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2015.1.11 訪城 室町時代駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築城 天正2年(1571)武田勝頼が攻め小笠原与八郎長多忠は一ヶ月の篭城の末開城 その後徳川の攻撃を受けつつ天正3年(1572)長篠の戦い以後武田氏が衰え ここ高天神お支えきれず天正9年(1581)落城し以後廃城となる。現地案内看板より 当日3城め、待望の高天神城跡です、徳川、武田の境目の城 搦め手側から登城です。 登っていくと三日月井戸、井戸というより水溜りのようですが・・・ まずは本丸へ進みます、本丸下段の的場曲輪 石窟跡 本丸。思ったより広いです。 御前曲輪。コンクリートの基礎は何の跡なんでしょう? 井戸曲輪。井戸結構深いです(小石投げ入れてみました。) 二の丸と堂の尾曲輪との堀切 堂の尾曲輪から井楼曲輪にかけての空堀 西の丸と馬場平の堀切、深く広い 子供と一緒にいったのですが、そのこと忘れて一人歩きまわっていました、
子供にとってはただの山道だったことでしょう。 |
お城散策(静岡県)
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2015.1.11 訪城 黒田代官屋敷で、駐車場の案内看板で偶然発見しました。 そんなに距離もなさそうなので行ってみることに。 横地氏城館跡は、牧の原台地の南西端に位置し、菊川水系の小河川沿いの谷部と丘陵部に営まれた、横地氏本拠地の中世遺跡群です。横地氏は保元の乱に源義朝に従った有力武士であり、源平の内乱期は頼朝に従い、鎌倉幕府成立後は有力御家人として鎌倉を中心に活動したことが『吾妻鏡』に散見しています。菊川市ホームページより 駐車場にあった看板 [ 一騎がけ 確かに土橋のようになっています、両側はかなり切り立った崖でした。 金玉落し??? なんと読むのでしよう? 案内看板によると 城兵の戦闘訓練で太鼓を合図で金の玉を谷に落とし兵がそれを持って谷から上がってくるらしいです。 さがした者は褒美が貰えたとのことです。 横地神社のある場所を本郭と勘違いしていて、(看板を良く見ていなかったです。)
ここで折り返してしまいました。 |




