と、
釈尊は説いています。
ブログの世界もまた・・・・、慈悲喜捨の精神作用が働いているように
思われます。たとえ仮想空間であったとしても、それを運営しているのが
人間である限り、人間のココロが作用しますネ。 (・ω・)
< 福島県川俣町 常泉寺 >
ブログ「夏林人の庭」、引き続き更新していくつもりです。
今後とも宜しく御願い申し上げます〜♪
皆様の御言葉をお待ちしています。 |
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4月8日はお釈迦様の誕生日です。
ハッピー〜♪ 釈尊! イエ〜イ!
一年前も同じ花を U P したのですが、ちょうど今頃の季節に咲く
アズマイチゲの凛とした姿がお釈迦様によく似合うような気がします。
今回は釈尊生誕を祝い、「般若心経の真髄」を解説します。
私( 夏林人 )は一切の宗派に属さない、自作自演系の自称・宇宙禅を
実践する、世界一自由奔放な禅僧?・・・・・なのですが・・・・・、
それでも、開祖である お釈迦様だけは常に尊敬しています。
日本においては、なぜか仏教は葬儀と強く結びつき、
死を司る不吉なイメージが濃厚にも思えるのですが、
本来のお釈迦様の思想には「生と死」の全体像を解析した理論があり、
人生全般をどのように生きるか、多くのヒントが隠されています。
・・・・・・というわけで、釈尊の白眉「般若心経」の一部を解説します。
舎 利 子 ( しゃりし )
是諸法空相 ( ぜしょほうくうそう )
不 生 不 滅 ( ふしょうふめつ )
不 垢 不 浄 ( ふくふじょう )
不 増 不 減 ( ふぞうふげん )
舎利子、元気? フフフフフ・・・・・。
じつは、伝えておきたいことがあるんですヨ。
この世の森羅万象を司る法・・・・・、それは「空」なのです。
「そら」じゃなくて「くう」ですからネ! クウ〜♪
私たちの目の前で起こる様々な現象は、
物質的にも精神的にも因縁によって成り立っています。
自然現象も社会現象も偶然起こっているのではないのです。
人間の欲望・煩悩が生み出す壮大な幻影歴史絵巻の中に、
登場人物として、私たちは投げ込まれているのでしょう。
生きていれば、いろいろな事を体験しますが、
それらは本質的に実体が無く、無常であり、
「有」から「無」へ変容する宿命にあります。
生命の生成も消滅も、あると言えばあるように見えるが、
すでに失われたものは無いと言えば無いようにも見えるし、
汚染されている状態が浄化されるようなことも、
ただそのように感じられるだけのことに過ぎず、
もともと汚濁や清浄の境界などどこにもない・・・・・。
そして、何かが増えるとか減るとか、そのようなことも
宇宙内においては、全体としての総量は変わらず、
何も増えていないし、何も減っていないのです・・・・・。
でもネ、舎利子・・・・・、
だからと言って、この世の全てが無意味だとか無価値だとか、
そのように考えるのは良くないと思うのです。
無常の中に価値や美学を見出すことが、
私たちにとって最大のテーマなのですから・・・・ ネ!
大震災の中で、般若心経を読みながら、いろいろな事を考えました。
この震災は必然的に起こった事のようにも思えるのです。
利己的な都市文明を築いた人間への、天からの問いかけのように
私には思えるのですが・・・・・・。
千年に一度とも形容される、この大きな大きな難問に、
私たちは応えなければならないのでしょうネ・・・・・・・。
皆様の御言葉をお待ちしています。 |

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